天下万物の中で、もっとも身魂が優れている存在である人間は、天から上中下三段の御魂を授けられて各自の御魂相応に世界経綸の神業を負わせているのである。
しかし今の世は身魂の位置が転倒していて、悪霊などが人類の霊魂を狂惑している。そのために地上は霊主体従・弱肉強食の暗黒世界となってしまっている。
天下経綸の神業に奉仕すべき人類の御魂が抜けてしまい獣の心になってしまっていては、世界は行き詰まり、急変事が突発しないとも限らない。
世界の人類は一日も早く目を覚まし、誠一つの麻柱の道によって霊魂を磨き、神心に立ち返られなければならない。
真心とは、天地の先祖の大神の大精神に合致した清浄心である。至仁至愛にして万事に心を配り、泰然として動かず焦らず、物質欲に淡く心神を安静に保ち、天意を本として人と争わずよく耐え忍ぶ。
宇宙一切を我が身魂の所有となして春夏秋冬、昼夜風雨雷電霜雪、いずれも言霊の御稜威に服従するまでに至るならば、初めて神心を発揚したと言えるのである。
災難や艱難苦難に会っても意に介せず、幸運に会っても油断せず、生死を一如と見、世事一切を神明の御心に任せる。
心魂常に安静にして小さな我を捨てて大我に合し、天の時・神意に従って天下公共のために舎身の活躍をなす。
善を思い善を言い善を行い、奇魂の真智を照らして大人の行いを備える。意思を常に内に向かわせて、自己独り知ることを慎み、力量才覚を人にひけらかすことを望まない。
神明の代表者たる品位を保ち、自然にして世界を光輝かし、一点の私心もなき時は、その胸中に永遠無窮の神国がある。
善者・老者を友として悪人愚者劣者を憐れみ、精神上・物質上に恵み救い、富貴をうらやまず貧賤をいとわず、富貴に処しては神国のために心魂を傾け、貧に処しては簡易なる生活に感謝する。
我心我欲を戒めて他を害せず傷つけず、失敗しても自暴自棄とならず、天命を楽しみ人としての天職を尽くし自己の生業に励む。
天下修斎の大神業に参加するときも頭脳を冷静にして騒がず、心魂洋々として不動にして寛仁大度の精神を養い、神政成就を補佐する。
神界の律法に照らして善悪を判断し、天意にしたがって一々最善の行動を取り、至仁至愛の真心を持って万有を守る。公平な精神を持つ人格を備える。
これらが備わったとき、すなわち神人にしての心魂は真心なのである。
逆に利害得失のために精神を左右して、体主霊従・利己主義を標榜するのは小人の魔心なのである。
魔心の帰結として、執着心強くして自ら地獄道を造り邪気を生み出し、自ら苦しむ者が天下に充満する。この阿鼻叫喚の惨状を座視するに忍びず、大神は苦集滅道を説き道法礼節を開示し給うたのである。それがこの物語である。
非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず。天定まって人を制するという真諦を神のまにまに二十二巻まで口述し終わった次第である。
いよいよ大正十年九月八日に神命が降り十日間の斎戒沐浴を終わって、同十八日より口述を始め、大正十一年旧三月三日までに五百六十七章を、続いて五月五日までに王仁に因んだ七百十二章を述べ終わった。神界経綸の少しも違算のないことに驚くばかりである。
瑞月が本書を口述始めるや、パリサイ人の非難攻撃現れ、編集者以下筆録者もずいぶん苦しんだが、神助のもとにかろうじて本巻まで口述筆記を終わり、神竜の片鱗をここに開示することができたことを、大教祖の神霊に謹んで感謝し奉る。
また筆録者一同、関係者一同にここに謹んで感謝する次第である。