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第三九章 入蒙(にふもう)拾遺(しふゐ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第5篇 雨後月明 よみ(新仮名遣い):うごげつめい
章:第39章 入蒙拾遺 よみ(新仮名遣い):にゅうもうしゅうい 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
張作霖は、第二次奉直戦が意外に早く始まったので、いまさらのごとく盧占魁を処刑してしまったことを悔いたと伝えた。
パインタラの前夜に身をもって逃れた劉陞山は奉直戦のさなかに大連に逃れ、さらに日本に渡って綾部に身を寄せていた。その後奉天の日本租界に身を潜めて使命が下るのを待っている。隆光彦が支那にわたった際に訪問すると、たいへんな歓迎を受けたとのことだ。
真澄別が北京に滞在中、王昌輝、揚巨芳、包春亭、金翔宇らがたずねてきた。いずれも、索倫の司令部に参じていた人々である。
王昌輝は河南軍に身を投じていた。盧占魁の最期の様子を伝え、またパインタラの結果について悔しがり、必ずいつか目覚しい結果を照覧するからと、日出雄への取り成しを願ったという。
揚巨芳は索倫で盧の配下・揚萃廷と衝突して引き上げてから、奉天軍の憲兵少佐に任じられていた。そして、張作霖は盧を処刑するつもりはなかったのだが、現場の長の越権行為であのような結果になり、揚萃廷や劉陞山が遭難の遠因を作ったと言って非難した。
包春亭は包金山の代理として訪ね、今は奉天軍の顧問をしていると消息を明かした。彼らは岡崎と共に奉天に救援軍を組織しに出立した後、パインタラの遭難を知ったのであった。
金翔宇は、日出雄の近くに仕えた白凌閣、温長興、秦宣、王瓚璋、王通訳らはみな、難を逃れて命を助かったと伝えた。
真澄別はいずれの人たちにも、これは神様の深い思し召しのあることで、単純な失敗ではないこと、世界的神劇の序幕であることを説明した。その証として世界宗教聯合会の成立を伝えると、各人一様に感嘆の声を漏らし、前途の祝福を忘れなかった。特に蒙古人は、章嘉活仏との提携を非常に喜んだ。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考:2024/2/20出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-02-20 17:27:03 OBC :rmnm39
愛善世界社版:346頁 八幡書店版:第14輯 674頁 修補版: 校定版:349頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 日出雄(ひでを)洮南(たうなん)平馬(へいま)(てい)にて微笑(びせう)(なが)真澄別(ますみわけ)(しめ)した、
 
002()佩孚(はいふ)をつかれ(さう)(こん)()()だし』
 
003 てふ一句(いつく)は、004半年(はんとし)()つか()たぬ()実現(じつげん)された。005(ちやう)作霖(さくりん)()占魁(せんくわい)利用(りよう)しやうと(くわだ)てた第二回(だいにくわい)奉直戦(ほうちよくせん)は、006(その)予期(よき)(はん)して、0061意外(いぐわい)(はや)火蓋(ひぶた)()(こと)になり、007今更(いまさら)(ごと)()追懐(つゐくわい)したとさへ(つた)へられた。008(かう)不幸(ふかう)か、0081○○(じん)従軍(じゆうぐん)と、0082(ひよう)玉祥(ぎよくしやう)のクーデターのお(かげ)で、0083(ちやう)作霖(さくりん)(たたかひ)()けて、009勝負(しようぶ)()つた結果(けつくわ)となり、010()佩孚(はいふ)一時(いちじ)失脚(しつきやく)し、011(さう)(こん)一旦(いつたん)逃出(にげだ)し、012(いま)(とら)はれの()となつてゐる。
