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第67巻(午の巻)
序文
総説
第1篇 美山梅光
01 梅の花香
〔1703〕
02 思想の波
〔1704〕
03 美人の腕
〔1705〕
04 笑の座
〔1706〕
05 浪の皷
〔1707〕
第2篇 春湖波紋
06 浮島の怪猫
〔1708〕
07 武力鞘
〔1709〕
08 糸の縺れ
〔1710〕
09 ダリヤの香
〔1711〕
10 スガの長者
〔1712〕
第3篇 多羅煩獄
11 暗狐苦
〔1713〕
12 太子微行
〔1714〕
13 山中の火光
〔1715〕
14 獣念気
〔1716〕
15 貂心暴
〔1717〕
16 酒艶の月
〔1718〕
17 晨の驚愕
〔1719〕
第4篇 山色連天
18 月下の露
〔1720〕
19 絵姿
〔1721〕
20 曲津の陋呵
〔1722〕
21 針灸思想
〔1723〕
22 憧憬の美
〔1724〕
余白歌
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第一九章
絵姿
(
ゑすがた
)
〔一七二一〕
インフォメーション
著者:
出口王仁三郎
巻:
霊界物語 第67巻 山河草木 午の巻
篇:
第4篇 山色連天
よみ(新仮名遣い):
さんしょくれんてん
章:
第19章 絵姿
よみ(新仮名遣い):
えすがた
通し章番号:
1721
口述日:
1924(大正13)年12月29日(旧12月4日)
口述場所:
祥雲閣
筆録者:
松村真澄
校正日:
校正場所:
初版発行日:
1926(大正15)年8月19日
概要:
舞台:
あらすじ
[?]
このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「
王仁DB
」にあります。
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:
旧主人の太子に出会うことができ、シャカンナの現政権に対する敵愾心も消えてしまった。
密かにスバール姫の夫になろうとしていたコルトンは、太子の出現で、とうてい恋の敵としてかなわないことを悟り、出奔する。
太子、アリナは再びシャカンナに政界復帰を要請するが、かたくなに断られる。
太子はシャカンナの小屋を去る前に、スバール姫の姿を絵に写す。
絵の出来具合のすばらしさにシャカンナは感嘆し、太子・アリナは絵を携えてシャカンナとスバール姫に別れを告げる。
帰途、コルトンが太子を狙うが、逆に二人に諭される。
主な登場人物
[?]
【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。
[×閉じる]
:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
rm6719
愛善世界社版:
249頁
八幡書店版:
第12輯 122頁
修補版:
校定版:
251頁
普及版:
68頁
初版:
ページ備考:
001
十八
(
じふはち
)
年
(
ねん
)
のお
慈悲
(
じひ
)
の
牢
(
らう
)
を
漸
(
やうや
)
く
脱出
(
だつしゆつ
)
し、
002
寵臣
(
ちようしん
)
のアリナと
共
(
とも
)
に、
003
心
(
こころ
)
ゆく
迄
(
まで
)
山野
(
さんや
)
の
清遊
(
せいいう
)
を
試
(
こころ
)
み、
004
其
(
その
)
嬉
(
うれ
)
しさと
愉快
(
ゆくわい
)
さに
帰路
(
きろ
)
を
忘
(
わす
)
れ、
005
一切
(
いつさい
)
を
忘却
(
ばうきやく
)
し、
006
心
(
こころ
)
の
駒
(
こま
)
に
打
(
う
)
ち
任
(
まか
)
せて、
007
思
(
おも
)
はぬ
深山
(
みやま
)
の
奥
(
おく
)
へ
迷
(
まよ
)
ひ
込
(
こ
)
んだタラハン
城
(
じやう
)
の
太子
(
たいし
)
も、
008
又
(
また
)
太子
(
たいし
)
の
意
(
い
)
を
迎
(
むか
)
へて
山野
(
さんや
)
に
案内
(
あんない
)
し、
009
方向
(
はうかう
)
に
迷
(
まよ
)
ひ、
010
帰路
(
きろ
)
を
尋
(
たづ
)
ねて
連山
(
れんざん
)
重畳
(
ちようでふ
)
たる
谷川
(
たにがは
)
を
瞰下
(
みおろ
)
す
山腹
(
さんぷく
)
に
月光
(
げつくわう
)
を
浴
(
あ
)
び
乍
(
なが
)
ら、
011
ライオンの
声
(
こゑ
)
に
心胆
(
しんたん
)
を
奪
(
うば
)
はれ、
012
忽
(
たちま
)
ち
恐怖心
(
きようふしん
)
にかられ、
013
顔色
(
がんしよく
)
青
(
あを
)
ざめ、
014
生
(
い
)
きたる
心地
(
ここち
)
もなく、
015
体内
(
たいない
)
の
地震
(
ぢしん
)
を
勃発
(
ぼつぱつ
)
したる
左守
(
さもり
)
の
倅
(
せがれ
)
アリナも、
016
山麓
(
さんろく
)
に
漸
(
やうや
)
く
一炷
(
いつしゆう
)
の
火光
(
くわくわう
)
を
認
(
みと
)
めて
死線
(
しせん
)
に
立
(
た
)
つて
救
(
すく
)
ひの
神
(
かみ
)
に
出会
(
でつくは
)
したるが
如
(
ごと
)
く、
017
俄
(
にはか
)
に
勇気
(
ゆうき
)
百倍
(
ひやくばい
)
し、
018
太子
(
たいし
)
を
導
(
みちび
)
いて、
0181
小柴
(
こしば
)
を
分
(
わ
)
け、
019
漸
(
やうや
)
く
一
(
ひと
)
つの
隠
(
かく
)
れ
家
(
が
)
に
辿
(
たど
)
りつき、
020
主人
(
あるじ
)
の
情
(
なさけ
)
に
仍
(
よ
)
つて、
021
形
(
かたち
)
許
(
ばか
)
りの
萱葺
(
かやぶき
)
の
掘込建
(
ほりこみだて
)
に
一夜
(
いちや
)
の
宿泊
(
しゆくはく
)
を
許
(
ゆる
)
され、
022
いろいろと
物語
(
ものがたり
)
の
末
(
すゑ
)
、
023
十
(
じふ
)
年
(
ねん
)
以前
(
いぜん
)
カラピン
王
(
わう
)
に
仕
(
つか
)
へたる
重臣
(
ぢうしん
)
なりし
事
(
こと
)
を
悟
(
さと
)
り、
024
或
(
あるひ
)
は
喜
(
よろこ
)
び
或
(
あるひ
)
は
驚
(
おどろ
)
きつつも、
025
ヤツと
心
(
こころ
)
が
落着
(
おちつ
)
き、
026
綿
(
わた
)
の
如
(
ごと
)
く
労
(
つか
)
れ
切
(
き
)
つたる
身
(
み
)
を
横
(
よこ
)
たへて、
027
茲
(
ここ
)
に
露
(
つゆ
)
の
滴
(
したた
)
る
如
(
ごと
)
き
美青年
(
びせいねん
)
は
前後
(
ぜんご
)
も
知
(
し
)
らず
露
(
つゆ
)
の
宿
(
やど
)
りについた。
028
あゝ
此
(
この
)
主従
(
しゆじゆう
)
二
(
に
)
青年
(
せいねん
)
は
029
其
(
その
)
夜
(
よ
)
は
如何
(
いか
)
なる
夢路
(
ゆめぢ
)
を
辿
(
たど
)
つたであらうか。
030
数奇
(
すうき
)
な
運命
(
うんめい
)
に
見舞
(
みま
)
はれて、
031
喜怒
(
きど
)
哀楽
(
あいらく
)
の
風
(
かぜ
)
に
