霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二〇章 仁志(にし)(ひがし)〔一〇三二〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻 篇:第3篇 阪丹珍聞 よみ(新仮名遣い):はんたんちんぶん
章:第20章 仁志東 よみ(新仮名遣い):にしひがし 通し章番号:1032
口述日:1922(大正11)年10月11日(旧08月21日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年3月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
話は少しさかのぼって、明治三十一年の四月三日、神武天皇祭の日に、喜楽は早朝から神殿を清めて修行者と共に祭典を行っていた。そこへ、飄然として五十余りの男が訪ねてきた。
男は紀州の出身で三矢喜右衛門と名乗り、静岡県富士見村の月見里稲荷講社の者だという。巡回のおりにここの噂を聞きつけ、総本部の長沢総理に伺ったところ、因縁のある者だから調べてこい、と言われたという。
喜楽は高熊山の修行以来、霊学の問題の解決に精神を集中していたが、身内から村中の者まで、悪罵嘲笑の的となりなんとかして人々の目を覚まさねばらなぬと思っていた。
そうしたところ、長沢総理が霊学の大先生だと聞いて、光明を見出し、旅費を工面して生まれて初めて京都から汽車にのり、静岡の長沢先生宅に到着した。
そのころ長沢先生はまだ四十歳の元気盛りであった。霊学上の話や本田親徳翁の来歴など立て続けにしゃべりたて、その日は自分の住所氏名を告げただけで終わってしまった。
長沢先生の御母堂の豊子刀自は、本田親徳翁の予言した丹波からの修行者はお前さまのことだろう、と本田翁が遺したという鎮魂の玉、天然笛、神伝秘書の巻物を渡してくれた。
翌日は喜楽は自分の神がかりに至ったいきさつを長沢先生に詳細に物語り、その結果、先生が審神者となって幽斎式を執り行うことになった。その結果、疑うかたなく小松林命の御神懸ということが明らかになり、鎮魂帰神の二科高等得業を証す、という免状もいただいた。
喜楽はこれまで、数多の人に発狂者だ、山子だ、狐つきだとけなされてきたので、高等神懸だと判定され、長沢先生こそ大なる力となるべき方だと打ち喜び、直ちに入門することとなった。
それより一週間ばかり世話になり、ようやく穴太の自宅に帰ることを得た。三矢喜右衛門も一緒についてきたが、園部の下司熊吉と結託して、喜楽に対していろいろと反抗運動をなすにいたった。
下司熊は、斎藤宇一の叔母にあたる修行者の斎藤静子を妻とし、一派を立てようとしていた。しかし下司熊は腹心の財産を使いこんでおり、喜楽は斎藤宇一に頼まれて、所有している牛を売って弁済することになった。
しかし下司熊は芝居を打って、喜楽の牛を売った金をほとんど懐に入れてしまった。
その後、下司熊は石清水というところで村の神官と示し合わせて、観音像を埋めておき、お告げの振りをして像を掘り出した。それをご神体として信者を集めて一時は人気を集めていたが、警察に目をつけられてしまいはやらなくなってしまった。
そこで下司熊は再び園部に舞い戻って博徒となっていたが、病気になって夭折してしまった。
弟の由松は、下司熊に牛の代金をだまし取られたことを怒り、そんなことも知らすことのできない腰抜け神だと祭壇をひっくり返して暴れまわった。
喜楽は今後のことを伺うために産土の社に参拝したところ、神勅を受けた。小松林命曰く、一日も早く西北の方をさして行け、神界の仕組みで待っている人がいるから、速やかに園部方面に行け、と大きな声で決めつけられた。
それより喜楽は故郷を離れることを決意したのである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-10-25 14:07:27 OBC :rm3720
愛善世界社版:237頁 八幡書店版:第7輯 120頁 修補版: 校定版:246頁 普及版:117頁 初版: ページ備考:
