霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
目 次設 定
設定
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
話者名の追加表示 [?]セリフの前に話者名が記していない場合、誰がしゃべっているセリフなのか分からなくなってしまう場合があります。底本にはありませんが、話者名を追加して表示します。[×閉じる]
表示できる章
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
フォント

ルビの表示



アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注 [?][※]や[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。まだ少ししか付いていませんが、目障りな場合は「表示しない」設定に変えて下さい。ただし[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]


文字の色
背景の色
ルビの色
傍点の色 [?]底本で傍点(圏点)が付いている文字は、『霊界物語ネット』では太字で表示されますが、その色を変えます。[×閉じる]
外字1の色 [?]この設定は現在使われておりません。[×閉じる]
外字2の色 [?]文字がフォントに存在せず、画像を使っている場合がありますが、その画像の周囲の色を変えます。[×閉じる]

  

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。


【新着情報】10月30~31日に旧サイトから新サイトへの移行作業を行う予定です。実験用サイトサブスク
マーキングパネル
設定パネルで「全てのアンカーを表示」させてアンカーをクリックして下さい。

【引数の設定例】 &mky=a010-a021a034  アンカー010から021と、034を、イエローでマーキング。

          

第一章 (しん)()〔一三三七〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第52巻 真善美愛 卯の巻 篇:第1篇 鶴首専念 よみ(新仮名遣い):かくしゅせんねん
章:第1章 真と偽 よみ(新仮名遣い):しんとぎ 通し章番号:1337
口述日:1923(大正12)年01月29日(旧12月13日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年1月28日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
人間の内底に潜在する霊魂を、本守護神または正副守護神という。本守護神は、神の神格の内流を直接に受けた精霊のことである。正守護神とは、内底神の善に向かい、真に対し、外部は自愛および世間愛に対し、これらの間をよく按配調和して広く人類愛におよぶ精霊のことである。
副守護神とは、その内底神に背き、ただ物質的・肉体に関する欲望のみに向かって蠢動する精霊である。優勝劣敗、弱肉強食、生存競争をもって最大の真理となす。
しかし人間の霊魂は、神典によれば荒魂、和魂、奇魂、幸魂の四性に区分されている。それぞれ勇・親・愛・智に対応し、この勇親愛智を完全に活躍させるものは、神の真愛と真智である。
幸魂の愛は人類愛であり、自愛や世間愛の中にも普遍的な愛として住している。神の愛は万物発生の根源力であって、また人生における最大の活気力となるものである。この神愛は大神と天人とを和合せしめ、また天人各自の間をも親和せしむる神力である。
このような最高なる神愛は、あらゆる人間の真の生命をなす実在である。この神愛があるゆえに、天人も人間も、その生命を保持することができるのである。
大神より出で来る御神格そのものを、神真(まこと)という。この神真は大神の信愛によって高天原に流れ入る神機である。神の愛と、これより来る神真とは、現実世界における太陽の熱と、その熱より出る光にたとえられるべきものである。神愛は太陽の熱、神真は太陽の光に相似している。火は神愛そのものを表し、光は神愛より来る神真を表している。
愛には二種類の区別があり、一つは神に対する愛であり、もう一つは隣人に対する愛である。第一天国には大神に対する愛があり、第二天国には隣人に対する愛がある。隣人愛とは仁である。愛と仁は、いずれも大神の神格より出てきて天国の全体を成就する。
大神より来る善そのものを愛することが、大神を愛し奉るということの意味である。また善を愛するということは、その善を志すことであり、また善を行うにあたっては愛によって為す、という意味である。
いかなる善行も、愛を離れていれば、それは地獄の善でありいわゆる悪である。天国の善は地獄の悪であり、地獄の善は天国の悪である。ゆえに天国の福音を人類に伝達しても、地獄界に籍を置く人間からは敵視され迫害を被る。
大神の愛に依る神人は、いかなる地獄界の迫害を受けてあるいは身肉を亡ぼされることがあろうとも、死後の生涯にてその人格は依然として聖きもの尊きものとして、天国において尊敬され愛されるものである。
次に、隣人を愛する仁は、たんに朋友知己を人格より見て愛する、ということではない。大神の聖言すなわち神諭から来るところの神真を愛することである。神真を愛するということは、その真を志し、真を行うことをいうのである。
