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第九章 (あい)(しん)〔一二四二〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻 篇:第2篇 中有見聞 よみ(新仮名遣い):ちゅううけんぶん
章:第9章 愛と信 よみ(新仮名遣い):あいとしん 通し章番号:1242
口述日:1923(大正12)年01月08日(旧11月22日) 口述場所: 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年10月6日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
善とはこの世の造り主である大神の御神格より流入してくる神善である。この神善はすなわち愛そのものである。真とは大神の御神格より流入してくる神真である。この神真は、すなわち信である。
愛にも善があり、悪がある。愛の善とは霊主体従であり神から出た愛である。愛悪とは体主霊従といって自然界における自愛、また世間愛をいう。これは己が種族を愛し、郷里を愛し、国土を愛するがために他をしいたげ、亡ぼして自己団体の安全を守る偏狭的愛である。
信仰には真と偽がある。真の信仰は心の底から神を理解し神を愛し信じ、かつ死後の生涯を固く信じて神の御子たる本分を尽くし、何事も神第一とするところの信仰である。
偽りの信仰は内心に悪を包蔵しながら表面宗教を信じ、寄付金を誇示したり処世上の都合で信仰を装ったりする。神仏をかつお節として自愛の道を遂行しようとする悪魔の所為のことである。このような信仰は神に罪を重ね、自ら地獄の門扉を開く醜行である。
高天原の天国や霊国にあっては人の言葉はみなその心から出るものであるから、言うところと思うところは一致している。心の中に三を念じて口に一つを云うことはできない。これが高天原の規則である。
天国は日の国であり、霊国は月の国である。真の神は月の国においては瑞の御霊と現れ給ひ、日の国においては厳の御霊の大神と現れ給う。厳の御霊の大神のみを認めて、瑞の御霊の大神を否むような信条では、高天原の圏外に放り出されるものである。
かくのごとき人間は内流がないために思索力を失い、正当な思念を有しえず、手は垂れ四股関節はまったく力を失ってしまう。また瑞の御霊の神格を無視し、その人格の身を認めるものも同様である。
天地の統御神たる日の国にまします厳の御霊に属する一切の事物は、残らず瑞の御霊の大神の支配権に属しているのである。瑞の御霊の大神は、大国常立大神をはじめ日の大神、月の大神そのほか一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまうのである。
この大神は天上、中有界、現界、地獄を統御したまう。厳の御霊大神は万物の父であり、瑞の御霊の大神は万物の母である。瑞の御霊の大神はすべての神々の御神格を一身に集注したまう。
その神より起こり来る御神格によって、高天原の全体は成就し、また個々の分体が成就しているのである。人間の霊体、肉体もこの神の神格によって成就している。そして瑞の御霊の大神より起こり来る神格とは、すなわち愛の善と信の真である。
高天原の天人はすべてのこの神の善と真とを完全に摂受して生命を永遠に保存しているのである。現界の人間の志すところ、為すところは決してそれ自身善でも真でもない。それは御神格より来る活力を欠いているからである。
御神格の内流を見得し、感得し、摂受して立派な高天原の天人となることを得るのである。人間には一霊四魂がある。一霊は真霊であり、神直日、大直日と称する。神直日とは神様特有の直霊であり、大直日とは人間が神格の流入を摂受した直霊をいうのである。
四魂は和魂(親)、幸魂(愛)、奇魂(智)、荒魂(勇)をいう。四魂は人間のみならず、高天原にも現実の地球の上にもそれぞれの守護神として厳存している。信の真は四魂の本体となり、愛の善は四魂の用となっている。
直霊は瑞の御霊の大神の御神格の御内流すなわち直流入された神力である。ゆえに瑞の御霊の御神格はすべての生命の原頭とならせたまうものである。
われわれ人間の運命は、この神より来る神善と神真をいかに摂受するかによって定まるものである。そこで信仰と生命にあってこれを受けるものは、その中に高天原を顕現する。これを否むものは地獄界を現出する。
