明治三十四年旧六月三日
この世の行く先は、綾部の大本の竜門館でないと、なにほど知識で考えても解らない。変性男子は世界にある事を先繰りに、前途の事を知らせる御役である。
今度は世に落ちている神々を皆世に上げなければならない御役である。それについては世に出てお出でます万の神様に明治二十五年から申し付けてある。
明治三十五年旧七月十一日
永らく筆先に出して知らせても、今の人民は疑いが強いから、この中に実地をして見せてある。因縁ある身魂を引き寄せて御用に使うと筆先に出してある。
この結構な経綸が判りかけてくるほど、世界から鼻高が出てくる。また誠で出てくる者、目的を立てようと思って出てくる者もあり、世間に解るほど忙しくなる。
夜が明けると世界はいったん悪くなる。大本さえ信心していたら善き事が出来るように思っても、出口の日々の願いで大難を小難にまつり替えたところで、神国の中にもそれぞれの見せしめはある。
これから従来のやり方を根本から改正させてしまうから、今まで上に立って居た紙は大分辛くなってくる。神の国はこの状態でおいたらさっぱり悪神に取られてしまう。かような時節に神に立って居る守護神が先に解らないから、岩戸を開いて先が判る世にするのだ。
明治三十六年旧七月三日
悪神の国から始まって大戦争があると申してあるが、艮の金神は日の下に経綸がしてある。日の下は神国で結構な国というのは分かっているが、神国魂がちっともないと狼狽えてしまうぞ。
窮極まで行くと悪魔が一つになって皆攻め来ったときに、悪神の守護神が元の霊魂の力や誠の力を恐れて往生するところまで、神国の人民は耐え忍ばなければ御用ができない。御用をいたす身魂が二三分できたら、昔からの経綸の神が現れて、世界中が安心できるようにして元の神代に帰すのである。
邪神の侵略主義のやり方ではもう済んだ。何ほど知恵学力があり兵隊がたくさんあっても、三千年余りての経綸の時節が来たのである。この大本には揃って神力を積んでおかないと、どうにも激しくて傍には寄り付けないような事が出来てくるから、身魂をよく磨いておけと申すのだ。
大本は天地の誠一つの先祖の神の経綸の尊い場所であるから、身欲信心をしている人民では寄せ付けない。
明治三十七年旧正月十日
艮金神稚日女岐実命が、出口の守と現れて、変性男子の身魂が全部現れてこの世を構うと、あまり速やかに見え透いて、出口の傍へは寄れないようになると申しているが、時節が参ったので気遣いすることができてくる。
変性男子は大望な御役であるから、今度の御用をさせるために神代一代の苦労がさしてある。岩戸開きの筆先と立て直しの筆先とを、世が治まるまで書かせるのである。どんな事も皆解ってくるから、改信いたせ、身魂の選択を致せと出口直の手で知らせてある。
この世が末になって一寸も前に行けないようになり、変性男子と変性女子が現れて二度目の天の岩戸を開く大望な御役である。
明治三十七年旧七月十二日
今の役員信者は今度の戦争で世が根本から立て替わるように信じて慌てているが、世界中の修斎であるから、そう着々とは行かない。今度の戦争は門口である。
肝心の役員が変性女子に反対して書いたものを灰にしたり排斥したり邪魔をするので、これから皆野役員の目が醒めるように、変性女子の肉体を大本を出して経綸を致す。女子が出たら火が消えたように一人も立ち寄る人民は無くなる。明治四十二年までは神が外へ連れ参って経綸の橋架けをいたす。
この大本の中の者が残らず改信して女子の身上が解ってきたら、物事は箱さしたように進む。明治五十年を真ん中として後先十年の間が岩戸開きの正念場である。明治五十五年の三月三日、五月五日は誠に結構な日である、それまではこの大本の中は辛い。
明治四十二年になったら変性女子がぼつぼつ因縁の身魂を大本へ引き寄せて神の仕組を始める。腹の底に誠意がないと欲に迷って大きな取違を致すから今のうちに胸に手を当てて考えて見るがよい。
明治三十七年旧八月十日
天も地も世界中一つに丸め、枡掛けひいたごとく誰ひとり底辺には落とさぬ。種をまき苗が立ったら出て行く。刈り込みになったら手柄をさせて元へ戻す。元の種を吟味致すのは今度のことである。種がよければどんな事もできる。