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第三一章 強行軍(きやうかうぐん)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第5篇 雨後月明 よみ(新仮名遣い):うごげつめい
章:第31章 強行軍 よみ(新仮名遣い):きょうこうぐん 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
猪野軍医長は、盧占魁の軍隊が兵隊も減り始めたのを心配し、もう盧占魁と決別して別行動を取ろうかと提案した。真澄別は、神様の使命が一番に下ったのだから、行くところまで行かなければ仕方がない、と諭した。
岡崎は応援軍を組織するために、一足先に奉天へ戻った後であった。
盧占魁の実弟と、名田彦、山田、小林善吉その他支那人二名が、洮南に向かって強行軍に邪魔になる荷物を積み、一度奉天へ向かって戻っていった。彼ら一行は洮南で官憲に捉えられ、盧の弟は銃殺され、日本人は領事館渡しとなった。
真澄別は日出雄の意を受けて、隊の中でも一番の大部隊を率いている劉陞山と筆談を交わしていた。そして、今後の行軍予定は綏遠で冬籠りをすることだと聞かされた。
六月十一日に熱河区内のラマ廟に着いて、食料を満たすことができた。六月十三日にまたラマ廟に宿泊した。方向は依然として東南に戻り、奉天の張作霖の勢力範囲に近づいて行く様子なので、真澄別が問いただすと、盧占魁はただ、民家の多いところに行くとだけ答えた。
十四日の夕暮れに達頼汗王府と称する管内に入ったが、王府は王は不在であると誠に無愛想な対応であった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考:2024/2/12出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-02-12 12:26:03 OBC :rmnm31
愛善世界社版:275頁 八幡書店版:第14輯 648頁 修補版: 校定版:279頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 岩窟(がんくつ)附近(ふきん)もホノボノと()()めた(ころ)6月8日?の朝002(うま)()ばしてやつて()たのは萩原(はぎはら)である。
003萩原(はぎはら)昨晩(さくばん)真澄(ますみ)さんからのお()らせに()つて早速(さつそく)引返(ひきかへ)さうかと(おも)ひましたが、004どう()ふものか道筋(みちすぢ)真暗(まつくら)(うま)一寸(ちよつと)(すす)みませぬので、005(やうや)只今(ただいま)(まゐ)りました。006昨晩(さくばん)人家(じんか)四五(しご)(けん)あつた(ため)007(かへ)つて混雑(こんざつ)してゴタゴタしてゐましたから、008()しにならなかつた(はう)好都合(かうつがふ)でした』
009坂本(さかもと)『ヤツパリ(かみ)(さま)前途(さき)()える(わい)
010萩原(はぎはら)岡崎(をかざき)さんは非常(ひじやう)憤慨(ふんがい)して()占魁(せんくわい)(あた)()らしてゐましたよ。011それから名田彦(なだひこ)さんは病気(びやうき)(こま)つて心細(こころぼそ)がつて()ましたが、012(なん)でもポツポツ歩行(ある)いて引返(ひきかへ)して()るらしかつたですよ』
013日出雄(ひでを)『そら可愛相(かあいさう)だ。014オイ白凌閣(パイリンク)015(うま)()つて名田彦(なだひこ)さんを(むか)へて()い』
016 白凌閣(パイリンク)(ただ)ちに(こま)(またが)り、017守高(もりたか)乗馬(じようば)名田彦(なだひこ)(むかへ)(うま)として引具(ひきぐ)()()した。018それと()(ちが)ひに、019五六(ごろく)(とう)(こま)(かしら)()(なら)べて疾駆(しつく)()たのは、020()占魁(せんくわい)(その)副官(ふくくわん)(れん)とであつた。021()(ただ)ちに日出雄(ひでを)(そば)()叩頭(かうとう)して何事(なにごと)(べん)じたが、022生憎(あひにく)(この)()には山西省(さんせいしやう)(なま)りの(かれ)支那語(しなご)通訳(つうやく)()(もの)がなかつたが、023(えう)するに『露営(ろえい)適当(てきたう)場所(ばしよ)選定(せんてい)する(ため)(いそ)いだので、024無断(むだん)()つたのは(まこと)()まなかつた。025(ぐん)整理(せいり)もせねばならず、026混雑(こんざつ)してゐるから、027自分(じぶん)心裡(しんり)(さつ)して一緒(いつしよ)(すす)んで(もら)ひたい』といふ意味(いみ)であつたらしい。028日出雄(ひでを)(ただ)
