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第二二章 比丘(びく)〔一四三〇〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第55巻 真善美愛 午の巻 篇:第4篇 法念舞詩 よみ(新仮名遣い):ほうねんぶし
章:第22章 比丘 よみ(新仮名遣い):びく 通し章番号:1430
口述日:1923(大正12)年03月05日(旧01月18日) 口述場所:竜宮館 筆録者:外山豊二 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年3月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
左守は、万公たち六人の応接をトマスに命じて、いそいそとして刹帝利の居間に伺った。左守は、万公が病気の原因とダイヤ姫の行方を知らせにやってきて、その霊力で刹帝利の病気も快方に向かったことを報告した。
そして自分の落とし子モンテスと、刹帝利の落とし子玉手姫が夫婦となって、一緒にやってきていることを告げた。ビクトリヤ王の希望により、王妃ヒルナ姫は、万公一行を刹帝利の居間に迎えた。
ビクトリヤ王は、お民となった玉手姫と親子対面し、涙にくれていた。そこへタルマン、ハルナ、エクスがやってきて、四人の修験者がダイヤ姫を送ってきたことを奏上した。
ダイヤ姫は、父王の病気平癒のために照国山の清滝に祈願を凝らしに行ったところ、ベルツとシエールに出くわして悩められ、そこにやってきた四人の修験者たちに救われたことを報告した。
刹帝利は娘を救ってくれた四人に礼を述べ、しばらく休息するように勧めた。治道居士は、自分は元バラモン軍将軍の鬼春別であると刹帝利に申し出て、他の三人も久米彦、スパール、エミシであることを明かした。
そして自分たちが治国別の教導によって改心した物語の一部始終を語って聞かせた。刹帝利をはじめビクトリヤ城の一同はあっとばかりに驚き、しばし言葉も出なかった。
刹帝利は二人の娘たちとの巡り合いにうれし涙をうかべ、三五教の大神に感謝の祈願を奏上した。左守も生き別れの息子との嬉しさに、刹帝利に倣った。ハルナはモンテスと兄弟の名乗りを上げ、ダイヤ姫も玉手姫と姉妹の面会を喜んだ。
治道、道貫、素道、求道の四人の修験者は、刹帝利の依頼によって玉の宮の守護役になった。頭を丸めて三五教を四方に宣伝し、各地に巡錫して衆生済度に一生を捧げることになった。
後世、頭髪を丸め衣を着て宣伝する聖者を比丘と称えることになったのは、ビク国の玉の宮の守護者たちがその始まりである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-06-03 17:40:57 OBC :rm5522
愛善世界社版:281頁 八幡書店版:第10輯 136頁 修補版: 校定版:296頁 普及版:122頁 初版: ページ備考:
001 左守司(さもりのかみ)のキユービツトは(ろく)(にん)(きやく)をトマスに(めい)叮嚀(ていねい)応接(おうせつ)させ()(なが)ら、002欣々(いそいそ)として刹帝利(せつていり)居間(ゐま)伺候(しこう)した。003刹帝利(せつていり)はソォファの(うへ)(よこ)たはりヒルナ(ひめ)介抱(かいほう)され(なが)ら、004(やや)快方(くわいはう)(むか)つたので顔色(かほいろ)(にはか)によくなり、005ニコニコとして()る。006左守(さもり)両手(りやうて)(つか)へ、
007左守刹帝利(せつていり)(さま)008気分(きぶん)がよくなられましたさうで(ござ)いますなア、009左守(さもり)尊顔(そんがん)(はい)(なん)となく気分(きぶん)浮々(うきうき)(いた)して()ました。010何卒(どうぞ)(この)()()養生(やうじやう)肝腎(かんじん)(ござ)いますから()注意(ちゆうい)(くだ)さいませ』