翻弄
(
ほんろう
)
され、
032
天人
(
てんにん
)
忽
(
たちま
)
ち
地
(
ち
)
に
降
(
くだ
)
り、
033
土中
(
どちう
)
に
潜
(
ひそ
)
む
地虫
(
ぢむし
)
は
羽翼
(
うよく
)
を
生
(
しやう
)
じて、
034
喬木
(
けうぼく
)
の
枝
(
えだ
)
に
春
(
はる
)
を
歌
(
うた
)
ふ。
0341
人生
(
じんせい
)
の
七変化
(
ななへんげ
)
、
035
口述者
(
こうじゆつしや
)
も
筆者
(
ひつしや
)
も
読者
(
どくしや
)
も
興味
(
きようみ
)
を
以
(
もつ
)
て、
036
主従
(
しゆじゆう
)
二人
(
ふたり
)
が
夢
(
ゆめ
)
の
成行
(
なりゆき
)
を
聞
(
き
)
かむと
欲
(
ほつ
)
する
所
(
ところ
)
である。
037
雲上
(
うんじやう
)
高
(
たか
)
く
翼
(
つばさ
)
をうつ
鳳凰
(
ほうわう
)
も、
038
霞
(
かすみ
)
の
天海
(
てんかい
)
を
浮游
(
ふいう
)
する
丹頂
(
たんちやう
)
の
鶴
(
つる
)
も、
039
土中
(
どちう
)
に
潜
(
ひそ
)
む
虫
(
むし
)
けらも、
040
恋
(
こひ
)
には
何
(
なん
)
の
区別
(
くべつ
)
もなく、
041
情
(
なさけ
)
の
淵
(
ふち
)
に
七度
(
ななたび
)
八度
(
やたび
)
、
042
浮沈
(
ふちん
)
するは
世
(
よ
)
の
倣
(
なら
)
ひ、
043
花
(
はな
)
にも
月
(
つき
)
にも
譬
(
たと
)
へ
難
(
がた
)
きタラハン
城内
(
じやうない
)
の
太子
(
たいし
)
と、
044
背
(
せ
)
は
少
(
すこ
)
しく
低
(
ひく
)
く、
045
色
(
いろ
)
は
少
(
すこ
)
しく
赤
(
あか
)
みを
帯
(
おび
)
たれど、
046
其
(
その
)
容貌
(
ようばう
)
は
見
(
み
)
まがふ
許
(
ばか
)
り
酷似
(
こくじ
)
せる
左守
(
さもり
)
の
悴
(
せがれ
)
アリナが
047
死力
(
しりよく
)
を
尽
(
つく
)
しての
珍
(
めづら
)
しきローマンス。
048
大正
(
たいしやう
)
甲子
(
きのえね
)
の
霜月
(
しもつき
)
の
空
(
そら
)
に
049
祥雲閣
(
しやううんかく
)
に
例
(
れい
)
の
如
(
ごと
)
く
横臥
(
わうぐわ
)
し
乍
(
なが
)
ら、
050
能
(
よ
)
く
語
(
かた
)
り、
051
能
(
よ
)
く
写
(
うつ
)
し、
052
山色
(
さんしよく
)
雲
(
くも
)
に
連
(
つら
)
なる
黎明
(
あけがた
)
の
空
(
そら
)
を
眺
(
なが
)
めつつ、
053
言霊車
(
ことたまくるま
)
に
万年筆
(
まんねんひつ
)
の
機関銃
(
きくわんじう
)
を
備
(
そな
)
へつけ
乍
(
なが
)
ら、
054
出口
(
でぐち
)
、
055
松村
(
まつむら
)
、
056
北村
(
きたむら
)
、
057
加藤
(
かとう
)
の
四魂
(
しこん
)
揃
(
そろ
)
うて
058
丹波
(
たんば
)
名物
(
めいぶつ
)
の
霧
(
きり
)
の
海原
(
うなばら
)
分
(
わ
)
けてゆく。
059
シャカンナは
珍
(
めづら
)
しき
客
(
きやく
)
、
060
只
(
ただ
)
空
(
そら
)
の
月日
(
つきひ
)
を
友
(
とも
)
となし、
061
松籟
(
しようらい
)
を
世
(
よ
)
の
音
(
おと
)
づれとして、
062
最愛
(
さいあい
)
の
娘
(
むすめ
)
と
共
(
とも
)
に、
063
一切
(
いつさい
)
の
計画
(
けいくわく
)
を
放擲
(
はうてき
)
し、
064
年来
(
ねんらい
)
の
志望
(
しばう
)
を
断念
(
だんねん
)
して、
065
娘
(
むすめ
)
を
力
(
ちから
)
に
深山
(
みやま
)
の
奥
(
おく
)
に
打
(
う
)
ちはてむものと
覚悟
(
かくご
)
の
折柄
(
をりから
)
、
066
三代
(
さんだい
)
相恩
(
さうおん
)
の
主君
(
しゆくん
)
の
寵子
(
ちようし
)
が、
067
吾
(
わが
)
身
(
み
)
に
辛
(
つら
)
く
当
(
あた
)
りし
左守
(
さもり
)
の
悴
(
せがれ
)
と
共
(
とも
)
に
夢
(
ゆめ
)
の
庵
(
いほり
)
を
訪
(
と
)
はれ、
068
且
(
か
)
つ
喜
(
よろこ
)
び
且
(
かつ
)
驚
(
おどろ
)
き、
069
太子
(
たいし
)
に
会
(
あ
)
うた
嬉
(
うれ
)
しさに、
070
十
(
じふ
)
年
(
ねん
)
以前
(
いぜん
)
の
左守
(
さもり
)
ガンヂーが
吾
(
わが
)
身
(
み
)
に
対
(
たい
)
せし
冷酷
(
れいこく
)
なる
振舞
(
ふるまひ
)
に
出
(
い
)
でしを
酬
(
むく
)
ゐむとせし
敵愾心
(
てきがいしん
)
も
071
忠義
(
ちうぎ
)
の
為
(
ため
)
にスラリと
忘
(
わす
)
れ、
072
思
(
おも
)
ひもよらぬ
珍客
(
ちんきやく
)
と、
073
夜
(
よ
)
の
目
(
め
)
も
碌
(
ろく
)
に
眠
(
ねむ
)
り
得
(
え
)
ず、
074
朝
(
あさ
)
まだき
篝火
(
かがりび
)
を
要
(
えう
)
する
刻限
(
こくげん
)
より、
075
スバール
姫
(
ひめ
)
と
共
(
とも
)
に、
076
まめまめしく
朝餉
(
あさげ
)
の
用意
(
ようい
)
に
取
(
とり
)
かかり、
077
せめては
旧恩
(
きうおん
)
の
万分一
(
まんぶんいち
)
に
報
(
むく
)
ゐむと、
078
貧弱
(
ひんじやく
)
なる
材料
(
ざいれう
)
を
以
(
もつ
)
て
力
(
ちから
)
限
(
かぎ
)
りの
馳走
(
ちそう
)
を、
079
僕
(
しもべ
)
のコルトンにも
云
(
い
)
ひつけず、
080
自
(
みづか
)
ら
調理
(
てうり
)
して
献
(
たてまつ
)
らむものと、
081
心
(
こころ
)
の
限
(
かぎ
)
りを
尽
(
つく
)
し、
082
朝餉
(
あさげ
)
の
調理
(
てうり
)
に
全力
(
ぜんりよく
)
を
尽
(
つく
)
してゐた。
083
コルトンは
今朝
(
けさ
)
に
限
(
かぎ
)
つて、
084
炊事
(
すゐじ
)
の
業
(
わざ
)
を
免
(
めん
)
ぜられ、
085
木
(
き
)
の
枝
(
えだ
)
で
作
(
つく
)
つた
箒
(
はうき
)
で
以
(
もつ
)
て、
086
茅屋
(
ばうをく
)
のまはりや
庭先
(
にはさき
)
を
掃
(
は
)
き
清
(
きよ
)
め、
087
恰
(
あたか
)
も
氏神
(
うぢがみ
)
の
祭礼
(
さいれい
)
の
前日
(
ぜんじつ
)
か、
088
大晦日
(
おほつもごり
)
の
田舎
(
いなか
)
の
庭先
(
にはさき
)
の
様
(
やう
)
に、
089
掃目
(
はきめ
)
正
(
ただ
)
しく、
090
破
(
やぶ
)
れ
草鞋
(
わらぢ
)
の
