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第一五章 公爺府(コンエフ)(いり)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第3篇 洮南より索倫へ よみ(新仮名遣い):とうなんよりそーろんへ
章:第15章 公爺府入 よみ(新仮名遣い):こんえふいり 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
いよいよ公爺府に入ることが決まり、地図を手に入れたりと準備が始まった。三月二十二日には王天海、張貴林、公爺府の協理である老印君らが到着した。
三月二十五日の早朝、一行は三台の轎車に分乗し、トール河を渡って北を目指して進んでいった。その日は洮南から百二十支里離れた牛馬宿に一泊した。
翌朝出立し、正午に王爺廟の張文海の宅に着いた。王爺廟はラマ僧が三百人ほど居る。日本のラマ僧が来たからといって、一人残らず日出雄に挨拶に来た。日出雄は人々に携帯してきた飴を一粒ずつ与えた。
大ラマは部下に命じて鯉をとらせ、日出雄に献上した。午後二時、日出雄が王爺廟を出ようとすると、大ラマは牛乳のせんべいを日出雄に送った。
日出雄は釈迦が出立のときに、若い女に牛乳をもらって飲んだ故事を思い出し、奇縁として喜んだ。このとき、日出雄の左の手のひらから釘の聖痕が現れ、盛んに出血して腕にしたたるほどであった。しかし日出雄はまったく痛さを感じなかった。
日出雄一行は公爺府の老印君の館に午後六時ごろ、無事に到着した。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考:2024/1/14出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-14 23:44:34 OBC :rmnm15
愛善世界社版:133頁 八幡書店版:第14輯 596頁 修補版: 校定版:133頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 日出雄(ひでを)守高(もりたか)平馬(へいま)()(たく)暴風(ばうふう)()け、002真澄別(ますみわけ)以下(いか)()(にん)猪野(ゐの)敏夫(としを)()春山(はるやま)医院(いゐん)陣取(ぢんど)つていろいろの豪傑話(がうけつばなし)(ふけ)り、003守高(もりたか)柔術(じうじゆつ)実習(じつしふ)講演(かうえん)をやつて、004(おほい)にメートルを()げてゐる。005そして守高(もりたか)摩利支(まりし)(てん)006名田彦(なだひこ)一億(いちおく)(ゑん)007真澄別(ますみわけ)泰然(たいぜん)自若(じじやく)008岡崎(をかざき)(かすみ)(せき)()仇名(あだな)をつけられた。009猪野(ゐの)鄭家屯(ていかとん)日本(につぽん)坊主(ばうづ)(なぐ)つた(はなし)や、010大川(おほかは)金作(きんさく)のローマンスの追懐談(つひくわいだん)(はな)()いて()る。011そして東三省(とうさんしやう)(いち)美人(びじん)()支那(しな)芸者(げいしや)猪野(ゐの)秋波(しうは)(おく)つた(こと)などを気楽(きらく)さうに喋舌(しやべ)()て、012(はる)陽気(やうき)(ただよ)はしてゐる。013(あさ)から(ばん)まで摩利支(まりし)(てん)一億(いちおく)(ゑん)014山田(やまだ)(わう)元祺(げんき)(とう)豪傑(がうけつ)(れん)柔道(じうだう)練習(れんしふ)をやつてゐたが、015日出雄(ひでを)()くと()ぐに中止(ちゆうし)して(しま)つた。016副官(ふくくわん)(しん)(せん)オチコ(ぼう)吹出物(ふきでもの)発生(はつせい)し、017膿汁(うみ)()いた()(あら)はずに食器(しよくき)をいぢるので病毒(びやうどく)感染(かんせん)する(など)()つて日本人(につぽんじん)(がは)(きら)はれてゐた。
