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第二六章 ()()〔一〇六三〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 篇:第5篇 正信妄信 よみ(新仮名遣い):せいしんぼうしん
章:第26章 日の出 よみ(新仮名遣い):ひので 通し章番号:1063
口述日:1922(大正11)年10月19日(旧08月29日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年4月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
明治三十二年の夏、上谷で修業中の喜楽に小松林命が神がかりされ、明治三十五年の正月十五日までは綾部にて迫害に耐えるように、とお諭しがあった。
明治三十五年の正月十五日、今後のことを小松林命に尋ねると、明朝から園部方面に行くようとのことであった。澄子は臨月だったが、神様のお告げに夫婦だけで相談して出立することになった。
園部の奥村氏の別宅を貸してもらい、日夜宣伝した。奥村氏は園部の名望家だったので、その協力を得て地域の紳士連中の入信を得ることができた。
園部に落ち着いてから十二日目に、澄子が出産した夢を見た。神様に聞いてみると、たしかに出産したのでひとまず帰るようにと言われた。一人で綾部に戻る途上、自分を探しに来た四方祐助爺さんに出会った。
四方祐助に澄子と赤子の様子を尋ねたが、爺さんは答えをはぐらかし、自分を不安にさせるようなことを言って、行ってしまった。
綾部の役員信者たちは、無事に長女が生まれたことを告げたら喜楽は安心して園部に戻ってしまうだろう、と考えて四方祐助をよこし、わざと喜楽を不安にさせるようなことを言わせたのであった。
直日は自分が園部で夢を見た日に生まれた。新暦三月七日、旧正月二十八日であった。綾部では教祖様からさんざん小言を言われ、宮参りの済むまでの三十日は蟄居していた。
園部からの手紙で再び綾部を飛び出して、園部で布教をしていた。その間に四方平蔵・中村竹蔵に自分が三年間執筆した五百冊の書物をすべて焼かれてしまった。
それから大阪へ進出しようと、溝口中佐という休職軍人と一緒に、市中の稲荷下げを回って霊術比べをしたりしていた。今から思えば馬鹿らしいことを得意になってやっていた。
しかしこれもうまくいかず、綾部に戻り、明治三十八年の八月まで時を待つことにしたのであった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ:焚書 データ凡例: データ最終更新日:2022-11-12 10:45:48 OBC :rm3826
愛善世界社版:266頁 八幡書店版:第7輯 259頁 修補版: 校定版:272頁 普及版:142頁 初版: ページ備考:
001 明治(めいぢ)三十二(さんじふに)(ねん)(なつ)002上谷(うへだに)修行場(しうぎやうば)にて幽斎(いうさい)修行(しうぎやう)最中(さいちう)審神者(さには)喜楽(きらく)小松林(こまつばやしの)(みこと)神懸(かむがかり)せられ、
003如何(いか)なる迫害(はくがい)圧迫(あつぱく)があつても綾部(あやべ)()つてはならぬ。004()(かく)明治(めいぢ)卅五(さんじふご)(ねん)(しやう)(ぐわつ)十五(じふご)(にち)までは綾部(あやべ)辛抱(しんばう)をせよ』
005とのお(さと)しであつた。006それで喜楽(きらく)はあらゆる迫害(はくがい)侮辱(ぶじよく)隠忍(いんにん)して卅五(さんじふご)(ねん)()ちつつ、007神妙(しんめう)(かみ)(さま)(みち)修行(しうぎやう)して()た。008(いよいよ)卅五(さんじふご)(ねん)(しやう)(ぐわつ)十五(じふご)(にち)()たので、
