天地開闢の極元
考えられないほど大きく、浩く、漂い、恒久に変化がなく、霧を撒いたようなス(⦿)の時に、その機約の両極端に、対照となる力を起こった。
(その当時の宇宙は)恒に張り詰め深く静かに満ちていたので、考えられないほど大きさの両極端に対照となる力が保たれ、至大宇宙のあらゆる極は相対照となった。
その不思議な威を持つ対照力の中間を、極微点(コゴコ)を珠のように連ねた糸が掛けつなぎ、隣り合い並びあって、ヒシと充実極まる状態であった。
しかしながら、そうした働きは気体の形であり透明であったので、人の眼に見えるような現象ではなかった。
見えないけれども、この連珠の糸が霊気を保ち、初めて至大天球(たかあまはら)を作ったのである。そのとき、対照力(タタノチカラ)が至大天球の外面を張り詰めたために、至大天球(たかあまはら)は球形になったのである。
たしかに、極元となったス(⦿)は、大きいことこの上なく、ひろびろとして漂い、恒久に変化がない状態で、花形をしており、凹凸を繰り返して呼吸を保っていたのであった。
そのようにして、極元のス(⦿)は、その平らな輪の部分のところで対照力を起こし、その外面を対照力によって張り詰め、張り詰めして至大天球(たかあまはら)となったのである。
それゆえ、、極元のス(⦿)の凸の所にあって、区切りの部分にあった珠の外に成ったために、鰭のような状態になった極微点は、張り詰めた珠を塗って移動した。そして至大天球の東岸部、西岸部に門を開けて、至大天球内に競って進入しようとする力を生み、押し入ってきた。
この押し入ってくる極微点の力は、始めの対照力に張り詰められて至大天球中に固まっていた極微点の連珠の糸の霊気を中央に押し込み、押された気が北極、南極に押し出される。
押し出された気はまた至大天球の外面を塗って移動し、東岸部、西岸部に来ると、また至大天球中に入っていく。このようにして霊気は、永世無窮に果てしもなくならび連なって、至大天球の内外を循環運行しているのである。
本当のところ、ここまでに説いてきたひとつひとつの真の説は、釈迦や孔子でさえ、探求したけれども知ることができなかった、極みの重要な教えである。比喩、たとえ話の説明、謎かけ話のような、不正曖昧ないいかげんな話ではないことを理解してもらわなければならない。
だから、一言一句がことごとく真正に、至大天球(たかあまはら)の組織、細かな特徴の理、大なる造化のはたらきを捉えて、明細に密に審査して、表に現れたきざしを証明した、極限の典説なのである。
大いなる智恵に照らされて、全体を見通すことに熟練したあかつきには、これが一切世界に無比なる極みの教えであると称えるようになるであろう。そのことを感得すべきである。
だから、謹んで本書を拝読する者は、その鑑識眼を明らかにして、一切の迷いを一掃するべきである。愚蒙にして鑑識を誤る者は、比喩や喩え、謎かけ、想像を働かせて、この説をお経や哲学の類とみなしてしまい、他の説と比較したり、愚案・愚考と談じたりして、自分はいっぱしの哲学を語っているように信じている、という有様になってしまう。
読者においては、鑑識眼を正しく明らかに極めることを切に希望する。
たしかに老子はこの至大天球を語っているが、明言することはできなかった。ただ、「玄のまた玄、衆妙の門」、とだけ言った。「門」とは、表半球の形を謎にかけたのである。もしはっきりと「天球」云々と言った場合、さまざまな質問・疑問が起こってくる。老子の教えでは、それらに答えることはできないので、よくよくその辺りを思案するように。
釈迦は「無辺法界」「不思議界」と言う。まさに、思いはかることができないもの、という意味である。孔子は至大天球のことを「容(とるる)」と言い、また「一ツ」と言った。みな、謎かけ談のようなものばかりである。
まったく、このような謎かけ談しか語ることができなかったのは、行き届かないことこの上ないが、はっきりと言ってしまうと様々な質問・疑問が起こることを恐れて、比喩、たとえ話、謎かけでもって世間をごまかし、神器を持った弥勒が出現するのをただ待っていたのである。まったく憐れな話である。
このような有様であるので、『最大一なる霊魂精神は至大天球(たかあまはら)、またの名を至大霊魂球(おほみたま)であり、一個人の神経は、この霊魂球の中の一つの条脈、つまり玉の緒と言うべきものに他ならない』、と明言したとする。
そうすると、釈迦、老子、孔子の教えでは、その明細を説明することができないのである。ただ頑迷な謎かけ話を作ってそれを愚かにも崇拝しているだけなのである。
僧侶は、霊魂心性のことを第一に説き明かす人々であるはずなのに、『その心性とは、至大天球(たかあまはら)中の真霊に他ならない』とはっきり言ったとき、その詳細や、造化がどのように始まり、どのように終わるか、ということをはじめ、億万劫々年間に生まれ死んでいった一切の事柄を、詳しく教示することができない。ただ迷妄な謎をかけて迷っている達磨は憐れ極まる者である。
だから僧侶たちに、現在行われている教えの道の本元は何だ、と問い詰めると、一言でも答えることができる者がいないのである。まして、その教えの本元が、究極的には何に基づいているか、などということには夢にも思い至らない、情けない僧侶ばかりなのである。
そんなことはない、という人がいたら、道統の本元が基にしている極元は是である、と一言でも説明してみるがよい。
釈迦も達磨も、その教えの道が、究極的に何を基にしているかを知らないが故に、直接はっきりと道法を説明することができないのである。だから、比喩、たとえ、謎かけのみで、ただ弥勒如来の到来を待って教えを喜び奉っているだけなのである。
速やかに弥勒の出現を乞い奉るべきである。いや、弥勒はすでにここにある。請ぜよ。