018 (いよいよ)公爺府(コンエフ)()りが()まり、019順路(じゆんろ)地図(ちづ)を、020支那(しな)(ぼう)将校(しやうかう)から()(きた)り、021王府(わうふ)まで二百(にひやく)支里(しり)022最高山(さいかうざん)(きた)だなどと、023(しき)りに地図(ちづ)()(そそ)いだ。024眼鬼(がんき)将軍(しやうぐん)岡崎(をかざき)佐々木(ささき)大倉(おほくら)のやり(かた)について大変(たいへん)不平(ふへい)()らし、
025岡崎先生(せんせい)中途(ちうと)まで(おく)りとどけた(うへ)026一度(いちど)奉天(ほうてん)(かへ)つて(かれ)()二人(ふたり)のやり(かた)調査(てうさ)する(つも)りだ。027万一(まんいち)彼奴(あいつ)()がようやらぬのなら、028自分(じぶん)北京(ペキン)()つて()佩孚(はいふ)(てう)(てき)()つて(この)大事業(だいじげふ)成功(せいこう)させる……』
029 (など)捨鉢(すてばち)()つてゐる。030時々(ときどき)(かぜ)吹廻(ふきまは)しが(わる)いと(へん)(こと)()ふので日出雄(ひでを)(こま)つてゐた。
031 葛根廟(かつこんめう)には馬賊(ばぞく)根拠地(こんきよち)があつて大集団(だいしふだん)をなしてゐるさうだ。032近日(きんじつ)(うち)(をんな)隊長(たいちやう)洮南(たうなん)(むか)つて襲来(しふらい)するとの急報(きふはう)に、033支那(しな)官憲(くわんけん)駐屯軍(ちうとんぐん)(おどろ)いて、034騒々(さうざう)しく動揺(どうえう)(はじ)めた。
035 (さん)(ぐわつ)二十二(にじふに)(にち)午後(ごご)()()(ごろ)036(わう)天海(てんかい)蒙古(もうこ)隊長(たいちやう)(チヤン)貴林(クイリン)公爺府(コンエフ)協理(けふり)(らう)印君(いんくん)(とも)着洮(ちやくたう)した。037そして(いよいよ)奥地(おくち)()りの準備(じゆんび)にとりかかつた。038(チヤン)貴林(クイリン)日出雄(ひでを)(むか)つて()ふ。
039張貴林(この)(さき)には数千(すうせん)馬賊団(ばぞくだん)横行(わうかう)してゐますが、040(いづ)れも自分(じぶん)部下(ぶか)(ばか)りだから、041(けつ)して先生(せんせい)(がい)(あた)へませぬ。042(わたし)今回(こんくわい)自治軍(じちぐん)旅団長(りよだんちやう)(えら)まれましたから、043安心(あんしん)して(くだ)さい。044蒙古(もうこ)男子(だんし)一言(いちごん)金鉄(きんてつ)より(かた)御座(ござ)います。045先生(せんせい)(ため)には(ひと)つよりない生命(いのち)(なげ)うつてゐるのですから』
046 (など)()つて(いさ)ましく(うで)()してゐる。
047 (しば)らくすると佐々木(ささき)048大倉(おほくら)両人(りやうにん)日出雄(ひでを)奥地(おくち)()りを(おく)るべく、049遥々(はるばる)奉天(ほうてん)からやつて()た。050さうして岡崎(をかざき)議論(ぎろん)衝突(しようとつ)()たし、051岡崎(をかざき)機嫌(きげん)がグレツと一変(いつぺん)し、
052岡崎(おれ)はこれから奉天(ほうてん)(かへ)つて(ちやう)作霖(さくりん)(しか)りつけ、053自由(じいう)行動(かうどう)()つて()せる……』
054 と頑張(ぐわんば)り、055サツサと停車場(ていしやぢやう)()して()()つた。056佐々木(ささき)(おどろ)いて停車場(ていしやぢやう)()けつけ、057危機(きき)一発(いつぱつ)発車(はつしや)間隙(まぎは)(やうや)岡崎(をかざき)(なだ)め、058()れて(かへ)つて()たので一同(いちどう)(やうや)安心(あんしん)した。
