紫微天界は、スの言霊の水火(いき)によって鳴り出でたがゆえに、一切のものがわかわかしくやわらかく、神はまた幽の幽にまし、意思想念の世界である。
軽く清いものは高く上って天となり、重く濁ったものは、降って地となる。
この真理によって、紫微天界は五十六億七千万年の後、修理固成の神業が完成するとともに、重さを増して行き、次第に位置を大空中の低い場所に変えた。
われわれの地球こそ、紫微天界のやや完成したものであると理解するべきである。
たとえば、紫微天界の山はほとんど気体であり、柔らかく膨れて伸び広がったものである。国土生み、神生みの神業も、柔らかい気体の世界を物質の世界に修理固成するまでには五十六億七千万年かかった、ということである。紫微天界の神々の活動は、無始無終、連続して止まらない。
神代では、情動も起こってはたちまち消え去る、極めて淡白なものであった。しかし、世が下るにつれて、人情が濃厚・執拗になってきた。そこで、愛・恋の乱れや争闘が起こってくるようになった。
これが、主の大神が天之道立の神に、世の混乱を防ぐよう教え導き、乱れ行く世を正しく建てるように方策を授けた理由である。
神代の神人は、気体であったので、柔らかい地上を歩いても何の支障もなかった。国土の修理固成が進んで硬度を増すにしたがい、神々も体重を増し、ついに人となって地上に安住するようになったのである。
このように主の大神をはじめ、神々の努力の結果完成した地上に人と生まれ、安住できる恵みと徳は、とうてい書き尽くせるものではない。
われわれは、主の大神がお住まいになる紫微天界が完成期に近づいた地球の中心、葦原の中つ国である日の本に生まれた。万世一系の皇神国(すめらみくに)の天皇(すめらぎ)に仕え、神の宮居となり、神の子となって仕える幸福は、三千大千世界の宇宙をみても、到底求めても得られないほどの仁恵に浴しているのである。
だから、我が皇神国に生まれた大御民(おほみたから)は、海外の諸国よりも特に、敬神・尊皇・報国の誠を披露して恵みと徳に報いなければならないのである。
紫微天界が完成した神国であるので、わが国を「皇神国(すめらみくに)」と言い、その君を「天皇(すめらぎ)」と言うのである。