この物語の主人公である初稚姫は、二種の愛、善と真の完全に具足した天人にして、いわば大神の化身でもあり分身でもあり、あるときは代表者としてその神格を肉体を通して発揮し給うがゆえに、よく善に処し真に居り、いかなる妖魅に対しても汚されることなく、己が天職を自由自在に発揮し得られるるのである。
これに反して高姫は、口には愛善と信真を言うけれども、その内底は神に向かって閉塞され、地獄に向かって開放されているゆえに、称える善はすべて偽善となるのである。あるときはほとんど善に近い行いをなし、真に相似せることを言うことはある。しかし内底が地獄に向かっているため、一定の善と信に居ることができない。
すべての人間には、各自の生命に属する霊的円相なるものがあり、この円相は人間各自の身体を囲んでいる。各人の情動的生涯(愛的生涯)、思索的生涯(信仰的生涯)の中から溢れ出るものである。
初稚姫は霊的円相ますます円満具足して、全身の周囲から五色の霊光が常住不断に発射されている。これに反して高姫は、虚偽と世間愛的悪に居るをもって、霊的円相はほとんど絶滅し、灰色の雲のような三角形の霊衣がわずかに肉身を囲んでいるに過ぎない。
高姫は自愛の心すなわち愛の悪が強いゆえにその面を神に背け、暗黒の中に呻吟しながら、かくの如き暗黒無明の世界を救うために雑多に身を変じてヘグレ武者となり、万民を助けなければならないと、兇霊の言に誤られて蠢動しているのである。
開闢の始めより、天界の光明は赫灼として輝き給ひ、数多の天人は各団体に住してその光輝ある生涯を送っているというのに。
神諭の言は、この現界を天国浄土の楽土となし、一人も地獄界に落とさないための大神の仁慈の大御心より出でた聖言であって、高姫のように、三界がすべて暗闇となってしまっている、という意味ではない。
現界において智慧証覚の劣った者、愛善の徳薄く、信真の光暗い者が、天人やエンゼルと相伍してついに聖き信仰に入り、高天原の景福を得るに至らしめるように、神は予言者にその精霊を充たして福音を述べさせ給うたのである。愛善・信真を一生涯深く心に植え付け、実践躬行することによって、罪悪に満ちた人間も天国に救われることができる聖場を、開かせ給うたのである。これを神界にては地の高天原と称えるのである。
初稚姫の御再誕なる大本開祖は、神命を奉じて地の高天原に降り、万民を救わんと焦慮し給う。それに引き替え、その肉身から生まれた者に正反対のものがあるのは、実に不可説の深遠微妙なる御神策のおわしますことである。
大本神諭に、吾が児につまらぬ御用がさして善悪の鏡が見せてあるぞよ云々とある。信者たるものは、この善悪両方面の実地を観察して、その信仰を誤らないようにしなくてはならないのである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-09-25 22:13:55 OBC :rm5201
愛善世界社版:11頁 八幡書店版:第9輯 383頁 修補版: 校定版:11頁 普及版:5頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]出口王仁三郎全集 > 第一巻 皇道編 > 第七篇 高天原 > 第十七章 真と偽
001 人間(にんげん)内底(ないてい)潜在(せんざい)せる霊魂(れいこん)を、002(ほん)守護神(しゆごじん)(また)正副(せいふく)守護神(しゆごじん)()ふ。003そして(ほん)守護神(しゆごじん)とは、004(かみ)神格(しんかく)内流(ないりう)直接(ちよくせつ)()けたる精霊(せいれい)(いひ)であり、005(せい)守護神(しゆごじん)とは一方(いつぱう)内底(ないてい)(かみ)(ぜん)(むか)ひ、006(しん)(たい)し、007外部(ぐわいぶ)自愛(じあい)(およ)世間愛(せけんあい)(たい)し、008(これ)をよく按配(あんばい)調和(てうわ)して(ひろ)人類愛(じんるゐあい)(およ)(ところ)精霊(せいれい)である。009(また)(ふく)守護神(しゆごじん)とは(その)内底(ないてい)(かみ)(そむ)き、010(ただ)物質(ぶつしつ)(てき)躯殻(くかく)(すなは)肉体(にくたい)(くわん)する欲望(よくばう)のみに(むか)つて蠢動(しゆんどう)する精霊(せいれい)である。011優勝(いうしよう)劣敗(れつぱい)012弱肉(じやくにく)強食(きやうしよく)(もつ)最大(さいだい)真理(しんり)となし、013人生(じんせい)()()からざる径路(けいろ)とし、014生存(せいぞん)競争(きやうそう)(もつ)唯一(ゆゐいつ)真理(しんり)看做(みな)精霊(せいれい)である。015(しか)して人間(にんげん)霊魂(れいこん)には、016(わが)神典(しんてん)(しめ)(ところ)()れば荒魂(あらみたま)017和魂(にぎみたま)018奇魂(くしみたま)019幸魂(さちみたま)四性(しせい)区分(くぶん)されてゐる。020四魂(しこん)解説(かいせつ)(すで)(すで)()べたれば(ここ)には省略(しやうりやく)する。021荒魂(あらみたま)(ゆう)022奇魂(くしみたま)()023幸魂(さちみたま)(あい)024和魂(にぎみたま)(しん)であり、025(しか)して(この)(ゆう)()(あい)(しん)完全(くわんぜん)活躍(くわつやく)せしむるものは(かみ)真愛(しんあい)真智(しんち)とである。026(いま)()べた幸魂(さちみたま)(あい)なるものは人類愛(じんるゐあい)にして、027自愛(じあい)(およ)世間愛(せけんあい)(とう)(ぢゆう)する普通愛(ふつうあい)である。