霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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総説(そうせつ)()へて

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第42巻 舎身活躍 巳の巻 篇:前付 よみ(新仮名遣い):
章:総説に代へて よみ(新仮名遣い):そうせつにかえて 通し章番号:
口述日:1922(大正11)年11月14日(旧09月26日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年7月1日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
霊界には神界、中界、幽界の三大境域がある。神界は神道家の称える高天原であり、仏者のいう極楽浄土、キリスト教徒のいう天国である。
中界は神道の天の八衢、仏教の六道の辻、キリスト教の精霊界である。
幽界は神道の根の国底の国、仏教の八万地獄、キリスト教の地獄である。
天の八衢は高天原ではなく、根底の国でもない。両界の中間に介在する位置にあり、中間の情態である。人が死後、すぐに至るべき境域で、いわゆる中有である。
中有にあることやや久しくして、現界にあったときの行為の正邪により、ある者は高天原に上り、ある者は根底の国へ落ちていく。
しかし人の霊魂中にある真善美が和合するときは、その人は直ちに天国に上り、霊魂中にある邪悪と虚偽が合致したときは、その人はたちまち地獄に落ちるものである。
人間が死すと、神は直ちにその霊魂の正邪を審判し給う。肉体のときに朋友知己、夫婦、兄弟、姉妹となりしものは、神の許可を得て天の八衢において会談することができる。しかしいったんこの八衢で別れた時は、高天原においても根底の国においても、再び相見ること、相識こともない。ただ同一の信仰、愛、性情に居ったものは、天国においても行くたびも相見相識ることができる。
直ちに高天原に上るものは、その人間が現界にあるときに神を知り信じ、善導を履行し、霊魂が神に復活してすでに準備ができていたからである。内心悪を包蔵し、自己の凶悪を装い、不信仰にして神の存在を認めなかったものは直ちに地獄に墜落し無限の永苦を受けることになる。
死後に高天原に安住し霊的生涯を送るということは、世を捨てて身体に属する情欲を離脱しなくてはならない、という人がある。しかし天国はそのようにして上り得るものではない。
世を捨て、霊に住み、肉から離れようと努めるものは、かえっていっそう悲哀の生涯を修得し、高天原の歓楽を摂受することはとうていできるものではない。人は各自の生涯が死後にもなお留存するものだからである。
高天原に上って歓楽の生涯を永遠に受けようと思うのなら、現世において世間的の業務を執り、その職掌を尽くし、道徳的民文的生涯を送り、かくして始めて霊的生涯を受けなければならない。
内的生涯を清く送ると同時に、外的生涯を営まないものは、砂上の楼閣のごときものである。あるいは次第に陥没し、あるいは壁落ち床破れ崩壊し、傾き覆るがごときものである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :rm420002
愛善世界社版:3頁 八幡書店版:第7輯 643頁 修補版: 校定版:3頁 普及版: 初版: ページ備考:
001霊界(れいかい)には神界(しんかい)002中界(ちうかい)003幽界(いうかい)三大(さんだい)境域(きやうゐき)がある。
004神界(しんかい)神道家(しんだうか)(とな)ふる高天原(たかあまはら)であり、005仏者(ぶつしや)()極楽(ごくらく)浄土(じやうど)であり、006耶蘇(やそ)()天国(てんごく)である。
007中界(ちうかい)神道家(しんだうか)(とな)ふる(あめ)八衢(やちまた)であり、008仏者(ぶつしや)()六道(ろくだう)(つじ)であり、009キリストの()精霊界(せいれいかい)である。
010幽界(いうかい)神道家(しんだうか)(とな)ふる()(くに)011(そこ)(くに)であり、012仏者(ぶつしや)()八万(はちまん)地獄(ぢごく)であり、013キリストの()(また)地獄(ぢごく)である。
014 (ゆゑ)(あめ)八衢(やちまた)高天原(たかあまはら)にもあらず、015また根底(ねそこ)(くに)にもあらず、016両界(りやうかい)中間(ちうかん)介在(かいざい)する(なか)(ほど)位置(ゐち)にして(すなは)情態(じやうたい)である。017(ひと)死後(しご)(ただち)(いた)るべき境域(きやうゐき)にして、018所謂(いはゆる)中有(ちうう)である。019中有(ちうう)()ること(やや)(ひさ)しき(のち)020現界(げんかい)()りし(とき)行為(かうゐ)正邪(せいじや)により、021(あるひ)高天原(たかあまはら)(のぼ)(あるひ)根底(ねそこ)(くに)()()くものである。