059(日出雄)乾坤(けんこん)一擲(いつてき)大事業(だいじげふ)(さく)(なが)ら、060(いま)から内輪(うちわ)()めが出来(でき)ては到底(たうてい)駄目(だめ)だ。061満州(まんしう)浪人(らうにん)大和(やまと)(だましひ)()けてゐる。062あゝ自転倒(おのころ)(じま)では思慮(しりよ)(あさ)きものの(ため)(あやま)られて()置所(おきどころ)なき破目(はめ)(おちゐ)り、063(いま)(また)蒙古(もうこ)()()日本人(につぽんじん)(ため)(あやま)られ、064千仭(せんじん)(こう)一簣(いつき)()くやうな形勢(けいせい)になつて()たのも、065小人物(せうじんぶつ)小胆(せうたん)高慢心(かうまんしん)自己(じこ)本位(ほんゐ)衝突(しようとつ)からである。066(すこ)(ぐらゐ)残念(ざんねん)口惜(くや)しさが隠忍(いんにん)出来得(できえ)ない(やう)(こと)で、067()うして(この)大事業(だいじげふ)成功(せいこう)するか。068真澄別(ますみわけ)もあまり泰然(たいぜん)自若(じじやく)すぎはせぬか。069(この)(さい)両方(りやうはう)調停(てうてい)(はか)らねばなるまい……』
070 と日出雄(ひでを)(われ)()らず(つぶや)いた。071真澄別(ますみわけ)仲裁(ちうさい)によつて同志(どうし)(あひだ)は、072もとの平和(へいわ)()し、073岡崎(をかざき)(ふたた)(こま)(くび)立直(たてなほ)し、074奉天(ほうてん)(がへ)りを(おも)()蒙古(もうこ)奥地(おくち)侵入(しんにふ)する(こと)をやつと承諾(しようだく)したのである。
 
075 ()()びし()()(いま)(きた)りけりいざ()()かむ蒙古(もうこ)(おく)
 
076 日出雄(ひでを)洮南(たうなん)在留中(ざいりうちう)沢山(たくさん)詩歌(しいか)()んだ。077その(なか)数首(すうしゆ)()
 
078 十二(じふに)(にち)()ぎてゆ陽気(やうき)一変(いつぺん)(はる)()()めし心地(ここち)しにけり
079 洮南(たうなん)安全(あんぜん)地帯(ちたい)(おも)ひきや馬賊(ばぞく)横行(わうかう)いとも(はげ)しき
080 総司令(そうしれい)一日(ひとひ)(はや)(きた)れかし(なれ)()()(われ)(さび)しき
081 十四夜(いざよひ)(つき)()(した)蒙古野(もうこの)(ゑん)(ゑが)いて小便(せうべん)をひる
082 国人(くにびと)一目(ひとめ)()せばや蒙古地(もうこち)()らす御空(みそら)(うづ)月影(つきかげ)
083 (やま)(うみ)()えねど蒙古(もうこ)大野原(おほのはら)()()(ひと)(たましひ)(をど)
084 (てん)()(うみ)かとばかり(うたが)はる蒙古(もうこ)広野(くわうや)にひとり(つき)()
085 (つき)()れば(こころ)(そら)()(わた)天国(てんごく)にある心地(ここち)こそすれ
086 スバル(ぼし)西(にし)(かたむ)()めてより()()(うへ)(しも)()りける
087 ドンヨリと(くも)りし(そら)()(にぶ)小鳥(ことり)(こゑ)(とみ)(しづ)まる
088 支那(しな)蒙古(もうこ)日本(につぽん)(ひと)(わが)(ため)(こころ)(くだ)きて(まも)(うれ)しさ
 