009喜楽(きらく)今後(こんご)如何(どう)しませうか』
010(うかが)つて()(ところ)
011明日(あす)(あさ)からソツと園部(そのべ)方面(はうめん)()して()け』
012との神示(しんじ)(くだ)つたので軽装(けいさう)(ととの)へ、013(ただ)一人(ひとり)澄子(すみこ)(その)()()布教(ふけう)伝道(でんだう)()(のぼ)つた。014澄子(すみこ)(はじ)めての妊娠(にんしん)(すで)臨月(りんげつ)であつた。015何時(いつ)出産(しゆつさん)するかも()れない場合(ばあひ)である。016自分(じぶん)大変(たいへん)(はじ)めての()出産(しゆつさん)であるから()にかかつて仕方(しかた)がない。017けれども一旦(いつたん)(かみ)(さま)(まか)した()(うへ)018(つま)(ため)神務(しんむ)半時(はんとき)でも(おろそか)にする(こと)出来(でき)ぬと決心(けつしん)し、019夫婦(ふうふ)相談(さうだん)(うへ)出立(しゆつたつ)したのである。
020 ()園部(そのべ)本町(ほんまち)奥村(おくむら)()雑貨店(ざつくわてん)()ちつき、021主人(しゆじん)夫婦(ふうふ)懇篤(こんとく)なる世話(せわ)によつて(その)(いへ)別宅(べつたく)無料(むれう)()して(もら)ひ、022()衣食(いしよく)万端(ばんたん)奥村(おくむら)から支給(しきふ)され日夜(にちや)宣伝(せんでん)従事(じうじ)しつつあつた。023奥村(おくむら)()園部(そのべ)(おい)相当(さうたう)地位(ちゐ)名望(めいばう)もあり財産(ざいさん)もあつた。024さうして清廉(せいれん)潔白(けつぱく)(きこ)えの(たか)紳士(しんし)である。025(その)奥村(おくむら)()先頭(せんとう)()つて商業(しやうげふ)(かたはら)026熱心(ねつしん)宣伝(せんでん)したので、027地方(ちはう)紳士(しんし)連中(れんちう)(さき)(あらそ)うて入信(にふしん)した。028園部(そのべ)()ちついてから十二(じふに)日目(にちめ)(よる)に、029綾部(あやべ)(のこ)してある澄子(すみこ)出産(しゆつさん)した(やう)(ゆめ)()たので、030(かみ)(さま)()いて()ると出産(しゆつさん)をしたから一先(ひとま)(かへ)つてやれと()(こと)であつた。031そこで奥村(おくむら)()(その)(むね)()留守中(るすちう)(たの)みおき、032浅井(あさゐ)はなと()(ばあ)サンに神前(しんぜん)()給仕(きふじ)(めい)じて(ただ)一人(ひとり)スタスタと檜山(ひのきやま)坂原(さかはら)巳之助(みのすけ)()熱心(ねつしん)信者(しんじや)(たく)立寄(たちよ)昼飯(ひるめし)(きよう)せられ一服(いつぷく)して()ると、033其処(そこ)(あわ)ただしく綾部(あやべ)から四方(しかた)祐助(いうすけ)()(ぢい)サンが(たづ)ねて(きた)門口(かどぐち)から、
034祐助(いうすけ)海潮(かいてう)サンはお(うち)()られますか』
035(たづ)ねてゐる。036坂原(さかはら)巳之助(みのすけ)綾部(あやべ)中村(なかむら)一派(いつぱ)のやり(かた)愛想(あいさう)をつかし、037喜楽(きらく)(をしへ)のみを信従(しんじゆう)してゐたのだから、038屹度(きつと)喜楽(きらく)此処(ここ)()るだらうと(おも)つて(たづ)ねて()たのである。039(おく)()祝詞(のりと)奏上(そうじやう)して()喜楽(きらく)(この)(こゑ)()いて(しづ)かに(おもて)()て、
