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第一二章 焦頭(せうとう)爛額(らんがく)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第2篇 奉天より洮南へ よみ(新仮名遣い):ほうてんよりとうなんへ
章:第12章 焦頭爛額 よみ(新仮名遣い):しょうとうらんがく 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
昌図府で役人からいらぬ詮索を受けたため、日出雄と岡崎は、先に大四家子まで進んだ。
その間に奉天から、故障した自動車の修理部品が届いたので修理にかかっていたが、破損がはなはだしいために、時間がかかっていた。
ちょうど自動車の修理を終わったところへ、日本領事館員が官憲をつれて、宿に臨検に来たところであったので、残りの者は急いで荷物を積み込むと、逃げるように大四家子まで自動車を駆って来た。
大四家子で王昌紳氏宅に一泊して饗応を受けた。次の日には一行はまた自動車で茫漠たる大平原を疾走した。
途中、支那兵の一隊にであったり、またもや自動車が故障して修理にかかったりなどして道を進んでいった。道なき道を行く道中は苦労の連続で、車の動揺のたびに頭を打ち、尻を打ち、後の車が前の車に衝突したりした。守高は車体のガラスが破壊して破片を浴び、眼のあたりを負傷した。
ようやく旧四平街に到着したのは、午後三時半ごろであった。自動車は再び大破損し、もはや動くことができなくなったので、やむを得ず荷馬車二台を雇った。
新四平街の貿易商・奥村幹造氏宅に到着したのは午後五時三十分ごろであった。一行はここで久しぶりに日本食を供せられ、日本風呂を振舞われた。この後は四平街駅から列車で鄭家屯に向かうことに決まった。
列車は途中で何度も故障し、修理に何時間も費やしながらゆっくりと進んでいった。その間に、奉天から列車で出発していた真澄別一行は、三月六日の午前零時二十分ごろに洮南駅に到着していた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考:2024/1/11出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-12 20:48:29 OBC :rmnm12
愛善世界社版:105頁 八幡書店版:第14輯 586頁 修補版: 校定版:106頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 (よく)五日(いつか)午前(ごぜん)(さん)()(ごろ)奉天(ほうてん)から機械(きかい)()つて(かへ)つて()たので、002直様(すぐさま)自動車(じどうしや)修繕(しうぜん)着手(ちやくしゆ)した。003何分(なにぶん)破損(はそん)(はなは)だしいので容易(ようい)修繕(しうぜん)出来(でき)なかつた。004日出雄(ひでを)岡崎(をかざき)とは七時(しちじ)(はん)一台(いちだい)自動車(じどうしや)(わう)樹棠(じゆだう)操縦(さうじう)させ(なが)ら、005二十(にじふ)支里(しり)地点(ちてん)なる昌図(しやうと)(きた)006(だい)四家子(しかし)(わう)昌紳(しやうしん)(たく)安着(あんちやく)し、007自動車(じどうしや)門内(もんない)(ふか)()れおき、008守高(もりたか)()自動車(じどうしや)(いち)時間(じかん)(ばか)()つてゐた。009あまり(おそ)いので自動車(じどうしや)荷物(にもつ)全部(ぜんぶ)(おろ)し、010(わう)樹棠(じゆだう)一名(いちめい)運転手(うんてんしゆ)をつれて(ふたた)昌図(しやうと)三号(さんがう)木賃(もくちん)ホテルに引返(ひきかへ)した。