如
(
ごと
)
くに
隅
(
すみ
)
から
隅
(
すみ
)
迄
(
まで
)
掃
(
は
)
きちぎつてゐる。
091
コルトン『あーあ、
092
何
(
なん
)
といふ
不思議
(
ふしぎ
)
な
事
(
こと
)
が
出来
(
でき
)
たのだらう。
093
一
(
いつ
)
ケ
月
(
げつ
)
以前
(
いぜん
)
に
玄真坊
(
げんしんばう
)
とか
天真坊
(
てんしんばう
)
とかいふ
糞蛸
(
くそたこ
)
坊主
(
ばうず
)
が、
094
女神
(
めがみ
)
様
(
さま
)
の
様
(
やう
)
な
女
(
をんな
)
と
共
(
とも
)
に、
095
タニグク
山
(
やま
)
の
岩窟
(
がんくつ
)
に
乗
(
のり
)
込
(
こ
)
んで
来
(
き
)
て、
096
大酒
(
おほざけ
)
を
喰
(
くら
)
ひ、
097
酔
(
ゑひ
)
つぶれた
其
(
その
)
隙
(
すき
)
に、
098
俺
(
おれ
)
に
優
(
やさ
)
しい
言葉
(
ことば
)
をかけ、
099
チツと
許
(
ばか
)
り
秋波
(
しうは
)
を
送
(
おく
)
つてくれた
美人
(
びじん
)
のナイスのシャンに、
100
イヌだの、
101
サルだの、
102
カヘルだの、
103
ネンネコだのと、
104
仕様
(
しやう
)
もない
悪戯
(
いたづら
)
をされ、
105
すつぱぬきを
喰
(
く
)
はされた
時
(
とき
)
の
三
(
さん
)
人
(
にん
)
の
面付
(
つらつき
)
が、
106
今
(
いま
)
も
俺
(
おれ
)
の
目
(
め
)
にや
有
(
あ
)
り
有
(
あ
)
りと
残
(
のこ
)
つてゐる。
107
あの
桃色
(
ももいろ
)
縮緬
(
ちりめん
)
を
白
(
しろ
)
い
薄絹
(
うすぎぬ
)
を
通
(
とほ
)
して
眺
(
なが
)
める
様
(
やう
)
な
美人
(
びじん
)
の
顔色
(
かんばせ
)
、
108
白玉
(
しらたま
)
で
拵
(
こしら
)
へた
様
(
やう
)
な
細
(
ほそ
)
い
麗
(
うるは
)
しい
肌理
(
きめ
)
のこまかい
美人
(
びじん
)
の
手
(
て
)
から、
109
鹿
(
しか
)
の
巻筆
(
まきふで
)
ではないが、
110
棕梠
(
しゆろ
)
の
毛
(
け
)
で
造
(
つく
)
つた
手製
(
てせい
)
の
筆
(
ふで
)
に、
111
墨
(
すみ
)
をすらせ、
112
俺
(
おれ
)
の
額
(
ひたひ
)
にサル、
113
カヘルと
記念
(
きねん
)
の
文字
(
もじ
)
を
残
(
のこ
)
して
帰
(
かへ
)
りよつた。
114
俺
(
おれ
)
はいつ
迄
(
まで
)
も
此
(
この
)
記念
(
きねん
)
は
吾
(
わが
)
額
(
ひたひ
)
に
止
(
とど
)
まれかし、
115
一層
(
いつそう
)
の
事
(
こと
)
肉
(
にく
)
に
食
(
く
)
ひ
入
(
い
)
つて、
116
美人
(
びじん
)
が
情
(
なさけ
)
の
筆
(
ふで
)
の
跡
(
あと
)
、
117
仮令
(
たとへ
)
サルといはれやうが、
118
カヘルと
言
(
い
)
はれやうが、
119
そんな
事
(
こと
)
に
頓着
(
とんちやく
)
はない。
120
どうぞ
何時
(
いつ
)
迄
(
まで
)
も
消
(
き
)
えずにあれと
祈
(
いの
)
つた
甲斐
(
かひ
)
もなく、
121
いつの
間
(
ま
)
にやら、
122
スツカリと
足
(
あし
)
がはへて、
123
サル、
124
カヘルといふつれなき
羽目
(
はめ
)
に
会
(
あ
)
はされ、
125
有情
(
いうじやう
)
男子
(
だんし
)
の
俺
(
おれ
)
も
聊
(
いささ
)
か
罪
(
つみ
)
を
造
(
つく
)
つたが、
126
日
(
ひ
)
を
重
(
かさ
)
ぬると
共
(
とも
)
に、
127
煩悩
(
ぼんなう
)
の
犬
(
いぬ
)
はどつかへ
逃
(
にげ
)
失
(
う
)
せ、
128
本心
(
ほんしん
)
に
立
(
たち
)
カヘル
様
(
やう
)
になつた
所
(
ところ
)
だ。
129
それに
又々
(
またまた
)
同
(
おな
)
じ
十五夜
(
じふごや
)
に、
130
天女
(
てんによ
)
にも
擬
(
まが
)
ふ
様
(
やう
)
なる
白面郎
(
はくめんらう
)
が、
131
二人
(
ふたり
)
も
揃
(
そろ
)
ふて
此
(
この
)
門口
(
かどぐち
)
へ
降
(
ふ
)
つて
来
(
き
)
た
時
(
とき
)
の
驚
(
おどろ
)
きといつたら、
132
未
(
ま
)
だ
生
(
うま
)
れてから
経験
(
けいけん
)
をつんだ
事
(
こと
)
がない。
133
余
(
あま
)
りの
吃驚
(
びつくり
)
で、
134
天狗
(
てんぐ
)
の
孫
(
まご
)
ではあるまいかと、
135
いろいろ
言葉
(
ことば
)
を
構
(
かま
)
へ、
136
帰
(
かへ
)
らしめむと、
137
死力
(
しりよく
)
を
尽
(
つく
)
して
拒
(
こば
)
んでみた。
138
それが
何
(
なん
)
ぞや、
139
親分
(
おやぶん
)
御
(
おん
)
大
(
たい
)
の
旧主人
(
きうしゆじん
)
だとか、
140
タラハン
城
(
じやう
)
の
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
だとか、
141
左守
(
さもり
)
の
悴
(
せがれ
)
だとか、
142
聞
(
き
)
くに
及
(
およ
)
んで
二度
(
にど
)
吃驚
(
びつくり
)
、
143
三度
(
さんど
)
吃驚
(
びつくり
)
、
144
五臓
(
ござう
)
六腑
(
ろくぷ
)
はデングリ
返
(
がへ
)
り、
145
何
(
なん
)
とはなく
恐
(
おそ
)
ろしさ
勿体
(
もつたい
)
なさに、
146
昨夜
(
ゆうべ
)
は
床
(
ゆか
)
の
上
(
うへ
)
に
休
(
やす
)
むのも
勿体
(
もつたい
)
なくなり、
147
土間
(
どま
)
に
四這
(
よつばひ
)
となつて、
148
イヌ、
149
カヘルの
境遇
(
きやうぐう
)
に
甘
(
あま
)
んじ、
150
ヤツと
一夜
(
ひとよ
)
を
明
(
あ
)
かし、
151
御
(
おん
)
大
(
たい
)
に
小言
(
こごと
)
を
頂戴
(
ちやうだい
)
するかと
案
(
あん
)
じてゐたが、
152
世
(
よ
)
の
中
(
なか
)
は
杏
(
あんず
)
よりも
桃
(
もも
)
が
安
(
やす
)
いとか
云
(
い
)
つて、
153
幸
(
さいはひ
)
に
御
(
おん
)
大
(
たい
)
の
光
(
ひか
)
る
目玉
(
めだま
)
の
一睨
(
ひとにら
)
みも、
154
秋霜
(
しうさう
)
烈日
(
れつじつ
)
の
如
(
ごと
)
き
言霊
(
ことたま
)
も、
155
何
(
ど
)
うやら
斯
(
か
)
うやら
赦
(
ゆる
)
されたらしい。
156
併
(
しか
)
し
乍
(
なが
)
ら
内
(
うち
)
のお
嬢
(
ぢやう
)
さまも、
157
子供
(
こども
)
とはいひ、
158
モウ
十五
(