013 昨夏(さくか)白音太拉(パインタラ)()ける惨劇(さんげき)前夕(ぜんゆう)014形勢(けいせい)()なりと(かん)じ、015部下(ぶか)取纏(とりまと)めて逸出(にげだ)し、016途中(とちう)王府(わうふ)(へい)包囲(はうゐ)せられ、017数十(すうじふ)(めい)部下(ぶか)(うしな)ひ、018()(もつ)(まぬが)れたる(りゆう)陞山(しようさん)は、019(みぎ)奉直戦(ほうちよくせん)混雑中(こんざつちう)大連(だいれん)()(のが)れ、020(さら)自転倒(おのころ)(じま)(わた)り、021(しば)(あや)聖地(せいち)()()再挙(さいきよ)時期(じき)をまつてゐたが、022(かみ)摂理(せつり)(はか)りかね、023(いま)奉天(ほうてん)日本(につぽん)租界(そかい)()(ひそ)めて使命(しめい)降下(かうか)鶴首(かくしゆ)してゐる。024隆光彦(たかてるひこ)渡支(とし)途次(とじ)訪問(はうもん)すると、025(りゆう)夫人(ふじん)(とも)款待(くわんたい)(きは)めたといふ。
026 真澄別(ますみわけ)北京(ペキン)滞在(たいざい)せるを(つた)()き、027(なつ)かしさと憧憬(あこがれ)(あま)り、0271(たづ)()(うち)に、028(わう)昌輝(しやうき)029(やう)巨芳(きよはう)030(はう)春亭(しゆんてい)031(きん)翔宇(しやうう)などがある。032(みな)索倫山(ソーロンざん)司令部(しれいぶ)(さん)じてゐた人々(ひとびと)で、033各自(かくじ)(おも)(おも)ひの述懐(じゆつくわい)(かた)る。
034 (わう)昌輝(しやうき)(その)()井上(ゐのうへ)兼吉(かねきち)(ともな)ひ、035()景翼(けいよく)(ぐん)顧問(こもん)として()(さん)じ、036()役後(えきご)037(がく)維峻(ゐしゆん)(たす)けて、038依然(いぜん)河南軍(かなんぐん)(ちゆう)()る。039(かれ)(いは)
040王昌輝実際(じつさい)あんな馬鹿(ばか)結果(けつくわ)になつて、041日出雄(ひでを)先生(せんせい)申訳(まうしわけ)がありませぬ。042(わたくし)()景翼(けいよく)(もと)()()せると、043()が……(きみ)何故(なぜ)日出雄(ひでを)先生(せんせい)自分(じぶん)(ところ)()案内(あんない)せなかつたか、044自分(じぶん)ならば()(まで)安全(あんぜん)護衛(ごゑい)し、045(かつ)自由(じいう)活動(くわつどう)して(いただ)けるのに……と(しか)られました。046本当(ほんたう)多数(たすう)犠牲者(ぎせいしや)()し、047残念(ざんねん)(たま)りませぬ。048()(かく)暫時(ざんじ)放任(はうにん)しておいて(くだ)さい。049(かなら)目醒(めざま)しい結果(けつくわ)招来(せうらい)して御覧(ごらん)()れますから……日出雄(ひでを)先生(せんせい)(しか)るべく()(とり)なし(ねが)ひます』
050(うで)()し、051(さら)白音太拉(パインタラ)事件(じけん)追懐(つゐくわい)
052王昌輝無事(ぶじ)(ゆる)されて(かへ)つた()副官(ふくくわん)(はなし)()ると、053()占魁(せんくわい)就寝中(しうしんちゆう)用事(ようじ)ありとて()(めい)兵士(へいし)引起(ひきおこ)され、054玄関口(げんくわんぐち)待構(まちかま)へて()(よん)(めい)兵士(へいし)短銃(ピストル)()けられ、055(くや)しさに地団駄(ぢだんだ)()(なが)ら、056営庭(えいてい)(つゆ)()えたさうです。057()連中(れんちう)()寸鉄(すんてつ)()びざる(こと)とて(いづ)れも狼狽(らうばい)し、058(なか)には見苦(みぐる)しく()(まど)うた(もの)もあつたさうですが、059(れい)賈孟卿(ヂヤムチン)()()もせで、060手紙(てがみ)(したた)めてゐる最中(さいちう)だつた(さう)ですが、061取囲(とりかこ)兵士(へいし)睥睨(へいげい)し、062……(さわ)ぐな手紙(てがみ)()(をは)(まで)()てつ……と大喝(だいかつ)し、063悠々(いういう)として銃殺(じゆうさつ)()けたさうです。064()しい(をとこ)でしたなア。