040喜楽(きらく)『あゝ祐助(いうすけ)さん、041()()()れた、042まあ一服(いつぷく)しなさい』
043()ふと(おやぢ)サンは(には)()ちはだかつた(まま)
044祐助(いうすけ)『これ海潮(かいてう)045(なに)をグヅグヅして()るのだ。046綾部(あやべ)大変(たいへん)(こと)出来(でき)()りますぜ』
047とゴツゴツした(こゑ)(にら)めつける(やう)()ふ。048喜楽(きらく)(なに)澄子(すみこ)()(うへ)(つい)変事(へんじ)でも出来(でき)たのではないかと、049(すこ)しく不安(ふあん)(ねん)()られて、
050喜楽(きらく)祐助(いうすけ)サン、051澄子(すみこ)機嫌(きげん)よく出産(しゆつさん)しましたかな』
052(たづ)ねると、053祐助(いうすけ)(くび)をブリブリと()つて、
054祐助(いうすけ)『えー、055出産(しゆつさん)(くそ)もあるものか。056自分(じぶん)女房(にようばう)臨月(りんげつ)になつてゐるのに教祖(けうそ)(さま)(かく)れて其処(そこ)(ぢう)をうろつき(まは)り、057悠々(いういう)閑々(かんかん)(なん)(こと)ぢやい。058綾部(あやべ)には大変(たいへん)(こと)出来(でき)ましたぞ。059それだから教祖(けうそ)(さま)何処(どこ)へも()くでないと仰有(おつしや)るのだ。060教祖(けうそ)(さま)命令(めいれい)(そむ)くと何時(いつ)でもこの(とほ)りなりますのぢや』
061(いき)(はづ)ませて諒解(りやうかい)(がた)(こと)呶鳴(どな)りたてる。062喜楽(きらく)益々(ますます)不安(ふあん)(くも)(つつ)まれて、
063喜楽(きらく)澄子(すみこ)安産(あんざん)しただらうなア。064そして(をとこ)(をんな)何方(どちら)出来(でき)た、065(はや)()らして()れ』
066()はせも()てず、067祐助(いうすけ)(また)もや(くび)(しき)りに()つて、
068祐助(いうすけ)『え、069凡夫(ぼんぶ)(わし)がそんな(こと)(わか)つて(たま)るものか。070海潮(かいてう)サンは天眼通(てんがんつう)()くぢやないか、071小松林(こまつばやし)(たづ)ねたら、072それ(ぐらゐ)(こと)(わか)りさうなものぢやないか。073それが(わか)らない(やう)(こと)(えら)さうに神懸(かむがかり)ぢやの、074先生(せんせい)ぢやのとは()ふて(もら)ひますまい。075綾部(あやべ)(なん)どころの(さわ)ぎぢやないわ。076改心(かいしん)をせぬと、077こんな(こと)出来(でき)ると何時(いつ)教祖(けうそ)さまが仰有(おつしや)つたのを(しり)()かして()るものだから、078こんな不都合(ふつがふ)(こと)出来(でき)たのぢや。079初産(うひざん)(こと)とて教祖(けうそ)さまも大変(たいへん)心配(しんぱい)080(この)祐助(いうすけ)()(だけ)心配(しんぱい)したかしれませぬぞや。081(まへ)サンも綾部(あやべ)へヌケヌケと(かへ)つて()(かほ)がありますまい。082(かへ)るのが(いや)なら(かへ)らいでも(よろ)しい左様(さやう)なら』
083()(なが)らスタスタと阪原(さかはら)(いへ)()()かうとする。084喜楽(きらく)(ますま)()になつて、
085喜楽(きらく)『これ祐助(いうすけ)サン、086(きち)(きよう)か、087どちらか、088それだけ()かして()れ』
089(ちひ)さい(こゑ)(たづ)ねて()ると祐助(いうすけ)は、
090祐助(いうすけ)『そんな(こと)(わか)らぬ(やう)天眼通(てんがんつう)(なん)になるものかい』
091とブツブツ(ささや)(なが)委細(ゐさい)(かま)はず()(いだ)し、