人間の意志的生涯は愛の生涯であって、善と相関し、知性的生涯は信仰の生涯であって、真と相関するものである。一切の善と真とはみな高天原より来るものであり、生命一切のこともまた、高天原より来ることを悟り得るのが天人である。
人の知識や善行もそのとおりである。善のためになせる善は、神格の内流より来ている。自己のためになす善は、決して善ではない。高天原はこのような善すなわち神格によって成立している。
人間在世のときにおいて、自ら為した善、自ら信じる真をもって、自らの胸中より来るものとなし、自分の所属と信じているものは、どうしても高天原に上ることはできない。善行の功徳を求めたり、自ら義としたりするものは、大神の神格を観ない真理に暗い痴呆者というのである。
またそうした者たちは、もともと大神の所属となすべきものを己に奪おうとするゆえに、神からは天の賊と称えられるのである。そのような人間は、大神の御神格を天人が摂受するものである、という信仰に逆らっているのである。
瑞の御霊の大神は、高天原の天人と共に自家存在の中に住み給う。ゆえに大神は、高天原における一切中の一切であることは言うまでもないことである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :rm4709
愛善世界社版:135頁 八幡書店版:第8輯 521頁 修補版: 校定版:142頁 普及版:66頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]出口王仁三郎全集 > 第一巻 皇道編 > 第七篇 高天原 > 第十八章 愛と真
001 大本(おほもと)開祖(かいそ)聖言(せいげん)には(あい)(ぜん)(しん)(しん)とを骨子(こつし)として()かれてある(こと)神諭(しんゆ)拝読(はいどく)した(ひと)のよく()(ところ)なれば、002今更(いまさら)口述者(こうじゆつしや)(あらた)めて()ぶる(まで)もないから、003(その)聖言(せいげん)(りやく)する(こと)とする。
004 (ぜん)とは(すなは)(この)()(つく)(ぬし)なる大神(おほかみ)()神格(しんかく)より流入(りうにふ)(きた)神善(しんぜん)である。005(この)神善(しんぜん)(すなは)(あい)(その)ものである。006(しん)とは(おな)じく大神(おほかみ)()神格(しんかく)より流入(りうにふ)(きた)(ところ)神真(しんしん)である。007(この)神真(しんしん)(すなは)(しん)である。008さうして(その)(あい)にも(ぜん)があり(あく)がある。009(あい)(ぜん)とは(すなは)霊主(れいしゆ)体従(たいじう)010(かみ)より()でたる(あい)であり、011愛悪(あいあく)とは体主(たいしゆ)霊従(れいじう)()つて自然界(しぜんかい)()ける自愛(じあい)(また)世間愛(せけんあい)()ふのである。012(いま)口述者(こうじゆつしや)()ぶる世間愛(せけんあい)とは(けつ)して()(なか)所謂(いはゆる)博愛(はくあい)慈善(じぜん)(てき)救済(きうさい)()ふのではない。013(おの)種族(しゆぞく)(あい)し、014(あるひ)郷里(きやうり)(あい)し、015国土(こくど)(あい)する(ため)()(しひた)げ、016(あるひ)(ほろ)ぼして自己(じこ)団体(だんたい)安全(あんぜん)(まも)偏狭(へんけふ)(てき)(あい)()したのである。017それから(また)信仰(しんかう)には(しん)()とがある。018(しん)信仰(しんかう)とは(こころ)(そこ)から(かみ)理解(りかい)し、019(かみ)(あい)し、020(かみ)(しん)じ、021()死後(しご)生涯(しやうがい)(かた)(しん)じて(かみ)御子(みこ)たる本分(ほんぶん)(つく)し、022何事(なにごと)神第一(かみだいいち)とする(ところ)信仰(しんかう)である。023(また)(いつは)りの信仰(しんかう)とは所謂(いはゆる)偽善者(きぜんしや)(ども)(その)善行(ぜんかう)(かざ)武器(ぶき)として内心(ないしん)(あく)包蔵(はうざう)しながら、024表面(へうめん)宗教(しうけう)(しん)(かみ)礼拝(らいはい)し、025(あるひ)宮寺(ぐうじ)などに寄附金(きふきん)をなし、026(その)金額(きんがく)(いし)(また)立札(たてふだ)(しる)さしめて、027自分(じぶん)器量(きりやう)(ほこ)(ところ)信仰(しんかう)である。