065……それから()占魁(せんくわい)(やつ)066(うはさ)(ごと)()用金(ようきん)(かく)して()つたと()え、067昨秋(さくしう)(すう)秀明(しうめい)憲兵隊(けんぺいたい)警察(けいさつ)署長(しよちやう)打合(うちあは)せ、068北京(ペキン)()夫人(ふじん)隠家(かくれや)取調(とりしら)べ、069数万(すうまん)(ゑん)没収(ぼつしう)し、070入蒙(にふもう)結果(けつくわ)未亡人(みばうじん)となつて、071北京(ペキン)(わび)しく寄食(きしよく)してる連中(れんちう)()()れ、072数百(すうひやく)(ゑん)(あて)分配(ぶんぱい)し、073残金(ざんきん)(わたくし)したらしいです。074(その)(むく)いでせう、075(すう)今年(ことし)(しやう)(ぐわつ)076奉天軍(ほうてんぐん)連長(れんちやう)となつて()(なが)ら、077仏租界(ふつそかい)にある武器(ぶき)押収(おうしう)しやうとし、078条約(でうやく)違反(ゐはん)銃殺(じゆうさつ)された(さう)です。079云々(うんぬん)
080憮然(ぶぜん)たること(ひさ)しかつた。081また(やう)巨芳(きよはう)索倫(ソーロン)本営(ほんえい)(おい)て、082()参謀長(さんぼうちやう)(やう)萃廷(すゐてい)衝突(しようとつ)し、083(うらみ)(のこ)して引上(ひきあ)げ、084(いま)奉天軍(ほうてんぐん)憲兵(けんぺい)少佐(せうさ)(にん)ぜられ、085奉直間(ほうちよくかん)列車(れつしや)監督長(かんとくちやう)となつてゐる。
086揚巨芳(やうきよはう)大先生(タアセンシヨン)(どう)して()られますか、087昨年(さくねん)(ひど)()にお()ひでしたなア。088大体(だいたい)(やう)萃廷(すゐてい)()(やつ)密偵(みつてい)同様(どうやう)で、089()司令(しれい)情実(じやうじつ)(から)まれ、090あんな(もの)参謀長(さんぼうちやう)にしたのが破綻(はたん)大原因(だいげんいん)です。091……(ちやう)作霖(さくりん)()司令(しれい)()銃殺(じゆうさつ)意志(いし)実際(じつさい)なかつたのです。092あれは(かん)旅長(りよちやう)越権(ゑつけん)処置(しよち)でした。093しかし(りゆう)陞山(しようさん)(たい)しては好感情(かうかんじやう)()つて()りませぬ。094実際(じつさい)(りゆう)(だん)(てう)営長(えいちやう)部下(ぶか)使嗾(しさう)し、095蒙古地(もうこち)(ない)強姦(がうかん)096掠奪(りやくだつ)などを(たくま)しうして、097討伐令(たうばつれい)原因(げんいん)(つく)つたのですから仕方(しかた)がありませぬ。098種々(しゆじゆ)(てん)から(わたし)入蒙(にふもう)事業(じげふ)破綻(はたん)責任者(せきにんしや)(やう)萃廷(すゐてい)099(りゆう)100(てふ)101佐々木(ささき)102大倉(おほくら)()(にん)だと(おも)つてゐます。103どうか日出雄(ひでを)先生(せんせい)(よろ)しく()(とり)なしを(ねが)ひます。104当方面(たうはうめん)御用(ごよう)(せつ)何時(いつ)でもお使(つか)(くだ)さいませ』
105丸々(まるまる)した、106そして脂切(あぶらぎ)つた(おも)(えみ)(たた)へてゐた。
107 (はう)春亭(しゆんてい)(はう)金山(きんざん)代理(だいり)として(きん)翔宇(しやうう)(とも)真澄別(ますみわけ)訪問(はうもん)したのである。108包春亭(はうしゆんてい)
109包春亭大先生(タアセンシヨン)(ほか)皆様(みなさま)()壮健(さうけん)結構(けつこう)(ござ)います。110二先生(アルセンシヨン)がお()しと()(はう)金山(きんざん)(うかが)(つもり)()りましたが、111拠所(よんどころ)ない都合(つがふ)で、112(わたくし)代理(だいり)寄越(よこ)しました。113(はう)金山(きんざん)(いち)()奉天側(ほうてんがは)から(うたがひ)()(にら)まれ、114(こま)つてゐましたが、115()もなく諒解(りやうかい)され、116(いま)黒竜江省(こくりうこうしやう)督軍(とくぐん)()峻陞(しゆんしよう)顧問(こもん)をしてゐます。117(しか)御用(ごよう)とあれば、118(すくな)くも三千(さんぜん)蒙古兵(もうこへい)(ひき)ゐて、119何時(いつ)でも()ちます。