089 (さん)(ぐわつ)廿五(にじふご)(にち)早朝(さうてう)090支那(しな)旅宿(りよしゆく)義和(ぎわ)粮棧(りやうさん)から(らう)印君(いんくん)091日出雄(ひでを)092岡崎(をかざき)093守高(もりたか)094(わう)通訳(つうやく)三台(さんだい)轎車(けうしや)分乗(ぶんじやう)洮南(たうなん)北門(ほくもん)より馳走(ちそう)し、095洮児(トール)(がは)(はし)(わた)つて(きた)(きた)へと(すす)()く。096寒風(かんぷう)(はげ)しく()(きた)轎車(けうしや)顛覆(てんぷく)しさうな危険(きけん)(かん)じて()た。097副官(ふくくわん)(をん)長興(ちやうこう)数名(すうめい)兵士(へいし)(とも)騎馬(きば)にて前後(ぜんご)(まも)()く。098途中(とちう)守高(もりたか)()つてゐる轎車(けうしや)路傍(ろばう)(みぞ)(なか)顛覆(てんぷく)し、099守高(もりたか)100(わう)通訳(つうやく)(みぞ)(なか)()(おと)され、101馬夫(ばふ)(とも)轎車(けうしや)道路(だうろ)()()げてゐる。102(その)()午前(ごぜん)十一(じふいち)()六十(ろくじふ)支里(しり)()三十(さんじつ)()(そん)()き、103此処(ここ)にて昼飯(ちうはん)()(こと)とした。104ここには支那(しな)警察(けいさつ)もあり、105兵営(へいえい)()つてゐる。106旅宿(りよしゆく)(いへ)(はしら)には『莫談(ばくだん)国政(こくせい)』と()赤紙(あかがみ)()りつけてある。107(これ)専制(せんせい)政治(せいぢ)遺物(ゐぶつ)だらう……。108此処(ここ)まで()途上(とじやう)109轎車(けうしや)(うへ)日出雄(ひでを)はセスセーナ(放尿(はうねう))を煙草(たばこ)空罐(あきくわん)になし、110車外(しやぐわい)()てようとして、111岡崎(をかざき)支那服(しなふく)(うへ)(こぼ)した。112あまり寒気(かんき)(はげ)しいので、113(たちま)(ひざ)(うへ)(こほ)つて(しま)つた。114岡崎(をかざき)小便(せうべん)(こほり)()(つか)んでゲラゲラ(わら)(なが)道路(だうろ)()()てた。115旅宿(りよしゆく)()いて(くも)天井(てんじやう)大便所(だいべんじよ)()くと、116()(あら)(きたな)(ぶた)()(はん)ダース(ばか)りも(あつ)まつて()肥取(こえとり)人足(にんそく)(やく)をつとめ、117(つひ)には(しり)まで()めあげる。118その可笑(おか)しさに日出雄(ひでを)はゲラゲラ()()してゐる。119午後(ごご)十二(じふに)()四十(よんじつ)(ぷん)(ふたた)乗車(じやうしや)120何十(なんじつ)(けん)とも()れぬ(ひろ)(はば)大道(だいだう)愉快(ゆくわい)さうに(すす)んで()くと、121茫漠(ばうばく)たる大荒原(だいくわうげん)前方(ぜんぱう)(あた)つて(くろ)ずんだ(ひとつ)(やま)()えた。122(これ)北清山(ほくしんざん)()ふ、123さうして(この)(へん)には(はん)(つぼ)(ひと)(つぼ)(ばか)りの神仏(しんぶつ)(やかた)が、124彼方(あつち)此方(こつち)()つてゐる。125(これ)蒙古人(もうこじん)信仰(しんかう)表徴(へうちよう)となつてゐるのだと()ふ。
126 同日(どうじつ)午後(ごご)()()127七十(しちじつ)()(そん)催家店(さいかてん)()牛馬宿(ぎうばやど)(あし)()めた。128洮南(たうなん)からは百二十(ひやくにじふ)支里(しり)(はな)れてゐる。129沢山(たくさん)支那人(しなじん)合客(あひきやく)(とま)つてゐて喋々(てうてう)喃々(なんなん)として賭博(とばく)をやつて()る。130(よく)(さん)(ぐわつ)二十六(にじふろく)(にち)(あさ)()()出発(しゆつぱつ)予定(よてい)であつたが、131二十(にじふ)支里(しり)ほど前方(ぜんぱう)(あた)つて官兵(くわんぺい)馬賊(ばぞく)との(たたか)ひがあり、132連長(れんちやう)戦死(せんし)した場所(ばしよ)であるから、133(あさ)(はや)出立(しゆつたつ)するのは(きは)めて危険(きけん)だとの宿(やど)主人(しゆじん)注意(ちうい)()つて、134(はち)()此処(ここ)出発(しゆつぱつ)する(こと)とした。