028(あるひ)商業(しやうげふ)(じやう)便利(べんり)のために、029(あるひ)はわが処世(しよせい)(じやう)都合(つがふ)のために表面(へうめん)信仰(しんかう)(よそほ)横着者(わうちやくもの)所為(しよゐ)(しよう)して(いつは)りの信仰(しんかう)()ふのである。030(えう)するに神仏(しんぶつ)松魚節(かつをぶし)として自愛(じあい)(みち)遂行(すゐかう)せむとする悪魔(あくま)所為(しよゐ)()ふのである。031()くの(ごと)信仰(しんかう)(かみ)(つみ)(かさ)(みづか)地獄(ぢごく)門扉(もんぴ)(ひら)醜行(しうかう)である。032(しん)(かみ)愛善(あいぜん)信真(しんしん)(なか)にこそましませ自愛(じあい)偽信(ぎしん)(なか)にまします(はず)はない、033(かか)自愛(じあい)偽信(ぎしん)(なか)潜入(せんにふ)する(かみ)所謂(いはゆる)八岐(やまた)大蛇(をろち)034悪狐(あくこ)悪鬼(あくき)餓鬼(がき)畜生(ちくしやう)部類(ぶるい)である。035高天原(たかあまはら)天国(てんごく)(およ)霊国(れいごく)にあつては(ひと)言葉(ことば)(みな)(その)(こころ)より()づるものであるから、036(その)()(ところ)(おも)(ところ)であり、037(おも)(ところ)(すなは)()(ところ)である。038(こころ)(うち)(さん)(ねん)じて(くち)(ひと)つを()(こと)出来(でき)ない。039(これ)高天原(たかあまはら)規則(きそく)である、040(いま)天国(てんごく)()つたのは()(くに)(こと)であり、041霊国(れいごく)()つたのは(つき)(くに)(こと)である。
042 (しん)(かみ)(つき)(くに)(おい)ては(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)(あら)はれ(たま)ひ、043()(くに)(おい)ては(いづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)(あら)はれ(たま)ふ。044さうして(いづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)のみを(みと)めて(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)(いな)むが(ごと)信条(しんでう)(うへ)安心(あんしん)立命(りつめい)()むとするものは、045(のこ)らず高天原(たかあまはら)圏外(けんぐわい)()()されるものである。046()くの(ごと)人間(にんげん)高天原(たかあまはら)より(かつ)(なん)()内流(ないりう)なき(ゆゑ)次第(しだい)思索力(しさくりよく)(うしな)ひ、047何事(なにごと)につけても正当(せいたう)なる思念(しねん)(いう)()ざるに()(いた)り、048(つひ)には精神(せいしん)衰弱(すゐじやく)して(おし)(ごと)くなり、049(あるひ)(その)()(ところ)痴呆(ちはう)(ごと)くになつて歩々(ほほ)(すす)まず、050(その)()()れて(しき)りに(ふる)(おのの)き、051四肢(しこ)関節(くわんせつ)(まつた)(ちから)(うしな)ひ、052餓鬼(がき)幽霊(いうれい)(ごと)くなつて仕舞(しま)ふものである。053(また)(みづ)御霊(みたま)神格(しんかく)無視(むし)し、054(その)人格(じんかく)のみを(みと)むるものも同様(どうやう)である。055天地(てんち)統御神(とうぎよしん)たる()(くに)にまします(いづ)御霊(みたま)(ぞく)する一切(いつさい)事物(じぶつ)(のこ)らず(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)支配権(しはいけん)(ぞく)して()るのである。056(ゆゑ)(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)大国常立(おほくにとこたちの)大神(おほかみ)(はじ)()大神(おほかみ)057(つき)大神(おほかみ)(その)(ほか)一切(いつさい)神権(しんけん)一身(いつしん)にあつめて宇宙(うちう)神臨(しんりん)したまふのである。