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第2巻(丑の巻)
第3巻(寅の巻)
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第6巻(巳の巻)
第7巻(午の巻)
第8巻(未の巻)
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第11巻(戌の巻)
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第13巻(子の巻)
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第66巻(巳の巻)
第67巻(午の巻)
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特別編 入蒙記
第1篇 日本より奉天まで
01 水火訓
02 神示の経綸
03 金剛心
04 微燈の影
05 心の奥
06 出征の辞
07 奉天の夕
第2篇 奉天より洮南へ
08 聖雄と英雄
09 司令公館
10 奉天出発
11 安宅の関
12 焦頭爛額
13 洮南旅館
14 洮南の雲
第3篇 洮南より索倫へ
15 公爺府入
16 蒙古の人情
17 明暗交々
18 蒙古気質
19 仮司令部
20 春軍完備
21 索倫本営
第4篇 神軍躍動
22 木局収ケ原
23 下木局子
24 木局の月
25 風雨叱咤
26 天の安河
27 奉天の渦
28 行軍開始
29 端午の日
30 岩窟の奇兆
第5篇 雨後月明
31 強行軍
32 弾丸雨飛
33 武装解除
34 竜口の難
35 黄泉帰
36 天の岩戸
37 大本天恩郷
38 世界宗教聯合会
39 入蒙拾遺
附 入蒙余録
大本の経綸と満蒙
世界経綸の第一歩
蒙古建国
蒙古の夢
余白歌
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> 第5篇 雨後月明 > 第31章 強行軍
<<< 岩窟の奇兆
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第三一章
強行軍
(
きやうかうぐん
)
インフォメーション
著者:
出口王仁三郎
巻:
霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記
篇:
第5篇 雨後月明
よみ(新仮名遣い):
うごげつめい
章:
第31章 強行軍
よみ(新仮名遣い):
きょうこうぐん
通し章番号:
口述日:
1925(大正14)年08月
口述場所:
筆録者:
校正日:
校正場所:
初版発行日:
1925(大正14)年2月14日
概要:
舞台:
あらすじ
[?]
このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「
王仁DB
」にあります。
[×閉じる]
:
猪野軍医長は、盧占魁の軍隊が兵隊も減り始めたのを心配し、もう盧占魁と決別して別行動を取ろうかと提案した。真澄別は、神様の使命が一番に下ったのだから、行くところまで行かなければ仕方がない、と諭した。
岡崎は応援軍を組織するために、一足先に奉天へ戻った後であった。
盧占魁の実弟と、名田彦、山田、小林善吉その他支那人二名が、洮南に向かって強行軍に邪魔になる荷物を積み、一度奉天へ向かって戻っていった。彼ら一行は洮南で官憲に捉えられ、盧の弟は銃殺され、日本人は領事館渡しとなった。
真澄別は日出雄の意を受けて、隊の中でも一番の大部隊を率いている劉陞山と筆談を交わしていた。そして、今後の行軍予定は綏遠で冬籠りをすることだと聞かされた。
六月十一日に熱河区内のラマ廟に着いて、食料を満たすことができた。六月十三日にまたラマ廟に宿泊した。方向は依然として東南に戻り、奉天の張作霖の勢力範囲に近づいて行く様子なので、真澄別が問いただすと、盧占魁はただ、民家の多いところに行くとだけ答えた。
十四日の夕暮れに達頼汗王府と称する管内に入ったが、王府は王は不在であると誠に無愛想な対応であった。
主な登場人物
[?]
