明治三十三年八月一日、喜楽は郷里の義弟が危篤の電報に接して、急いで故郷へ帰った。義弟の西田元吉は重体であったが、神界へ祈願の上全快することを得た。これが西田元教が信仰の道に入ったきっかけである。
喜楽が綾部へ帰ってみると、門口に荷物一切が荒縄や新聞紙で包んで放り出してある。聞けば、四方春蔵が独断で役員会を開き、教祖にも内緒でこんなことをしたのだという。
四方春蔵は陰謀が露見し、四方平蔵を取り持ちにして謝罪の嘆願をなし、ひとまず無事におさまった。しかし機会さえあれば上田を追い出してやろうという考えは少しも離れなかった。
自分は教祖に招かれて、義弟が回復した報告をなして喜び合っていたが、そこに中村竹蔵がやってきて、お筆先を盾に喜楽を非難し始めた。教祖は中村をたしなめ、三宝の上に置かれた筆先を気楽に渡された。
そこには、普通の人間では行かれないところに出修する旨が書かれていた。教祖のほかに、上田海潮、出口澄子、四方春蔵の三人を連れて行くとあった。
自分は四方春蔵が同道することに異を唱えたが、神様の主意を教祖に諭されて納得した。その日は八月七日であった。
教祖は自分に、恐ろしいことがあるから裏口を開けてごらんなさい、神様が皆の戒めのためじゃとおっしゃっている、というので、側にいた四方祐助と四方春蔵を誘って見てみた。
三人が見回していると、カエルがミミズを飲み込み、蛇がカエルを飲み込んだ。次いで、自分が寵愛しているお長という雌猫が蛇をかみ殺した。すると大きな黒猫が現れてお長を追い、お長は黒猫にかまれて木の枝から墜落して伸びてしまった。
自分はお長の敵と黒猫を木から揺り落そうとしたが、猫の糞まみれにされてしまった。三人は、上には上があるものだということを知った。