イクとサールは、お菊にもてなされて夜中ごろまで酒を勧め、互いに歌などを詠み交わして過ごしていた。イクとサールは、どうしても初稚姫にお供を許してもらえそうにないこと、夜が明けたらどうにかしてもう一度願い出て、それでも聞き入れられなければ自由行動でハルナの都まで行く覚悟であることなどを話し合っていた。
お菊はすでに初稚姫が小北山を発ったことを知っていたが、気の毒で二人にそのことを告げることはできなかった。お菊は、せっかくだからこの小北山に留まってはどうかと二人を慰め、歌を交わしながら夜を過ごしていた。
俄かに騒がしい人の声が聞こえ、お千代があわただしく入ってきた。お千代は文助の様子が変になったとお菊を呼びに来た。イクとサールも、お菊とお千代について文助の病室に駆けこんだ。見れば、松姫が一生懸命に魂返しの祝詞を奏上していた。
イクは夜光の玉を松姫に預けて文助の額に当てるように頼むと、自分たちは河鹿川で禊をしに出て行った。お菊も共に河に飛び込み、三人声をそろえて文助の蘇生を祈った。
河鹿川の激流に危険を冒して祈る三人の赤誠を、大神も赦し給うであろう。平素はいたずら好きで口が悪くあまり親切らしく見えないイクとサール、お転婆娘のお菊も、人の危難に際してはその赤心現れ、我が身の危険も忘れて神に祈る。これぞ全く美はしき人情の発露にして、神に従い、神を信じ、誠の道を悟りうるものでなくてはできない所為である。
三人は文助の身を気遣いながら帰ってきた。たちまちお菊は神がかり状態となって病床に駆けてきて、松姫の手から夜光の玉を受け取り、小声で称えながら何事か祈っている。イクとサールの両人は、裸のまま文助の足をもんだり息を吹いたり、あらゆる手段を尽くした。
文助はウンとひと声叫んで目を開け、あたりを見回した。文助は昏睡していた間に、初と徳と会ったり目が見えるようになって美しい光景を見たことを語った。文助がさまよったのは、第三天国の広大な原野であった。そこで初と徳の精霊と出会ったのである。
もとより初と徳は文助を尊敬していたが、一時の欲に駆られて高姫や妖幻坊に誤られ、文助に怪我を負わせる騒動が勃発したのであった。初と徳の精霊は、呼び戻すために第三天国に現れたのであった。そこへ、熱心なイク、サール、お菊、松姫らの祈祷の力によって現世の残務を果たすべく、蘇生せしめられたのであった。
文助は肉体的には目が不自由であったが、霊界に至るやたちまち外部的状態を脱出し、第二の中間状態を越えて、第三の内分的状態にまで急速度をもって進んだ。そのため、神に親しみ神に仕えたる赤心のみ残存し、心の眼が開けて天界を見ることができたのであった。
文助はまず天の八衢についていたが、なぜこのようなところへ来たかについては一行考えなかった。そして現界に残してきた人々のこともすっかり忘れていた。ただ、神に関する知識のみますます明瞭になっていた。
文助は八衢の守衛にここがどこか尋ねたが、守衛は、文助がまだ現界に寿命を残していることを知っていたので、答えることはできないときっぱり応じた。文助は何とはなしに愉快な気分に満たされ、足も軽々と進んで行った。
途中、現界にある知己友人の精霊や、すでに帰幽した人間にも出会った。されどそのときの彼の心は、帰幽した者と帰幽していない者を判別する考えはなく、いずれも自分と同じように肉身を持って働いていると思っていた。
人間は現世において神に背き、真理を無視し、社会に大害を与えない限り、死後は肉体上における欲望や観念、自愛の悪念は払しょくされ、内分に属する善のみ自由に活躍することを得る故に、死後の安逸なる生涯を楽しむことができるのである。
肉体のあるうちはどうしても善悪混交、美醜相交わる中有的生涯に甘んじなくてはならない。しかし虚偽と罪悪に満ちた地獄界に籍を置く人間は、生前においてせめて中有界なりと救われなくては、死後の生涯を安楽ならしむることは不可能である。
神は至仁至愛にましますがゆえに、いかなるものもあらゆる方法手段を尽くしてこれを天国に導き、天国の住民として霊界のために働かしめ楽しき生涯を送らしめんと念じ給うのである。
神は宇宙を一個の人格者とみなしてこれを統制し給う。ゆえに、いかなる悪人といえども、一個人の身体の一部である。神は、人間をはじめ宇宙一切を吾が身のごとく愛し給う。