022人霊(じんれい)中有(ちうう)情態(じやうたい)(あめ)八衢(やちまた))に()(とき)は、023天界(てんかい)にもあらず(また)地獄(ぢごく)にもあらず。024仏者(ぶつしや)所謂(いはゆる)六道(ろくだう)(つじ)(また)三途(せうづ)川辺(かはべ)()つて()るものである。
025人間(にんげん)()ける高天原(たかあまはら)情態(じやうたい)とは、026(しん)(ぜん)()(あひ)和合(わがふ)せし(とき)であり、027根底(ねそこ)(くに)情態(じやうたい)とは、028邪悪(じやあく)虚偽(きよぎ)とが人間(にんげん)にありて合致(がつち)せる(とき)()ふのである。
029(ひと)霊魂中(れいこんちう)()(ところ)(しん)(ぜん)()和合(わがふ)する(とき)は、030その(ひと)(ただ)ちに天国(てんごく)(のぼ)り、031(ひと)霊魂中(れいこんちう)()邪悪(じやあく)虚偽(きよぎ)合致(がつち)したる(とき)は、032その(ひと)(たちま)地獄(ぢごく)()つるものである。033(かく)(ごと)きは(あめ)八衢(やちまた)()(とき)(おい)(おこな)はるるものである。
034(あめ)八衢(やちまた)中有界(ちううかい))に()人霊(じんれい)(すこぶ)多数(たすう)である。035八衢(やちまた)一切(いつさい)のものの(はじ)めての会合所(くわいがふしよ)であつて、036此処(ここ)にて()霊魂(れいこん)試験(しけん)され準備(じゆんび)さるるのである。037人霊(じんれい)八衢(やちまた)彷徨(はうくわう)居住(きよぢう)する期間(きかん)(かなら)ずしも一定(いつてい)しない。038(ただ)ちに高天原(たかあまはら)(のぼ)るのもあり、039(ただ)ちに地獄(ぢごく)()ちるのもある。040極善(ごくぜん)極真(ごくしん)(ただ)ちに高天原(たかあまはら)(のぼ)り、041極邪(ごくじや)極悪(ごくあく)(ただ)ちに根底(ねそこ)(くに)墜落(つゐらく)して(しま)ふのである。042(あるひ)八衢(やちまた)数日(すうじつ)(また)数週日(すうしうじつ)043(すう)年間(ねんかん)()るものもある。044されど此処(ここ)三十(さんじふ)(ねん)以上(いじやう)()るものは()い。045(かく)(ごと)時限(じげん)(おい)相違(さうゐ)があるのは、046人間(にんげん)内外分(ないぐわいぶん)(あひだ)相応(さうおう)あると、047あらざるとに()るからである。
048人間(にんげん)()するや、049(かみ)(ただ)ちに(その)霊魂(れいこん)正邪(せいじや)審判(しんぱん)(たま)ふ。050(ゆゑ)()しき(もの)地獄界(ぢごくかい)()ける醜団体(しうだんたい)(おもむ)くは、051(その)人間(にんげん)()にある(とき)052その(しゆ)とする(ところ)(あい)なるもの(たちま)地獄界(ぢごくかい)所属(しよぞく)して()たからである。053(また)()(ひと)高天原(たかあまはら)()ける善美(ぜんび)団体(だんたい)(おもむ)くのも、054その(ひと)()()りし(とき)(その)(あい)055(その)(ぜん)056(その)(しん)(まさ)天国(てんごく)団体(だんたい)(すで)加入(かにふ)して()たからである。
057天界(てんかい)058地獄(ぢごく)区劃(くくわく)は、059(かく)(ごと)判然(はんぜん)たりと(いへど)も、060肉体(にくたい)生涯(しやうがい)()りし(とき)(おい)て、061朋友(ほういう)となり知己(ちき)となりしものや、062(とく)夫婦(ふうふ)063兄弟(きやうだい)064姉妹(しまい)()りしものは、065(かみ)許可(きよか)()(あめ)八衢(やちまた)(おい)会談(くわいだん)することが出来(でき)るものである。
066生前(せいぜん)朋友(ほういう)067知己(ちき)068夫婦(ふうふ)069兄弟(きやうだい)070姉妹(しまい)(いへど)も、071一旦(いつたん)この八衢(やちまた)(おい)(わか)れた(とき)は、072高天原(たかあまはら)(おい)ても根底(ねそこ)(くに)(おい)ても、073(ふたた)相見(あひみ)(こと)出来(でき)ない、074(また)相識(あひし)ることもない。075(ただし)同一(どういつ)信仰(しんかう)076同一(どういつ)(あい)077同一(どういつ)性情(せいじやう)()つたものは、078天国(てんごく)(おい)幾度(いくたび)相見(あひみ)相識(あひし)ることが出来(でき)るのである。