029日出雄()苦労(くろう)であつた』
030との一言(いちごん)(のこ)し、031真澄別(ますみわけ)032守高(もりたか)(ともな)岩山(いはやま)頂上(ちやうじやう)(のぼ)り、033東天(とうてん)(むか)つて祝詞(のりと)合奏(がつさう)し、034萩原(はぎはら)をして記念(きねん)撮影(さつえい)をなさしめ、035悠々(いういう)として朝食(てうしよく)(きつ)した。036()(ふたた)日出雄(ひでを)(そば)()懇願(こんぐわん)()(へう)すると、037日出雄(ひでを)(うなづ)(なが)(うま)(またが)つた。
038真澄別(ますみわけ)先生(せんせい)039またお(すす)みなさるのですか、040(うま)(はな)して別行動(べつかうどう)()らうではありませぬか』
041引止(ひきと)むれば、
042日出雄(ひでを)折角(せつかく)()懇願(こんぐわん)するから(みな)()(ところ)まで()つて(その)(うへ)(こと)にしよう』
043出発(しゆつぱつ)(いそ)ぐ。044名田彦(なだひこ)山田(やまだ)(とも)轎車(けうしや)便乗(びんじよう)し、045司令部(しれいぶ)駐屯所(ちうとんじよ)(まで)(すす)(こと)となつた。
046真澄別(ますみわけ)『チエツ()()()かれて善光寺(ぜんくわうじ)(まゐ)りか』
047 と(つぶや)(なが)ら、048日出雄(ひでを)()(うなが)され砂煙(すなけむ)りを()てて(うま)(いそ)がすのを見送(みおく)つた。049途中(とちう)まで出迎(でむか)へに()猪野(ゐの)軍医長(ぐんいちやう)(くつわ)(なら)べ、050何事(なにごと)(かた)()ひつつボツボツ(すす)()く。
051猪野(ゐの)二先生(アルセンシヨン)052()占魁(せんくわい)(ちから)にして()ては前途(ぜんと)心細(こころぼそ)(こと)はありますまいか。053岡崎(をかざき)さんは、054現状(げんじやう)では(あやふ)くて仕方(しかた)がないから、055(なん)とか方法(はうはふ)(かう)じて()ると()つて、056(はう)団長(だんちやう)轎車(けうしや)同乗(どうじやう)して先程(さきほど)出発(しゆつぱつ)しましたよ』
057真澄別(ますみわけ)()(かく)(かみ)(さま)からの第一(だいいち)命令(めいれい)()占魁(せんくわい)(くだ)つたのだから、058安全(あんぜん)入蒙(にふもう)出来(でき)たのは()占魁(せんくわい)活動(くわつどう)ぢやないか』
059猪野(ゐの)昨晩(さくばん)から段々(だんだん)兵隊(へいたい)()(やう)だ……()命令(めいれい)(すこ)しも権威(けんい)がありませぬ。060これ(くらゐ)部隊(ぶたい)統一(とういつ)出来(でき)ない(やう)では不安(ふあん)(たま)りませぬ。061ヤハリ最初(さいしよ)岡崎(をかざき)さんの計画(けいくわく)奉天(ほうてん)日出雄(ひでを)先生(せんせい)のお住居(すまゐ)まで用意(ようい)して()つたと()(てう)(てき)(てう)(けつ)をお利用(つかひ)になつた(はう)()かつたらうと(おも)ひますが、062()うでせう。063岡崎(をかざき)さんも(しき)りにさう()つて()られましたよ』
064真澄別(ますみわけ)(かみ)(さま)(おも)ひと人間(にんげん)(おも)ひとは大変(たいへん)相違(さうゐ)のある(もの)で、065実際(じつさい)人間(にんげん)には善悪(ぜんあく)正邪(せいじや)批判(ひはん)する資格(しかく)もないのだから、066(えう)するに()占魁(せんくわい)()占魁(せんくわい)としての使命(しめい)があり、067(りう)陞山(しようさん)第9章・他では「劉陞三」になっている。には(りう)陞山(しようさん)としての使命(しめい)があつて従軍(じゆうぐん)してゐるのだから、068最後(さいご)(まで)()かなきや(その)真相(しんさう)(わか)るものでないよ。069マア()(ところ)まで()くのさ』