028(かみ)(あい)万物(ばんぶつ)発生(はつせい)根源力(こんげんりよく)であつて、029(また)人生(じんせい)()ける最大(さいだい)深刻(しんこく)活気力(くわつきりよく)となるものである。030(この)神愛(しんあい)大神(おほかみ)天人(てんにん)とを和合(わがふ)せしめ、031(また)天人(てんにん)各自(かくじ)(あひだ)をも親和(しんわ)せしむる神力(しんりき)である。032(かく)(ごと)最高(さいかう)なる神愛(しんあい)は、033如何(いか)なる人間(にんげん)(その)(しん)生命(せいめい)をなせる(ところ)実在(じつざい)である。034(この)神愛(しんあい)あるが(ゆゑ)に、035天人(てんにん)人間(にんげん)(みな)()(その)生命(せいめい)保持(ほぢ)する(こと)()るのである。036(また)大神(おほかみ)より()(きた)(ところ)()神格(しんかく)そのものを神真(まこと)()ふ。037(この)神真(まこと)大神(おほかみ)神愛(しんあい)()つて、038高天原(たかあまはら)(なが)()(ところ)神機(しんき)である。039(かみ)(あい)(これ)より(きた)神真(まこと)とは、040現実(げんじつ)世界(せかい)()ける太陽(たいやう)(ねつ)(その)(ねつ)より()づる(ところ)(ひかり)とに(たと)ふべきものである。041(しか)して神愛(しんあい)なるものは太陽(たいやう)(ねつ)相似(さうじ)し、042神真(しんしん)太陽(たいやう)(ひかり)相似(さうじ)してゐる。043(また)()神愛(しんあい)そのものを(あらは)し、044(ひかり)神愛(しんあい)より(きた)神真(しんしん)(あら)はしてゐる。045大神(おほかみ)神愛(しんあい)より()(きた)神真(しんしん)とは、046(その)実性(じつせい)(おい)神善(しんぜん)神真(しんしん)(あひ)和合(わがふ)したものである。047(かく)(ごと)和合(わがふ)あるが(ゆゑ)に、048高天原(たかあまはら)()ける一切(いつさい)万物(ばんぶつ)(つう)じて生命(せいめい)あらしむるのである。
049 (あい)には二種(にしゆ)区別(くべつ)があつて、050(その)(ひとつ)(かみ)(たい)する(あい)であり、051(ひとつ)隣人(りんじん)(たい)する(あい)である。052(また)最高(さいかう)第一(だいいち)天国(てんごく)には大神(おほかみ)(たい)する(あい)あり、053第二(だいに)(すなは)中間(ちうかん)天国(てんごく)には隣人(りんじん)(たい)する(あい)がある。054隣人(りんじん)(たい)する(あい)とは(じん)そのものである。055(この)(あい)(じん)とは、056(いづ)れも大神(おほかみ)神格(しんかく)より()(きた)つて天国(てんごく)全体(ぜんたい)成就(じやうじゆ)するものである。057高天原(たかあまはら)()つて大神(おほかみ)(あい)(たてまつ)るといふ(こと)は、058人格(じんかく)(うへ)から()大神(おほかみ)(あい)するの(いひ)ではない、059大神(おほかみ)より(きた)(ところ)(ぜん)そのものを(あい)するの意義(いぎ)である。060(また)(ぜん)(あい)するといふ(こと)は、061(その)(ぜん)(こころざ)し、062(その)(ぜん)(おこな)ふや、063(みな)(あい)()つてなすの意味(いみ)である。064(ゆゑ)(あい)(はな)れたる(ぜん)は、065(けつ)して如何(いか)なる美事(びじ)(いへど)も、066善行(ぜんかう)(いへど)も、067(みな)地獄(ぢごく)(ぜん)にして所謂(いはゆる)(あく)である。068地獄界(ぢごくかい)(おい)(ぜん)となす(ところ)のものは、069高天原(たかあまはら)(おい)ては大抵(たいてい)(あく)となる。070高天原(たかあまはら)(おい)(あく)となす(ところ)のものは、071すべて地獄界(ぢごくかい)には(これ)(ぜん)とさるるのである。072それ(ゆゑ)(かみ)直接(ちよくせつ)内流(ないりう)によつて、073天国(てんごく)福音(ふくいん)現界(げんかい)人類(じんるゐ)伝達(でんたつ)するとも、074地獄界(ぢごくかい)(せき)をおける人間(にんげん)(こころ)には、075(もつと)()しく(えい)(かつ)(かん)ずるものである。076(ゆゑ)(いづ)れの()にも、077至善(しぜん)至愛(しあい)(をしへ)(つた)へ、078至真(ししん)至智(しち)(みち)(とな)ふる(もの)は、079(かなら)(これ)異端(いたん)邪説(じやせつ)となし、080(あるひ)敵視(てきし)され、081所在(あらゆる)迫害(はくがい)(かうむ)るものである。082(しか)(かく)(ごと)神人(しんじん)にして、083地獄界(ぢごくかい)如何(いか)なる迫害(はくがい)()け、084(あるひ)身肉(しんにく)(ほろ)ぼさるる(こと)ありとも、085(その)人格(じんかく)依然(いぜん)として死後(しご)生涯(しやうがい)()りし(とき)086(もつと)(きよ)きもの、087(たふと)きものとして、088天国(てんごく)尊敬(そんけい)され(かつ)(あい)さるるものである。089(つぎ)隣人(りんじん)(あい)する(じん)そのものは、090人格(じんかく)より()(その)朋友(ほういう)知己(ちき)(とう)(あい)するの(いひ)ではない。091(えう)するに大神(おほかみ)聖言(せいげん)(すなは)神諭(しんゆ)より(きた)(ところ)神真(しんしん)(あい)するの意義(いぎ)である。092(また)神真(しんしん)(あい)するといふ(こと)は、093(その)(しん)(こころざ)し、094(しん)(おこな)ふの意義(いぎ)である。095以上(いじやう)両種(りやうしゆ)(あい)(ぜん)(しん)との(ごと)くに分立(ぶんりつ)し、096(ぜん)(しん)との(ごと)くに和合(わがふ)する。
