お寅は静かな夜、これまでの来し方を思い返していた。蠑螈別に恋を破られ、また自分が教団のために貯めた金もとられ、その無念と悔しさが骨の節々にしみこみ、悲しさが一時に飛び出してたちまち信仰と覚悟を打ち破ろうとする。
お寅はこれまで神を信じ舎身的活動をやってきたのにどうしてこんな目に会うのだろうと鏡台の前に老躯を投げ出し愚痴っている。ふと人の持っている三つの物質的でない宝、愛、信仰、希望に思い至った。
この三つの歓喜を離れては一日だって暗黒の世の中に立ってゆくことはできないと悟り、これまでの自分の過ちを悔い、神素盞嗚大神へのお詫びを述べ、合掌し悔悟の涙にくれながら沈黙のふちに沈んでいた。
しばらくするとどこともなく燦然たる光明が輝き来たり、お寅の全身を押し包むような気分がした。お寅は夢路をたどっていた。眠っている眼の底には美しい天国の花園が開けてきた。
お寅はふと目をさまし、転迷悔悟の花が胸中に開いたことを五六七大神に感謝した。これまで人を救いたいという念は沸騰していたが、自分一人を救うこともできない自分であることを徹底的に悟った。
そして自分ひとりの徹底した救いはやがて万人の救いであり、万人の救いは、自分ひとりの自覚すなわち神を信じ神を理解し、神に神を愛し、自分はその中に含まれる以外にないものだということを悟った。
悲哀の涙はたちまち歓喜の涙と変わり、心天高いところに真如の日月が輝きわたり、幾十万の星が燦然としてお寅の身を包んでいるような、高尚な優美な清浄な崇大な気分に活かされてきた。
お寅はにわかに法悦の涙にむせ返り、起き上がると口をすすぎ手を洗い、他人の目をさまさないように静かに神殿に進んで感謝祈願の祝詞を、初めて心の底からうれしく奏上することを得た。
理解と悔悟の力くらい結構なものはない。その神霊を永遠に生かし、肉体を精力旺盛ならしむるものは、真の愛を悟り、真の信仰に進み、真に神を理解し、己を理解するよりほかに道はないのである。
お寅は悔悟と新しい悟りを表明する歌を歌い、入信以来初めて愉快な爽快な気分に酔い感謝祈願の祝詞を三五教の大神の前に奏上し、欣然として居間に帰ってきた。このとき夜は開け放れ、山の尾の上を飛びかう鳥の声がいつもより爽やかに頼もしく聞こえてきた。