社会の一般的傾向が、ようやく民衆的になりつつあるとともに、宗教的信仰もあながち寺院や教会に依頼せず、各自の精神にもつとも適合するところを求めて、その粗弱なる精霊の満足をはからんとするの趨勢となりつつある。宣伝使や僧侶の説くところを聴きつつ、おのれみずから神霊の世界を想像し、これを語りて、いわゆる自由宗教の殿堂を各自精神内に建設せんとする時代である。
既成宗教の経典になにごとが書いてあろうが、みずからみとめて合理的とし、詩的とするところを読み、世界のいずこかに真の宗教を見いださんものとしている。今日広く芸術趣味のひろまりつつあるのは、宗教趣味の薄らいだところをおぎなうようになつている。従前の宗教は政治的であり、専制的なりしにひきかえ、現今は芸術的であり、民衆的となつてきたのも、天運循環の神律によつて、仁慈無限の前程といつてもよいのである。
(自由宗教を求むる近代人の傾向、「瑞祥新聞」 大正14年5月12日)