じふご
)
の
春
(
はる
)
を
迎
(
むか
)
へてゐらつしやるのだ。
159
そして
夕
(
ゆふべ
)
の
話
(
はなし
)
に
依
(
よ
)
れば、
160
御
(
おん
)
大
(
たい
)
は
十
(
じふ
)
年
(
ねん
)
以前
(
いぜん
)
迄
(
まで
)
、
161
カラピン
王
(
わう
)
の
左守
(
さもり
)
の
司
(
かみ
)
だつた
様
(
やう
)
だ。
162
流石
(
さすが
)
お
嬢
(
ぢやう
)
さまも
由緒
(
ゆいしよ
)
ある
家
(
いへ
)
の
生
(
うま
)
れとて、
163
見
(
み
)
れば
見
(
み
)
る
程
(
ほど
)
気品
(
きひん
)
の
高
(
たか
)
い、
164
そして
絶世
(
ぜつせい
)
の
美人
(
びじん
)
だ。
165
太子
(
たいし
)
と
嬢
(
ぢやう
)
さまとの
中
(
なか
)
に、
166
何
(
なん
)
だか
妙
(
めう
)
な
経緯
(
いきさつ
)
が
出来
(
でき
)
はせまいかな、
167
どうも
怪
(
あや
)
しく
思
(
おも
)
はれる。
168
法界
(
ほふかい
)
恪気
(
りんき
)
ぢやなけれ
共
(
ども
)
、
169
何
(
なん
)
だか
腹立
(
はらだ
)
たしいやうな、
170
可怪
(
をか
)
しい
気分
(
きぶん
)
がして
来
(
き
)
出
(
だ
)
した
哩
(
わい
)
。
171
俺
(
おれ
)
も
今
(
いま
)
迄
(
まで
)
、
172
御
(
おん
)
大
(
たい
)
の
気
(
き
)
に
入
(
い
)
り、
173
何
(
なん
)
とかして
養子
(
やうし
)
にならうと、
174
お
嬢
(
ぢやう
)
さまの
成人
(
せいじん
)
を
待
(
ま
)
つて
居
(
ゐ
)
たのだが、
175
最早
(
もはや
)
今日
(
けふ
)
となつては、
176
どうやら
怪
(
あや
)
しくなつて
来
(
き
)
た。
177
俺
(
おれ
)
の
日頃
(
ひごろ
)
の
忠勤
(
ちうきん
)
振
(
ぶ
)
りも、
178
嬢
(
ぢやう
)
さまに
対
(
たい
)
する
親切
(
しんせつ
)
も、
179
サツパリ
峰
(
みね
)
の
薄雲
(
うすぐも
)
と
消
(
き
)
え
去
(
さ
)
り
相
(
さう
)
だ。
180
百
(
ひやく
)
日
(
にち
)
の
説法
(
せつぽふ
)
屁
(
へ
)
一
(
ひと
)
つの
効果
(
かうくわ
)
も
上
(
あが
)
らないのか、
181
エー
残念
(
ざんねん
)
至極
(
しごく
)
だ。
182
雨
(
あめ
)
の
晨
(
あした
)
風
(
かぜ
)
の
夕
(
ゆうべ
)
、
183
お
嬢
(
ぢやう
)
さまお
嬢
(
ぢやう
)
さまと
云
(
い
)
つて、
184
其
(
その
)
成人
(
せいじん
)
を
待
(
ま
)
ち、
185
タニグク
山
(
やま
)
の
名花
(
めいくわ
)
を
手折
(
たを
)
らむものと
楽
(
たのし
)
み
暮
(
くら
)
した
事
(
こと
)
もサツパリ
夢
(
ゆめ
)
となつたか。
186
あゝ
残念
(
ざんねん
)
や
腹立
(
はらだ
)
たしや、
187
何
(
なに
)
程
(
ほど
)
俺
(
おれ
)
が
悧巧
(
りかう
)
でも、
188
一方
(
いつぱう
)
は
王
(
わう
)
の
太子
(
たいし
)
、
189
而
(
しか
)
も
旧
(
きう
)
御主人
(
ごしゆじん
)
、
190
其
(
その
)
上
(
うへ
)
玉
(
たま
)
の
如
(
や
)
うな
美青年
(
びせいねん
)
と
来
(
き
)
てるから、
191
到底
(
たうてい
)
俺
(
おれ
)
の
敵
(
てき
)
ではない。
192
地位
(
ちゐ
)
名望
(
めいぼう
)
から
云
(
い
)
つても、
193
最早
(
もはや
)
駄目
(
だめ
)
だ。
194
エー、
195
テレ
臭
(
くさ
)
い、
196
こんな
所
(
ところ
)
に
何
(
なに
)
を
苦
(
くるし
)
んで、
197
不便
(
ふべん
)
な
生活
(
せいくわつ
)
を
続
(
つづ
)
ける
必要
(
ひつえう
)
があるか。
198
手
(
て
)
に
持
(
も
)
つ
箒
(
はうき
)
さへも
自然
(
しぜん
)
に
手
(
て
)
がだるくなつて
放
(
はな
)
れ
相
(
さう
)
だ。
199
エー、
200
小鳥
(
ことり
)
の
声
(
こゑ
)
迄
(
まで
)
が、
201
俺
(
おれ
)
を
馬鹿
(
ばか
)
にしてる
様
(
やう
)
に、
202
今朝
(
けさ
)
は
聞
(
きこ
)
えて
来
(
く
)
る。
203
微風
(
びふう
)
をうけて
騒
(
さわ
)
いでゐる
木
(
こ
)
の
葉
(
は
)
も
204
今朝
(
けさ
)
は
俺
(
おれ
)
の
失恋
(
しつれん
)
を
嘲笑
(
あざわら
)
つてゐるやうにみえる。
205
潺湲
(
せんくわん
)
たる
谷川
(
たにがは
)
の
流
(
なが
)
れの
音
(
おと
)
も、
206
昨日
(
きのふ
)
迄
(
まで
)
は
天女
(
てんによ
)
の
音楽
(
おんがく
)
の
如
(
ごと
)
く
楽
(
たの
)
しく
聞
(
きこ
)
えたが、
207
今朝
(
けさ
)
は
何
(
なん
)
だか
亡国
(
ばうこく
)
の
哀音
(
あいおん
)
に
聞
(
きこ
)
えて
来
(
き
)
た。
208
希望
(
きばう
)
にみちた
俺
(
おれ
)
の
平生
(
へいぜい
)
に
比
(
くら
)
べて、
209
失望
(
しつばう
)
落胆
(
らくたん
)
の
淵
(
ふち
)
におち
込
(
こ
)
んだ
今日
(
けふ
)
の
俺
(
おれ
)
は、
210
最早
(
もはや
)
天
(
てん
)
も
地
(
ち
)
も、
211
大親分
(
おほおやぶん
)
も、
212
可憐
(
かれん
)
なお
嬢
(
ぢやう
)
さまも、
213
俺
(
おれ
)
を
見
(
み
)
すてたやうな
気
(
き
)
がする。
214
エー
馬鹿
(
ばか
)
らしい。
215
今
(
いま
)
の
間
(
うち
)
に
密林
(
みつりん
)
に
姿
(
すがた
)
を
隠
(
かく
)
し、
216
どつかの
空
(
そら
)
へ
随徳寺
(
ずいとくじ
)
をきめ
込
(
こ
)
んでやらう。
217
オヽさうぢや さうぢや、
218
エヽけつたいの
悪
(
わる
)
い』
219
と
呟
(
つぶや
)
き
乍
(
なが
)
ら、
220
満腔
(
まんこう
)
の
不平
(
ふへい
)
を
箒
(
はうき
)
に
転
(
てん
)
じ、
221
『エーこん
畜生
(
ちくしやう
)
ツ』といひ
乍
(
なが
)
ら、
222
谷川
(
たにがは
)
めがけて
力
(
ちから
)
をこめて
投
(
な
)
げやり、
223
黒
(
くろ
)
い
尻
(
しり
)
をひきまくり、
224
二
(
ふた
)
つ
三
(
み
)
つ
打
(
うち
)
叩
(
たた
)
き
乍
(
なが
)
ら、
225
体
(
からだ
)
を
く
の
字
(
じ
)
に
曲
(
ま
)
げ、
226
腮
(
あご
)
を
前
(
まへ
)
の
方
(
はう
)
に
突
(
つき