011恰度(ちやうど)大破損(だいはそん)した自動車(じどうしや)修繕(しうぜん)(まつた)(をは)り、012荷物(にもつ)()()んだ(ところ)日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)(ゐん)警官(けいくわん)二三(にさん)(めい)引連(ひきつ)れて臨検(りんけん)()た。013そして(わう)樹棠(じゆだう)自動車(じどうしや)(とも)三号店(さんがうてん)(もん)這入(はひ)つた。014日本(につぽん)官吏(くわんり)(ただ)ちに三号店(さんがうてん)(ない)(すす)()り、015調査(てうさ)して()(あひだ)に、016(わう)樹棠(じゆだう)全速力(ぜんそくりよく)()して自動車(じどうしや)()()し、017日出雄(ひでを)()つてゐる(だい)四家子(しかし)(やかた)()して驀地(まつしぐら)二台(にだい)ともやつて()た。
018 (わう)昌紳(しやうしん)(たく)十数(じふすう)(にん)大家族(だいかぞく)何処(どこ)となく気品(きひん)(たか)風貌(ふうばう)をしてゐた。019此処(ここ)家族(かぞく)日本(につぽん)救世主(きうせいしゆ)(きた)れりと()つて、020(おほ)いに歓待(くわんたい)し、021高粱(かうりやう)支那米(しなまい)のお(かゆ)鶏卵(けいらん)(とう)()饗応(きやうおう)した。022一同(いちどう)(たがひ)無事(ぶじ)(よろこ)当家(たうけ)(わか)れを()げ、023茫漠(ばうばく)たる大荒原(だいくわうげん)(じふ)支里(しり)(ばか)疾走(しつそう)すると024二百(にひやく)(めい)(ばか)りの支那兵(しなへい)一隊(いつたい)出会(でつくわ)した。025(わう)樹棠(じゆだう)一切(いつさい)(かま)はず兵隊(へいたい)(れつ)()あてに、026一目散(いちもくさん)(かけ)()く。027(ほと)んど三十(さんじつ)(ぷん)(ばか)()()した(とき)に、028(また)もや機械(きかい)損傷(そんしやう)(きた)し、029(いち)時間(じかん)(ばか)時間(じかん)(つひや)して修繕(しうぜん)取掛(とりかか)つた。
030 丘陵(きうりよう)(はた)(かは)区別(くべつ)なく、031西北(せいほく)(そら)()あてに難路(なんろ)(すす)()豪胆(がうたん)不敵(ふてき)行動(かうどう)に、032旅行(たびゆ)人馬(じんば)(おどろ)いて右往(うわう)左往(さわう)()(まは)る。033大車(だいしや)()いてゐる(うま)(むれ)(おどろ)いて(みぞ)(なか)顛倒(てんたう)する。034(その)(うち)(つぎ)から(つぎ)()牛車(ぎうしや)馬車(ばしや)折重(をりかさ)なつて顛倒(てんたう)する有様(ありさま)は、035(じつ)可笑(をか)しくもあれば()(どく)でもある。036(くるま)動揺(どうえう)につれて日出雄(ひでを)()幾度(いくど)となく(あたま)()(しり)()ち、037時々(ときどき)(あと)自動車(じどうしや)が、038(まへ)自動車(じどうしや)衝突(しようとつ)したり、039車体(しやたい)のガラスが破壊(はくわい)して守高(もりたか)破片(はへん)(あめ)全面(ぜんめん)()び、040眼辺(がんへん)負傷(ふしやう)し、041ダラダラと()(なが)してゐる。042かくして(やうや)(きう)四平街(しへいがい)安着(あんちやく)したのは午後(ごご)(さん)()(はん)(ごろ)であつた。043自動車(じどうしや)(ふたた)大破損(だいはそん)()し、044最早(もは)(うご)(こと)出来(でき)ぬので、045()むを()荷馬車(にばしや)二台(にだい)(やと)寒風(かんぷう)(さら)され(なが)(しん)四平街(しへいがい)貿易商(ぼうえきしやう)奥村(おくむら)幹造(かんざう)()(たく)安着(あんちやく)したのは午後(ごご)()()三十(さんじつ)(ぷん)(ごろ)であつた。