011刹帝利(せつていり)窓外(さうぐわい)庭園(ていゑん)樹木(じゆもく)(かぜ)()られて自然(しぜん)のダンスをやつてゐる。012(すず)しい(なつ)(かぜ)自然(しぜん)音楽(おんがく)(かな)で、013()(こころ)(なぐさ)めてくれる。014(じつ)(やまひ)()(くる)しいもので、015(この)天然(てんねん)恩恵(おんけい)()まで愉快(ゆくわい)(おも)はなかつたが、016(この)(とほ)気分(きぶん)がよくなると(また)格別(かくべつ)にすべての(もの)面白(おもしろ)くなつて()たやうだ』
017左守(さもり)左様(さやう)(ござ)います。018庭木(にはき)(かぜ)(あた)つて自然(しぜん)音楽(おんがく)(そう)する(さま)は、019(まる)でクラブィコードの音色(ねいろ)(やう)(ござ)います。020オルレグレットな気分(きぶん)(ただよ)ひますなア』
021刹帝利(せつていり)左守(さもり)022(なに)(めづ)らしき(はなし)()かして()れないか』
023左守(さもり)『ハイ、024(べつ)(めづ)らしい()(はなし)(ござ)いませぬが、025(ひめ)(さま)(こと)()心配(しんぱい)なさいますな。026屹度(きつと)(かみ)(さま)()(かげ)()ならず()(かへ)(あそ)ばすさうで(ござ)います。027貴方(あなた)()病気(びやうき)がオルレグレットに(おもむ)いたのも(まつた)三五教(あななひけう)宣伝使(せんでんし)万公別(まんこうわけ)さまの()骨折(ほねをり)(ござ)います。028万公別(まんこうわけ)(さま)がわざわざ(わが)(きみ)(おん)(なや)みを()(あん)(あそ)ばしてエンゼルさまの命令(めいれい)だと()つて()(くだ)さいました。029(その)時刻(じこく)から()病気(びやうき)軽快(けいくわい)(むか)つたので(ござ)います』
030刹帝(せつてい)(なに)031三五教(あななひけう)万公別(まんこうわけ)(さま)()(くだ)さつたと()ふのか。032()して(ひめ)()ならず無事(ぶじ)(かへ)ると(まを)されたか』
033左守(さもり)『ハイ、034あの宣伝使(せんでんし)()言葉(ことば)には(すこ)しも間違(まちが)ひは(ござ)いませぬから、035()安心(あんしん)(くだ)さいませ。036(いま)(わたくし)居間(ゐま)()休息(きうそく)(ねが)つて()ります。037()して刹帝利(せつていり)(さま)(めづ)らしい()(はなし)申上(まをしあ)げたいのは、038(ほか)では(ござ)いませぬ。039(はづ)かし(なが)(いま)より二十五(にじふご)(ねん)以前(いぜん)下女(げぢよ)(はら)ませ、040(をとこ)()()(おと)しモンテスと()をつけて首陀(しゆだ)(いへ)へやつて()きました。041(その)(せがれ)立派(りつぱ)奥方(おくがた)()れて只今(ただいま)万公別(まんこうわけ)宣伝使(せんでんし)(とも)城内(じやうない)(まゐ)り、042親子(おやこ)対面(たいめん)(いた)し、043(ちから)一杯(いつぱい)(うれ)()きに()いて()(ところ)(ござ)います。044イヤもう(らち)もない(こと)(いた)しまして()(はづ)かしう(ござ)ります』
045刹帝(せつてい)『それは結構(けつこう)だつた。046(さだ)めてモンテスも(よろこ)んだであらうなア。047()(まへ)(さぞ)(うれ)しかつただらう。048アアそれに()いても(おも)()すのは、049チヌの(さと)里子(さとご)にやつた(ひめ)()うなつたであらう。050()無事(ぶじ)(この)()()きて()るであらうか。051(とし)()るにつけて()(よわ)つたと()え、052民間(みんかん)(あた)へて(えん)()つた子供(こども)(こと)までが(おも)()され、053せめて(いき)ある(うち)一度(いちど)(なん)とかして()ひたいものだが、054(ほのか)()けば養家(やうか)両親(りやうしん)(はや)くも()()り、055(むすめ)行方(ゆくへ)()れぬといふ(こと)だ。056(さだ)めて難儀(なんぎ)をして()るであらう』