070猪野(ゐの)(まつた)(りう)(かへ)つて()命令(めいれい)する(やう)傾向(けいかう)ですよ。071(りう)(たい)人数(にんずう)一番(いちばん)(おほ)いし武器(ぶき)(そろ)ふてますからなア。072(わたし)(なん)だか危険味(きけんみ)(かん)ずるので、073一度(いちど)洮南(たうなん)(かへ)つてみたい(やう)()(いた)しますが如何(いかが)でせう』
074真澄別(ますみわけ)『それは大先生(だいせんせい)(うかが)つてお()めなさい。075(わたし)としては(いづ)れとも()(すす)めする(わけ)には()かない。076(わたし)大先生(だいせんせい)自身(じしん)(かみ)(しん)じて()るので、077仮令(たとへ)自分(じぶん)(かんが)へと(ちが)つた言行(げんかう)大先生(だいせんせい)にあつても、078何事(なにごと)(その)舞台(ぶたい)々々(ぶたい)筋書(すぢがき)(かみ)(さま)でなくては(わか)らぬから、079大先生(だいせんせい)(たい)()(めい)()(したが)つて()くのだ。080(なん)だか最前(さいぜん)岩窟(がんくつ)から前進(ぜんしん)するのは(いや)仕方(しかた)がないけれども、081大先生(だいせんせい)がああして()一緒(いつしよ)(すす)まれるのだから(かみ)(まか)せて()くのですよ』
082猪野(ゐの)『そんなものですかなア』
083 と()()ちぬ顔色(かほいろ)(したが)()く。084(この)(とき)司令部(しれいぶ)駐屯所(ちうとんじよ)熱河(ねつか)最北部(さいほくぶ)()民家(みんか)で、085輓近(ばんきん)大英子児(タアインヅル)活動(くわつどう)根拠(こんきよ)は、086(みぎ)岩窟(がんくつ)附近(ふきん)だといふのも(なん)()かの因縁事(いんねんごと)であらう。087さて日出雄(ひでを)一行(いつかう)到着(たうちやく)した司令部(しれいぶ)兵員(へいゐん)整理(せいり)(ため)如何(いか)にも混雑中(こんざつちう)で、088岡崎(をかざき)包金山(はうきんざん)(とも)応援軍(おうゑんぐん)組織(そしき)(ため)奉天(ほうてん)(むか)つた(あと)であつた。089(ここ)陣容(ぢんよう)一新(いつしん)され、090乗馬(じやうば)銃器(じゆうき)調(とと)のはざるものは、091それぞれ旅費(りよひ)手当(てあて)給与(きふよ)して帰還(きくわん)()()かしめる(こと)となつた。092()実弟(じつてい)()秉徳(へいとく)093名田彦(なだひこ)094山田(やまだ)095小林(こばやし)善吉(ぜんきち)(その)()支那人(しなじん)()(めい)は、096洮南(たうなん)より(きた)れる二台(にだい)轎車(けうしや)分乗(ぶんじやう)し、097強行軍(きやうかうぐん)邪魔(じやま)になる(やう)携帯品(けいたいひん)をも()()み、098四百余(しひやくよ)支里(しり)距離(きより)(しよう)せらるる洮南(たうなん)(むか)つて帰奉(きほう)()()いた。099(この)一行(いつかう)(のち)(いた)突泉(とつせん)にて支那(しな)官憲(くわんけん)()(つかま)へられ100()秉徳(へいとく)洮南(たうなん)(おい)銃殺(じゆうさつ)せられ、101日本側(につぽんがは)(さん)(めい)領事館(りやうじくわん)(わた)しとなつたのである。
102 ()民家(みんか)一室(いつしつ)には、103真澄別(ますみわけ)日出雄(ひでを)()()けて(りう)陞山(しようさん)筆談(ひつだん)交換(かうくわん)してゐる。104(その)意味(いみ)()(とほ)りである。
105真澄別(ますみわけ)一体(いつたい)(この)部隊(ぶたい)(これ)から何方(どちら)()(こと)になつてゐますか』
106(りう)物資(ぶつし)(ゆた)かな綏遠(すゐえん)冬籠(ふゆごも)りをするのだと()つてゐますから、107()察哈爾(チヤハル)(むか)ふのでせう。108それに(つい)てはこれから三百(さんびやく)支里(しり)(ほど)()つた(ところ)で、109開魯(かいろ)(へい)一戦(ひといくさ)せねばなりませぬから、110此処(ここ)可成(かな)手足纏(てあしまとひ)(すく)なくする(やう)(はか)つたのです』
111真澄別(ますみわけ)『あなたは何処(どこ)(まで)()司令(しれい)行動(かうどう)(とも)にするお(かんが)へですか』
