霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一二章 顕幽(けんいう)一致(いつち)〔一二〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第1巻 霊主体従 子の巻 篇:第2篇 幽界より神界へ よみ(新仮名遣い):ゆうかいよりしんかいへ
章:第12章 顕幽一致 よみ(新仮名遣い):けんゆういっち 通し章番号:12
口述日:1921(大正10)年02月08日(旧01月01日) 口述場所: 筆録者:王仁 校正日: 校正場所: 初版発行日:1921(大正10)年12月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
高熊山山中における顕界と霊界の修行の実践を、大略述べてみたが、述べた部分は実はほんの一小部分にしかすぎない。
すべて宇宙の一切は顕幽一致、善悪一如である。絶対の善もなく、絶対の悪もない。絶対の極楽もなければ、絶対の苦患もない。
根底の国に堕ちて苦悩を受けるのは、自己の身魂から産出した報いなのである。
顕界の者の霊魂は常に霊界に通じ、霊界からは常に顕界と交通を保っている。これは、幾百千万年といえども、変わることはない。
天国浄土と娑婆社会は、本質はまったく同じである。ただ、その本然の性質を十分に発揮して適当な活動をするかしないかで、神俗、浄穢、正邪、善悪が分かれるのである。
あることも天下公共のためにすれば善であり、私有のためにすれば悪ともなる。
神は一切万有を済度しようとする。凡俗は我が妻子眷属のみを愛すだけである。人の身魂そのものは、本来は神である。したがって、宇宙大に活動できる天賦の本能を備えているのである。この天賦の本質である、智、愛、勇、親を開発し、実現するのが人生の本分である。
肉体を捨てず、苦あり悪ある現実社会を離れず、これを美化して天国浄土を目の前に実現させる。これが自分が考える神性の成就であり、目的とするところである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-07-31 03:12:52 文字数:1667 OBC :rm0112
愛善世界社版:55頁 八幡書店版:第1輯 65頁 修補版: 校定版:55頁 普及版:29頁 初版: ページ備考:
001 自分(じぶん)が高熊(たかくま)山中(さんちゆう)における、002顕界(けんかい)と、003霊界(れいかい)の修業(しうげふ)の間(あひだ)に、004親(した)しく実践(じつせん)したる大略(たいりやく)の一端(いつたん)を略述(りやくじゆつ)してみたのは、005真(ほん)の一(いち)小部分(せうぶぶん)に過(す)ぎない。
006 すべて宇宙(うちう)の一切(いつさい)は、007顕幽(けんいう)一致(いつち)、008善悪(ぜんあく)一如(いちによ)にして、009絶対(ぜつたい)の善(ぜん)もなければ、010絶対(ぜつたい)の悪(あく)もない。011従(したが)つてまた、012絶対(ぜつたい)の極楽(ごくらく)もなければ、013絶対(ぜつたい)の苦艱(くかん)もないといつて良(よ)いくらゐだ。014歓楽(くわんらく)の内(うち)に艱苦(かんく)があり、015艱苦(かんく)の内(うち)に歓楽(くわんらく)のあるものだ。016ゆゑに根(ね)の国(くに)、017底(そこ)の国(くに)に墜(お)ちて、018無限(むげん)の苦悩(くなう)を受(う)けるのは、019要(えう)するに、020自己(じこ)の身魂(みたま)より産出(さんしゆつ)したる報(むく)いである。021また顕界(けんかい)の者(もの)の霊魂(みたま)が、022常(つね)に霊界(れいかい)に通(つう)じ、023霊界(れいかい)からは、024常(つね)に顕界(けんかい)と交通(かうつう)を保(たも)ち、025幾(いく)百千万(ひやくせんまん)年(ねん)といへども易(かは)ることはない。