自分は明治三十一年旧二月九日、神使に伴われて丹波穴太の霊山高熊山に、一週間の霊的修行を終えた。
それより天眼通、天耳通、自他神通、天言通、宿命通の大要を心得し、今日あるように神明の教義を明らかにするに至るまでには、ものすごい波瀾と曲折があった。
自分はただ、開教後二十四年間のいきさつを、きわめて簡単に記憶より呼び起こして、その一端を示すにとどめる。
竜宮館には、変性男子の神系と、変性女子の神系と、二大系統が、歴然と区別されている。
変性男子:
変性男子は神政出現の予言・警告を発し、苦労を重ねて神示を伝達し、水をもって身魂の洗礼を施し、救世主の再生・再臨を待っておられたのである。
救世主に対面するまで、ほとんど七年の間、野に叫びつつあった変性男子の肉宮は、女体男霊である。
五十七歳で厳の御魂の神業に参加し、明治二十五年の正月元旦から同四十五年の正月元旦まで、満二十年の水洗礼で現世の汚濁した現界・神界に洗礼を施し、世界改造の神策を顕示した。
かの欧州大戦乱も、厳の御魂の神業発動の一端であり、世界の一大警告であった。
変性女子:
変性女子の肉宮は、瑞の御魂の神業に参加奉仕し、火をもって世界万民に洗礼を施すという神務を担っている。
明治三十一年の旧二月九日をもって神業に参加し、大正七年二月九日をもって、満二十年間の霊的神業をほとんど完成した。
物質万能主義、無神論、無霊魂説に心酔する体主霊従の現代も、やや覚醒の域に達し、神霊の実在を認識する者も次第に多くなってきたのは、神霊の偉大な神機発動の結果であり、決して人智・人力の致すところではない。
変性男子の肉宮は、神政開祖(ヨハネ)の神業に入り、二十七年間、神筆を揮って霊体両界の大改造を促進し、今は霊界に入っても、その神業を継続奉仕されつつあるのである。
変性女子は三十年間の神業に奉仕し、もって五六七神政の成就を待ち、世界を善導することにより、神明の徳に浴せしめる神業を担っている。
神業の参加以来、本年をもって二十三年になるが、残る七年間こそ、もっとも重大な任務遂行の難関である。
というのも、神諭には『三十年で身魂の立替立直しをいたすぞよ』言われているが、大正十一年の正月元旦が変性男子の神業成就三十年であり、大正十七年二月九日が、変性女子の神業成就三十年である。
水洗礼によって、霊界と現界の両界の改造することが三十年、これはヨハネ(変性男子)の奉仕すべき神業である。霊魂の改造が、前後三十年を要する、という意味である。また、三十年というのは大要を示されたのであり、奉仕者の身魂の磨かれ具合によっては、期間が変更されるのもやむをえない場合もあるのである。
神諭の「身魂」とは魂のみのことではなく、身が物質界、魂が霊魂、心性、神界等を指している。すべて宇宙は霊が元であり、体が末となっている。
物質的現界の改造を断行されるのは、国祖大国常立神であり、精神界・心霊界の改造を断行されるのは、豊国主神の神権である。
霊主体従の身魂=霊の本(ひのもと)の身魂:
天地の立法にかなった行動を好んで遂行しようとする。
常に天下公共のために心身をささげ、犠牲的行動をもって本懐とする。
至真、至善、至美、至直の大精神を発揮する。
救世の神業に奉仕する神や人の身魂。
体主霊従の身魂=自己愛智(ちしき)の身魂:
私利私欲にふける。
天地の神明を畏れない。
体欲を重んじる。
衣食住にのみ心を煩わす。
利によって集まり、利によって散じる。
行動は常に的が外れている。
利己主義を強調して義務を弁えない。
慈悲を知らない。
心が猛獣のような不善の神や人の身魂。
天の大神は、最初の人体の祖として天足彦、胞場姫を造った。そして、霊主体従の神木に体主霊従(ちしき)の果実を実らせ、食べないようにと厳命したが、二人は体欲にかられて、命を犯して神の怒りに触れた。
これにより世界には体主霊従の妖気が発生し、神人界に邪悪な分子が発生することとなった。
神がわざわざ天足彦と胞場姫を試すようなことをしなければ、邪悪も生まれなかっただろう、という人がいるが、神業は一度進むべき方向が定まったら、逆行したり審判を甘くしたりということは、決してないのである。神諭に『時節には神もかなわぬ』とあるのは、このことを示しているのである。
天地の剖判から五十六億七千万年を経て、いよいよ弥勒出現の暁となった。弥勒の神が下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するためには、ここに神柱を立て、苦集滅道、道法礼節を開示し、善を勧めて悪を懲らし、至仁至愛の教えを布き、世の中が太平に治まるための天則を啓示し、天意に基づいた善政を天地に広げていく時期に近づいたのである。
私は、このような重大な時期に生まれて、このような神業に奉仕することを得ることができれば、これ以上の幸いはない。
神示には、『神は万物普遍の聖霊にして、人は天地経綸の司宰なり』とある。私は今このときでなければ、いつ天地の神業に奉仕することができるだろうか。いや、今しかないのだ。
また、言霊の幸はう国、言霊の天照る国、言霊の生ける国、言霊の助ける国、神の造りしくに、神徳の充てる国に生をうけた、神国の人たちよ、あなた方もそうなのである。
神の恩の高く、深きに感謝して、国祖の大御心に報い奉らなければならない次第である。