【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。
[×閉じる]
:
備考:
2024/2/12出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
2024-02-12 12:26:03
OBC :
rmnm31
愛善世界社版:
275頁
八幡書店版:
第14輯 648頁
修補版:
校定版:
279頁
普及版:
初版:
ページ備考:
001
岩窟
(
がんくつ
)
の
附近
(
ふきん
)
もホノボノと
明
(
あ
)
け
初
(
そ
)
めた
頃
(
ころ
)
[
※
6月8日?の朝
]
、
002
馬
(
うま
)
を
飛
(
と
)
ばしてやつて
来
(
き
)
たのは
萩原
(
はぎはら
)
である。
003
萩原
(
はぎはら
)
『
昨晩
(
さくばん
)
真澄
(
ますみ
)
さんからのお
知
(
し
)
らせに
依
(
よ
)
つて
早速
(
さつそく
)
引返
(
ひきかへ
)
さうかと
思
(
おも
)
ひましたが、
004
どう
云
(
い
)
ふものか
道筋
(
みちすぢ
)
が
真暗
(
まつくら
)
で
馬
(
うま
)
が
一寸
(
ちよつと
)
も
進
(
すす
)
みませぬので、
005
漸
(
やうや
)
く
只今
(
ただいま
)
参
(
まゐ
)
りました。
006
昨晩
(
さくばん
)
は
人家
(
じんか
)
が
四五
(
しご
)
軒
(
けん
)
あつた
為
(
ため
)
、
007
却
(
かへ
)
つて
混雑
(
こんざつ
)
してゴタゴタしてゐましたから、
008
お
越
(
こ
)
しにならなかつた
方
(
はう
)
が
好都合
(
かうつがふ
)
でした』
009
坂本
(
さかもと
)
『ヤツパリ
神
(
かみ
)
様
(
さま
)
は
前途
(
さき
)
が
見
(
み
)
える
哩
(
わい
)
』
010
萩原
(
はぎはら
)
『
岡崎
(
をかざき
)
さんは
非常
(
ひじやう
)
に
憤慨
(
ふんがい
)
して
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
に
当
(
あた
)
り
散
(
ち
)
らしてゐましたよ。
011
それから
名田彦
(
なだひこ
)
さんは
病気
(
びやうき
)
で
困
(
こま
)
つて
心細
(
こころぼそ
)
がつて
居
(
ゐ
)
ましたが、
012
何
(
なん
)
でもポツポツ
歩行
(
ある
)
いて
引返
(
ひきかへ
)
して
来
(
く
)
るらしかつたですよ』
013
日出雄
(
ひでを
)
『そら
可愛相
(
かあいさう
)
だ。
014
オイ
白凌閣
(
パイリンク
)
015
馬
(
うま
)
を
曳
(
も
)
つて
名田彦
(
なだひこ
)
さんを
迎
(
むか
)
へて
来
(
こ
)
い』
016
白凌閣
(
パイリンク
)
は
直
(
ただ
)
ちに
駒
(
こま
)
に
跨
(
またが
)
り、
017
守高
(
もりたか
)
の
乗馬
(
じようば
)
を
名田彦
(
なだひこ
)
の
迎
(
むかへ
)
馬
(
うま
)
として
引具
(
ひきぐ
)
し
駆
(
か
)
け
出
(
だ
)
した。
018
それと
入
(
い
)
れ
違
(
ちが
)
ひに、
019
五六
(
ごろく
)
頭
(
とう
)
駒
(
こま
)
の
頭
(
かしら
)
を
立
(
た
)
て
並
(
なら
)
べて
疾駆
(
しつく
)
し
来
(
き
)
たのは、
020
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
と
其
(
その
)
副官
(
ふくくわん
)
連
(
れん
)
とであつた。
021
盧
(
ろ
)
は
直
(
ただ
)
ちに
日出雄
(
ひでを
)
の
側
(
そば
)
に
行
(
い
)
き
叩頭
(
かうとう
)
して
何事
(
なにごと
)
か
弁
(
べん
)
じたが、
022
生憎
(
あひにく
)
此
(
この
)
場
(
ば
)
には
山西省
(
さんせいしやう
)
訛
(
なま
)
りの
彼
(
かれ
)
の
支那語
(
しなご
)
を
通訳
(
つうやく
)
し
得
(
う
)
る
者
(
もの
)
がなかつたが、
023
要
(
えう
)
するに『
露営
(
ろえい
)
に
適当
(
てきたう
)
の
場所
(
ばしよ
)
を
選定
(
せんてい
)
する
為
(
ため
)
に
急
(
いそ
)
いだので、
024
無断
(
むだん
)
で
行
(
い
)
つたのは
誠
(
まこと
)
に
済
(
す
)
まなかつた。
025
軍
(
ぐん
)
の
整理
(
せいり
)
もせねばならず、
026
混雑
(
こんざつ
)
してゐるから、
027
自分
(
じぶん
)
の
心裡
(
しんり
)
を
察
(
さつ
)
して