046 此処(ここ)(たく)日出雄(ひでを)()(ひさ)()りで日本食(につぽんしよく)(きやう)せられ、047鶏肉(とりにく)(なべ)(かこ)んで舌鼓(したつづみ)()つた。048途中(とちう)開原(かいげん)朝飯(てうはん)()つたきり今日(けふ)まで日出雄(ひでを)一行(いつかう)車掌(しやしやう)()(にん)昼夜(ちうや)区別(くべつ)なく、049(ろく)(めし)()はなかつたが元気(げんき)益々(ますます)旺盛(わうせい)であつた。050当夜(たうや)奥村(おくむら)(かた)一泊(いつぱく)洮南府(たうなんふ)日本(につぽん)居留民(きよりうみん)会長(くわいちやう)平馬(へいま)慎太郎(しんたらう)()案内(あんない)で、051四平街(しへいがい)(えき)から鄭家屯(ていかとん)(むか)(こと)(きま)つた。052当家(たうけ)にて久々(ひさびさ)にて日本(につぽん)風呂(ぶろ)入浴(にふよく)し、053(あせ)(あか)(おと)(よく)早朝(さうてう)四平街(しへいがい)より列車(れつしや)(きやく)となつた。054(この)()非常(ひじやう)陽気(やうき)(あたた)かく支那服(しなふく)上着(うはぎ)(いち)(まい)()(まい)次々(つぎつぎ)()ぎ、055(まど)()けて茫々(ばうばう)たる大原野(だいげんや)(かぜ)(あた)りつつ(すす)んで()く。056午後(ごご)(ろく)()五十(ごじつ)(ぷん)鄭家屯(ていかとん)(えき)下車(げしや)057山本(やまもと)熊之(くまゆき)()(かた)一泊(いつぱく)する(こと)となつた。058岡崎(をかざき)059平馬(へいま)060守高(もりたか)061(わう)元祺(げんき)()(にん)は、062日本(につぽん)東屋(あづまや)()料理店(れうりてん)(おい)063牛飲(ぎういん)馬食(ばしよく)(くわい)(ひら)大変(たいへん)なメートルを()げ、064多福(たふく)仲居(なかゐ)や、065(ぶた)芸者(げいしや)盃盤(はいばん)(あひだ)斡旋(あつせん)し、066(おほ)いに豪傑(がうけつ)()りを発揮(はつき)したが、067(よく)早朝(さうてう)日出雄(ひでを)(とま)つて()山本(やまもと)(かた)()(きた)(ただ)ちに停車場(ていしやぢやう)へと()けつけた。068(まさ)午前(ごぜん)(ろく)()三十(さんじつ)(ぷん)である。
069 臥虎屯(がことん)(えき)西北(せいほく)(はう)土饅頭(どまんじう)(がた)宝裏山(ほうりざん)が、070大原野(だいげんや)寂寞(じやくまく)(やぶ)つて端然(たんぜん)として()つて()る。071饅頭(まんじう)()せた(やう)(やま)蒙古(もうこ)七山(しちざん)(ひとつ)なりと()(こと)である。072(この)洮南(たうなん)鉄道(てつだう)()(いち)(ぐわつ)(はじ)めて試運転(しうんてん)(おこな)(やうや)鉄路(てつろ)(かた)まつた(ところ)で、073(こと)にその汽車(きしや)満鉄(まんてつ)古物(ふるもの)(ばか)りで途中(とちう)機関(きくわん)損傷(そんしやう)()たし、074茂林(もりん)(えき)手前(てまへ)(しち)時間(じかん)(ばか)りも立往生(たちわうじやう)をした。075岡崎(をかざき)支那(しな)将校(しやうかう)()(にん)相手(あひて)談論(だんろん)風発(ふうはつ)(さか)んにメートルを()げ、076三蔵(さんざう)法師(ほふし)について()つた猪八戒(ちよはつかい)(しき)発揮(はつき)し、077日出雄(ひでを)(けむ)()いた。078蒙古(もうこ)名物(めいぶつ)黄塵(くわうぢん)万丈(ばんじやう)岡崎(をかざき)鼻息(はないき)には跣足(はだし)()()しさうであつた。
079 汽車(きしや)途中(とちう)停車(ていしや)(あや)しんで、080附近(ふきん)村落(そんらく)より蒙古人(もうこじん)老若(らうにやく)男女(だんぢよ)数十(すうじふ)(にん)(ばか)物珍(ものめづ)らしさうに(あつ)まつて()た。081そして呑気(のんき)さうに(なが)煙管(きせる)煙草(たばこ)をパクついて()た。082(これ)()ても日本(につぽん)神代(かみよ)()くの(ごと)呑気(のんき)であつたらう(など)と、083歴史(れきし)(さかのぼ)つて日出雄(ひでを)冥想(めいさう)(ふけ)つた。084日出雄(ひでを)車中(しやちう)(おい)数十(すうじつ)(しゆ)和歌(わか)(えい)じた。085その(うち)一部(いちぶ)()(ろく)する。
 