)
出
(
だ
)
し、
227
田螺
(
たにし
)
のやうな
歯
(
は
)
を
出
(
だ
)
して、
228
二三回
(
にさんくわい
)
イン イン インとしやくり
乍
(
なが
)
ら、
229
早
(
はや
)
くも
此
(
この
)
場
(
ば
)
より
姿
(
すがた
)
を
隠
(
かく
)
した。
230
太陽
(
たいやう
)
の
高
(
たか
)
く
頭上
(
づじやう
)
に
輝
(
かがや
)
く
頃
(
ころ
)
、
231
太子
(
たいし
)
、
232
アリナの
主従
(
しゆじゆう
)
は
漸
(
やうや
)
く
目
(
め
)
を
醒
(
さ
)
ました。
233
太子
(
たいし
)
『あゝ
爺
(
ぢい
)
、
234
お
蔭
(
かげ
)
で
昨夜
(
さくや
)
は
気楽
(
きらく
)
に
寝
(
やす
)
まして
貰
(
もら
)
つた。
235
どうやら
之
(
これ
)
で
元気
(
げんき
)
が
回復
(
くわいふく
)
し、
236
人間
(
にんげん
)
心地
(
ごこち
)
になつた
様
(
やう
)
だ。
237
白湯
(
さゆ
)
を
一杯
(
いつぱい
)
くれないか』
238
シャ『
若君
(
わかぎみ
)
様
(
さま
)
、
239
最早
(
もはや
)
お
目醒
(
めざめ
)
で
厶
(
ござ
)
いますか。
240
どうぞゆつくりとお
寝
(
やす
)
み
下
(
くだ
)
さいませ』
241
太
(
たい
)
『や、
242
もう
之
(
これ
)
で
充分
(
じゆうぶん
)
だ』
243
アリナ『
昨夜
(
さくや
)
はお
蔭
(
かげ
)
で、
244
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
のお
招伴
(
せうばん
)
を
致
(
いた
)
し、
245
気楽
(
きらく
)
に
寝
(
やす
)
まして
頂
(
いただ
)
きました。
246
此
(
この
)
御恩
(
ごおん
)
はどこ
迄
(
まで
)
も
忘
(
わす
)
れませぬ』
247
シャ『オイ、
248
コルトン、
249
お
客様
(
きやくさま
)
にお
湯
(
ゆ
)
を
汲
(
く
)
んで
来
(
こ
)
い。
250
コルトンは
何
(
なに
)
をしてゐる』
251
幾度
(
いくたび
)
呼
(
よ
)
んでもコルトンの
返詞
(
へんじ
)
がせぬ。
252
干瓢頭
(
かんぺうあたま
)
も
見
(
み
)
せない。
253
そこへスバール
姫
(
ひめ
)
が
稍
(
やや
)
小綺麗
(
こぎれい
)
な
衣服
(
いふく
)
を
着替
(
きか
)
へ、
254
髪
(
かみ
)
の
紊
(
みだ
)
れを
解
(
と
)
き
上
(
あ
)
げ、
255
花
(
はな
)
のやうな
麗
(
うるは
)
しい
顔
(
かほ
)
に
笑
(
ゑみ
)
を
含
(
ふく
)
んで、
256
スバール『
若君
(
わかぎみ
)
様
(
さま
)
、
257
お
早
(
はや
)
う
厶
(
ござ
)
います。
258
御
(
ご
)
家来
(
けらい
)
のお
方様
(
かたさま
)
、
259
夜前
(
やぜん
)
は
寝
(
やす
)
まれましたか。
260
御存
(
ごぞん
)
じの
通
(
とほ
)
りの
茅屋
(
あばらや
)
で
厶
(
ござ
)
いますから、
261
嘸々
(
さぞさぞ
)
お
二人
(
ふたり
)
様
(
さま
)
共
(
とも
)
、
262
お
寝
(
やす
)
み
憎
(
にく
)
からうかと、
263
案
(
あん
)
じ
参
(
まゐ
)
らせて
居
(
を
)
りました。
264
サアどうか
渋茶
(
しぶちや
)
をあがつて
下
(
くだ
)
さいませ』
265
と
云
(
い
)
ひ
乍
(
なが
)
ら、
266
手元
(
てもと
)
をふるはせ、
267
稍
(
やや
)
顔
(
かほ
)
をそむけ
気味
(
ぎみ
)
に、
268
恭
(
うやうや
)
しく
太子
(
たいし
)
に
茶
(
ちや
)
を
汲
(
く
)
んでささげた。
269
太子
(
たいし
)
は……
床
(
ゆか
)
しき
者
(
もの
)
よ、
270
麗
(
うるは
)
しいものよ……と
思
(
おも
)
ひ
乍
(
なが
)
ら、
271
静
(
しづか
)
に
手
(
て
)
を
伸
(
の
)
べて、
272
スバールが
差
(
さし
)
出
(
だ
)
す
茶
(
ちや
)
を
受
(
う
)
け
取
(
と
)
り、
273
二三回
(
にさんくわい
)
フーフーと
吹
(
ふ
)
き
乍
(
なが
)
ら、
274
静
(
しづ
)
かに
呑
(
の
)
み
干
(
ほ
)
した。
275
スバ『
若君
(
わかぎみ
)
様
(
さま
)
、
276
モ
一
(
ひと
)
つ
何
(
ど
)
うで
厶
(
ござ
)
いますか』
277
太子
(
たいし
)
『ヤ、
278
構
(
かま
)
うてくれな、
279
余
(
よ
)
が
勝手
(
かつて
)
に
頂
(
いただ
)
くから』
280
シャ『コラコラ、
281
コルトン、
282
何処
(
どこ
)
へ
行
(
い
)
つたのだ。
283
早
(
はや
)
く
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
に
御
(
ご
)
挨拶
(
あいさつ
)
を
申
(
まをし
)
上
(
あ
)
げぬか』
284
スバ『お
父
(
とう
)
さま、
285
コルトンは
一時
(
いつとき
)
ばかし
前
(
まへ
)
に
飛
(
と
)
び
出
(
だ
)
しましたよ。
286
最早
(
もはや
)
帰
(
かへ
)
つて
来
(
く
)
る
気遣
(
きづかひ
)
は
厶
(
ござ
)
いませぬ』
287
シャ『ナニ、
288
コルトンが
逃
(
に
)
げたといふのか、
289
なぜお
前
(
まへ
)
は
其
(
その
)
時
(
とき
)
とめないのだ』
290
スバ『お
父
(
とう
)
さま、
291
妾
(
あたし
)
、
292
可
(
い
)
い
蚰蜒
(
げぢげぢ
)
が
逃
(
にげ
)
たと
思
(
おも
)
つて、
293
とめなかつたのですよ。
294
いつも
妙
(
めう
)
な
事
(
こと
)
をいつたり、
295
厭
(
いや
)
らしい
目付
(
めつき
)
をして
妾
(
わたし
)
を
見
(
み
)
るのですもの。
296
何
(
なん
)
だか
其
(
その
)
度
(
たび
)
毎
(
ごと
)
に
悪魔
(
あくま
)
に
襲
(
おそ
)
はれるやうな
気
(
き
)
が
致
(
いた
)
しまして、
297
何時
(
いつ
)
も
胸
(
むね
)
が
戦
(
をのの
)
いてゐたのです。
298
之
(
これ
)
でモウ
親
(
おや
)
と
子
(
こ
)
との
水
(
みづ
)
入
(
い
)
らずで、
299
こんな
気楽
(
きらく
)
な
事
(
こと
)
は
厶
(
ござ
)
いませぬ。
300
お
父
(
とう
)
さま、
301
コルトンがゐなくても
妾
(
わたし
)
が
炊事
(
すゐじ
)
万端
(
ばんたん
)
を
致
(
いた
)
しますから
安心
(
あんしん
)
して
下
(
くだ
)
さい』
302
シャ『アハヽヽヽ、
303
到頭
(
たうとう
)
、
304
コルトンも
山中
(
さんちう
)
生活
(