079人間(にんげん)死後(しご)080高天原(たかあまはら)根底(ねそこ)(くに)()くに(さき)だつて、081何人(なんぴと)経過(けいくわ)すべき状態(じやうたい)三途(さんと)ある。082そして第一(だいいち)外分(ぐわいぶん)状態(じやうたい)083第二(だいに)内分(ないぶん)状態(じやうたい)084第三(だいさん)準備(じゆんび)状態(じやうたい)である。085(この)状態(じやうたい)経過(けいくわ)する境域(きやうゐき)(あめ)八衢(やちまた)中有界(ちううかい))である。086(しか)るにこの順序(じゆんじよ)()たずに、087(ただち)高天原(たかあまはら)(のぼ)根底(ねそこ)(くに)()つるものもあるのは、088(まへ)()べた(とほ)りである。
089 (ただ)ちに高天原(たかあまはら)(のぼ)(また)(みちび)かるるものは、090(その)人間(にんげん)現界(げんかい)()(とき)091(かみ)()り、092(かみ)(しん)じ、093善道(ぜんだう)()(おこな)ひ、094(その)霊魂(れいこん)(かみ)復活(ふくくわつ)して、095高天原(たかあまはら)(のぼ)準備(じゆんび)(はや)くも出来(でき)()るからである。096また(ぜん)(おもて)標榜(へうぼう)して内心悪(ないしんあく)包蔵(はうざう)するもの、097(すなは)自己(じこ)兇悪(きやうあく)(よそほ)(ひと)(あざむ)(ため)(ぜん)利用(りよう)した偽善者(きぜんしや)や、098不信仰(ふしんかう)にして(かみ)存在(そんざい)(みと)めなかつたものは、099(ただ)ちに地獄(ぢごく)墜落(つゐらく)し、100無限(むげん)永苦(えいく)()くる(こと)になるのである。
101死後(しご)高天原(たかあまはら)安住(あんぢう)せむとして霊的(れいてき)生涯(しやうがい)(おく)ると()ふことは、102非常(ひじやう)難事(なんじ)(しん)ずるものがある。103()()て、104その身肉(しんにく)(ぞく)せる所謂(いはゆる)情欲(じやうよく)なるものを一切(いつさい)脱離(だつり)せなくてはならないからだ、105()(ひと)がある。106(かく)(ごと)(かんが)への(ひと)は、107(しゆ)として富貴(ふうき)より()れる世間(せけん)(てき)事物(じぶつ)(しりぞ)け、108(かみ)109(ほとけ)110(すく)ひ、111永遠(ゑいゑん)生命(せいめい)()(こと)(くわん)して、112()えず敬虔(けいけん)想念(さうねん)()らし、113祈願(きぐわん)(はげ)み、114教典(けうてん)読誦(どくじゆ)して功徳(くどく)()み、115()()て、116(にく)(はな)れて、117(れい)()めるものと(おも)つて()るのである。118(しか)るに天国(てんごく)(かく)(ごと)くにして(のぼ)()るものではない。119()()て、120(れい)()み、121(にく)(はな)れようと(つと)むるものは、122(かへつ)一層(いつそう)悲哀(ひあい)生涯(しやうがい)修得(しうとく)し、123高天原(たかあまはら)歓楽(くわんらく)摂受(せつじゆ)する(こと)到底(たうてい)出来(でき)るものでない。124(なん)となれば、125(ひと)各自(かくじ)生涯(しやうがい)死後(しご)にも(なほ)留存(りうぞん)するものなるが(ゆゑ)である。126高天原(たかあまはら)(のぼ)りて歓楽(くわんらく)生涯(しやうがい)永遠(ゑいゑん)()けむと(おも)はば、127現世(げんせ)(おい)世間(せけん)(てき)業務(げふむ)()り、128その職掌(しよくしやう)(つく)し、129道徳(だうとく)(てき)民文(みんぶん)(てき)生涯(しやうがい)(おく)り、130かくして(のち)(はじ)めて霊的(れいてき)生涯(しやうがい)()けねばならぬのである。131これを(ほか)にしては、132霊的(れいてき)生涯(しやうがい)()しその心霊(しんれい)をして、133高天原(たかあまはら)(のぼ)るの準備(じゆんび)(まつた)うし()べき(みち)はないのである。134内的(ないてき)生涯(しやうがい)(きよ)(おく)ると同時(どうじ)に、135外的(ぐわいてき)生涯(しやうがい)(いとな)まないものは、136砂上(さじやう)楼閣(ろうかく)(ごと)きものである。137(あるひ)次第(しだい)陥没(かんぼつ)(あるひ)(かべ)()(ゆか)(やぶ)崩壊(ほうくわい)傾覆(けいふく)する(ごと)きものである。
138 あゝ惟神(かむながら)(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)
139  大正十一年十一月十四日
140口述者識
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