092祐助(いうすけ)『よう思案(しあん)するがよい』
093捨台詞(すてぜりふ)(のこ)して(はや)くも綾部(あやべ)(かへ)つて()く。094喜楽(きらく)(あわて)阪原(さかはら)()(おく)られ一目散(いちもくさん)祐助(いうすけ)(あと)()()けた。095さうすると祐助(いうすけ)(さん)(みや)のある茶店(ちやみせ)(こし)をかけ、
096祐助(いうすけ)『あゝ()つておけば屹度(きつと)(かへ)つて()るに相違(さうゐ)ない』
097(たか)(くく)つて()る。
098 『()(かく)安産(あんざん)した。099そして(をんな)()出来(でき)た』と()つたら、100『あゝさうか』と()つたきり喜楽(きらく)(かへ)らぬから心配(しんぱい)さしたら(かへ)つて()るだらうと、101綾部(あやべ)役員(やくゐん)信者(しんじや)相談(さうだん)結果(けつくわ)祐助(いうすけ)代表者(だいへうしや)になつて(えら)まれて()たのだと()ふことが(あと)になつて(わか)つた。102丁度(ちやうど)自分(じぶん)園部(そのべ)(ゆめ)()(その)()直霊(なほひ)(うま)れたのである。103(その)()(しん)(さん)(ぐわつ)七日(なぬか)(きう)(しやう)(ぐわつ)二十八(にじふはち)(にち)であつた。104祐助(いうすけ)三人(さんにん)()れで綾部(あやべ)(たく)(かへ)つて()ると、105(さかん)赤児(あかご)()(ごゑ)(きこ)えて()る。106(はじ)めて自分(じぶん)()(こゑ)()いた(とき)(なん)とも()はれぬ(かん)じがした。107(しか)しあの(こゑ)()達者(たつしや)であるが、108澄子(すみこ)身体(からだ)如何(どう)だらうと(あん)(なが)門口(かどぐち)(また)げて()ると母子(おやこ)とも至極(しごく)壮健(さうけん)であつた。109それから教祖(けうそ)さまに、
110自分(じぶん)女房(にようばう)臨月(りんげつ)何時(いつ)()出来(でき)るか(わか)らぬのに、111(かみ)(さま)命令(めいれい)()かずに、112そこら(ぢう)()()すのは(あま)水臭(みづくさ)いぢやないか』
113散々(さんざん)叱言(こごと)()はれ、114(あやま)()つて三十(さんじふ)(にち)(あひだ)115宮詣(みやまゐ)りのすむ(まで)綾部(あやべ)蟄居(ちつきよ)して()た。116さうすると園部(そのべ)奥村(おくむら)から『沢山(たくさん)信者(しんじや)()つて()るから(はや)()()れ』と()手紙(てがみ)毎日(まいにち)(やう)()()るので、117()(ぐわつ)三日(みつか)(ふたた)綾部(あやべ)()()園部(そのべ)布教(ふけう)をつづけて()た。118(その)留守中(るすちう)自分(じぶん)明治(めいぢ)三十一(さんじふいち)(ねん)119穴太(あなを)()つた(とき)から三十四(さんじふよ)(ねん)一杯(いつぱい)かかつて執筆(しつぴつ)しておいた五百冊(ごひやくさつ)書物(しよもつ)を、120四方(しかた)平蔵(へいざう)121中村(なかむら)竹造(たけざう)発起(ほつき)立替(たてかへ)御用(ごよう)ぢやと()つて悉皆(しつかい)()いて(しま)つたのである。122それから園部(そのべ)根拠(こんきよ)として大阪(おほさか)教線(けうせん)(ひら)き、123陸軍(りくぐん)砲兵(はうへい)中佐(ちうさ)溝口(みぞぐち)清俊(きよとし)()休職(きうしよく)軍人(ぐんじん)(こころ)(あは)せて大阪市(おほさかし)宣伝(せんでん)従事(じゆうじ)して()た。