せいくわつ
)
に
飽
(
あ
)
いて
逃亡
(
たうばう
)
したかなア、
305
無理
(
むり
)
もない。
306
若
(
わか
)
い
奴
(
やつ
)
が
何
(
なに
)
楽
(
たのし
)
みもなく、
307
こんな
髭武者
(
ひげむしや
)
爺
(
ぢい
)
と
辛抱
(
しんばう
)
してゐたのは、
308
実
(
じつ
)
に
感心
(
かんしん
)
な
者
(
もの
)
だつた。
309
逃
(
にげ
)
たとあらば
追跡
(
つゐせき
)
の
必要
(
ひつえう
)
もない。
310
彼
(
かれ
)
の
自由
(
じいう
)
に
任
(
まか
)
しておいてやらう。
311
アハヽヽヽ』
312
スバ『お
父
(
とう
)
さま、
313
コルトンは
何時
(
いつ
)
も、
314
こんな
事
(
こと
)
を
云
(
い
)
つてゐましたよ、
315
……こんな
山奥
(
やまおく
)
に
不自由
(
ふじいう
)
な
生活
(
せいくわつ
)
をしてゐるのは、
316
若
(
わか
)
い
男
(
をとこ
)
として
本当
(
ほんたう
)
に
約
(
つま
)
らないのだけれど、
317
私
(
わし
)
が
帰
(
かへ
)
れば
忽
(
たちま
)
ちお
父
(
とう
)
さまが
困
(
こま
)
らつしやるだらう。
318
併
(
しか
)
し
乍
(
なが
)
ら
一
(
いち
)
日
(
にち
)
も、
319
こんな
山住居
(
やまずまゐ
)
はしたくないのだけれど、
320
スバールさまの
其
(
その
)
美
(
うつく
)
しい
顔
(
かほ
)
を、
321
朝夕
(
あさゆふ
)
見
(
み
)
るのが、
322
唯一
(
ゆゐいつ
)
の
慰安
(
ゐあん
)
だ、
323
命
(
いのち
)
の
種
(
たね
)
だ。
324
それだから
淋
(
さび
)
しい
山奥
(
やまおく
)
も、
325
淋
(
さび
)
しいと
思
(
おも
)
はず
喜
(
よろこ
)
んで
親方
(
おやかた
)
さまの
御用
(
ごよう
)
をしてゐるのだ……と、
326
何時
(
いつ
)
も
申
(
まを
)
しましたよ』
327
シャ『アハヽヽヽ、
328
女
(
をんな
)
の
子
(
こ
)
といふ
者
(
もの
)
は
油断
(
ゆだん
)
のならぬものだな。
329
美
(
うつく
)
しい
花
(
はな
)
には
害虫
(
がいちう
)
がつき
易
(
やす
)
い
習
(
なら
)
ひ、
330
娘
(
むすめ
)
を
有
(
も
)
つた
親
(
おや
)
は
中々
(
なかなか
)
油断
(
ゆだん
)
は
出来
(
でき
)
ぬ
哩
(
わい
)
』
331
スバ『お
父
(
とう
)
さま、
332
そんな
御
(
ご
)
心配
(
しんぱい
)
は
要
(
い
)
りませぬ。
333
何程
(
なにほど
)
初心
(
うぶ
)
こい
娘
(
むすめ
)
だつて、
334
子供
(
こども
)
上
(
あが
)
りだつて、
335
あんな
男
(
をとこ
)
の
云
(
い
)
ふ
事
(
こと
)
を
諾
(
き
)
く
者
(
もの
)
が
厶
(
ござ
)
いますか。
336
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
の……』
337
シャ『アハヽヽヽ、
338
蔭裏
(
かげうら
)
の
豆
(
まめ
)
も
時節
(
じせつ
)
が
来
(
く
)
れば
花
(
はな
)
が
咲
(
さ
)
くとやら、
339
不思議
(
ふしぎ
)
なものだなア』
340
アリ『モシ、
341
前
(
ぜん
)
左守
(
さもり
)
様
(
さま
)
、
342
斯
(
か
)
うして
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
のお
伴
(
とも
)
をして、
343
一夜
(
いちや
)
の
雨宿
(
あまやど
)
りをさして
頂
(
いただ
)
いたのも、
344
深
(
ふか
)
い
縁
(
えにし
)
の
結
(
むす
)
ばれた
事
(
こと
)
で
厶
(
ござ
)
いませう。
345
タラハン
国
(
ごく
)
の
窮状
(
きうじやう
)
を
救
(
すく
)
ふ
為
(
ため
)
、
346
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
のお
伴
(
とも
)
をして、
347
今
(
いま
)
一度
(
いちど
)
都
(
みやこ
)
へ
出
(
い
)
で、
348
国家
(
こくか
)
の
為
(
ため
)
に
一肌
(
ひとはだ
)
ぬいで
下
(
くだ
)
さる
訳
(
わけ
)
には
参
(
まゐ
)
りますまいか。
349
嬢様
(
ぢやうさま
)
も
都
(
みやこ
)
見物
(
けんぶつ
)
を
遊
(
あそ
)
ばしたら、
350
又
(
また
)
お
目
(
め
)
が
新
(
あたら
)
しくなつて
嘸
(
さぞ
)
お
喜
(
よろこ
)
びで
厶
(
ござ
)
いませうから』
351
シャ『イヤ
御
(
ご
)
親切
(
しんせつ
)
は
有難
(
ありがた
)
いが、
352
仮令
(
たとへ
)
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
のお
慈悲
(
じひ
)
の
言葉
(
ことば
)
に
甘
(
あま
)
え、
353
都
(
みやこ
)
へ
出
(
で
)
た
所
(
ところ
)
で、
354
最早
(
もはや
)
一切
(
いつさい
)
の
権利
(
けんり
)
は
其方
(
そなた
)
の
父
(
ちち
)
が
掌握
(
しやうあく
)
してゐる。
355
十
(
じふ
)
年
(
ねん
)
も
山住居
(
やまずまゐ
)
をして、
356
世
(
よ
)
の
開明
(
かいめい
)
の
風
(
かぜ
)
に
後
(
おく
)
れた
骨董品
(
こつとうひん
)
、
357
到底
(
たうてい
)
国政
(
こくせい
)
の
衝
(
しよう
)
に
当
(
あた
)
るなどとは、
358
思
(
おも
)
ひもよらぬ
事
(
こと
)
だ。
359
却
(
かへつ
)
て
大王
(
だいわう
)
様
(
さま
)
のお
心
(
こころ
)
を
揉
(
も
)
ませる
様
(
やう
)
なものだから、
360
御
(
ご
)
親切
(
しんせつ
)
は
有難
(
ありがた
)
いが、
361
私
(
わたし
)
はモウ
此
(
この
)
山奥
(
やまおく
)
で、
362
娘
(
むすめ
)
と
共
(
とも
)
に
朽
(
く
)
ちはてる
積
(
つも
)
りだ。
363
断
(
だん
)
じて
都入
(
みやこいり
)
は
致
(
いた
)
しませぬ』
364
アリ『それはさうと、
365
斯
(
か
)
かる
名花
(
めいくわ
)
を
山奥
(
やまおく
)
に
老
(
お
)
いさせるのは
実
(
じつ
)
に
勿体
(
もつたい
)
ないぢやありませぬか。
366
貴方
(
あなた
)
も
娘
(
むすめ
)
の
出世
(
しゆつせ
)
は
望
(
のぞ
)
まれるでせう。
367
何時
(
いつ
)
迄
(
まで
)
も
此
(
この
)
山奥
(
やまおく
)
に
厶
(
ござ
)
つては、
368
貴方
(
あなた
)
は
老後
(
らうご
)
を
楽
(
たのし
)
んで
花鳥
(
くわてう
)
