余は数十年にわたつて、一年三度の米の収穫をほかり、成功をおさめている。つぎに荒蕪地に愛善陸稲の栽培を奨励し、おおいにその功績をあげているのだ。そして今日の農家にたいし、堆肥の実施をすすむるのだ。
漁村もまた農村と同様に、海に向かつて肥料をほどこす必要がある。海の肥料とは、海底に岩石を割つていたる所に投入するのだ。石を海に投入すれば、深さ三十尋(54.54メートル)ぐらいまでは昆布が発生する。そしてその昆布を餌にせむとして鮑が生く。また種々の魚族が集まりきたつて産卵する。小魚が、石に生いた藻のなかにしのんでいる虫を食わんとして棲息するようになり、自然に豊漁になり、漁村の収入が増加するようになるのだ。また三十尋以上の深い海には、ひじきのごとき食料品が発生する。ともかくも海底に石の肥料をほどこせは、数年の後を待たず漁村は蘇生することうけあいである。
(農漁村の蘇生法、「神聖」昭和10年1月)