朝香比女の神一行は、果て無き焼け野が原を馬にまたがって進んでいった。すると、野原の真中に小さな丘があって、常盤木の松が数千本、野火に焼かれず青々と残っていた。
一行はここに長旅の疲れを休めようと馬をつなぎ、丘の上から大野が原の国見をした。すると、いづこからともなく、悲しげな声が次々に聞こえてきた。
朝香比女は、四方を見回しながら、歌を歌い、自分は天津高宮からやってきた御樋代神であるから、心安く姿を現すように訴えた。
すると、丘の南側を穿って住処にしていた数十の国津神たちがつぎつぎに現れて礼拝した。
国津神たちは、グロノス、ゴロスに虐げられ、穴に住んで日々を送ってきたのであった。
国津神の野槌彦は、このたびの野火に曲神は逃げ去ったけれど、母が火に傷つけられ苦しんでいる、と訴えた。
朝香比女は憐れに思い、野槌彦が背負ってきた老母に天之数歌を歌い息吹いた。すると、焼け爛れた老母の頭部顔面は元に戻り、髪は黒くよみがえった。
老母と野槌彦は喜び、朝香比女に感謝の歌を歌った。朝香比女の神は、いかに曲津神の禍が強くとも、天の数歌の言霊で祓うように諭した。
野槌彦は喜んで、かつてはこの丘の鶴の休む松を神として祭っていたが、これからは主の大神を斎き祭ろう、と誓った。
野槌姫は、この丘は忍ケ丘といい、国津神一行は十数年前に竜の島というところから、やはり曲津神を避けてやってきたのだが、再び曲津神に侵されてしまっていたのだ、と由来を語った。
初頭比古は、このような荒れた曲神の島に国津神たちが先住していたことにき、この島の御樋代神・葦原比女の行方を慮った。そして、忍ケ丘からはるかに眺めて、沼を見つけた。
野槌彦は、あの沼こそ大蛇が棲む沼であり、黒煙を朝夕吐き出しているのだ、と歌った。そして、神々一行に大蛇の征服を願った。朝香比女は、もう夕方に近いので、征途を明日に定めて国津神たちの館に休むこととした。
野槌彦は、真鶴が巣くう松だけ残して、他の松を柱にして、忍ケ丘のいただきに主の神を祭る宮居を造ることを誓った。