057憮然(ぶぜん)として首垂(うなだ)れる。058左守(さもり)(なみだ)(なが)(なが)ら、
059左守(さもり)(わが)君様(きみさま)060(ひめ)(さま)がモシヤ(この)()()無事(ぶじ)()られましたならば、061貴方(あなた)(こころよ)()()ひなさいますか』
062刹帝(せつてい)久離(きうり)()つても親子(おやこ)だ。063どうかして一度(いちど)(むすめ)()ひたいものだ。064()うて(むすめ)(わび)をせねばなるまい。065アア可哀(かあい)(さう)(こと)をしたものだ』
066ヒルナ『左守殿(さもりどの)067万公別(まんこうわけ)宣伝使(せんでんし)(さま)()(たづ)(いた)したら(ひめ)(さま)所在(ありか)(わか)りはせよまいかな。068(ひと)(ねが)つて(もら)ひたいものだな。069(わが)君様(きみさま)大変(たいへん)(ひめ)(さま)(あこ)がれてゐられますから、070どうか(ひと)(ねが)つて()(くだ)さいなア』
071左守(さもり)(じつ)(ところ)(おそ)(おほ)(こと)(ござ)りまするが、072(わたくし)(せがれ)モンテスの(つま)となり、073立派(りつぱ)服装(こしらへ)をして夫婦(ふうふ)(なか)よく(たま)(みや)()参拝(さんぱい)になり、074宣伝使(せんでんし)(とも)(いま)(わたくし)居間(ゐま)(やす)んでゐられます』
075刹帝(せつてい)『ナニ、076(ひめ)城内(じやうない)()()るといふのか。077そして()(まへ)(せがれ)夫婦(ふうふ)になつて()るのか。078()れは結構(けつこう)々々(けつこう)079これも(なに)かの因縁(いんねん)だ。080(いち)()(はや)(ひめ)()ひたいものだ』
081左守(さもり)()差支(さしつかへ)さへなくば直様(すぐさま)()(とも)をして(まゐ)りませう』
082ヒルナ『(わが)君様(きみさま)083(わたし)()(むか)へして()ますから、084寸時(しばらく)()()(くだ)さいませ。085サー左守殿(さもりどの)(まゐ)りませう』
086とヒルナ(ひめ)欣々(いそいそ)として刹帝利(せつていり)(ゆる)しを()け、087(ろく)(にん)客室(きやくま)(すす)()く。088万公別(まんこうわけ)一生(いつしやう)懸命(けんめい)刹帝利(せつていり)病気(びやうき)平癒(へいゆ)とダイヤ(ひめ)無事(ぶじ)帰城(きじやう)せむ(こと)()(にん)男女(だんぢよ)(とも)(いの)つてゐる真最中(まつさいちう)であつた。089ヒルナ(ひめ)(ふすま)(そと)()つて左守(さもり)(とも)祈願(きぐわん)()(まで)()つて()た。090ヒルナは(をり)見計(みはか)らひ、091サツと(ふすま)()()け、092叮嚀(ていねい)両手(りやうて)をついて、
093ヒルナ『三五教(あななひけう)宣伝使(せんでんし)(さま)094よくまあ(わが)(きみ)()病気(びやうき)()(たす)(くだ)さいました。095有難(ありがた)(ござ)います。096(つい)てはお(たみ)(かた)刹帝利(せつていり)(さま)一度(いちど)面会(めんくわい)がしたいと(おほ)せられますから、097何卒(どうぞ)(みな)さま()一緒(いつしよ)()居間(ゐま)まで()(くだ)さいませぬか』
098万公(まんこう)『ア、099貴方(あなた)はヒルナ(ひめ)(さま)100()()()無事(ぶじ)()目出度(めでた)(ぞん)じます。101イヤもう(いか)()世話(せわ)(あづか)つて()ります。102サ、103(みな)さま、104(ひめ)(さま)()(あと)から(まゐ)りませう』
105一同(いちどう)(うなが)しぞろぞろと(ろく)(にん)左守(さもり)106ヒルナの(あと)(したが)つて、107(わう)居間(ゐま)(すす)()つた。
