恋愛にしろ、職業にしろ、生活にしろ、永続性のないものだと見切りがついたら、すぐに引きあげるがよい。宗教だつて、浅薄だとか、不徹底だとか、迷妄だとか気がついたら、すぐに改信改宗するがよい。永久に信仰のできる活きた宗教であつたなら、世間の有象無象の批評なんか意に介せず、すみやかに入信しいつまでも持続することだ。
努力はつねに永続性を有し、生存はつねに継続される。ここに労働問題も、信仰問題も、解放運動も出発する。いかにすれば、われわれは永久に生きることができるかという問題のために、衛生だ、健康だ、宗教だ、教育だとか、食欲だとか、色情だとかいうものが存在抬頭するのだ。しかし春がくれば、枯れたような樹の幹や枝から新しい芽を出す。人間も生気がついてくる。それが夏に養われて、また冬がくると枯れ木のようになる。いくたびの曲折、それは自然の法則試練であつて、永遠の生命をますます堅固ならしむるのだ。
(無題、『東北日記』 四の巻 昭和3年9月3日)