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天を恐れよ、神を畏れよ

インフォメーション
題名:天を恐れよ、神を畏れよ 著者:出口王仁三郎
ページ:279 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195303c516
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『人類愛善新聞』昭和10年8月(原題「専ら天を畏れ其の啓示に心せよ」)
 孔子いわく、「君子に三つの畏れあり、天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る」と。また賢王ソロモンいわく、「エボハを恐るるは智の本なり」と。
 かくのごとく古の聖賢は、民を導くに「天を恐れよ、神を畏れよ」と教えたものである。しかるに今日の政治家や教育者たちは、かえつて「天を恐ることなかれ、神を畏るべからず」と教えているように思われるのである。
 人がなによりも天を恐れ、神以外のなにものをも畏れなくなつたとき、はじめて理想の世界が地上に実現する。しかるに今日の学校教育は、なによりもまず試験を恐れさす教育ではないか。また今日の社会教育はどうか。あるいは権力を恐れしめ、あるいほ金力を恐れしめ、また法律の制裁、科学の威力を恐れしめる教育がほどこされているのではないか。
 権門の家庭では、その子女を養育するにあたつて、いかに権力が今の世に偉大であるかを知らしめようと努力する。富を求める者は、金力の強大性を力説し、法律家は法の制裁を恐れしめることによつて、地上天国が出現するかのごとく教え、科学者はなによりも科学の力の恐るべきを強調する。
 もし、孔子の言葉を正しとするならば、今の世の政治は明らかに君子の道にそむける政治であり、またソロモンの言葉を賢しとするならば、今日の教育家たちは、すべて智をえざる徒であるといわれてもしかたなきしだいである。
 智者とは、日を知る者の意である。日は熱と光の源泉であり、万有生命の原動である。はたして今日の科学者に「生命の根本」を明らかにせるものが一人でもあるか。すなわち日を知れる智者なるものが、はたしていくばくあるか。
 ここに今日の科学がいま一段進歩したならば、間もなく明らかにするであろう程度の、人間と自然界の関係を述べておこうと思う。
 人の心が平和と喜びと慈しみに充ちているとき、すなわち愛善の精神に満たされているときには、その五体から明紫の霊光を放射するものである。この明紫の霊光につつまれると、人間はもちろん、動物、植物にいたるまで、その精神的物質的生長力が旺盛になつてくるのである。ゆえに子女を養育するに際してはもちろんであるが、動物を飼育し植物を栽培するにあたつても、つねに愛の心をもつてせなけれは、正しい結果をもたらすことはできないものである。
 今日、庭園なるものは、金力をほこり、権勢を示すためにつくられているようであるが、じつは庭園なるものは、その樹木草苔によつてその家人の徳性を表現するものなのである。ゆえにいかに金をかけ人力をつくしても、徳なき家の庭園は、観る人の目では、はなはだ貧弱にしか見られないものである。
 また人の心が乱れ、悲しみと憎悪に満ちているとき、すなわち愛悪の精神がみなぎつているときには、その五体から暗赤の色を放射するものである。これはつねに破壊性、殺害性の力を有するものであつて、そのために刺激をうけると、精神的にも物質的にも、生長力を阻害されるものである。人によつてなんとなく衣類器具などを汚し損する人がある。これも右のごとき破壊的色素の一つの働きである。
 しかしてかかる愛悪の霊的色素がだんだんと天地に充満してくると、その結果、肉体的には病を発生し、精神的には不安懊悩を誘発するにいたるものである。この悪気をはらい清める行事が禊祓である。しかして禊祓にもいろいろあつて、斎戒沐浴もその一種であり、神籬による祓戸、祝詞奏上、鎮魂などすべて禊祓の一方法である。しかしてもし人間が悔い改めと禊の業を修めずして、邪気いよいよ天地に充満しきたるときには、祓戸の神のご発動となつて、暴風豪雨などによつて邪気が清められるのである。神の恩寵もつとも豊かなるわが国において、とくにしかりである。ゆえにわが国においては、古来国難の当来する前においては、ことに自然界の変災が多いのであつて、これは神がとくに日本を愛したまう象徴なのである。
 余は、最近のわが国における天災地変について議論をすることを避けたい。科学万能主義者や、過去の聖賢の言葉を否定する説に同ずる人々を、一々論難してもしかたがない。だが余は、つまずく石にも神の警告を感得する謙虚敬虔な心を持つ人は幸いである、というものである。
 天の具象を見、地の変兆を知らされても、神を知らざる者の目は節穴同然、耳は木耳同様、まことに悲しむべき世相である。かかる世相をだれがまねいたのであろうか。余は過去の聖賢とともに「天を恐れよ、神を畏れよ」と、今の世に叫ぶものである。
(専ら天を畏れ其の啓示に心せよ、「人類愛善新聞」 昭和10年8月)
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