園部での布教時代にひとつの珍話がある。北桑田方面に布教を試みようと、五箇荘村の手前の村にさしかかったところ、たそがれ時になり、宿を探そうと思ったが、懐には二十銭しかない。
野宿を覚悟で足を引きずって行くと、二三人の村人と道連れになった。話は自然、病気や憑き物のことに移って行った。
村には小林貞三という親爺がいて、十五六年前から不思議な憑き物で困っているという。腹の中から大きな声が出て立派な神様だと自称し、それにしたがって相場を張って身上を大方なくしてしまい、今は駄菓子やボロ材木を商って暮らしているという。
喜楽はそこを今夜の宿と定めてその家の店先を訪れた。喜楽は駄菓子を買って親爺との話をつなぎ、憑き物の相談を受けることになった。その夜は鎮魂帰神を実施することになった。
夕飯後、喜楽が審神者となって法を施すと、親爺についていた霊は激しく発動し、青い鼻汁を盛んに出し始めた。喜楽が名を訪ねると、鞍馬山の大僧坊だと名乗ったが、問い詰めると親爺の身体を宙に浮かせて、審神者の頭の上をかけりだし、目玉を足蹴にしようと狙っている。
喜楽は組んだ手を解いて右の人差し指に霊をかけ、親爺の身体をクルクルと回して荒療治を行った。これに憑霊は観念して、正体を白状し始めた。
霊は、この親爺の叔父であったという。十四五年前に、この親爺が悪辣な手段で叔父の財産を横領したため、叔父は怒りのあまり精神に隙ができ、野天狗に憑かれて山奥で自殺してしまったのだという。
叔父の霊は悔しさのあまり、この親爺が酒に酔って道端に倒れていたところを野天狗と一緒に憑依し、憑神のふりをして相場に手を出させ、親爺を零落させてしまったのだという。
そして、最後に何とか命を取ることを狙っていたところ、審神者に看破されたのだと明かした。
親爺は叔父の霊を手厚く葬ることを約束したので、霊はいったんは退散した。しかし退散は表向きで、やはり親爺の身体に潜んで時々妙なことをやらかすのであった。
この小林という爺さんは明治四十五年ごろに大本に訪ねてきたことがある。今は家も何も売ってしまい、大阪方面に出稼ぎに行ったということである。