097 (この)物語(ものがたり)主人公(しゆじんこう)なる初稚姫(はつわかひめ)は、098(すなは)二種(にしゆ)(あい)099(ぜん)(しん)との完全(くわんぜん)具足(ぐそく)したる天人(てんにん)にして、100()はば大神(おほかみ)化身(けしん)でもあり(また)分身(ぶんしん)でもあり、101(ある)(とき)代表者(だいへうしや)として(その)神格(しんかく)肉体(にくたい)(とほ)して発揮(はつき)(たま)ふが(ゆゑ)に、102()(ぜん)(しよ)し、103(しん)()り、104如何(いか)なる妖魅(えうみ)出会(しゆつくわい)するとも、105(すこ)しも(けが)されず(おか)されずして、106(おの)天職(てんしよく)自由(じいう)自在(じざい)発揮(はつき)()らるるのである。107(これ)(はん)して高姫(たかひめ)(すべ)愛善(あいぜん)信真(しんしん)とを(くち)にすれども、108(その)内底(ないてい)(かみ)(むか)つて閉塞(へいそく)され、109地獄(ぢごく)(むか)つて開放(かいはう)されてゐるが(ゆゑ)に、110(その)(とな)ふる(ところ)(ぜん)(のこ)らず偽善(ぎぜん)である。111偽善(ぎぜん)とは表面(へうめん)より()て、112(すなは)(かみ)()らざる(ひと)()至善(しぜん)至徳(しとく)のものと()ゆる(こと)がある。113(また)至真(ししん)至誠(しせい)言語(げんご)()ゆるも、114それは(すべ)地獄界(ぢごくかい)(むか)つてゐる精霊(せいれい)(まよ)ひより(きた)るものなるが(ゆゑ)に、115一切(いつさい)虚偽(きよぎ)であり狂妄(きやうまう)である。116(たと)へば雪隠(せつちん)(むし)糞尿(ふんねう)(なか)至上(しじやう)天国(てんごく)となし、117楽園(らくゑん)となし、118(わが)肉体(にくたい)安住所(あんぢうしよ)とし、119(かつ)(この)(うへ)なき(きよ)きもの(うる)はしきものとなすが(ごと)く、120地獄界(ぢごくかい)(むか)つて内底(ないてい)(ひら)けたる(もの)は、121至醜(ししう)至穢(しゑ)なる泥濘(でいねい)塵芥(ぢんかい)(およ)(かばね)累々(るゐるゐ)たる(ところ)122臭気(しうき)紛々(ふんぷん)たる(ところ)(もつ)て、123(この)(うへ)なき結構(けつこう)(ところ)看做(みな)すものである。124(しか)しながら高姫(たかひめ)肉体(にくたい)としては、125矢張(やはり)(にく)()(もつ)善悪(ぜんあく)美醜(びしう)判別(はんべつ)する能力(のうりよく)()いでゐない。126それ(ゆゑ)(ある)(とき)(ほとん)(ぜん)(ちか)(おこな)ひをなし、127(また)(しん)相似(さうじ)せる言語(げんご)(もち)ふることがある。128けれども肝心(かんじん)内底(ないてい)地獄界(ぢごくかい)(むか)つてゐるのと、129外部(ぐわいぶ)より(きた)自愛心(じあいしん)肉体(にくたい)(てき)兇霊界(きようれいかい)襲来(しふらい)とによつて、130(つね)(その)良心(りやうしん)誑惑(きやうわく)さるるを(もつ)一定(いつてい)(ぜん)(しん)とに()(こと)出来(でき)ない。131(また)純然(じゆんぜん)たる(あく)()(こと)出来得(できえ)ないのである。132(しか)高姫(たかひめ)(ぜん)(しん)ずる(ところ)133(しん)(おも)(ところ)は、134以上(いじやう)()べた(ごと)く、135(みな)偽善(ぎぜん)なる(こと)()ふまでもない。
136 初稚姫(はつわかひめ)は、137(あい)より(きた)(ところ)大神(おほかみ)神格(しんかく)より帰来(きらい)する天人(てんにん)薫陶(くんたう)を、138(その)至粋(しすゐ)至純(しじゆん)なる霊性(れいせい)摂受(せつじゆ)してゐたのである。139(すべ)高天原(たかあまはら)成就(じやうじゆ)する(もの)は、140(いづ)れも(あい)(じん)とによらぬ(もの)はない。141(ゆゑ)初稚姫(はつわかひめ)人格(じんかく)そのものは所謂(いはゆる)高天原(たかあまはら)移写(いしや)であり、142大神(おほかみ)縮図(しゆくづ)である。143(ゆゑ)(その)(うる)はしき(こと)到底(たうてい)言語(げんご)(ぜつ)し、144形容(けいよう)()からざる(てい)のものである。145(その)面貌(めんばう)言語(げんご)乃至(ないし)一挙手(いつきよしゆ)一投足(いつとうそく)(うち)にも、146(ことごと)愛善(あいぜん)(とく)(あら)はし、147信真(しんしん)(ひかり)(げん)(たま)ふのである。148(ゆゑ)初稚姫(はつわかひめ)(ごと)地上(ちじやう)天人(てんにん)より(あふ)()づる円満(ゑんまん)具足(ぐそく)(さう)は、149(あい)そのものによつて(みた)されてあるが(ゆゑ)に、150何人(なんびと)(いへど)も、151(ひめ)(まへ)(きた)り、152(ひめ)(をしへ)()け、153(その)善言(ぜんげん)美詞(びし)(せつ)し、154(せき)(まじ)交際(かうさい)する(とき)は、155衷心(ちうしん)よりして自然(しぜん)(うご)かさるるに(いた)るのである。