135 正午(しやうご)(まへ)八十(はちじふ)支里(しり)馳駆(ちく)して王爺廟(ワンエメウ)(ちやう)文海(ぶんかい)(たく)()いた。136王爺廟(ワンエメウ)喇嘛僧(らまそう)三百(さんびやく)(にん)(ばか)()る。137(めづ)らしき日本(につぽん)喇嘛僧(らまそう)(きた)れりとて三百(さんびやく)喇嘛(らま)が、138一人(ひとり)(のこ)らず日出雄(ひでを)挨拶(あいさつ)()()る。139そして里人(さとびと)子供(こども)(めづ)らしげに(あつ)まつて()た。140日出雄(ひでを)携帯(けいたい)して()(あめ)一粒(ひとつぶ)づつ(あた)へた。141喇嘛(らま)里人(さとびと)地上(ちじやう)(ひざまづ)いて(これ)()けた。142大喇嘛(だいらま)部下(ぶか)(めい)洮児(トール)(がは)(こひ)()らせ、143七八(しちはち)(すん)から(いつ)(しやく)五六(ごろく)(すん)(ぐらゐ)のものを八尾(はちび)(ばか)()つて()日出雄(ひでを)進呈(しんてい)した。144()れが本年(ほんねん)(はひ)つて(はじ)めての漁獲(ぎよくわく)だと()(こと)である。
145 午後(ごご)()()日出雄(ひでを)王爺廟(ワンエメウ)出発(しゆつぱつ)せむと轎車(けうしや)()つてゐると、146大喇嘛(だいらま)牛乳(ぎうにう)煎餅(せんべい)(じふ)(まい)(ばか)()つて()日出雄(ひでを)(おく)つた。147釈迦(しやか)出立(しゆつたつ)(とき)148(わか)(をんな)牛乳(ぎうにう)(もら)つて()んだ(こと)(おも)()し、149日出雄(ひでを)蒙古(もうこ)奥地(おくち)()()ぐに喇嘛(らま)から牛乳(ぎうにう)煎餅(せんべい)(もら)つた(こと)非常(ひじやう)奇縁(きえん)として(よろこ)んだ。150(この)(とき)日出雄(ひでを)(ひだり)(てのひら)から(くぎ)聖痕(せいこん)(あら)はれ、151(さか)んに出血(しゆつけつ)淋漓(りんり)として(かひな)(したた)つた。152(しか)日出雄(ひでを)(すこ)しの痛痒(つうやう)(かん)じなかつた。
153 洮児(トール)(がは)(こほり)処々(ところどころ)()(はじ)め、154()(うへ)轎車(けうしや)通過(つうくわ)する危険(きけん)さは(じつ)名状(めいじやう)すべからざるものがあつたが、155(なん)故障(こしやう)もなく天佑(てんいう)(もと)無事(ぶじ)通過(つうくわ)し、156王爺廟(ワンエメウ)兵士(へいし)(ちやう)桂林(けいりん)馬隊(ばたい)(おく)られ()(ちやう)文海(ぶんかい)(おとうと)部下(ぶか)騎馬(きば)にて公爺府(コンエフ)まで見送(みおく)られた。157王爺廟(ワンエメウ)以東(いとう)赤旗(あかはた)戸々(ここ)()て、158以西(いせい)白旗(しろはた)戸々(ここ)()ててゐる。159公爺府(コンエフ)(すで)白旗(しろはた)区域(くいき)である。160ここは鎮国公(ちんこくこう)161巴彦那木爾(パエンナムル)()(わう)(さま)二百(にひやく)(めい)兵士(へいし)(かか)へて(まも)つてゐる(ところ)である。162日出雄(ひでを)一行(いつかう)公爺府(コンエフ)(ちか)(まで)()くと、163公爺府(コンエフ)兵士(へいし)二十(にじふ)(にん)(ばか)(ささ)(つつ)(れい)をして慇懃(いんぎん)(むか)へてゐた。164日出雄(ひでを)一行(いつかう)公爺府(コンエフ)(かたはら)なる(らう)印君(いんくん)(やかた)午後(ごご)(ろく)()(ごろ)無事(ぶじ)()いた。
165大正一四、八、筆録)
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