124(この)中佐(ちうさ)(うち)(こころ)(やす)(あそ)びに()る、125()のスラツとした、126人品(じんぴん)のよい(すこ)(あたま)(ひか)つた(をとこ)溝口(みぞぐち)中佐(ちうさ)()きつけられて熱心(ねつしん)信者(しんじや)となり、127追々(おひおひ)中流(ちうりう)以上(いじやう)信者(しんじや)出来(でき)天王寺(てんのうじ)附近(ふきん)一万(いちまん)(つぼ)地面(ぢめん)()ひ、128霊学会(れいがくくわい)本部(ほんぶ)設置(せつち)する段取(だんどり)とまでなつてきた。129さうして(その)溝口(みぞぐち)(たく)出入(でい)りして()(をとこ)()ふのは、130大阪(おほさか)難波(なんば)分所長(ぶんしよちやう)内藤(ないとう)正照(まさてる)()であつた。131内藤(ないとう)正照(まさてる)()溝口(みぞぐち)中佐(ちうさ)喜楽(きらく)(さん)(にん)大阪(おほさか)市中(しちう)稲荷下(いなりさ)げの教会(けうくわい)巡歴(じゆんれき)して種々(いろいろ)霊術比(れいじゆつくら)べをやり、132それを唯一(ゆゐいつ)(たの)しみとして布教(ふけう)は、133そつちのけに三百(さんひやく)六十(ろくじつ)(けん)ばかり市中(しちう)神懸(かむがかり)初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神がかり」。(さが)(まは)つて霊縛(れいばく)をしたり、134色々(いろいろ)自分(じぶん)()霊術(れいじゆつ)(ほこ)得意(とくい)になつて()た。135(いま)から(おも)へば(じつ)馬鹿(ばか)らしい(こと)得意(とくい)になつてしたと(おも)ふ。136(しか)(この)(あひだ)神懸(かむがかり)初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神がかり」。(たい)する非常(ひじやう)経験(けいけん)()(こと)(おも)へば、137これも矢張(やつぱり)()神慮(しんりよ)であつたかも()れぬ。138それから北海道(ほくかいだう)銀行(ぎんかう)頭取(とうどり)をやつて()山田(やまだ)文辰(ぶんしん)()(をとこ)内藤(ないとう)や、139京都(きやうと)牧場(ぼくぢやう)松原(まつばら)栄太郎(ゑいたらう)()人造(じんざう)精乳(せいにう)会社(くわいしや)を、140京都(きやうと)141大阪(おほさか)142園部(そのべ)設置(せつち)し、143数千(すうせん)(ゑん)(かね)醵出(きよしゆつ)して(ひと)つの事業(じげふ)(おこ)宣伝(せんでん)費用(ひよう)()てやうと目論見(もくろみ)144(すで)着手(ちやくしゆ)して()(ところ)へ、145京都(きやうと)高松(たかまつ)(ぼう)中村(なかむら)竹造(たけざう)指図(さしづ)によつて会社(くわいしや)工場(こうぢやう)修繕(しうぜん)大工(だいく)(やと)はれ散々(さんざん)喜楽(きらく)悪口(あくこう)をなし、146それが(もと)となつて松原(まつばら)栄太郎(ゑいたらう)147若林(わかばやし)(ぼう)148山田(やまだ)文辰(ぶんしん)()変心(へんしん)()し、149折角(せつかく)()()てた発頭人(ほつとうにん)喜楽(きらく)内藤(ないとう)放逐(はうちく)せむとした。150中村(なかむら)(なん)とかして喜楽(きらく)京阪(けいはん)地方(ちはう)活動(くわつどう)するのを妨害(ばうがい)し、151失敗(しつぱい)結果(けつくわ)綾部(あやべ)()(かへ)一間(ひとま)()()めて活動(くわつどう)出来(でき)ないやうにしてやらねば(この)(まま)にして()いては(とら)()(はな)つやうなもので、152大本(おほもと)(をしへ)をとつて(しま)ふに(ちが)ひないと役員(やくゐん)一同(いちどう)相談(さうだん)結果(けつくわ)153かう()手段(しゆだん)をとつたのであつた。