001 (はなし)(すこ)(もと)(かへ)る。002明治(めいぢ)卅一(さんじふいち)(ねん)()(ぐわつ)三日(みつか)神武(じんむ)天皇(てんわう)(さい)神武天皇が崩御した日。()003喜楽(きらく)早朝(さうてう)より神殿(しんでん)(きよ)修業者(しうげふしや)(とも)祭典(さいてん)(おこな)つて()た。004そこへ瓢然(へうぜん)として(たづ)ねて()五十(ごじふ)(あま)りの(をとこ)がある。005(をとこ)無造作(むざうさ)(しきゐ)をまたげてヌツと這入(はい)り、
006(をとこ)(わたし)紀州(きしう)(もの)三矢(みつや)喜右衛門(きうゑもん)(まを)します。007稲荷講(いなりかう)福井県(ふくゐけん)本部長(ほんぶちやう)で、008静岡県(しづをかけん)阿部郡(あべぐん)富士見(ふじみ)(むら)月見里(やまなし)稲荷(いなり)神社(じんじや)附属(ふぞく)009稲荷(いなり)講社(かうしや)総本部(そうほんぶ)配札係(はいさつがかり)御座(ござ)います。010紀州(きしう)巡回(じゆんくわい)折柄(をりから)011ここの(うはさ)(うけたまは)り、012すぐさま総本部(そうほんぶ)へのぼり長沢(ながさは)総理(そうり)(さま)(うかが)うた(ところ)013因縁(いんねん)のある人間(にんげん)ぢやに()つて、014()(かく)調(しら)べて()いと()はれました。015過去(くわこ)現在(げんざい)未来(みらい)一目(ひとめ)()()霊学(れいがく)大先生(だいせんせい)長沢(ながさは)(さま)()言葉(ことば)だから、016(よろこ)んでお()けなされ、017(けつ)して(わたし)一通(ひととほ)りの()(ふだ)くばりではありませぬぞ』
018とまだ喜楽(きらく)一口(ひとくち)(なん)ともいはぬ(さき)から、019(とら)()をかる(きつね)(やう)()ばり()らしてゐる。020喜楽(きらく)稲荷(いなり)講社(かうしや)()名称(めいしよう)()いては(いささ)迷惑(めいわく)のやうな()がした。021なぜならば口丹波(くちたんば)(へん)稲荷(いなり)講社(かうしや)といへば(すぐ)稲荷(いなり)おろしを聯想(れんさう)し、022狐狸(きつねたぬき)(まつ)るものと誤解(ごかい)されるからである。023(しか)(なが)過去(くわこ)現在(げんざい)未来(みらい)透察(とうさつ)する霊学(れいがく)大家(たいか)長沢(ながさは)先生(せんせい)だと()ふことを()いては、024(この)三矢(みつや)(ただ)でいなすことは出来(でき)ない(やう)になつて()た。
025 ()(ぐわつ)以来(いらい)高熊山(たかくまやま)修行(しうぎやう)から(かへ)つたあとは、026霊感(れいかん)問題(もんだい)没頭(ぼつとう)し、027()けても()れても、028霊学(れいがく)解決(かいけつ)精神(せいしん)集中(しふちう)して()たからである。029そして親戚(しんせき)兄弟(きやうだい)030(むら)(もの)までが、031山子(やまこ)だ、032飯綱使(いづなつかひ)だ、033(きつね)だ、034(たぬき)だ、035野天狗(のてんぐ)だ、036半気違(はんきちがひ)だと口々(くちぐち)嘲笑(てうせう)悪罵(あくば)(たくま)しうするので、037(なん)とかして(この)(あか)りを()て、038人々(ひとびと)()をさまさねばならぬと、039心配(しんぱい)して()(ところ)三矢(みつや)()()たのだから、040一道(いちだう)光明(くわうみやう)(みと)めたやうな()になつて、041(いさ)(よろこ)び、042(ただち)三矢(みつや)(わが)()(とど)め、043いろいろと霊学(れいがく)(じやう)問題(もんだい)提出(ていしゆつ)して()いて()たが、044(ただ)配札(はいさつ)のみの(をとこ)()えて、045霊学(れいがく)(じやう)(はなし)脱線(だつせん)だらけで、046(なに)()いても(ひと)つも()(ところ)がなかつた。047それから旅費(りよひ)工面(くめん)して、048三矢(みつや)案内(あんない)(いよいよ)同月(どうげつ)十三(じふさん)(にち)049穴太(あなを)()つて京都(きやうと)まで徒歩(とほ)し、050(うま)れてから(はじ)めての三等(さんとう)汽車(きしや)()つて、051無事(ぶじ)静岡(しづをか)長沢(ながさは)先生(せんせい)(たく)()くことを()た。