156されども(かな)しいかな、157高姫(たかひめ)普通(ふつう)人間(にんげん)(こと)なり、158天国(てんごく)159地獄(ぢごく)両界(りやうかい)(うち)介在(かいざい)する(ところ)中有界(ちううかい)()をおきながら、160(なほ)肉体(にくたい)(てき)精霊(せいれい)(すなは)兇党界(きようたうかい)161妖魅界(えうみかい)和合(わがふ)せるが(ため)に、162初稚姫(はつわかひめ)(まへ)()づる(とき)は、163(たちま)癲狂(てんきやう)となり痴呆(ちはう)となり、164(その)美貌(びばう)()(とき)は、165何処(どこ)ともなく(ただち)恐怖心(きようふしん)(おこ)し、166(かつ)嫉妬(しつと)し、167善言(ぜんげん)美詞(びし)(せつ)すれば、168(たちま)(かしら)(いた)み、169(むね)つかへ、170嫌忌(けんき)(じやう)(おこ)すに(いた)るを(もつ)て、171如何(いか)初稚姫(はつわかひめ)神力(しんりき)(つく)し、172(あい)(ぜん)(しん)(もつ)(これ)(たい)し、173あく(まで)和合(わがふ)せむとすれども、174(これ)(おそ)れて受入(うけい)れないのみならず、175(いん)(やう)排斥(はいせき)し、176(かつ)滅尽(めつじん)せしめむことを(のぞ)むのである。177(しか)して(ある)(とき)初稚姫(はつわかひめ)非常(ひじやう)尊敬(そんけい)する(とき)もあるのである。178(じつ)名状(めいじやう)()からざる不可思議(ふかしぎ)なる状態(じやうたい)()()いてゐるものといふべきである。
179 ()くの(ごと)時々(じじ)刻々(こくこく)(その)思想(しさう)感情(かんじやう)の、180(ひめ)(たい)してのみならず、181一般(いつぱん)(ひと)(たい)して変転(へんてん)するは、182()れが(みづか)(とな)ふるヘグレのヘグレのヘグレ武者(むしや)たる珍思(ちんし)怪想(くわいさう)遺憾(ゐかん)なく暴露(ばくろ)してゐるのである。183(しか)して高姫(たかひめ)はヘグレのヘグレのヘグレ武者(むしや)(もつ)唯一(ゆゐいつ)(ぜん)となし、184(とく)となし、185(あい)極致(きよくち)となし、186(しん)(しん)確信(かくしん)してゐるのである。187高姫(たかひめ)思想(しさう)神出(しんしゆつ)鬼没(きぼつ)188動揺(どうえう)(つね)なく、189()(のぞ)(へん)(おう)じて神業(しんげふ)参加(さんか)する(こと)(もつ)て、190最第一(さいだいいち)良法(りやうはふ)確信(かくしん)してゐるのだから、191如何(いか)なる(あい)(もつ)てするも、192(しん)(もつ)()くも、193(これ)感化(かんくわ)する(こと)出来(でき)ない、194精神(せいしん)(てき)不治(ふち)難病者(なんびやうしや)である。
195 (すべ)人間(にんげん)各自(かくじ)生命(せいめい)(ぞく)する(ところ)霊的(れいてき)円相(ゑんさう)なるものがあつて、196(この)円相(ゑんさう)一切(いつさい)天人(てんにん)一切(いつさい)精霊(せいれい)より(はつ)(きた)り、197人間(にんげん)各自(かくじ)身体(しんたい)囲繞(ゐねう)してゐるものである。198各人(かくじん)情動(じやうだう)(てき)生涯(しやうがい)199(したが)つて思索(しさく)(てき)生涯(しやうがい)(うち)より(あふ)()づるものである。200情動(じやうだう)(てき)生涯(しやうがい)とは愛的(あいてき)生涯(しやうがい)(こと)であり、201思索(しさく)(てき)生涯(しやうがい)とは信仰(しんかう)(てき)生涯(しやうがい)(こと)である。202(すべ)天人(てんにん)なるものは(あい)によつて(その)生命(せいめい)(たも)つが(ゆゑ)に、203(あい)そのものは天人(てんにん)全体(ぜんたい)であり、204(かつ)天人(てんにん)善徳(ぜんとく)全部(ぜんぶ)であると()つても()いのである。205(あい)(ぜん)(しん)(しん)との権化(ごんげ)たるべき初稚姫(はつわかひめ)は、206(その)霊的(れいてき)円相(ゑんさう)益々(ますます)円満(ゑんまん)具足(ぐそく)して、207智慧(ちゑ)証覚(しようかく)()より()(とき)は、208(その)全身(ぜんしん)周囲(しうゐ)より五色(ごしき)霊光(れいくわう)常住(じやうぢゆう)不断(ふだん)放射(はうしや)しつつあるのである。209(これ)(はん)して、210高姫(たかひめ)はすべて虚偽(きよぎ)世間愛(せけんあい)(てき)(あく)()るを(もつ)て、211霊的(れいてき)円相(ゑんさう)(すなは)霊衣(れいい)(ほとん)絶滅(ぜつめつ)し、212灰色(はひいろ)(くも)(ごと)三角形(さんかくけい)霊衣(れいい)(わづ)かに(その)肉身(にくしん)囲繞(ゐねう)してゐるに()ぎない。213(これ)神界(しんかい)にては霊的(れいてき)死者(ししや)名付(なづ)けてゐる。214霊的(れいてき)円相(ゑんさう)具足(ぐそく)せる神人(しんじん)には、215如何(いか)なる兇霊(きようれい)罪悪(ざいあく)近寄(ちかよ)ることは出来(でき)ない。216()()ひて接近(せつきん)せむとすれば、217(その)(ひかり)()たれ(まなこ)(くら)み、218四肢(しし)五体(ごたい)戦慄(せんりつ)し、219(ほとん)瀕死(ひんし)状態(じやうたい)(おちい)るものである。220(これ)(はん)して円相(ゑんさう)欠除(けつぢよ)せる高姫(たかひめ)身辺(しんぺん)には、221一切(いつさい)兇霊(きようれい)(くさ)きものに(はへ)(むら)がる(ごと)く、222容易(ようい)(かつ)(よろこ)んで集合(しふがふ)するものである。