生まれたばかりの、世間といっさい没交渉な愛児のためにつくすということは、相手はなにも知らず平気の平三でも、つくすほうは心もちがよい。
人の知らぬ間に人のためにしたこと、世間一般の人類がなにも知らぬ間に、世間人類のためにつくしたことはとても気持ちがよい。心中するところまで惚れたなら、さだめでこころよいことであろう。親を無上と思い、恩師を最上と考え、恋女を至上と想い、女は恋男を無上と考えて、それに終始することのできるものは、よかれあしかれ議論はぬきとして、人間としての幸福である。一歩すすんで、神を至上無二の本体として信仰しうるなれば、天下にこれくらい至上至高の幸福はないのである。世間から見て馬鹿で、愚鈍で、しかも大々々馬鹿者で、信ずるだけしか能のない人間くらい幸福なものはない。
わずかの差異をさぐりだして、いかにも天下の真理でも発見したごとく、理性に勝つ人ほど天下に不幸なものはない。そういう人の心の底には、かならず淋しい淋しいあるものが潜んでいる。患者がこの世に幸福なのか、賢者が幸福か、賢愚の別はなににあるのか。自分の心にたずねてみて、それに満足のできるものが世界第一の幸福者であると思う。
(徒然のままに、『東北日記』二の巻 昭和3年8月5日)