052 長沢(ながさは)先生(せんせい)(その)(とき)まだ四十(しじつ)(さい)元気(げんき)(ざか)りであつた。053いろいろと霊学(れいがく)(じやう)(はなし)や、054本田(ほんだ)親徳(ちかあつ)(をう)来歴(らいれき)(とう)三四(さんよ)時間(じかん)引続(ひきつづ)けに(はな)される。055喜楽(きらく)一口(ひとくち)()はうと(おも)うても、056チツとも(すき)がない。057此方(こちら)用向(ようむき)()かずに()時間(じかん)(ばか)(しやべ)()て、058ツツと()つて雪隠(せつちん)()き、059(また)(もと)(ところ)(すわ)り、060三方白(さんぱうじろ)(おほ)きな()()()し、061(すこ)()(ちか)いので()()げ、062こちらを(のぞ)(やう)にして、063(また)もや自分(じぶん)(はなし)(つづ)けられる。064(つくゑ)(した)二三(にさん)月間(げつかん)新聞紙(しんぶんし)無雑作(むざふさ)()らけてある。065沢山(たくさん)来信(らいしん)(ふう)()つたのや()らぬのが、066新聞紙(しんぶんし)とゴツチヤになつて(ひろ)(つくゑ)のグルリに散乱(さんらん)してゐる。067長沢(ながさは)先生(せんせい)障子(しやうじ)(やぶ)(がみ)(はし)をチヨツと(ひき)むしつて、068ツンと(はな)をかみ、069ダラダラと(なが)れやうとする鼻汁(はなじる)(また)ポンと(かみ)()り、070(つひ)にはツーと(あま)つて鼻汁(はな)(ひざ)(うへ)()ちやうとするのを、071今度(こんど)はあわてて新聞紙(しんぶんし)(はし)千切(ちぎ)り、072それに鼻汁紙(はながみ)(つつ)んで、073無雑作(むざふさ)(つくゑ)(した)()()(なが)ら、074平気(へいき)(かほ)(また)()時間(じかん)(ばか)(しやべ)りつづけられた。075長途(ちやうと)汽車(きしや)(たび)(からだ)草臥(くたびれ)てゐる。076一寸(ちよつと)どこかで(あし)()ばしたいと(おも)ふても先生(せんせい)(うご)かないので如何(どう)することも出来(でき)ず、077とうとう(その)()自分(じぶん)住所(ぢうしよ)姓名(せいめい)(わづか)()げた(だけ)で、078長沢(ながさは)先生(せんせい)(はなし)(ばか)りで(をは)つて(しま)つた。
079 先生(せんせい)母堂(ぼだう)豊子(とよこ)といふ(かた)があつて、080余程(よほど)霊感(れいかん)()てゐられた。081豊子(とよこ)さまは喜楽(きらく)(むか)ひ、
082豊子(とよこ)『お(まへ)さまは丹波(たんば)から()られたさうだが、083本田(ほんだ)さまが十年前(じふねんまへ)仰有(おつしや)つたのには、084(これ)から(じふ)(ねん)(ほど)(さき)になつたら、085丹波(たんば)からコレコレの(をとこ)()るだらう、086(かみ)(みち)丹波(たんば)から(ひら)けると仰有(おつしや)つたから、087キツとお(まへ)さまのことだらう、088これも時節(じせつ)()たのだ。089(つい)ては、090本田(ほんだ)さまから(あづか)つて()いた鎮魂(ちんこん)(たま)天然笛(てんねんぶえ)があるから、091(これ)()げませう。092これを(もつ)てドシドシと布教(ふけう)をしなされ』
093(ふた)つの神器(しんき)箪笥(たんす)引出(ひきだ)しから()して喜楽(きらく)(あた)へ、094(かつ)神伝(しんでん)秘書(ひしよ)巻物(まきもの)まで(わた)してくれられた。095翌朝(よくてう)(はや)うから(これ)(ひら)いて()ると、096(じつ)(なん)とも()へぬ(うれ)しい(かん)じがした。097自分(じぶん)今迄(いままで)霊学(れいがく)(じやう)(くわん)する疑問(ぎもん)も、098(また)一切(いつさい)煩悶(はんもん)(ぬぐ)ふが(ごと)払拭(ふつしき)されて(しま)つた。
