琉球の島に残った三人は親子親密に島を納めて、人々の尊敬を集めていた。ある夜、清彦の夢に、琉球沼という沼の対岸に、清子姫と照子姫が現れて歌い踊り、清彦を差し招いた。
清彦は目が覚めてから島人に尋ねると、確かに島にはその沼があるとのことであった。沼の中央の珊瑚礁の地下には千畳敷があるという伝説から、島人は誰も近づかないという。清彦は照彦を沼に行こうと誘った。常楠も島を探検するよう二人に命じた。
清彦と照彦は従者を連れて沼に到着した。二人は沼に着くと、湖面を眺めながら清子姫、照子姫への想いを歌った。
一行は砂を敷き詰めた麗しい沼を進んで行った。水深が深くて進めない所に来ると、八尋鰐の群れが現れて橋となり、一行はその上を渡って行き珊瑚礁に着いた。
清彦は珊瑚礁の上で、自分たちが到着したことを知らせる歌を歌った。すると珊瑚礁の小島の岩窟の中から四人の男が現れて一同の前で黙礼し、岩窟を降って一行を案内した。
広場に着いた一行が休んでいると、盛装した清子姫と照子姫が現れた。清子姫は、自分たちは天使長・広宗彦の系統だが、常楠はその従臣であった国彦・国姫の子孫であることを述べた。そして、これこそ言依別教主が定めた因縁であることを明かした。
清彦は、差し招く清子姫の手を取り、清子姫に夫婦の契りを承諾する返歌を返した。同様に照子姫と照彦も夫婦の契りの歌を交わした。
清彦と清子姫は、この沼を中心として島を治めて、琉の島の守り神となって子孫栄え、世は太平に治まった。照彦と照子姫は南の島に渡って治め、人々の尊敬を集めた。南の島を球の島と言い、現在の八重山群島はこの一部が残っている者である。照彦夫婦は台湾島北部にまで教勢を伸ばした。