108万公(まんこう)刹帝利(せつていり)(さま)109今春(こんしゆん)()(きみ)(とも)(なが)らく()世話(せわ)(あづか)りました。110(わたし)玉置村(たまきむら)里庄(りしやう)養子(やうし)となり、111女房(にようばう)()()れて(たま)(みや)参拝(さんぱい)をいたしました(ところ)112隆靖彦(たかやすひこ)113隆光彦(たかてるひこ)のエンゼルが(たちま)()降臨(かうりん)(あそ)ばし、114刹帝利(せつていり)()病気(びやうき)原因(げんいん)(ひめ)(さま)のお行衛(ゆくゑ)()()らせ(くだ)さいましたので、115一寸(ちよつと)()訪問(はうもん)(いた)しました』
116刹帝利(せつていり)『エライ()厄介(やくかい)(あづか)りまして有難(ありがた)(ござ)ります』
117万公(まんこう)(この)(かた)(わう)(さま)()落胤(らくいん)チヌの(むら)のお(たみ)さまで(ござ)います。118新婚(しんこん)旅行(りよかう)()(たま)(みや)()参拝(さんぱい)になつたので(ござ)います』
119刹帝(せつてい)『アー其方(そなた)(ひめ)であつたか。120ようまあ無事(ぶじ)でゐてくれた。121折角(せつかく)城内(じやうない)(うま)(なが)首陀(しゆだ)(うち)(おと)したのは、122(わし)(わる)かつた。123何卒(どうぞ)(ゆる)してくれ。124(まへ)玉手姫(たまてひめ)()うたであらうがな』
125(たみ)『ハイ、126玉手姫(たまてひめ)(ござ)います。127(とう)さま、128()無事(ぶじ)()目出度(めでた)(ござ)います。129()()(ござ)いました』
130両眼(りやうがん)よりハラハラと落涙(らくるい)してゐる。131刹帝利(せつていり)()(おこ)し、132玉手姫(たまてひめ)()()つて(うれ)(なみだ)()れ、133(しば)無言(むごん)(まま)134(たがひ)(だき)ついて(すす)()いてゐた。135()かる(ところ)(あわ)ただしく(たま)(みや)拝礼(はいれい)()へて(かへ)つて()たタルマン、136エクス、137ハルナの(さん)(にん)()(きた)り、138両手(りやうて)をつき(なが)ら、
139タルマン『刹帝利(せつていり)(さま)申上(まをしあ)げます。140ダイヤ(ひめ)(さま)修験者(しうげんじや)(おく)られて、141只今(ただいま)無事(ぶじ)()(かへ)りになりました。142()目出度(めでた)(ござ)います』
143刹帝(せつてい)『アー(うれ)しい(こと)(かさ)なれば(かさ)なるものだ。144(はや)くダイヤと修験者(しうげんじや)此処(ここ)()案内(あんない)(まを)しや』
145 タルマンは(ただ)一人(ひとり)『ハイ』と(こた)へて(この)()立去(たちさ)り、146(しばら)くあつてダイヤ(ひめ)147修験者(しうげんじや)()(にん)(ともな)ひ、148欣々(いそいそ)として()(きた)り、
149タルマン『(わが)君様(きみさま)150ダイヤ(ひめ)(さま)()(かへ)りで(ござ)います』
151刹帝(せつてい)『ヤ、152其方(そなた)はダイヤ(ひめ)153ようまあ無事(ぶじ)(かへ)つてくれた。154(まへ)一体(いつたい)何処(どこ)()つて()たのだ』
155ダイヤ『ハイ、156父上(ちちうへ)()病気(びやうき)()全快(ぜんくわい)祈願(きぐわん)せむと、157()(なれ)照国山(てるくにやま)清滝(きよたき)水垢離(みづごり)をとり()りまする(ところ)へ、158(さき)右守司(うもりのかみ)のベルツ(およ)びシエールの両人(りやうにん)(あら)はれ(きた)無体(むたい)(こと)(まを)し、159(つひ)には双方(さうはう)より(わたし)(ころ)さうといたしましたので、160(かし)()(たて)にとつて(ふせ)(たたか)(をり)しも、161山彦(やまびこ)(おどろ)かして(きこ)()法螺(ほら)(こゑ)追々(おひおひ)(ちか)づくと()ると(とも)()(にん)修験者(しうげんじや)(あら)はれて、162(わたし)危難(きなん)()(すく)(くだ)され、163此処(ここ)(まで)(おく)つて()(くだ)さいました。164何卒(どうぞ)()(れい)(まを)して(くだ)さいませ』
