神道では、「祓ひ玉へ清め玉へ」というが、声というのは心の柄で、心の思うているところをだす。杓でも柄がなければ使えない。心の言霊をつづめると「こ」となる。
魂の発動によってむちゃくちゃなことをやる。その悪行為を「祓ひ玉へ」といって、心の進むままにやったことを祓いおとすのだ。「玉へ」という言霊は大本の「神言」にも使ってあるが、「……玉へ」というような昔の祝詞の言葉とは違う。大本のは「玉の柄祓へ、玉の柄清め」ということであるが、「玉へ」を先に言っては語呂が悪いから、やむをえずああ言っているのだ。玉というのは人の魂の約言である。自分の知らず識らずの間に行なったことが悪いと気がついたら、そいつをすぐに祓ったらよいのだ。掛け取りでも払うたらもうこないものだ。つまらぬ家につまっておるのは掛け取りさんだ。
何事もはじめはだれもみな悪いと思ってやるものはない。みな良いと思ってやるのだから。泥棒でも三分の理窟があるといって、なんでも理窟をつけりゃつくものだ。
(「神の国」大正15年5月)