120……(はう)金山(きんざん)昨年(さくねん)索倫(ソーロン)出発(しゆつぱつ)以来(いらい)121()司令(しれい)方針(はうしん)危険味(きけんみ)()びてゐるのを気遣(きづか)ひ、122岡崎(をかざき)先生(せんせい)相談(さうだん)して、123応援軍(おうえんぐん)組織(そしき)する()め、124(ろく)(ぐわつ)八日(やうか)途中(とちう)から手兵(しゆへい)大部(だいぶ)(りゆう)陞山(しようさん)(あづ)け、125奉天(ほうてん)(むか)つた(をり)126(わたくし)(その)()護衛長(ごえいちやう)として随行(ずゐかう)し、127途中(とちう)屡々(しばしば)危険(きけん)遭遇(さうぐう)(なが)ら、128(やうや)奉天(ほうてん)()くと()もなく、129あの悲報(ひはう)(せつ)しましたので、130(はう)金山(きんざん)共々(ともども)(こゑ)をあげて()きました』131今更(いまさら)(ごと)(なみだ)ぐむ。132(きん)翔宇(しやうう)(あと)()けて
133金翔宇(わたくし)索倫(ソーロン)から、134募兵(ぼへい)()黒竜江(こくりうこう)派遣(はけん)せられたのですが、135()司令(しれい)旅費(りよひ)手当(てあて)(あま)少額(せうがく)(こま)つてゐると、136岡崎(をかざき)先生(せんせい)(べつ)心付(こころづ)けをして(くだ)さつた(とき)(うれ)しさは(いま)(わす)れませぬ』
137()へば、138(かたはら)()岡崎(をかざき)
139岡崎鉄首『あれは(みな)大先生(だいせんせい)から(いただ)いたのを、140(きみ)(がた)取次(とりつ)いだまでだ』
141言葉(ことば)(はさ)む。142(きん)翔宇(しやうう)(さら)()()
143金翔宇『あゝさうでせう、144()(かく)あれで(やうや)使命(しめい)(たつ)洮南(たうなん)(まで)(かへ)ると、145(すで)討伐隊(たうばつたい)索倫山(ソーロンざん)(むか)つた(ところ)なので、146(わたくし)(その)一味(いちみ)として投獄(たうごく)せられ、147(あやふ)銃殺(じゆうさつ)せられる(ところ)を、148(かね)洮南(たうなん)旅長(りよちやう)(ちやう)海鵬(かいほう)知合(しりあひ)であつた(ため)149(くび)がつながりました。150(しか)大先生(タアセンシヨン)のお側近(そばちか)(つか)へてゐた(もの)(みな)(たす)かりましたね。151白凌閣(パイリンク)(もと)より、152(をん)長興(ちやうこう)153(しん)(せん)154(わう)瓚璋(さんしやう)155(わう)通訳(つうやく)(とう)(みな)さうです。156それが夫々(それぞれ)危地(きち)(のが)れたのは、157畢竟(ひつきやう)大先生(タアセンシヨン)特別(とくべつ)()加護(かご)としか(おも)へませぬ。158(とき)蒙古(もうこ)青年(せいねん)追々(おひおひ)目醒(めざ)めて()ますから、159(やく)()(もの)漸次(ぜんじ)()えて(まゐ)ります』
160意気(いき)軒昂(けんかう)たるものがある。161真澄別(ますみわけ)(いづ)れの(ひと)にも──昨年(さくねん)蒙古入(もうこいり)君方(きみがた)(おも)(やう)162単純(たんじゆん)失敗(しつぱい)でない(こと)163(かみ)(さま)(はう)から()へば(ふか)いお思召(ぼしめし)のある(こと)や、164世界的(せかいてき)神劇(しんげき)序幕(じよまく)とも()ふべきもので、165(その)()引続(ひきつづ)いての活動(くわつどう)結果(けつくわ)166今回(こんくわい)世界(せかい)宗教(しうけう)聯合会(れんがふくわい)成立(せいりつ)した(こと)などを説明(せつめい)し、167発起人(ほつきにん)連名簿(れんめいぼ)写真(しやしん)など()せると、168各人(かくじん)一様(いちやう)感歎(かんたん)(こゑ)()らし、169前途(ぜんと)祝福(しゆくふく)(わす)れなかつた。170(こと)蒙古人(もうこじん)章嘉(しやうか)との提携(ていけい)非常(ひじやう)(よろ)こんだ。
171大正一四、八、筆録)
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