皇道大本の四大主義の一つに進展主義というのがあるが、この進展主義は何事にかかわらず、着手した場合は一歩も半歩も後へはしりぞかぬ、ただ前進あるのみである。吾人は入教以後三十余年間、進展主義で一貫してきたのである。漢聖の教えのごとく、三歩進めば一歩しりぞいて考えよというような退嬰主義をとることは、皇道の一大禁物である。
ゆえに私は旅行するときでも、いつたん家の敷居を越した以上は、なにほど必要な大切な品を忘れたことに気がついても、けつして一足たりとも、後へもどつて持つていくということはしないのである。
たとえば、原稿を書いても、けつして後で筆を入れたり書き改めたりしない。また一字も直さないという主義である。ゆえに私の原稿にかぎつて、訂正の箇所はこしらえてないのである。文章が少々拙劣でも卑近でも、いつたん筆に出したものを没にするのは進展主義の神則にもとり、時間の損害となるのを惜しむからである。光陰は矢のごとく、一度去りてはふたたび帰らず、一日ふたたび晨なり難しということがあるから、たとえ一秒時間といえども、無益につかつては天地の神へ申しわけないからである。
こうして時々刻々を貴重に働いてゆけば、いかなる遠路といえども少しの疲労もなく、天地の運行循環とともに並行して、比較的容易に大事業を遂行しうるものである。かくして油断なく活動するときは、世間の人が十年の日子を要して成功することも、一年または二年の短日月にて成功することができるのである。なにほど急速力で事業を進めても、中途にやすみ後もどりしては、なんにもならないのである。
(「瑞祥新聞」昭和9年10月1日)