058(この)大神(おほかみ)天上(てんじやう)統御(とうぎよ)したまふと(とも)に、059中有界(ちううかい)060現界(げんかい)061地獄(ぢごく)をも統御(とうぎよ)したまふは当然(たうぜん)()である(こと)(おも)はねばならぬ。062さうして(いづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)万物(ばんぶつ)(ちち)であり、063(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)万物(ばんぶつ)(はは)である。064(すべ)高天原(たかあまはら)(この)神々(かみがみ)神格(しんかく)によつて形成(けいせい)せられて()るものである。065(ゆゑ)(みづ)御霊(みたま)聖言(せいげん)にも『(われ)(しん)ずるものは無窮(むきう)生命(せいめい)()066(しん)ぜざるものは(その)生命(せいめい)()ず』と(しめ)されて()る。067(また)(われ)復活(ふくくわつ)なり、068生命(せいめい)なり、069(あい)なり、070(しん)なり、071(みち)なり』と(しめ)されてある。072(しか)るに不信仰(ふしんかう)(ともがら)高天原(たかあまはら)()ける幸福(かうふく)とは、073(ただ)自己(じこ)幸福(かうふく)威力(ゐりよく)にありとのみ(おも)ふものである。074(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)は、075(すべ)ての神々(かみがみ)()神格(しんかく)一身(いつしん)集注(しふちう)したまふが(ゆゑ)に、076()(かみ)より(おこ)(きた)(ところ)()神格(しんかく)によつて高天原(たかあまはら)全体(ぜんたい)成就(じやうじゆ)し、077(また)個々(ここ)分体(ぶんたい)成就(じやうじゆ)して()るのである。078人間(にんげん)霊体(れいたい)079肉体(にくたい)(この)(かみ)神格(しんかく)によつて成就(じやうじゆ)して()るのは無論(むろん)のことである。080さうして(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)より(おこ)(きた)(ところ)神格(しんかく)とは(すなは)(あい)(ぜん)(しん)(しん)とである。081高天原(たかあまはら)()める天人(てんにん)は、082(すべ)(この)(かみ)(ぜん)(しん)とを完全(くわんぜん)摂受(せつじゆ)して生命(せいめい)永遠(ゑいゑん)保存(ほぞん)して()るのである。083さうして高天原(たかあまはら)はこの神々(かみがみ)によつて完全(くわんぜん)円満(ゑんまん)構成(こうせい)せらるるのである。
084 現界(げんかい)人間(にんげん)自身(じしん)(こころざ)(ところ)085()(ところ)(ぜん)なるもの(また)(おも)(ところ)086(しん)ずる(ところ)(しん)なるものは、087(かみ)(おん)()より御覧(みそなは)したまふ(とき)は、088(その)(ぜん)(けつ)して(ぜん)でなく、089(その)(しん)(けつ)して(しん)でない、090(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)()神格(しんかく)によりてのみ、091(ぜん)たり(しん)たるを()るものである。092人間(にんげん)自身(じしん)より(しやう)ずる(ぜん)(また)(しん)は、093()神格(しんかく)より(きた)(ところ)活力(くわつりよく)()いで()るからである。094()神格(しんかく)内流(ないりう)見得(けんとく)し、095感得(かんとく)し、096摂受(せつじゆ)して(ここ)立派(りつぱ)なる高天原(たかあまはら)天人(てんにん)となる(こと)()るのである。097さうして人間(にんげん)には一霊(いちれい)四魂(しこん)()ふものがある。098一霊(いちれい)とは(すなは)真霊(しんれい)であり、099神直日(かむなほひ)100大直日(おほなほひ)(しよう)するのである。101さうして神直日(かむなほひ)とは(かみ)(さま)特有(とくいう)直霊(ちよくれい)であり、102大直日(おほなほひ)とは人間(にんげん)神格(しんかく)流入(りふにふ)摂受(せつじゆ)したる直霊(ちよくれい)()ふのである。