223現界(げんかい)愚眛(ぐまい)なる人間(にんげん)は、224(かく)(ごと)悪霊(あくれい)旅宿(りよしゆく)(いな)駐屯所(ちうとんしよ)たる人間(にんげん)()て、225信仰(しんかう)(つよ)真人(しんじん)看做(みな)し、226(あるひ)(その)妖言(えうげん)誑惑(きやうわく)されて、227虚偽(きよぎ)(しん)となし、228(あく)(ぜん)(みと)め、229随喜(ずゐき)渇仰(かつかう)しておかざるものである。230(じつ)にかかる人間(にんげん)は、231(かみ)()より()ては精神(せいしん)(じやう)不具者(ふぐしや)であり、232(かつ)地獄(ぢごく)門戸(もんこ)(きそ)うて(ひら)かむとする妖怪(えうくわい)変化(へんげ)見得(みう)るものである。
233 人間(にんげん)(その)(あい)善悪(ぜんあく)如何(いかん)によつて、234(その)(おもて)()ける(ところ)(おのおの)(こと)にしてゐる。235初稚姫(はつわかひめ)(ごと)天人(てんにん)は、236大神(おほかみ)(および)隣人(りんじん)(たい)して、237(しん)(あい)()つてゐるが(ゆゑ)(つね)(その)(おもて)大神(おほかみ)(むか)つてゐる。238(ゆゑ)(なん)となく威厳(ゐげん)(そな)はり、239(かつ)形容(けいよう)(がた)美貌(びばう)(たも)(こと)()たのである。240(また)高姫(たかひめ)自愛(じあい)(こころ)(すなは)(あい)(あく)(つよ)きが(ゆゑ)に、241(その)(おもて)(つね)(かみ)(そむ)け、242暗黒(あんこく)(うち)呻吟(しんぎん)しながら(おも)ふやう……かくの(ごと)暗黒(あんこく)無明(むみやう)世界(せかい)を、243吾々(われわれ)看過(かんくわ)するに(しの)びない。244(ゆゑ)自分(じぶん)(この)暗黒(あんこく)時代(じだい)(しよ)し、245天下(てんか)万民(ばんみん)救済(きうさい)(ため)に、246いろいろ雑多(ざつた)()(へん)じ、247ヘグレ武者(むしや)となつて、248(あま)岩戸(いはと)(ひら)き、249(しん)光明(くわうみやう)世界(せかい)()らし、250万民(ばんみん)(たす)けねばならない。251天国(てんごく)浄土(じやうど)もなく、252すべて三界(さんかい)暗黒界(あんこくかい)(くわ)()れり。253(ゆゑ)(われ)(かみ)(めい)()けて、254常暗(とこやみ)()()()御代(みよ)()(もど)さねばおかないと、255兇霊(きようれい)(げん)(あやま)られて蠢動(しゆんどう)してゐるのである。256それ(ゆゑ)(つね)心中(しんちう)安心(あんしん)する(こと)なく、257如何(いか)にして自己(じこ)向上(かうじやう)をなさむか、258三界(さんかい)万霊(ばんれい)(すく)はむかと、259狂熱(きやうねつ)(てき)蠢動(しゆんどう)するのである。260(なん)()らむ、261開闢(かいびやく)(はじ)めより天界(てんかい)光明(くわうみやう)赫灼(かくしやく)として(かがや)(たま)ひ、262数多(あまた)天人(てんにん)各団体(かくだんたい)(ぢゆう)して、263(その)光輝(くわうき)ある生涯(しやうがい)(おく)りつつある(こと)を。264(しか)(ここ)一言(いちごん)注意(ちゆうい)すべき(こと)は、265大本(おほもと)開祖(かいそ)神諭(しんゆ)に……(この)()暗雲(やみくも)になつてゐるから、266()()守護(しゆご)(いた)すが(ため)因縁(いんねん)身魂(みたま)(あら)はれて、267五六七(みろく)成就(じやうじゆ)御用(ごよう)(つく)す……とあるのは、268これは(けつ)して高姫(たかひめ)()(ごと)三界(さんかい)(みな)(くら)しといふ意義(いぎ)ではない。269大神(おほかみ)より地獄道(ぢごくだう)(おちい)れる(この)現界(げんかい)をして、270天国(てんごく)浄土(じやうど)楽土(らくど)となし、271一人(ひとり)地獄界(ぢごくかい)(おと)さざらしめむが(ため)である。272(えう)するに霊界(れいかい)現界(げんかい)()はず、273地獄(ぢごく)なるものを一切(いつさい)(ほろ)ぼし、274その痕跡(こんせき)をも(とど)めざらしめむと(はか)らせ(たま)仁慈(じんじ)大御心(おほみこころ)より()でさせ(たま)うたのである。275(しか)らば(ひと)(あるひ)()はむ、276三千(さんぜん)世界(せかい)一度(いちど)(ひら)(うめ)(はな)277(うしとら)金神(こんじん)()になりたぞよ……とあるではないか、278三千(さんぜん)世界(せかい)とは天界(てんかい)279現界(げんかい)280地獄界(ぢごくかい)のことである。281天界(てんかい)(すで)光明(くわうみやう)赫々(かくかく)として無限(むげん)(ひら)()るにも(かかは)らず、282(なに)をもつて三千(さんぜん)世界(せかい)()はるるか、283(はた)してこの(げん)(しん)ずるならば、284天界(てんかい)もまた暗黒界(あんこくかい)堕落(だらく)せるものなりと断定(だんてい)せざるを()ないではないかといはねばならぬ……と。285かくの(ごと)きは其一(そのいち)()つて其二(そのに)()らざる迂愚者(うぐしや)論旨(ろんし)である。