026神諭(しんゆ)に、027……天国(てんごく)も地獄(ぢごく)も皆(みな)自己(じこ)の身魂(みたま)より顕出(けんしゆつ)する。028故(ゆゑ)に世(よ)の中(なか)には悲観(ひくわん)を離(はな)れた楽観(らくくわん)はなく、029罪悪(ざいあく)と別立(べつりつ)したる真善美(しんぜんび)もない。030苦痛(くつう)を除(のぞ)いては、031真(しん)の快楽(くわいらく)を求(もと)められるものでない。032また凡夫(ぼんぶ)の他(ほか)に神(かみ)はない。033言(げん)を換(かへ)ていへば善悪(ぜんあく)不二(ふじ)にして正邪(せいじや)一如(いちによ)である。034……仏典(ぶつてん)にいふ。035「煩悩(ぼんなう)即(そく)菩提(ぼだい)。036生死(しやうじ)即(そく)涅槃(ねはん)。037娑婆(しやば)即(そく)浄土(じやうど)。038仏凡(ぶつぼん)本来(ほんらい)不二(ふじ)」である。039神(かみ)の道(みち)からいへば「神俗(しんぞく)本来(ほんらい)不二(ふじ)」が真理(しんり)である。
040 仏(ぶつ)の大慈悲(だいじひ)といふも、041神(かみ)の道(みち)の恵(めぐ)み幸(さち)はひといふも、042凡夫(ぼんぶ)の欲望(よくばう)といふのも、043その本質(ほんしつ)においては大(たい)した変(かは)りはない。044凡俗(ぼんぞく)の持(も)てる性質(せいしつ)そのままが神(かみ)であるといつてよい。045神(かみ)の持(も)つてをらるる性質(せいしつ)の全体(ぜんたい)が、046皆(みな)ことごとく凡俗(ぼんぞく)に備(そな)はつてをるといつてもよい。
047 天国(てんごく)浄土(じやうど)と社会(しやくわい)娑婆(しやば)とは、048その本質(ほんしつ)において、049毫末(がうまつ)の差異(さい)もないものである。050かくの如(ごと)く本質(ほんしつ)においては全然(ぜんぜん)同一(どういつ)のものでありながら、051何(なに)ゆゑに神俗(しんぞく)、052浄穢(じやうゑ)、053正邪(せいじや)、054善悪(ぜんあく)が分(わか)るるのであらうか。055要(えう)するに此(こ)の本然(ほんぜん)の性質(せいしつ)を十分(じふぶん)に発揮(はつき)して、056適当(てきたう)なる活動(くわつどう)をすると、057せぬとの程度(ていど)に対(たい)して、058附(ふ)したる仮定(かてい)的(てき)の符号(ふがう)に過(す)ぎないのだ。
059 善悪(ぜんあく)といふものは決(けつ)して一定(いつてい)不変(ふへん)のものではなく、060時(とき)と処(ところ)と位置(ゐち)とによつて、061善(ぜん)も悪(あく)となり、062悪(あく)も善(ぜん)となることがある。
063 道(みち)の大原(たいげん)にいふ。064「善(ぜん)は天下(てんか)公共(こうきよう)のために処(しよ)し、065悪(あく)は一人(ひとり)の私有(しいう)に所(しよ)す。066正心(せいしん)徳行(とくかう)は善(ぜん)なり、067不正(ふせい)無行(むかう)は悪(あく)なり」と。068何(なに)ほど善(よ)き事(こと)といへども、069自己(じこ)一人(ひとり)の私有(しいう)に所(しよ)するための善(ぜん)は、070決(けつ)して真(しん)の善(ぜん)ではない。071たとへ少々(せうせう)ぐらゐ悪(あく)が有(あ)つても、072天下(てんか)公共(こうきよう)のためになる事(こと)なれば、073これは矢張(やはり)善(ぜん)と言(い)はねばならぬ。074文王(ぶんわう)一(ひと)たび怒(いか)つて天下(てんか)治(おさ)まる。075怒(いか)るもまた可(か)なり、076といふべしである。
077 これより推(お)し考(かんが)ふる時(とき)は、078小(ちひ)さい悲観(ひくわん)の取(と)るに足(た)らざるとともに、079勝論(しようろん)外道(げだう)的(てき)の暫有(ざんいう)的(てき)小楽観(せうらくくわん)もいけない。080大楽観(だいらくくわん)と大悲観(だいひくわん)とは結局(けつきよく)同一(どういつ)に帰(き)するものであつて、081神(かみ)は大(だい)楽観者(らくくわんしや)であると同時(どうじ)に、082大(だい)悲観者(ひくわんしや)である。
