自分は自分のために生まれ、自分自身のために存在するのだ。報恩感謝などとはもってのほかだと、いばったことをいうものが多くなってきたようだが、これらはじつに幼稚な思想であって、すこしく考えてみればすぐにわかることである。
吾人の今日ここに存在しうるのは、神さまと祖先の賜である。また日本の存在するのも日本の祖先の神々の賜である。日本神道はすべて祖先崇拝の教えであるが、これはいかなる知識階級でも枉げることのできぬ真理をふくんでいる。謝恩の念があってはじめて犠牲心がおこり、没我心がおこるのだ。動物でさえも恩をしるではないか。西洋の社会学者でさえ犠牲と没我心、この二つがなければ社会は進化しないといっている。自分を犠牲にすること、自己を没却すること、この二つのものは神道の教義の教うるところであって、親が子を愛し子が親に孝をつくすのは、人間自然惟神の慣性であり、常道である。
(無題、「神の国」昭和3年11月)