099 午前(ごぜん)()()(ごろ)から、100長沢(ながさは)先生(せんせい)(ふたた)自分(じぶん)(まね)かれた。101早速(さつそく)先生(せんせい)(まへ)()で、102今度(こんど)自分(じぶん)(はう)から(しやべ)()て、103先生(せんせい)一言(ひとこと)()はすまいと覚悟(かくご)をきめて出合(であ)ふなり、104自分(じぶん)神憑(かむがか)初版・愛世版では「神憑り」、校定版では「神懸り」。になつた一伍(いちぶ)一什(しじふ)(いき)もつかずに(さん)時間(じかん)(ばか)()()てた。105先生(せんせい)(ただ)『ハイハイ』と時々(ときどき)返事(へんじ)をして、106喜楽(きらく)(さん)時間(じかん)長物語(ながものがたり)神妙(しんめう)()いて()れられた。107(その)結果(けつくわ)一度(いちど)審神者(さには)をして()ようと()ふことになり、108喜楽(きらく)神主(かむぬし)(せき)にすわり、109先生(せんせい)審神者(さには)となつて幽斎式(いうさいしき)(はじ)まつた。110(その)結果(けつくわ)(うたが)(かた)なき小松林(こまつばやしの)(みこと)()神憑(しんぺう)初版・愛世版では「御神憑」だが、校定版では「御神懸(ごしんけん)」。といふことが(あきら)かになり、111鎮魂(ちんこん)帰神(きしん)二科(にくわ)高等(かうとう)得業(とくげふ)(しよう)すといふ免状(めんじやう)(まで)(わた)して(もら)つた。112喜楽(きらく)今迄(いままで)数多(あまた)人々(ひとびと)発狂者(はつきやうしや)だ、113山子(やまこ)だ、114(きつね)つきだとけなされ、115誰一人(たれひとり)()わけてくれる(もの)がなかつた(ところ)を、116(かく)(ごと)審神(さには)結果(けつくわ)117高等(かうとう)神憑(かむがかり)初版・愛世版では「神憑(かむがかり)」だが、校定版では「神懸(かむがかり)」断定(だんてい)(くだ)されたのであるから、118(この)先生(せんせい)こそ世界(せかい)にない、119喜楽(きらく)(たい)しては(だい)なる(ちから)となるべき(かた)だと打喜(うちよろこ)び、120(ただ)ちに()ふて入門(にふもん)することとなつたのである。121(えう)するに長沢(ながさは)先生(せんせい)門人(もんじん)になつたのは霊学(れいがく)研究(けんきう)するといふよりは、122自分(じぶん)霊感(れいかん)(みと)めて(もら)つたのが(うれ)しかつたので入門(にふもん)したのであつた。
123 ()れより先生(せんせい)(したが)ひ、124三保(みほ)松原(まつばら)(わた)り、125三保(みほ)神社(じんしや)参拝(さんぱい)して、126羽衣(はごろも)(まつ)()たり、127(また)天人(てんにん)羽衣(はごろも)(やぶ)(はし)だと(しよう)する、128古代(こだい)織物(おりもの)硝子瓶(がらすびん)(なか)(をさ)められてあるのを拝観(はいくわん)したりし(なが)ら、129(いつ)週間(しうかん)(ばか)世話(せわ)になつて、130二十二(にじふに)(にち)(よる)(やうや)穴太(あなを)自宅(じたく)(かへ)(こと)()た。131三矢(みつや)喜右衛門(きうゑもん)(ふたたび)穴太(あなを)()いて(かへ)り、132園部(そのべ)下司(げし)熊吉(くまきち)(かた)往復(わうふく)して、133とうとう斎藤(さいとう)静子(しづこ)熊吉(くまきち)との縁談(えんだん)媒人(なかうど)までなし、134今迄(いままで)態度(たいど)一変(いつぺん)して、135下司(げし)(くま)をおだて()げ、136いろいろと喜楽(きらく)(たい)し、137反抗(はんかう)運動(うんどう)(こころ)みる(こと)となつた。