112(りう)大体(だいたい)(わたし)(なに)()らずに参加(さんか)したのです。113奉天(ほうてん)第一(だいいち)師長(しちやう)()景林(けいりん)から、114鄭家屯(ていかとん)(かん)旅長(りよちやう)手紙(てがみ)をやつた結果(けつくわ)115(かん)中将(ちうじやう)(きみ)()保護(ほご)すると()つてるから116(はや)索倫(ソーロン)()つて()占魁(せんくわい)(ぐん)参加(さんか)せよとの(こと)でしたから、117(じつ)()(ぐん)目的(もくてき)(なに)()かず、118()きな(みち)だから、119早速(さつそく)手兵(しゆへい)()れて参加(さんか)した次第(しだい)ですが、120(わたし)()(かく)大先生(だいせんせい)中心(ちうしん)にして何処(どこ)(まで)押立(おした)てる(かんが)へで()ります。121おお司令(しれい)其処(そこ)()えました』
122 ()(この)(とき)微笑(びせう)(なが)()(きた)り、
123()『これで武器(ぶき)携帯(けいたい)した騎兵(きへい)のみ五百(ごひやく)()となりました。124こんな(ところ)駐屯(ちうとん)して()ても仕方(しかた)がありませぬから、125今少(いますこ)兵糧(ひやうらう)()られる(ところ)まで(まゐ)りませう。126大先生(だいせんせい)今日(けふ)から轎車(けうしや)()つて(いただ)(こと)(いた)します』
127 とて(ただ)ちに出動(しゆつどう)用意(ようい)(ととの)へた。128(りう)陞山(しようさん)部隊(ぶたい)先鋒(せんぽう)()ち、129日出雄(ひでを)自分(じぶん)手廻(てまは)(ひん)()貴重品(きちようひん)()()はした轎車(けうしや)()り、130()占魁(せんくわい)(みづか)(うま)(ぎよ)し、131守高(もりたか)(ならび)二三(にさん)支那(しな)将校(しやうかう)日出雄(ひでを)轎車(けうしや)附添(つきそ)(まも)り、132真澄別(ますみわけ)(あるひ)先頭(せんとう)(あるひ)後方(こうはう)出没(しゆつぼつ)して全軍(ぜんぐん)見守(みまも)り、133萩原(はぎはら)写真機(しやしんき)(かた)にして自由(じいう)()(まは)り、134(ここ)西南(せいなん)(むか)ふて強行軍(きやうかうぐん)開始(かいし)せられることとなつた。135(ただ)宿営(しゆくえい)場合(ばあひ)には、136日本人(につぽんじん)一同(いちどう)日出雄(ひでを)(そば)(あつま)一団(いちだん)となる(こと)(わす)れなかつた。
137 (ろく)(ぐわつ)十一(じふいち)(にち)陰暦(いんれき)()(ぐわつ)十日(とをか))の(あさ)138熱河(ねつか)区内(くない)喇嘛廟(ラマベウ)到着(たうちやく)する(まで)139(とき)数戸(すうこ)民家(みんか)中心(ちうしん)として休息(きうそく)する(ほか)(ほとん)昼夜(ちうや)兼行(けんかう)強行軍(きやうかうぐん)で、140索倫(ソーロン)より携帯(けいたい)せし食料(しよくれう)(すで)()き、141巻煙草(まきたばこ)一本(いつぽん)()(まは)しも(もと)()れて(しま)ふ。142()(その)()阿片(アヘン)嗜好者(しかうしや)顔色(がんしよく)憔悴(せうすゐ)して勇気(ゆうき)(とみ)(おとろ)へ、143(うま)(たふ)るる(もの)(あるひ)落伍(らくご)する(もの)漸次(ぜんじ)増加(ぞうか)窮境(きうきやう)(おちい)つた。144(やうや)くにして喇嘛廟(ラマベウ)において炒米(チヨウミイ)供給(きようきふ)()145附近(ふきん)民家(みんか)より(ひつじ)(もと)めて全員(ぜんゐん)(はら)()たす(こと)出来(でき)たのである。146蒙古(もうこ)内地(ないち)喇嘛廟(ラマベウ)(がい)して小高(こだか)丘上(きうじやう)(また)山腹(さんぷく)建立(こんりふ)せられ、147本堂(ほんだう)最上(さいじやう)中心(ちうしん)として数多(あまた)僧坊(そうばう)が、148それぞれ西蔵(チベツト)本山(ほんざん)()して羅列(られつ)し、149(これ)遠望(ゑんばう)すれば(さなが)一大(いちだい)城廓(じやうくわく)(くわん)がある。