余が十七歳のときであつた。父は農業のかたわら醤油の小売りをいとなんで生計の補助としていた。
毎月末に掛け取りに行く。時としては余をして掛け金徴収に行くことを命じた。ある家に、わずか五十銭の売り掛け代金を受け取りに行つた。そのとき、家の主人はていねいに、今日おはらいすべきであるが、少しつごうが悪いから五、六日待つてもらいたいと断わつた。そこで余は五、六日へて、またその家に掛け金取りに行つた。そうすると、小さい二室造りの奥の間に主人の声が聞こえている。その家の妻は、ふすまをそつと細目に開いて、なにか小声でささやいた。主人の声として、
「今日は留守だといつて帰つてもらえ」といつている。そこで妻女は、「主人は留守だから後日来てくれ」と、おずおずしていう。余は少々あやしみながら、
「御主人の声が聞こえているじやありませんか」と反問した。妻女は妙な顔をして、ふたたび主人の居間にはいつて余の言をつたえた。主人は大喝一声、
「肝心の主人が、主人は留守だといつているじやないか。これほどたしかなことがあるか」と。余は金融のつごうがわるいなと思つて、「よろしく頼みます」といつてそのまま帰宅した。それから三日目の夕方、その家の主人が自分で出てきて、
「先日は失礼しました。金がなくて会わす顔がないので留守をつかいました。今日金が手にはいりましたから、おはらいやら謝罪に参りました」と。
人の性は善である。時によつてうそもつかねばならぬ人生だと、余はそのときに感じたのである。
(誠から出た嘘、「瑞祥新聞」昭和9年12月1日)