138 下司(げし)(くま)は、139斎藤(さいとう)静子(しづこ)(あま)りよくない神憑(かむがかり)女房(にようばう)()ち、140自分(じぶん)神憑(かむがかり)となつて、141相場占(さうばうらなひ)(はじ)()した。142下司(げし)腹心(ふくしん)(もの)藤田(ふぢた)泰平(たいへい)といふ(をとこ)があつた。143(この)(をとこ)(ひと)反物(たんもの)(あづか)り、144着物(きもの)羽織(はおり)仕立(した)て、145賃銭(ちんせん)(もら)つて生計(せいけい)()てて()(をとこ)である。146下司(げし)(くま)(たの)みによつて、147方々(はうばう)から(あづか)つたいろいろの反物(たんもの)(しち)()れ、148(かね)()り、149それを下司(げし)(くま)使(つか)はれて(しま)ひ、150依頼主(いらいぬし)から火急(くわきふ)催足(さいそく)をされて、151非常(ひじやう)煩悶(はんもん)をしてゐた。152グヅグヅして()ると刑事(けいじ)問題(もんだい)(おこ)(さう)なので、153泰平(たいへい)(みづか)穴太(あなを)()つて()て、154下司(げし)(くま)(ため)自分(じぶん)退引(のつぴき)ならぬ破目(はめ)(おちい)つた(こと)(なげ)きつつ物語(ものがた)り、155如何(どう)かして(たす)けて(もら)(わけ)には()かうまいかと()つて()いて()る。156喜楽(きらく)最早(もはや)如何(どう)する(こと)出来(でき)ない。157(しか)(なが)(なん)とかして(たす)けてやりやうはないかと、158(あたま)(なや)ましてゐた。159そこへ斎藤(さいとう)宇一(ういち)自分(じぶん)叔母(をば)婿(むこ)となつた下司(げし)(くま)(とも)()()て、160(なん)とかして藤田(ふぢた)(たす)ける工夫(くふう)はなからうか、161藤田(ふぢた)(ばか)りか下司(げし)までが、162(この)(まま)にしておいたら、163取返(とりかへ)しのつかぬやうな(こと)になつて(しま)ふ。164(まへ)(いへ)屋敷(やしき)抵当(ていたう)()れて、165(かね)でも()つてくれまいかと斎藤(さいとう)()ふ。166(しか)(なが)喜楽(きらく)(いへ)屋敷(やしき)(すで)抵当(ていたう)(はい)り、167五十(ごじふ)(ゑん)()つた(かね)も、168とうの(むかし)になくなつて()た。169ふと(おも)()したのは奥条(おくでう)といふ(ところ)(あづ)けておいた乳牛(にうぎう)がある。170(その)(うし)喜楽(きらく)自由(じいう)(もの)で、171精乳館(せいにうくわん)(もの)ではなかつたのを(さいは)ひ、172それを()つて下司(げし)藤田(ふぢた)急場(きふば)(たす)けてやらうかと(おも)ひ、173喜楽(きらく)九十(くじふ)(ゑん)()うた(うし)奥条(おくでう)(あづ)けてある、174それをどつかへ()つてくれたら、175(その)(かね)()()はしてやらうと、176()ふた言葉(ことば)下司(げし)()()つて(をど)りあがり、
177下司(げし)『そんなら()まぬが、178どうぞ(しばら)(わたし)()して(くだ)さい。179(この)(うし)自分(じぶん)入営(にふえい)してゐた(とき)友達(ともだち)で、180矢賀(やが)といふ(ところ)伯楽(ばくろ)をして()(もの)があるから、181そこへ()れて()()うて(もら)はう』
182といふ。183そこで(はなし)(まと)まつて、184藤田(ふぢた)泰平(たいへい)園部(そのべ)(かへ)る。185喜楽(きらく)宇一(ういち)下司(げし)(くま)(さん)(にん)は、186奥条(おくでう)(うし)(あづ)(さき)から引出(ひきだ)して()て、187八木(やぎ)川向(かはむか)うの矢賀(やが)といふ(ところ)引張(ひつぱ)つて()つた。
188 (その)()(この)地方(ちはう)氏神(うぢがみ)祭礼(さいれい)で、189あちらこちらに(おほ)きな(のぼり)()つてゐる。190(やうや)くにして九十(くじふ)(ゑん)(うし)十五(じふご)(ゑん)()()られ、191()()れてからソロソロ八木(やぎ)(まは)つて(かへ)らうとした。192十五(じふご)(ゑん)(かね)下司(げし)(あづか)つたきり、193(ふところ)()れて(しま)つた。194そして(じふ)(ゑん)さへあれば下司(げし)問題(もんだい)一切(いつさい)片付(かたづ)くのである。195()(ゑん)(だけ)喜楽(きらく)(わた)すといふ約束(やくそく)であつたが、196下司(げし)はふれまわれた(さけ)にヘベレケに()うて、197(なん)()つても、198(めう)(こと)(ばか)()つて受入(うけい)れぬのみか、199日清(につしん)戦争(せんそう)戦死(せんし)した戦友(せんいう)石碑(せきひ)()つてる(まへ)()つて()(あは)せ、