150地方(ちはう)()りて美観(びくわん)壮観(さうくわん)程度(ていど)はあるが、151一般(いつぱん)民家(みんか)茅屋(あばらや)()しくは羊皮(やうひ)天幕(てんと)住居(すまゐ)対照(たいせう)して、152調和(てうわ)()れない(こと)(おびただ)しい。153(もつと)()れは蒙古(もうこ)民族(みんぞく)信仰(しんかう)結晶(けつしやう)として(あら)はれてるのだから批判(ひはん)(かぎ)りではあるまい。154(また)炒米(チヨウミイ)日本(につぽん)(あは)()つた(やう)なもので、155(その)(まま)()べても(かん)ばしい(あぢ)がある。156(ちや)()しくは牛乳(ぎうにう)ブツかければ猶更(なほさら)()(やす)蒙古(もうこ)唯一(ゆゐいつ)穀物(こくもつ)である。157(この)()より(さら)方向(はうかう)一転(いつてん)されて東南(とうなん)()して(すす)(こと)となつた。158局面(きよくめん)展開(てんかい)して、159(あるひ)小砂漠(せうさばく)160(あるひ)砂山(すなやま)(わづ)かに草木(さうもく)()(しげ)れる(ところ)横断(わうだん)せねばならなかつた。
161 (ろく)(ぐわつ)十三(じふさん)(にち)陰暦(いんれき)()(ぐわつ)十二(じふに)(にち)(また)もや喇嘛廟(ラマベウ)宿泊(しゆくはく)する(こと)()たが、162方向(はうかう)依然(いぜん)東南(とうなん)(むか)奉天省(ほうてんしやう)勢力(せいりよく)範囲(はんゐ)(ちか)づく様子(やうす)なので、163真澄別(ますみわけ)()(ただ)すと、
164盧占魁民家(みんか)(おほ)(ところ)()かねば、165兵糧(ひやうらう)馬糧(ばりやう)不足(ふそく)して、166()うする(こと)出来(でき)ませぬ』
167 と(ちから)なげに(こた)ふる(ばか)りであつた。168(やうや)くにして十四日(じふよつか)夕暮(ゆうぐれ)(ちか)(ころ)169達頼汗(タアライハン)王府(わうふ)一族(いちぞく)(しよう)する管内(くわんない)()ると、170輪奐(りんくわん)()(きは)めた朱欄(しゆらん)碧瓦(へきぐわ)形容詞(けいようし)相当(さうたう)しさうな喇嘛廟(ラマベウ)王府(わうふ)が、171(やく)十丁(じつちやう)(ばか)(はな)れて対立(たいりつ)し、172(ほか)支那風(しなふう)建築(けんちく)民家(みんか)十数戸(じふすうこ)()(なら)んで()る。173()司令(しれい)王府(わうふ)使(つかひ)(つか)はし面会(めんくわい)申込(まをしこ)むと、174(わう)不在(ふざい)なりとて数人(すうにん)留守居(るすゐ)(まこと)無愛想(ぶあいさう)挨拶(あいさつ)なのに、175()不審(ふしん)(おも)ひをし(なが)ら、176西南方(せいなんぱう)谷間(たにま)民家(みんか)(さが)()て、177一同(いちどう)宿泊所(しゆくはくじよ)()めた。178此処(ここ)喇嘛廟(ラマベウ)全部(ぜんぶ)()(とざ)し、179(ねこ)()一匹(いつぴき)ゐない静寂(せいじやく)さであつたのは、180(すこぶ)一同(いちどう)(まゆ)をひそめしめた。
181 (この)()薄暗(うすぐら)宿営(しゆくえい)一遇(いちぐう)に、182日出雄(ひでを)何事(なにごと)かヒソヒソと真澄別(ますみわけ)(むか)(ささや)いてゐたが、183(ただ)最後(さいご)真澄別(ますみわけ)(こゑ)として、
184真澄別洮南(たうなん)()神勅(しんちよく)に、185今度(こんど)(きよ)必要(ひつえう)(かね)十万(じふまん)(ゑん)だと(うけたまは)つて()ましたから、186()以上(いじやう)金額(きんがく)(はや)()へば死金(しにがね)だと(わたし)(しん)じてゐます。187そして最後(さいご)(かみ)木局子(もくきよくし)大石(おほいし)()(せま)られて、188先生(せんせい)矢野(やの)さんへ送金(そうきん)する(やう)依頼状(いらいじやう)をお()きに()つたなどは、189(まつた)一種(いつしゆ)脅迫(けふはく)でしたね』
190 と(きこ)えたのみで、191あとは(いぬ)のけたたましき()(ごゑ)()森閑(しんかん)()()くのであつた。
192大正一四、八、筆録)
絶賛発売中『超訳霊界物語2/出口王仁三郎の「身魂磨き」実践書/一人旅するスサノオの宣伝使たち』
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