103さうして四魂(しこん)とは和魂(にぎみたま)104幸魂(さちみたま)105奇魂(くしみたま)106荒魂(あらみたま)()ふのである。107この四魂(しこん)人間(にんげん)()ふに(およ)ばず、108高天原(たかあまはら)にも現実(げんじつ)地球(ちきう)(うへ)にも夫々(それぞれ)守護神(しゆごじん)として儼存(げんぞん)しあるのである。109そして荒魂(あらみたま)(ゆう)(つかさど)り、110和魂(にぎみたま)(しん)(つかさど)り、111奇魂(くしみたま)()(つかさど)り、112幸魂(さちみたま)(あい)(つかさど)る。113さうして(しん)(しん)四魂(しこん)本体(ほんたい)となり(あい)(ぜん)四魂(しこん)(よう)となつて()る。114さうして直霊(ちよくれい)(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)()神格(しんかく)()内流(ないりう)(すなは)直流入(ちよくりうにふ)された神力(しんりき)である。115(ゆゑ)(みづ)御霊(みたま)()神格(しんかく)(すべ)ての生命(せいめい)原頭(げんとう)とならせたまふものである。116(この)大神(おほかみ)より人間(にんげん)起来(きらい)するものは神善(しんぜん)神真(しんしん)である。117(ゆゑ)吾々(われわれ)人間(にんげん)運命(うんめい)(この)(かみ)より(きた)神善(しんぜん)神真(しんしん)を、118如何(いか)摂受(せつじゆ)するかによつて(さだ)まるものである。119そこで信仰(しんかう)生命(せいめい)とにあつて(これ)()くるものは(その)(なか)高天原(たかあまはら)顕現(けんげん)し、120(また)(これ)(いな)むものは()むを()ずして地獄界(ぢごくかい)現出(げんしゆつ)するのである。121神善(しんぜん)(あく)となし、122神真(しんしん)(いつは)りとなし、123(せい)()となすものは(また)地獄(ぢごく)現出(げんしゆつ)しなくては()まない。124現代(げんだい)学者(がくしや)(いづ)れも自然界(しぜんかい)法則(はふそく)統計(とうけい)(てき)頭脳(づなう)をもつて不可測(ふかそく)125不可説(ふかせつ)なる霊界(れいかい)事象(じしやう)をおほけなくも測量(そくりやう)せむとなし、126(みづ)御霊(みたま)神示(しんじ)(いな)むものは暗愚(あんぐ)迷妄(めいまう)()にして所謂(いはゆる)盲目(めくら)学者(がくしや)()ふべき厄介(やくかい)ものである。127到底(たうてい)霊界(れいかい)(こと)現実界(げんじつかい)規則(きそく)をもつて窺知(きち)()べからざる(こと)(さと)らないためである。128(かみ)(かく)(ごと)人間(にんげん)()癲狂者(てんきやうしや)となし、129(あるひ)痴呆(ちはう)となして救済(きうさい)(みち)なきを(かな)しみ(たま)ふものである。130()かる人間(にんげん)(すべ)(その)精霊(せいれい)地獄(ぢごく)団体(だんたい)所属(しよぞく)せしめて()るのである。131()かる盲学者(まうがくしや)(かみ)内流(ないりう)()けて伝達(でんたつ)したる霊界(れいかい)物語(ものがたり)のある個所(かしよ)摘発(てきはつ)して(わが)知識(ちしき)()らざるを(かへり)みず、132種々(しゆじゆ)雑多(ざつた)批評(ひひやう)(くは)へ、133(はなは)だしきは不徹底(ふてつてい)なる自己(じこ)考察力(かうさつりよく)をもつて(これ)(はうむ)()らむとする罪悪者(ざいあくしや)である。134高天原(たかあまはら)団体(だんたい)(その)(せき)()き、135現代(げんだい)(おい)(すで)天人(てんにん)(れつ)(れつ)したる人間(にんげん)精霊(せいれい)吾人(ごじん)生命(せいめい)(およ)一切(いつさい)生命(せいめい)(みづ)御霊(みたま)()神格(しんかく)より起来(きらい)せる道理(だうり)証覚(しようかく)し、136()にある一切(いつさい)のものは(ぜん)(しん)とに相関(あひくわん)する(こと)知覚(ちかく)して()るものである、137()かる人格者(じんかくしや)精霊(せいれい)(しよう)して地上(ちじやう)天人(てんにん)()ふのである。