200下司惟神(かむながら)(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)201オイ貴様(きさま)もおれと一緒(いつしよ)戦争(せんそう)()つたのだが、202とうとう(さき)()によつたのう、203本当(ほんたう)貴様(きさま)可哀相(かあいさう)なものだ。204こんな部落(ぶらく)(うま)れて()て、205206(その)(うへ)鉄砲玉(てつぱうだま)(あた)つて()んで(しま)ひ、207本当(ほんたう)可哀相(かあいさう)だ。208おりや(きみ)同情(どうじやう)するよ。209ナアに、210(おれ)だつて、211(おな)人間(にんげん)だ。212そんなこた遠慮(ゑんりよ)(およ)ばぬ』
213沢山(たくさん)部落民(ぶらくみん)がそこに()るのも(かま)はず(しやべ)()てる。214(たちま)十四五(じふしご)(にん)(をとこ)(あら)はれて、
215『ナアに失礼(しつれい)(こと)をぬかす、216やつてやれ』
217()(なが)ら、218下司(げし)(くま)手足(てあし)()り、219ヨイサヨイサと(まつり)(さけ)()うた(やつ)(ばか)りが、220矢賀橋(やがばし)(そば)までかいて()き、221メツタ矢鱈(やたら)(あたま)をなぐる、222()()る、223非常(ひじやう)大騒(おほさわ)ぎとなつた。224宇一(ういち)部落民(ぶらくみん)(はう)()()つて、225いろいろと下司(げし)(ため)にあやまつてやつてゐた。226喜楽(きらく)懐中(くわいちゆう)天然笛(てんねんぶえ)取出(とりだ)して、227一生(いつしやう)懸命(けんめい)にヒユーヒユーと()()てた。228(なん)(おも)ふたか、229一人(ひとり)(のこ)らず暴漢(ばうかん)()げて()く。
230 そこへ巡回(じゆんくわい)巡査(じゆんさ)がやつて()て、231下司(げし)(くま)(いた)はり八木(やぎ)まで(おく)(とど)けてくれた。232喜楽(きらく)宇一(ういち)巡査(じゆんさ)(あと)()いて八木(やぎ)橋詰(はしづめ)まで(かへ)つて()た。233()()れば(はし)西側(にしがは)劇場(げきぢやう)があつて、234芝居(しばゐ)(はじ)まつてゐる。235勧進元(くわんじんもと)下司(げし)(くま)父親(てておや)下司(げし)(いち)といふ()なり()()れた顔役(かほやく)である。236下司(げし)(くま)喜楽(きらく)宇一(ういち)楽屋(がくや)(なか)まで引張(ひつぱつ)()(はだか)になつて()せて、
237下司(げし)『あゝ喜楽(きらく)サン、238折角(せつかく)世話(せわ)になつた(うし)(かね)最前(さいぜん)喧嘩(けんくわ)でおとしたとみえて、239これ(この)(とほ)一文(いちもん)()い』
240としらばくれてゐる。241(あと)から事情(じじやう)(さぐ)つて()れば、242実際(じつさい)五十(ごじふ)(ゑん)(うし)()り、243ワザとに八百長(やほちやう)喧嘩(げんくわ)仕組(しく)み、244一文(いちもん)(のこ)らず()つたくつてやるといふ計略(けいりやく)()せられたのであつた。245(また)藤田(ふぢた)()たのも、246下司(げし)宇一(ういち)との計略(けいりやく)()つて喜楽(きらく)(うし)()らし(その)(かね)をせしめようといふ計略(けいりやく)であつた(こと)判明(はんめい)したのである。247それが(わか)つたので喜楽(きらく)神憑(かむがかり)初版・愛世版では「神憑」、校定版では「神懸」。になり、248(はら)(なか)憑霊(ひようれい)(むか)つて、
249喜楽(きらく)『なぜ喜楽(きらく)肉体(にくたい)がこんな()()うてるのに()らさなんだか、250()はいでもよいこと(ばか)(しやべ)(くせ)に、251なぜかう()(とき)()らしてくれぬのだ。252モウこれからお(まへ)らの()ふことは()かぬ。253サア(わたし)(からだ)からトツトと(かへ)つてくれ』
