この世は涙の国である。苦しみの家である。悪魔の世の中である。夢の浮世である。今日栄えて明日は亡ぶる世の中である。しかし大神の御心にかない、誠の道を歩む者にはこの上もなき喜ばしき楽しき世界である。この世ぐらいけつこうなところはないのである。霊ばかりになつて神で暮らすよりも、肉体をもつて心を神にまかせ、誠を貫き、一日なりとも長く生きて、世のため道のためになることをのこすが、人と生まれし本分である。
肉体はかぎりあるものである。このかぎりある肉体の生命のあるうちに霊魂をみがきあげて、いつまでもかぎりなき霊の生命の国にいたる用意をなさねはならぬ。霊の国へ行くべき用意さえあれは、若くして死すとも惜しきことではなく、たとい百歳をこゆるも、高天原へ救わるべき道を知らず、またその信仰の力備わらざるものは、年老いて死するとも惜しきことである。用意なくして死するものほど憐れむべき者はない。それはとりかえしのつくときがないからである。ふたたび肉体をもつて生まるることがたく、またその霊が現世に生まれきたるものでもないからである。
明日をも測りしれぬ肉体を保てる者よ、肉体のあるうちに早く用意をせよ。口あるうちに神を讃え、足ある間に早く行ないを改め、善の道に移れ。
(現世にあるうちに神を讃え霊魂を研け、「瑞祥新聞」昭和6年5月1日)