083 凡俗(ぼんぞく)は小(せう)なる悲観者(ひくわんしや)であり、084また小(せう)なる楽観者(らくくわんしや)である。085社会(しやくわい)、086娑婆(しやば)、087現界(げんかい)は、088小苦(せうく)小楽(せうらく)の境界(きやうがい)であり、089霊界(れいかい)は、090大楽(だいらく)大苦(だいく)の位置(ゐち)である。091理趣経(りしゆきやう)には、092「大貪(だいとん)大痴(だいち)是(こ)れ三摩地(さんまぢ)、093是(こ)れ浄菩提(じやうぼだい)、094淫欲(いんよく)是道(ぜだう)」とあつて、095いはゆる当相(たうさう)即道(そくだう)の真諦(しんたい)である。
096 禁欲(きんよく)主義(しゆぎ)はいけぬ、097恋愛(れんあい)は神聖(しんせい)であるといつて、098しかも之(これ)を自然(しぜん)主義(しゆぎ)的(てき)、099本能(ほんのう)的(てき)で、100すなはち自己(じこ)と同大(どうだい)程度(ていど)に決行(けつかう)し、101満足(まんぞく)せむとするのが凡夫(ぼんぶ)である。102これを拡充(くわくじゆう)して宇宙大(うちうだい)に実行(じつかう)するのが神(かみ)である。
103 神(かみ)は三千(さんぜん)世界(せかい)の蒼生(さうせい)は、104皆(みな)わが愛子(あいじ)となし、105一切(いつさい)の万有(ばんいう)を済度(さいど)せむとするの、106大欲望(だいよくばう)がある。107凡俗(ぼんぞく)はわが妻子(さいし)眷属(けんぞく)のみを愛(あい)し、108すこしも他(た)を顧(かへり)みないのみならず、109自己(じこ)のみが満足(まんぞく)し、110他(た)を知(し)らざるの小貪欲(せうとんよく)を擅(ほしいまま)にするものである。111人(ひと)の身魂(みたま)そのものは本来(ほんらい)は神(かみ)である。112ゆゑに宇宙大(うちうだい)に活動(くわつどう)し得(う)べき、113天賦(てんぷ)的(てき)本能(ほんのう)を具備(ぐび)してをる。114それで此(こ)の天賦(てんぷ)の本質(ほんしつ)なる、115智(ち)、116愛(あい)、117勇(ゆう)、118親(しん)を開発(かいはつ)し、119実現(じつげん)するのが人生(じんせい)の本分(ほんぶん)である。120これを善悪(ぜんあく)の標準論(へうじゆんろん)よりみれば、121自我(じが)実現(じつげん)主義(しゆぎ)とでもいふべきか。122吾人(ごじん)の善悪(ぜんあく)両様(りやうやう)の動作(どうさ)が、123社会(しやくわい)人類(じんるゐ)のため済度(さいど)のために、124そのまま賞罰(しやうばつ)二面(にめん)の大活動(だいくわつどう)を呈(てい)するやうになるものである。125この大(だい)なる威力(ゐりよく)と活動(くわつどう)とが、126すなはち神(かみ)であり、127いはゆる自我(じが)の宇宙(うちう)的(てき)拡大(くわくだい)である。
128 いづれにしても、129この分段(ぶんだん)生死(しやうじ)の肉身(にくしん)、130有漏(うろ)雑染(ざつせん)の識心(しきしん)を捨(す)てず、131また苦穢(くゑ)濁悪(じよくあく)不公平(ふこうへい)なる現社会(げんしやくわい)に離(はな)れずして、132ことごとく之(これ)を美化(びくわ)し、133楽化(らくくわ)し、134天国(てんごく)浄土(じやうど)を眼前(がんぜん)に実現(じつげん)せしむるのが、135吾人(ごじん)の成神観(せいしんくわん)であつて、136また一大(いちだい)眼目(がんもく)とするところである。
137(大正一〇・二・八 王仁)
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