286三千(さんぜん)世界(せかい)一度(いちど)(ひら)くといふは、287現界(げんかい)地獄界(ぢごくかい)天界(てんかい)一度(いちど)に……(すなは)同様(どうやう)光明(くわうみやう)赫々(かくかく)たる至喜(しき)至楽(しらく)楽園(らくゑん)となし、288中有界(ちううかい)だの、289地獄界(ぢごくかい)だの、290天界(てんかい)だの、291(あるひ)兇霊界(きようれいかい)だのいふ、292いまはしき区別(くべつ)取除(とりのぞ)き、293()つて一丸(いちぐわん)となし、294一個(いつこ)人体(じんたい)()けるが(ごと)く、295単元(たんげん)として統治(とうち)(たま)はむが(ため)()神策(しんさく)(しめ)されたるものたることを(さと)るべきである。296一度(いちど)(ひら)(うめ)(はな)とか、297須弥仙(しゆみせん)(ざん)(こし)をかけとか()聖言(せいげん)は、298(えう)するに(かみ)(むか)はしむるといふ意義(いぎ)である。299如何(いか)なる無風流(ぶふうりう)人間(にんげん)でも、300(うめ)(はな)()きみち、301馥郁(ふくいく)たる香気(かうき)(はな)つを()れば、302(よろこ)んで(これ)接吻(せつぷん)せむとするは、303人間(にんげん)特有(とくいう)(じやう)である。304また須弥仙(しゆみせん)(ざん)とは宇宙(うちう)唯一(ゆゐいつ)至聖(しせい)至美(しび)にして崇高(すうかう)雄大(ゆうだい)なる(やま)意味(いみ)である。305何人(なんぴと)(いへど)も、306雲表(うんぺう)屹立(きつりつ)せる富士(ふじ)姿(すがた)()(とき)は、307(その)雄姿(ゆうし)にうたれ、308荘厳(さうごん)(あこ)がれ、309(これ)(あふ)がないものはない。310(また)(うつむ)いては(けつ)して富士(ふじ)()(こと)出来(でき)ない。311(ゆゑ)(かみ)所在(あらゆる)人間(にんげん)(および)精霊(せいれい)をして(その)雄大(ゆうだい)崇高(すうかう)なる姿(すがた)(あふ)がしめ、312(もつ)神格(しんかく)向上(かうじやう)せしめ、313(かみ)(ぜん)(むか)はしめむが(ため)である。314(しか)(かみ)(むか)ひ、315(あるひ)須弥仙(しゆみせん)(ざん)(あふ)ぐといふは、316現界(げんかい)()ける富士山(ふじさん)そのものを(のぞ)(とき)(ごと)く、317身体(しんたい)動作(どうさ)によつて向背(かうはい)をなすものでない。318(なん)となれば空間(くうかん)位地(ゐち)(その)人間(にんげん)内分(ないぶん)情態(じやうたい)如何(いかん)によつて(さだ)まるが(ゆゑ)に、319方位(ほうゐ)(ごと)きも現界(げんかい)とは相違(さうゐ)してゐるのは勿論(もちろん)である。320人間(にんげん)内底(ないてい)(あら)はれなる面貌(めんばう)如何(いかん)によつて(その)方位(はうゐ)(さだ)まるのである。321(ゆゑ)霊界(れいかい)にては(わが)(めん)(むか)(ところ)(すなは)太陽(たいやう)(あら)はるる(ところ)である。322現界(げんかい)にては太陽(たいやう)(ひがし)(のぼ)りつつある(とき)(いへど)も、323西(にし)()けば(その)太陽(たいやう)()()うてゐるが、324霊界(れいかい)にては(すべ)想念(さうねん)世界(せかい)なるが(ゆゑ)に、325身体(しんたい)動作(どうさ)如何(いかん)(くわん)せず、326(かみ)(むか)つて内底(ないてい)(ひら)けた(もの)は、327いつも太陽(たいやう)(むか)つてゐるのである。328(しか)しながら()くの(ごと)天人(てんにん)境遇(きやうぐう)にある人格者(じんかくしや)霊界(れいかい)()つて、329自分(じぶん)より大神(おほかみ)(すなは)太陽(たいやう)(げん)(たま)光熱(くわうねつ)(むか)ふにあらず、330大神(おほかみ)より(きた)(ところ)一切(いつさい)事物(じぶつ)(よろこ)んで実践(じつせん)躬行(きうかう)するが(ゆゑ)に、331(かみ)より(おのづか)(むか)はしめ(たま)(こと)となるのである。332平和(へいわ)智慧(ちゑ)証覚(しようかく)幸福(かうふく)とを()るるものは高天原(たかあまはら)(うつは)である。333(これ)(しよう)して神宮(しんぐう)(つぼ)(うち)といふ。334(この)(つぼ)(あい)であつて、335大小(だいせう)となく(かみ)相和(あひわ)する(ところ)のものを()るる(うつは)である。336現界(げんかい)(おい)て、337智慧(ちゑ)証覚(しようかく)(おと)りし(もの)338(また)愛善(あいぜん)(とく)(うす)く、339信真(しんしん)(ひかり)(くら)かりし(もの)が、340天界(てんかい)天人(てんにん)(また)地上(ちじやう)天人(てんにん)やエンゼルと相伍(あひご)して(つひ)(きよ)信仰(しんかう)()り、341愛善(あいぜん)(とく)(やしな)ひ、342信真(しんしん)(ひかり)(あら)はし、343(つひ)智慧(ちゑ)証覚(しようかく)()344高天原(たかあまはら)景福(けいふく)()るに(いた)らしむべく、345ここに(かみ)精霊(せいれい)(その)神格(しんかく)(みた)して予言者(よげんしや)(きた)らしめ、346地上(ちじやう)高天原(たかあまはら)(すなは)ちエルサレムの宮屋敷(みややしき)(おい)て、347天国(てんごく)福音(ふくいん)()(つた)へさせ(たま)うたのは、348(じつ)至仁(しじん)至愛(しあい)大御心(おほみこころ)()でさせ(たま)うたからである。349(ぜん)(ため)(ぜん)(あい)し、350(しん)(ため)(しん)(あい)し、351(これ)一生涯(いつしやうがい)(ふか)(こころ)()()け、352実践(じつせん)躬行(きうかう)したるにより、353(つひ)罪悪(ざいあく)()ちたる人間(にんげん)天国(てんごく)(すく)はれて、354(その)不可説(ふかせつ)なる微妙(びめう)(さう)(ことごと)摂受(せつじゆ)()べき聖場(せいぢやう)(ひら)かせ(たま)うた。355(これ)神界(しんかい)にては()高天原(たかあまはら)(とな)へられたのである。