風月
(
ふうげつ
)
を
友
(
とも
)
とし
369
此
(
この
)
山奥
(
やまおく
)
に
簡易
(
かんい
)
生活
(
せいくわつ
)
を
楽
(
たのし
)
み
暮
(
くら
)
されるとした
所
(
ところ
)
で、
370
莟
(
つぼみ
)
の
花
(
はな
)
のスバールさまを、
371
此
(
この
)
儘
(
まま
)
此処
(
ここ
)
で
一生
(
いつしやう
)
を
終
(
をは
)
らせるのは、
372
何
(
ど
)
う
思
(
おも
)
うても
勿体
(
もつたい
)
ない。
373
そんな
事
(
こと
)
を
仰
(
おほ
)
せられずに、
374
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
を
蔭
(
かげ
)
乍
(
なが
)
ら
守
(
まも
)
る
為
(
ため
)
に
都
(
みやこ
)
へ
出
(
で
)
て
下
(
くだ
)
さい。
375
そして
政治
(
せいぢ
)
がお
厭
(
いや
)
なれば、
376
どつかの
家
(
いへ
)
に
身
(
み
)
を
忍
(
しの
)
び、
377
お
嬢
(
ぢやう
)
さまを
守
(
もり
)
立
(
たて
)
て、
378
立派
(
りつぱ
)
な
花
(
はな
)
になさつたら
何
(
ど
)
うですか』
379
シャ『
何
(
なん
)
と
仰
(
おほ
)
せられても、
380
元来
(
ぐわんらい
)
頑固
(
ぐわんこ
)
な
生
(
うま
)
れ
付
(
つき
)
、
381
一度
(
いちど
)
厭
(
いや
)
と
申
(
まを
)
せば
何処
(
どこ
)
迄
(
まで
)
も
厭
(
いや
)
で
厶
(
ござ
)
る』
382
太
(
たい
)
『
左守
(
さもり
)
、
383
余
(
よ
)
の
頼
(
たの
)
みだから、
384
余
(
よ
)
と
共
(
とも
)
にタラハン
城
(
じやう
)
へ
帰
(
かへ
)
つてくれる
気
(
き
)
はないか』
385
シャ『ハイ、
386
何
(
なん
)
と
仰
(
おほ
)
せられましても、
387
之
(
これ
)
許
(
ばか
)
りは
平
(
ひら
)
に
御免
(
ごめん
)
を
被
(
かうむ
)
りたう
厶
(
ござ
)
ります』
388
太
(
たい
)
『ウン、
389
さうか、
390
それ
程
(
ほど
)
厭
(
いや
)
がる
者
(
もの
)
を、
391
無理
(
むり
)
に
伴
(
つ
)
れ
帰
(
かへ
)
るのは、
392
却
(
かへつ
)
て
無慈悲
(
むじひ
)
かも
知
(
し
)
れない。
393
そんなら
其方
(
そなた
)
の
意志
(
いし
)
に
任
(
まか
)
す。
394
帰
(
かへ
)
つたら
此
(
この
)
アリナに
珍
(
めづ
)
らしい
物
(
もの
)
でも
持
(
も
)
たして、
395
御
(
お
)
礼
(
れい
)
に
参
(
まゐ
)
らすから……
永
(
なが
)
らくお
世話
(
せわ
)
になつた。
396
惜
(
をし
)
いけれども、
397
帰
(
かへ
)
らねばなるまい。
398
併
(
しか
)
しシャカンナ、
399
其
(
その
)
方
(
はう
)
に
一
(
ひと
)
つの
頼
(
たの
)
みがある。
400
聞
(
き
)
いては
呉
(
く
)
れまいかなア』
401
シャ『ハイ、
402
如何
(
いか
)
なる
事
(
こと
)
でも、
403
最前
(
さいぜん
)
お
断
(
ことわ
)
り
申
(
まを
)
した
外
(
ほか
)
の
事
(
こと
)
ならば、
404
力
(
ちから
)
の
及
(
およ
)
ぶ
限
(
かぎ
)
り、
405
御恩
(
ごおん
)
報
(
ほう
)
じの
為
(
ため
)
に
承
(
うけたま
)
はりませう』
406
太
(
たい
)
『ヤ、
407
早速
(
さつそく
)
の
承引
(
しよういん
)
、
408
満足
(
まんぞく
)
々々
(
まんぞく
)
、
409
外
(
ほか
)
でもないが、
410
スバール
嬢
(
ぢやう
)
の
姿
(
すがた
)
が
絵
(
ゑ
)
に
写
(
うつ
)
したい』
411
シャ『ナニ、
412
スバールの
姿
(
すがた
)
を
撮
(
と
)
ると
仰
(
おほ
)
せられるのですか、
413
金枝
(
きんし
)
玉葉
(
ぎよくえふ
)
の
御
(
おん
)
身
(
み
)
を
以
(
もつ
)
て
414
卑
(
いや
)
しき
私
(
わたし
)
共
(
ども
)
の
娘
(
むすめ
)
の
姿
(
すがた
)
をお
描
(
ゑが
)
き
遊
(
あそ
)
ばすとは、
415
余
(
あま
)
り
勿体
(
もつたい
)
ないお
言葉
(
ことば
)
。
416
之
(
これ
)
許
(
ばか
)
りは
平
(
ひら
)
にお
断
(
ことわ
)
り
申
(
まを
)
し
上
(
あ
)
げませう。
417
冥加
(
みやうが
)
に
尽
(
つ
)
きますから』
418
太
(
たい
)
『
何
(
なに
)
、
419
さう
遠慮
(
ゑんりよ
)
するには
及
(
およ
)
ばぬ。
420
どうか
余
(
よ
)
の
頼
(
たの
)
みぢや、
421
絵姿
(
ゑすがた
)
を
描
(
か
)
かしてくれ』
422
スバ『お
父
(
とう
)
さま、
423
若君
(
わかぎみ
)
様
(
さま
)
のお
言葉
(
ことば
)
、
424
お
否
(
いな
)
みなさるのは
却
(
かへつ
)
て
御
(
ご
)
無礼
(
ぶれい
)
で
厶
(
ござ
)
いませう。
425
妾
(
わたし
)
は
若君
(
わかぎみ
)
様
(
さま
)
の
御
(
お
)
筆
(
ふで
)
に
描
(
ゑが
)
かれたう
厶
(
ござ
)
いますワ』
426
アリ『ヤ、
427
お
嬢
(
ぢやう
)
さま、
428
天晴
(
あつぱれ
)
々々
(
あつぱれ
)
、
429
出
(
で
)
かされました。
430
御
(
ご
)
本人
(
ほんにん
)
の
承諾
(
しようだく
)
ある
限
(
かぎ
)
りは、
431
モウこつちの
物
(
もの
)
だ。
432
サア
若君
(
わかぎみ
)
様
(
さま
)
、
433
日頃
(
ひごろ
)
の
妙筆
(
めうひつ
)
をお
揮
(
ふる
)
ひ
遊
(
あそ
)
ばせ。
434
私
(
わたし
)
が
墨
(
すみ
)
をすりませう』
435
シャ『アハヽヽ、
436
到頭
(
たうとう
)
娘
(
むすめ
)
も
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
のお
眼鏡
(
めがね
)
に
叶
(
かな
)
ひ、
437
絵姿
(
ゑすがた
)
を
取
(
と
)
つて
頂
(
いただ
)
くのか。
438
ても
偖
(
さて
)
も
幸福
(
かうふく
)
な
奴
(
やつ
)
だなア』
439
スバールはいそいそとして、
440
一張羅
(
いつちやうら
)
の
美服
(
びふく
)
に
着替
(
きか
)
へ、
441
門
(
かど
)
に
出
(
い
)
で、
442
面白
(
おもしろ
)
い
形
(
かたち
)
をした
岩
(
いは
)
の
傍
(
そば
)
に
靠
(
もた
)
れ
凭
(
かか
)
つて、
443
太子
(
たいし
)
の
描写
(
べうしや
)
に
任
(