138 人間(にんげん)意思(いし)(てき)生涯(しやうがい)(あい)生涯(しやうがい)であつて(ぜん)相関(さうくわん)し、139知性(ちせい)(てき)生涯(しやうがい)信仰(しんかう)生涯(しやうがい)にして(しん)相関(さうくわん)するものである、140さうして一切(いつさい)(ぜん)(しん)とは(みな)高天原(たかあまはら)より(きた)るものであり、141生命(せいめい)一切(いつさい)(こと)(また)高天原(たかあまはら)より(きた)(こと)(さと)()るのが天人(てんにん)である。142(ゆゑ)霊界(れいかい)天人(てんにん)も、143地上(ちじやう)天人(てんにん)(みぎ)道理(だうり)(かた)(しん)ずるが(ゆゑ)に、144(その)善行(ぜんかう)(たい)して他人(たにん)感謝(かんしや)()ける(こと)(よろこ)ばないものである、145もし(ひと)あつて(これ)()諸善行(しよぜんかう)()天人(てんにん)()所有(しよいう)()せむとする(とき)天人(てんにん)(おほい)(いか)つて引退(いんたい)するものである。146(ひと)知識(ちしき)(ひと)善行(ぜんかう)(みな)(その)(ひと)(みずから)してしかるものと(しん)ずる(ごと)きは悪霊(あくれい)(かんが)へにして到底(たうてい)天人(てんにん)(ども)(かい)()ざる(ところ)である。147(ゆゑ)自己(じこ)のためになす(ところ)(ぜん)(けつ)して(ぜん)ではない、148(なん)となれば()れは自己(じこ)所為(しよゐ)なるが(ゆゑ)である。149されど自己(じこ)のためにせず(ぜん)のためになせる(ぜん)所謂(いはゆる)神格(しんかく)内流(ないりう)より(きた)(ところ)(ぜん)である。150高天原(たかあまはら)(かく)(ごと)(ぜん)(すなは)神格(しんかく)によつて成立(せいりつ)して()るものである。
151 人間(にんげん)在世(ざいせい)(とき)(おい)(みづか)らなせる(ぜん)152(みづか)(しん)ずる(しん)をもつて、153(じつ)(みづか)らの胸中(きようちう)より(きた)るものとなし、154(また)当然(たうぜん)自分(じぶん)所属(しよぞく)(しん)じて()るものはどうしても高天原(たかあまはら)(のぼ)(こと)出来(でき)ない、155()善行(ぜんかう)功徳(くどく)(もと)めたり、156(また)(みづか)()とするものは(かく)(ごと)信仰(しんかう)(いう)して()るものである。157高天原(たかあまはら)(およ)地上(ちじやう)天人(てんにん)(かく)(ごと)きものをもつて痴呆(ちはう)となし、158俗人(ぞくじん)となして、159(おほい)忌避(きひ)(てき)態度(たいど)()るものである。160(かく)(ごと)人間(にんげん)不断(ふだん)自分(じぶん)にのみ(もと)めて、161大神(おほかみ)神格(しんかく)()ないが(ゆゑ)に、162真理(しんり)(くら)痴呆者(ちはうしや)()ふのである。163(また)(かれ)()(もと)より大神(おほかみ)所属(しよぞく)となすべきものを(おのれ)(うば)はむとするが(ゆゑ)(かみ)より(てん)(ぞく)(とな)へらるるのである。164所謂(いはゆる)人間(にんげん)大神(おほかみ)()神格(しんかく)天人(てんにん)摂受(せつじゆ)するとの信仰(しんかう)(さか)らうて()るものである。165(みづ)御霊(みたま)大神(おほかみ)高天原(たかあまはら)天人(てんにん)(とも)自家(じか)存在(そんざい)(うち)()みたまふ、166(ゆゑ)大神(おほかみ)高天原(たかあまはら)()ける一切中(いつさいちう)一切(いつさい)である(こと)()(まで)もない(こと)である。
167大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 加藤明子録)
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10/22【霊界物語ネット】王仁文庫 第六篇 たまの礎(裏の神諭)』をテキスト化しました。
5/8【霊界物語ネット】霊界物語ネットに出口王仁三郎の第六歌集『霧の海』を掲載しました。
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