356 かくも(たふと)神界(しんかい)()経綸(けいりん)をも(わきま)へず、357()(しん)ずること(あた)はずして、358自己(じこ)世間(せけん)とのみを(あい)する(もの)は、359仮令(たとへ)膝元(ひざもと)()つても(これ)摂受(せつじゆ)することは到底(たうてい)出来(でき)ない。360自己(じこ)(あい)し、361世間(せけん)のみを(あい)する(もの)は、362(かへつ)(これ)()()経綸地(けいりんち)否定(ひてい)し、363(あるひ)(これ)()け、364(これ)(こば)み、365(はなはだ)しきは神界(しんかい)経綸場(けいりんぢやう)破壊(はくわい)せむとするに(いた)るものである。366されども(かみ)()(まで)天人(てんにん)養成器(やうせいき)たる人間(にんげん)(あい)(たま)ふが(ゆゑ)に、367可成(なるべ)(かれ)()接近(せつきん)し、368(かれ)()(こころ)(うち)流入(りうにふ)せむとし(たま)へども、369(かれ)()(かへつ)(これ)(おそ)れ、370雲霞(くもかすみ)逃去(にげさ)つて、371(たちま)地獄界(ぢごくかい)()()り、372(また)(かれ)()相似(あひに)たる自愛(じあい)(いう)する(もの)相交(あひまじ)はらむとするものである。373……灯台(とうだい)下暗(もとくら)し、374足許(あしもと)から(とり)()つても(わか)らぬ(めくら)(つんぼ)ばかりであるぞよ。375(かみ)一人(ひとり)なりとも(たす)けたさに、376いろいろと(さと)せども、377こはがりて(みな)()げて()(もの)ばかりで、378(たす)けやうはないぞよ。379(かみ)可哀相(かあいさう)なれども、380(あま)人民(じんみん)(よく)(はう)けて、381(みたま)悪神(あくがみ)(くも)らされてゐるから、382(まこと)(こと)(みみ)(はい)らぬぞよ。383(かみ)(たす)けやうがないぞよ……と歎声(たんせい)をもらされてあるは、384かかる人間(にんげん)(たい)して愛憐(あいれん)(なみだ)(そそ)(たま)うた聖言(せいげん)である。
385 初稚姫(はつわかひめ)()再誕(さいたん)なる大本(おほもと)開祖(かいそ)は、386神命(しんめい)(ほう)じて()高天原(たかあまはら)(くだ)り、387万民(ばんみん)(すく)はむと焦慮(せうりよ)(たま)ふに引替(ひきか)へ、388(その)肉身(にくしん)より(うま)()でたる肉体(にくたい)正反対(せいはんたい)のものあるは、389(じつ)不可説(ふかせつ)深遠(しんゑん)微妙(びめう)なる()神策(しんさく)のおはします(こと)であつて、390大本(おほもと)神諭(しんゆ)に……(わが)()()まらぬ御用(ごよう)がさして善悪(ぜんあく)(かがみ)()せてあるぞよ云々(うんぬん)と。391信者(しんじや)たる(もの)(この)善悪(ぜんあく)両方面(りやうはうめん)実地(じつち)観察(くわんさつ)して、392(その)信仰(しんかう)(あやま)らない(やう)にせなくてはならぬのである。393ああ惟神(かむながら)(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)
394大正一二・一・二九 旧一一・一二・一三 松村真澄録)
絶賛発売中『超訳霊界物語2/出口王仁三郎の「身魂磨き」実践書/一人旅するスサノオの宣伝使たち』
オニド関連サイト最新更新情報
10/22【霊界物語ネット】王仁文庫 第六篇 たまの礎(裏の神諭)』をテキスト化しました。
5/8【霊界物語ネット】霊界物語ネットに出口王仁三郎の第六歌集『霧の海』を掲載しました。
このページに誤字・脱字や表示乱れなどを見つけたら教えて下さい。
返信が必要な場合はメールでお送り下さい。【メールアドレス
合言葉「みろく」を入力して下さい→  
霊界物語ネットは飯塚弘明が運営しています。【メールアドレス】 / 動作に不具合や誤字脱字等を発見されましたら是非お知らせ下さるようお願い申し上げます。 / 本サイトに掲載されている霊界物語等の著作物の電子データは飯塚弘明ほか、多数の方々の協力によって作られました。(スペシャルサンクス) / 本サイトの著作権(デザイン、プログラム、凡例等)は飯塚弘明にあります。出口王仁三郎の著作物(霊界物語等)の著作権は保護期間が過ぎていますのでご自由にお使いいただいて構いません。ただし一部分を引用するのではなく、本サイト掲載の大部分を利用して電子書籍等に転用する場合には、必ず出典と連絡先を記して下さい。→「本サイト掲載文献の利用について」 / 出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別的と見なされる言葉や表現もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。 / プライバシーポリシー
(C) 2007-2024 Iizuka Hiroaki