086 (はて)しなき大野(おほの)(はら)(すす)()(わが)(たましひ)(いさ)みけるかな
087 (あめ)(つち)(ひと)つになりて国津(くにつ)(かみ)広野(ひろの)(むしろ)()きて(われ)()
088 (やうや)くに安宅(あたか)(せき)をくぐり()(いま)蒙古(もうこ)広野(くわうや)(はし)
089 ()(すで)蒙古(もうこ)(くに)(にぎ)りたる(ごと)心地(ここち)意気(いき)(てん)()
090 (かぜ)(きよ)()はうららかに枯野原(かれのはら)(はる)めき()ちて陽炎(かげらふ)()ゆる
091 (こと)ならば(わが)同胞(はらから)(まね)()新楽園(しんらくゑん)(すく)(たす)けむ
092 五五(ごご)()日数(ひかづ)(かさ)ねて(やうや)くに(たから)(くに)()りし(われ)かな
093 際限(さいげん)()らぬ原野(げんや)真中(まんなか)蒙古(もうこ)人家(じんか)チラチラ()ゆる
094 一点(いつてん)(くも)りさへなき大空(おほぞら)地平線(ちへいせん)(じやう)(くだ)りて()ゆる
095 ()(くさ)()(こと)()蒙古人(もうこじん)(そら)(つき)(ほし)(はな)()るらむ
096 ()(ゆき)(こほ)れる(うへ)()()りて大野(おほの)(はら)大海(だいかい)()
097 (うみ)(しほ)(ひか)ると(ばか)(うたが)はる大野(おほの)(はら)(ゆき)()()
 
098 際限(さいげん)もなき大荒原(だいくわうげん)(なか)土室(つちむろ)(ごと)人家(じんか)がポツリポツリと建並(たちなら)び、099車窓(しやさう)より(ながむ)れば(りく)大洋(たいやう)(ふね)(うか)んだ(やう)である。100(とほ)()(はな)てば楊柳(やうりう)立木(たちき)大原野(だいげんや)単調(たんてう)(やぶ)つて、101コンモリと(くろ)ずんだ(もり)をなしてゐる。102大平川(たいへいせん)(えき)にて(また)もや汽車(きしや)停車(ていしや)し、103給水(きふすゐ)やなんかでゴテゴテと(やく)(いち)時間(じかん)()(つひや)した。104岡崎(をかざき)は、
105岡崎『エー、106(この)ボロ汽車(きしや)()107まるで蛞蝓(なめくぢら)江戸行(えどゆき)()たやうだ』
108口角(こうかく)(あは)()ばして(おこ)()した。109日出雄(ひでを)(わら)(なが)ら、
110日出雄岡崎(をかざき)さん、111汽車(きしや)(うご)かなけりや仕方(しかた)がないから()()かして徒歩(かち)出掛(でか)け、112(つぎ)(えき)汽車(きしや)()つて()()へたら、113それ()(はや)洮南(たうなん)(えき)()くだらう。114アハヽヽヽ』
115馬鹿口(ばかぐち)をたたく、116支那(しな)商人(せうにん)岡崎(をかざき)()て、
117商人貴下(きか)何処(どこ)まで()かるるか、118(なん)(よう)があつて旅行(りよかう)されるのか』
119不思議(ふしぎ)さうに()ふ。
120岡崎(をかざき)馬鹿(ばか)()ふな、121(よう)のない(もの)汽車(きしや)()つて(たび)をするか、122余計(よけい)世話(せわ)()くと()りとばすぞ、123貴様(きさま)のやうな(おれ)商人(せうにん)ではないぞ、124金箔付(きんぱくつき)東三省(とうさんしやう)高等官(かうとうくわん)だ』
125とエライ馬力(ばりき)(しか)()ばす。
126(日出雄)日本人(につぽんじん)支那人(しなじん)(たい)し、127(すべ)てがこんな調子(てうし)だから何程(なにほど)日支(につし)親善(しんぜん)(さけ)んでも駄目(だめ)だなア』