254腹立紛(はらたちまぎ)れに呶鳴(どな)()てた。255さうすると(しばら)(しづ)まつて()つた(たま)ゴロが、256(また)もや喉元(のどもと)へこみ()げて()て、257(ちひ)さい(こゑ)で、
258『アツハヽヽヽ、259馬鹿(ばか)だのう』
260といつたぎり、261(なん)()つても、262キウともスウとも(こた)へてくれぬ。263とうとう()寝入(ねい)りになつて(しま)うた。
264 下司(げし)(くま)(その)(のち)須知(すち)岩清水(いはしみづ)といふ(ところ)で、265(むら)神官(しんくわん)(しめ)(あは)せ、266観音(くわんのん)木像(もくざう)(つち)(なか)(ふか)()けておいて、267「サテ自分(じぶん)(かみ)さまのお(つげ)()岩清水(いはしみづ)(ある)地点(ちてん)観音(くわんのん)さまが(うづ)まつて御座(ござ)ることを()きましたが、268(いつ)ぺん調(しら)べさして(いただ)きたい」と区長(くちやう)(たく)(たの)みに()つた。269それから区長(くちやう)(ゆる)しを()けて、270(みや)神主(かむぬし)(とも)()()しに()つた(ところ)271観音(くわんのん)木像(もくざう)()たので、272それを()神体(しんたい)とし、273船越(ふなこし)(ぼう)(うち)祭壇(さいだん)(つく)り、274所在(あらゆる)神仏(しんぶつ)木像(もくざう)古道具(ふるだうぐ)()(みせ)のやうに(まつ)りこみ、275二三十(にさんじつ)(ぽん)(のぼり)をあちら此方(こちら)()て、276大師(だいし)さまの()夢想(むさう)()だと()つて、277()をわかし、278患者(くわんじや)入浴(にふよく)せしめなどして、279沢山(たくさん)愚夫(ぐふ)愚婦(ぐふ)(あつ)めて()た。280そして観音(くわんのん)木像(もくざう)(かみ)さまのお()げで(あら)はれたといふので大変(たいへん)人気(にんき)となり、281(いち)()非常(ひじやう)繁昌(はんじやう)してゐたが(つひ)警察(けいさつ)から科料(くわれう)()られ、282拘留(こうりう)(しよ)せられ、283それより段々(だんだん)信者(しんじや)()なくなつて(しま)ひ、284やむを()ず、285岩清水(いはしみづ)()つて、286(ふたた)園部(そのべ)()ひもどり、287(かみ)さま商売(しやうばい)もテンと流行(はや)らなくなつたので、288(ふたた)博徒(ばくと)(むれ)()り、289とうとう睾丸炎(かうぐわんえん)(おこ)して夭死(えうし)して(しま)つた。290泰平(たいへい)(また)二三(にさん)(ねん)()急病(きふびやう)でなくなつて(しま)つた。291(うし)下司(げし)()られたといふので、292又々(またまた)由松(よしまつ)(おこ)()し、
293由松(よしまつ)(この)(かみ)盲神(めくらがみ)だから、294兄貴(あにき)馬鹿(ばか)がだまされて()るのを、295(だま)つて()てやがつた、296腰抜神(こしぬけがみ)だ。297モウ(おれ)(うち)にはおいてやらぬ』
298といつて(ふたたび)斎壇(さいだん)()つくり(かへ)し、299(あば)れまはるので、300喜楽(きらく)安閑(あんかん)として()(わけ)にも()かず、301(この)(うへ)如何(どう)したらよからうか、302(ひと)(かみ)さまに(うかが)つて()ようと、303産土(うぶすな)(やしろ)参拝(さんぱい)して神勅(しんちよく)()けた。304(その)(とき)小松林(こまつばやしの)(みこと)喜楽(きらく)神懸(かむがか)りして、
305小松林(いち)(にち)(はや)西北(せいほく)(はう)をさして()け、306神界(しんかい)仕組(しぐみ)がしてある。307(まへ)()るのを()つてゐる(ひと)がある。308何事(なにごと)にも頓着(とんちやく)なく(すみやか)にここを()つて園部(そのべ)(はう)(むか)つて()け!』
309(おほ)きな(こゑ)できめつけられた。310それより喜楽(きらく)故郷(こきやう)(はな)れる(こと)決意(けつい)したのである。
311大正一一・一〇・一一 旧八・二一 松村真澄録)
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