154そこで喜楽(きらく)(やむ)()精乳(せいにう)会社(くわいしや)脱退(だつたい)し、155内藤(ないとう)正照(まさてる)愛善坂(あいぜんざか)(ふもと)(かみ)(さま)(まつ)り、156布教(ふけう)宣伝(せんでん)着手(ちやくしゆ)して()た。157難波(なんば)新地(しんち)婦人科(ふじんくわ)医者(いしや)杉村(すぎむら)牧太郎(まきたらう)()金光教(こんくわうけう)熱心(ねつしん)信者(しんじや)があり、158(また)杉本(すぎもと)(さとし)()御嶽教(みたけけう)教導職(けうだうしよく)大阪(おほさか)大林区(だいりんく)(しよ)(つと)めて()高屋(たかや)利太郎(りたらう)159(なら)びに錻力職(ぶりきしよく)池田(いけだ)大造(だいざう)らと(はか)大宣伝(だいせんでん)をやつて()た。160大阪(おほさか)侠客(けふかく)団熊(だんぐま)山田(やまだ)嘉平(かへい)()信者(しんじや)となつて大活動(だいくわつどう)(はじ)め、161(やうや)曙光(しよくわう)(みと)め、162高屋(たかや)利太郎(りたらう)一同(いちどう)代表者(だいへうしや)として一度(いちど)綾部(あやべ)参拝(さんぱい)して()やうと()つて(まゐ)つて()(ところ)163中村(なかむら)一生(いつしやう)懸命(けんめい)喜楽(きらく)悪口(あくこう)をついて(かつ)脱線(だつせん)(てき)言葉(ことば)(なら)べ『洋服(やうふく)()(やう)連中(れんちう)此処(ここ)には()(こと)ならぬ』と高屋(たかや)()(はうき)()()したので、164高屋(たかや)()大阪(おほさか)(かへ)つて()憤慨(ふんがい)折角(せつかく)()()てた霊学会(れいがくくわい)ひび這入(はい)り、165ゴタゴタして()(ところ)中村(なかむら)竹造(たけざう)内命(ないめい)三牧(みまき)次三郎(じさぶらう)(たづ)ねて()て、166(この)(をとこ)(くち)(きは)めて喜楽(きらく)罵倒(ばたふ)したので()むを()大阪(おほさか)()綾部(あやべ)(かへ)つて()たのは明治(めいぢ)三十六(さんじふろく)(ねん)十一(じふいち)(ぐわつ)(ごろ)であつた。167さうすると役員(やくゐん)()つて(たか)つて自分(じぶん)洋服(やうふく)()ぎとり、168(ばう)(くつ)(ふく)(ひき)()いて雪隠(せんち)()()んで(しま)ひ、
169『さあ、170これで()(あし)(かは)()いでやつた。171これで海潮(かいてう)改心(かいしん)をして、172おとなしくなるだらう。173(かみ)(そむ)いて(いた)した(こと)何事(なにごと)九分(くぶ)九厘(くりん)でグレンと(かへ)るとお(ふで)()()りますが、174これで海潮(かいてう)サンも()がつくだらう』
175自分(じぶん)()極力(きよくりよく)妨害(ばうがい)しておき(なが)ら、176(かみ)さまの(わざ)(やう)にすまし()んで()る。177それから自分(じぶん)(ふたた)(はな)れの六畳(ろくでふ)蟄居(ちつきよ)して(また)もや(かく)(しの)んで古典学(こてんがく)研究(けんきう)したり、178(ふで)(しづく)(みち)大本(おほもと)(とう)執筆(しつぴつ)にとりかかり、179明治(めいぢ)三十八(さんじふはち)(ねん)(はち)(ぐわつ)まで綾部(あやべ)(しり)()えて(とき)()(こと)としたのであつた。
180大正一一・一〇・一九 旧八・二九 北村隆光録)
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