128日出雄(ひでを)独語(どくご)した。
129 洮南(たうなん)(ちやく)時間(じかん)午後(ごご)()()二十(にじふ)(ぷん)である。130(しか)るに汽車(きしや)はまだ大平川(たいへいせん)(えき)()げついてゐる。
131(守高)真澄別(ますみわけ)一行(いつかう)(さむ)停車場(ていしやぢやう)自分(じぶん)()阿呆(あはう)()ちしてゐるだらう。132(ぼく)洮南(たうなん)(ちやく)(はじ)めて三日月(みかづき)()(つも)りだから133一寸(ちよつと)まじないをして汽車(きしや)()めてゐるのだ、134アハヽヽヽ』
135阿呆口(あはうぐち)()つてゐるのは守高(もりたか)であつた。
136 通訳(つうやく)(わう)元祺(げんき)何処(どこ)ともなく元気(げんき)がない。137青白(あをじろ)(かほ)して(よこ)になり、138(はな)()()でてはウンウンと大声(おほごゑ)(うな)り、139(しばら)くしては(また)キヨロリと()()け、140窓外(さうぐわい)不足(ふそく)(さう)(かほ)をして(なが)めてゐる。141持病(ぢびやう)睾丸炎(かうぐわんえん)再発(さいはつ)したからであつた。
 
142 太陽(たいやう)地平線(ちへいせん)(じやう)(ちか)づけどまだ洮南(たうなん)(はる)かなりけり
143 ぐづ汽車(きしや)()りて荒原(くわうげん)()()けば欠伸(あくび)(たま)連発(れんぱつ)となる
 
144     車上(しやじやう)懐古(くわいこ)
145汽車(きしやは)破壊(はくわいす)昌図街(しやうとがい)
146危険(きけん)刻々(こくこく)迫我隊(わがたいにせまる)
147巡警(じゆんけい)兵士(へいし)日警官(にちけいくわん)
148窺間(かんをうかがひて)一行(いつかう)(きふに)遁晦(とんくわいす)
149 (ちなみ)真澄別(ますみわけ)一行(いつかう)は、150(さん)(ぐわつ)三日(みつか)午後(ごご)十一(じふいち)()十分(じふぶん)奉天(ほうてん)(えき)(はつ)長春(ちやうしゆん)(ゆき)列車(れつしや)搭乗(たふじよう)し、151四日(よつか)午前(ごぜん)()()(はん)四平街(しへいがい)(ちやく)152植半(うゑはん)旅館(りよくわん)にて朝餐(てうさん)(きつ)し、153同日(どうじつ)午前(ごぜん)(はち)()(はん)四平街(しへいがい)(はつ)154正午前(しやうごまへ)鄭家屯(ていかとん)(ちやく)155ホテルに投宿(とうしゆく)した。156そして(さん)(ぐわつ)五日(いつか)午前(ごぜん)(ろく)()(はん)(はつ)列車(れつしや)にて洮南(たうなん)(むか)つた。157中途(ちうと)三林(さんりん)(えき)(はつ)()もなく、158機関車(きくわんしや)故障(こしやう)(おこ)159列車(れつしや)荒野(くわうや)真中(まんなか)立往生(たちわうじやう)した。160係員(かかりゐん)東奔(とうほん)西走(せいそう)して(つひ)鄭家屯(ていかとん)より救援(きうゑん)機関車(きくわんしや)引張(ひつぱ)つて()(やうや)進行(しんかう)(はじ)めた。161(とき)午後(ごご)()()162沿道(えんだう)馬賊(ばぞく)襲来(しふらい)(たい)する警戒(けいかい)物々(ものもの)しき(なか)列車(れつしや)遅々(ちち)として運転(うんてん)し、163()十二(じふに)()()ぐる二十(にじふ)(ぷん)洮南(たうなん)(えき)到着(たうちやく)した。164一行(いつかう)洮南(たうなん)旅館(りよくわん)のボーイに(むか)へられ支那(しな)馬車(ばしや)二台(にだい)分乗(ぶんじやう)し、165銃剣(じうけん)をつけたる兵隊(へいたい)(まも)られつつ(とく)(ひら)かれたる城門(じやうもん)(くぐ)つて洮南(たうなん)旅館(りよくわん)(とう)じた。
166大正一四、八、筆録)
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