165刹帝(せつてい)(いづ)れの修験者(しうげんじや)(ぞん)じませぬが、166よくまあ(むすめ)(たす)けて(くだ)さいました。167サア、168何卒(どうぞ)御緩(ごゆつく)りと()休息(きうそく)(くだ)さいませ』
169治道(ちだう)拙者(せつしや)()見忘(みわす)れになつたか()りませぬが、170(もと)はバラモン(けう)のゼネラル鬼春別(おにはるわけ)(ござ)います。171(この)(さん)(にん)久米彦(くめひこ)172スパール、173エミシで(ござ)いますが、174治国別(はるくにわけ)(さま)御教(みをしへ)(うけたまは)り、175菩提心(ぼだいしん)(おこ)修験者(しうげんじや)となり、176(わたし)治道(ちだう)居士(こじ)177久米彦(くめひこ)道貫(だうくわん)居士(こじ)178スパールは素道(そだう)居士(こじ)179エミシは求道(きうだう)居士(こじ)()(あらた)め、180照国山(てるくにやま)(きよ)めの(たき)修業(しうぎやう)(まゐ)らむと法螺貝(ほらがひ)()()らし、181(のぼ)りて()れば(ひめ)(さま)()遭難(さうなん)182直様(すぐさま)悪者(わるもの)追散(おひち)らし、183此処(ここ)(まで)(おく)つて(まゐ)りました』
184一伍(いちぶ)一什(しじふ)物語(ものがたり)に、185刹帝利(せつていり)(はじ)一同(いちどう)はアツと(ばか)りに(おどろ)き、186(たがひ)(かほ)見合(みあは)せて少時(しばし)言葉(ことば)()なかつた。187刹帝利(せつていり)(ほとん)会見(くわいけん)絶望(ぜつばう)(あきら)()たりし二人(ふたり)(ひめ)(めぐ)()ひ、188(うれ)(なみだ)(うか)(なが)ら、189両手(りやうて)(あは)せて、190三五教(あななひけう)大神(おほかみ)感謝(かんしや)祈願(きぐわん)奏上(そうじやう)(はじ)めた。191左守(さもり)(かみ)(わが)()()ひし(うれ)しさに、192(おな)じく合掌(がつしやう)感謝(かんしや)()(たてまつ)つてゐる。193ハルナは(おも)ひも()らぬ(あに)のモンテスに()つて兄弟(きやうだい)名乗(なの)りを()(よろこ)(いさ)む。194玉手姫(たまてひめ)(ちち)()ひ、195(また)(いもうと)のダイヤ(ひめ)(おも)はず面会(めんくわい)して歓喜(くわんき)(なみだ)(むせ)んでゐる。
196 (さて)治道(ちだう)197道貫(だうくわん)198素道(そだう)199求道(きうだう)()(にん)修験者(しうげんじや)刹帝利(せつていり)依頼(いらい)()つて(たま)(みや)守護役(しゆごやく)となり、200(あたま)(まる)めて三五(あななひ)(をしへ)四方(よも)宣伝(せんでん)し、201(かは)(がは)各地(かくち)巡錫(じゆんしやく)して衆生(しうじやう)済度(さいど)一生(いつしやう)(ささげ)たり。202頭髪(とうはつ)()(おと)(をしへ)宣伝(せんでん)(まは)つたのは、203(この)()(にん)嚆矢(こうし)である。204(さう)してビクの(くに)(たま)(みや)から(はじ)まつたのだから、205後世(こうせい)(あたま)(まる)(ころも)()宣伝(せんでん)する聖者(せいじや)比丘(びく)()づくる(こと)となつたのである。206ああ惟神(かむながら)(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)
207大正一二・三・五 旧一・一八 於竜宮館 外山豊二録)
208(昭和一〇・六・一三 王仁校正)
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