張作霖は、第二次奉直戦が意外に早く始まったので、いまさらのごとく盧占魁を処刑してしまったことを悔いたと伝えた。
パインタラの前夜に身をもって逃れた劉陞山は奉直戦のさなかに大連に逃れ、さらに日本に渡って綾部に身を寄せていた。その後奉天の日本租界に身を潜めて使命が下るのを待っている。隆光彦が支那にわたった際に訪問すると、たいへんな歓迎を受けたとのことだ。
真澄別が北京に滞在中、王昌輝、揚巨芳、包春亭、金翔宇らがたずねてきた。いずれも、索倫の司令部に参じていた人々である。
王昌輝は河南軍に身を投じていた。盧占魁の最期の様子を伝え、またパインタラの結果について悔しがり、必ずいつか目覚しい結果を照覧するからと、日出雄への取り成しを願ったという。
揚巨芳は索倫で盧の配下・揚萃廷と衝突して引き上げてから、奉天軍の憲兵少佐に任じられていた。そして、張作霖は盧を処刑するつもりはなかったのだが、現場の長の越権行為であのような結果になり、揚萃廷や劉陞山が遭難の遠因を作ったと言って非難した。
包春亭は包金山の代理として訪ね、今は奉天軍の顧問をしていると消息を明かした。彼らは岡崎と共に奉天に救援軍を組織しに出立した後、パインタラの遭難を知ったのであった。
金翔宇は、日出雄の近くに仕えた白凌閣、温長興、秦宣、王瓚璋、王通訳らはみな、難を逃れて命を助かったと伝えた。
真澄別はいずれの人たちにも、これは神様の深い思し召しのあることで、単純な失敗ではないこと、世界的神劇の序幕であることを説明した。その証として世界宗教聯合会の成立を伝えると、各人一様に感嘆の声を漏らし、前途の祝福を忘れなかった。特に蒙古人は、章嘉活仏との提携を非常に喜んだ。