怒ったり怖れたりすると、人間の体内に毒素がでるものである。その毒素の香いを嗅ぐと敵愾心になってくる。犬の嗅覚はとくに敏感だから、すぐそれを知ってほえついてくる。泥棒などを犬が知るのはこの理由によるのである。だれにでも多少感じてはいるのだけれど、明瞭に感じると感じないとの差がある。いかなる猛犬に遇っても、獅子、虎のごとき猛獣にたいしても平気でいたらよい。愛の心をもって、いっしょに眠るような気になればけっして害をしないものである。どんな動物でもそうである、いわんや人間においておやで、愛の心をもってさえおれば、だれでもが愛してくれる。
人間は、虎や熊に遇えば怖れるであろう。が、その下心には、あいつをうまく殺したら毛皮が何百円と……はや銭勘定をしている。その敵意がさっそく毒素となって感応してゆくから、牙をむいてとびかかろうとする。小鳥などを見ても、どうして捕ってやろうかと、すぐ人間というものは敵愾心をもつからいけない。敵意をもって事に処すれば万物みな敵になる。愛をもってむかえばみな味方となる。愛は絶対権威をもつものである。
(「神の国」昭和6年12月)