昌図府の宿に泊まっていると、午後六時過ぎごろにシナの巡警が宿泊人調査にやってきた。一行は岡崎一人が日本人、その他は中国人であるということにしていた。
巡警が岡崎に護照の確認を乞うと、岡崎は、自分は東三省の官吏であり、張作霖の命を受けて視察にきているのだ、と逆に居丈高になって名刺を振り回した。そして、日出雄と守高は南清の豪商であると紹介した。
巡警はいずれも立派な服装であるのを見て取ると、丁寧に挨拶をして帰って行った。岡崎は地元の巡警に不審の念を抱かせずに追い払ったことを自慢気に吹聴した。
すると今度は午後九時ごろになって、官兵がやってきた。日本人が泊まっているというので、調査に来たのである。岡崎はまたもや名刺を出して官兵を煙に巻いて、追い返した。
すると午後十二時も前になって、またもや軍靴とサーベルの音がして、今度は昌図府の日本領事館員が巡査を引き連れて、身元調べにやってきた。またもや岡崎は自分の名刺を出して応対したが、日出雄と守高は水也商会の日本人だ、と紹介した。
領事館員が帰って行った後、日出雄は岡崎に、中国の官憲には南清の豪商だと言い、日本領事館には日本人だと言ったが、後で不審に思われないか、と懸念を表した。
岡崎はあまりしゃべりすぎて余計なことを言ってしまった、と非を認めたが、再度領事館から調べに来たら、自分の舌先三寸で追い払うから、と嘯いた。
いずれにしろ、念のために日出雄と守高は明日早くに、動くほうの自動車で先発することにした。そして一同は横になると、旅の疲れからすっかり熟睡してしまった。