まか
)
せた。
444
太子
(
たいし
)
はせつせと
筆
(
ふで
)
を
運
(
はこ
)
ばせ、
445
殆
(
ほと
)
んど
一時
(
ひととき
)
許
(
ばか
)
りにして、
446
実物
(
じつぶつ
)
と
見
(
み
)
まがふ
様
(
やう
)
な
立派
(
りつぱ
)
な
絵姿
(
ゑすがた
)
を
描
(
か
)
き
上
(
あ
)
げた。
447
太
(
たい
)
『ヤア、
448
之
(
これ
)
で
国許
(
くにもと
)
への
土産
(
みやげ
)
が
出来
(
でき
)
た。
449
之
(
これ
)
を
床
(
とこ
)
の
間
(
ま
)
にかけて、
450
朝夕
(
あさゆふ
)
楽
(
たのし
)
まう。
451
ヤ、
452
爺
(
ぢい
)
、
453
一寸
(
ちよつと
)
見
(
み
)
てくれ、
454
スバールに
似
(
に
)
てゐるかな』
455
シャカンナは『ハイ』と
答
(
こた
)
へて、
456
屋内
(
をくない
)
から
駆
(
か
)
け
出
(
だ
)
し、
457
シャ『ヤ、
458
若君
(
わかぎみ
)
様
(
さま
)
、
459
最早
(
もはや
)
お
描
(
か
)
き
上
(
あ
)
げになりましたか。
460
……
何
(
なん
)
とマア
立派
(
りつぱ
)
な
御
(
お
)
腕前
(
うでまへ
)
、
461
感
(
かん
)
じ
入
(
い
)
りまして
厶
(
ござ
)
います』
462
太
(
たい
)
『ハヽヽヽ、
463
スバールに
似
(
に
)
てゐるかな』
464
シャ『どちらが
実物
(
じつぶつ
)
だか、
465
親
(
おや
)
の
私
(
わたし
)
でさへ
見分
(
みわ
)
けがつかない
位
(
くらゐ
)
、
466
よく
描
(
か
)
けて
居
(
を
)
ります。
467
太子
(
たいし
)
様
(
さま
)
は
大変
(
たいへん
)
な
美術家
(
びじゆつか
)
で
厶
(
ござ
)
いますなア』
468
太
(
たい
)
『ハヽヽヽヽ』
469
アリ『
学問
(
がくもん
)
と
云
(
い
)
ひ、
470
芸術
(
げいじゆつ
)
と
云
(
い
)
ひ、
471
文才
(
ぶんさい
)
と
云
(
い
)
ひ、
472
博愛
(
はくあい
)
慈善
(
じぜん
)
の
御心
(
みこころ
)
といひ、
473
勇壮
(
ゆうさう
)
活溌
(
くわつぱつ
)
な
御
(
ご
)
気象
(
きしやう
)
といひ、
474
又
(
また
)
と
一人
(
ひとり
)
天下
(
てんか
)
に
肩
(
かた
)
を
並
(
なら
)
ぶる
者
(
もの
)
はありませぬよ。
475
何
(
なに
)
から
何
(
なに
)
迄
(
まで
)
完全
(
くわんぜん
)
無欠
(
むけつ
)
な
御
(
ご
)
人格
(
じんかく
)
を
備
(
そな
)
へてゐられます』
476
シャカンナは
首
(
くび
)
を
傾
(
かたむ
)
けて、
477
絵画
(
くわいぐわ
)
とスバールとを
見比
(
みくら
)
べ
乍
(
なが
)
ら、
478
感歎
(
かんたん
)
久
(
ひさ
)
しうして
舌
(
した
)
を
巻
(
ま
)
いてゐる。
479
主従
(
しゆじゆう
)
は
午後
(
ごご
)
八
(
や
)
つ
時
(
どき
)
、
480
パンを
用意
(
ようい
)
し、
481
惜
(
をし
)
き
別
(
わか
)
れを
告
(
つ
)
げて、
482
一先
(
ひとま
)
づ
此
(
この
)
庵
(
いほり
)
を
去
(
さ
)
る
事
(
こと
)
となつた。
483
太子
(
たいし
)
は
後
(
あと
)
振返
(
ふりかへ
)
り
振返
(
ふりかへ
)
り、
484
名残
(
なごり
)
惜気
(
をしげ
)
に
父娘
(
おやこ
)
の
姿
(
すがた
)
を
眺
(
なが
)
めてゐる。
485
シャカンナの
父娘
(
おやこ
)
は
又
(
また
)
太子
(
たいし
)
、
486
アリナの
後姿
(
うしろすがた
)
を
首
(
くび
)
を
伸
(
の
)
ばして
見送
(
みおく
)
つてゐた。
487
シャカンナは
思
(
おも
)
はず
知
(
し
)
らず
十間
(
じつけん
)
許
(
ばか
)
り
後
(
あと
)
を
逐
(
お
)
うてゐた。
488
二人
(
ふたり
)
の
姿
(
すがた
)
は
山裾
(
やますそ
)
の
突
(
つき
)
出
(
で
)
た
小丘
(
せうきう
)
に
隔
(
へだ
)
てられ、
489
遂
(
つひ
)
に
互
(
たがひ
)
の
視線
(
しせん
)
は
全
(
まつた
)
く
離
(
はな
)
れて
了
(
しま
)
つた。
490
主従
(
しゆじゆう
)
は
元気
(
げんき
)
よく
坂路
(
さかみち
)
を
東
(
ひがし
)
へ
東
(
ひがし
)
へと
谷川
(
たにがは
)
の
流
(
なが
)
れに
沿
(
そ
)
ひ
下
(
くだ
)
つて
行
(
ゆ
)
くと、
491
途中
(
とちう
)
に
日
(
ひ
)
はズツポリと
暮
(
く
)
れた。
492
止
(
や
)
むを
得
(
え
)
ず、
493
路端
(
みちばた
)
の
突
(
つき
)
出
(
で
)
た
石
(
いし
)
に
腰
(
こし
)
打
(
うち
)
かけ、
494
息
(
いき
)
を
休
(
やす
)
めてゐると、
495
何者
(
なにもの
)
共
(
とも
)
知
(
し
)
れず、
496
突然
(
とつぜん
)
後方
(
こうはう
)
より
現
(
あら
)
はれて
太子
(
たいし
)
の
頭上
(
づじやう
)
を
目当
(
めあて
)
に、
497
堅
(
かた
)
い
沙羅
(
さら
)
双樹
(
さうじゆ
)
の
幹
(
みき
)
で
作
(
つく
)
つた
杖
(
つゑ
)
を
以
(
もつ
)
て、
498
骨
(
ほね
)
も
砕
(
くだ
)
けと
打
(
う
)
ち
下
(
おろ
)
す。
499
太子
(
たいし
)
は
惟神
(
かむながら
)
的
(
てき
)
に
体
(
たい
)
をかわした。
500
其
(
その
)
途端
(
とたん
)
に
的
(
まと
)
が
外
(
はづ
)
れて、
501
曲者
(
くせもの
)
は
二人
(
ふたり
)
の
前
(
まへ
)
に
杖
(
つゑ
)
を
握
(
にぎ
)
つたまま
地
(
ち
)
を
叩
(
たた
)
いて、
502
ひつくり
返
(
かへ
)
り、
503
頭
(
かしら
)
を
打
(
う
)
つて
悲鳴
(
ひめい
)
をあげた。
504
能
(
よ
)
く
能
(
よ
)
く
見
(
み
)
れば
豈計
(
あにはか
)
らむや、
505
シャカンナの
僕
(
しもべ
)
コルトンであつた。
506
主従
(
しゆじゆう
)
はコルトンを
労
(
いた
)
はり
起
(
おこ
)
し、
507
いろいろと
道
(
みち
)
を
説
(
と
)
き
諭
(
さと
)
し、
508
将来
(
しやうらい
)
を
戒
(
いまし
)
めて、
509
又
(
また
)
夜
(
よる
)
の
路
(
みち
)
をトボトボと
帰途
(
きと
)
に
就
(
つ
)
いた。
510
(
大正一三・一二・四
新一二・二九
於祥雲閣
松村真澄
録)
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