一緒
(
いつしよ
)
に
進
(
すす
)
んで
貰
(
もら
)
ひたい』といふ
意味
(
いみ
)
であつたらしい。
028
日出雄
(
ひでを
)
は
唯
(
ただ
)
、
029
日出雄
『
御
(
ご
)
苦労
(
くろう
)
であつた』
030
との
一言
(
いちごん
)
を
残
(
のこ
)
し、
031
真澄別
(
ますみわけ
)
、
032
守高
(
もりたか
)
を
伴
(
ともな
)
ひ
岩山
(
いはやま
)
の
頂上
(
ちやうじやう
)
に
登
(
のぼ
)
り、
033
東天
(
とうてん
)
に
向
(
むか
)
つて
祝詞
(
のりと
)
を
合奏
(
がつさう
)
し、
034
萩原
(
はぎはら
)
をして
記念
(
きねん
)
の
撮影
(
さつえい
)
をなさしめ、
035
悠々
(
いういう
)
として
朝食
(
てうしよく
)
を
喫
(
きつ
)
した。
036
盧
(
ろ
)
は
再
(
ふたた
)
び
日出雄
(
ひでを
)
の
側
(
そば
)
に
寄
(
よ
)
り
懇願
(
こんぐわん
)
の
意
(
い
)
を
表
(
へう
)
すると、
037
日出雄
(
ひでを
)
も
諾
(
うなづ
)
き
乍
(
なが
)
ら
馬
(
うま
)
に
跨
(
またが
)
つた。
038
真澄別
(
ますみわけ
)
『
先生
(
せんせい
)
039
またお
進
(
すす
)
みなさるのですか、
040
巧
(
うま
)
く
話
(
はな
)
して
別行動
(
べつかうどう
)
を
取
(
と
)
らうではありませぬか』
041
と
引止
(
ひきと
)
むれば、
042
日出雄
(
ひでを
)
『
折角
(
せつかく
)
盧
(
ろ
)
も
懇願
(
こんぐわん
)
するから
皆
(
みな
)
の
居
(
ゐ
)
る
所
(
ところ
)
まで
行
(
い
)
つて
其
(
その
)
上
(
うへ
)
の
事
(
こと
)
にしよう』
043
と
出発
(
しゆつぱつ
)
を
急
(
いそ
)
ぐ。
044
名田彦
(
なだひこ
)
は
山田
(
やまだ
)
と
共
(
とも
)
に
轎車
(
けうしや
)
に
便乗
(
びんじよう
)
し、
045
司令部
(
しれいぶ
)
駐屯所
(
ちうとんじよ
)
迄
(
まで
)
進
(
すす
)
む
事
(
こと
)
となつた。
046
真澄別
(
ますみわけ
)
『チエツ
盧
(
ろ
)
氏
(
し
)
に
曳
(
ひ
)
かれて
善光寺
(
ぜんくわうじ
)
参
(
まゐ
)
りか』
047
と
呟
(
つぶや
)
き
乍
(
なが
)
ら、
048
日出雄
(
ひでを
)
が
盧
(
ろ
)
に
促
(
うなが
)
され
砂煙
(
すなけむ
)
りを
立
(
た
)
てて
馬
(
うま
)
を
急
(
いそ
)
がすのを
見送
(
みおく
)
つた。
049
途中
(
とちう
)
まで
出迎
(
でむか
)
へに
来
(
き
)
た
猪野
(
ゐの
)
軍医長
(
ぐんいちやう
)
と
轡
(
くつわ
)
を
並
(
なら
)
べ、
050
何事
(
なにごと
)
か
語
(
かた
)
り
合
(
あ
)
ひつつボツボツ
進
(
すす
)
み
行
(
ゆ
)
く。
051
猪野
(
ゐの
)
『
二先生
(
アルセンシヨン
)
、
052
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
を
力
(
ちから
)
にして
居
(
ゐ
)
ては
前途
(
ぜんと
)
心細
(
こころぼそ
)
い
事
(
こと
)
はありますまいか。
053
岡崎
(
をかざき
)
さんは、
054
現状
(
げんじやう
)
では
危
(
あやふ
)
くて
仕方
(
しかた
)
がないから、
055
何
(
なん
)
とか
方法
(
はうはふ
)
を
講
(
かう
)
じて
来
(
く
)
ると
云
(
い
)
つて、
056
包
(
はう
)
団長
(
だんちやう
)
の
轎車
(
けうしや
)
に
同乗
(
どうじやう
)
して
先程
(
さきほど
)
出発
(
しゆつぱつ
)
しましたよ』
057
真澄別
(
ますみわけ
)
『
兎
(
と
)
に
角
(
かく
)
神
(
かみ
)
様
(
さま
)
からの
第一
(
だいいち
)
命令
(
めいれい
)
は
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
に
下
(
くだ
)
つたのだから、
058
安全
(
あんぜん
)
に
入蒙
(
にふもう
)
出来
(
でき
)
たのは
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
の
活動
(
くわつどう
)
ぢやないか』
059
猪野
(
ゐの
)
『
昨晩
(
さくばん
)
から
段々
(
だんだん
)
兵隊
(
へいたい
)
も
減
(
へ
)
る
様
(
やう
)
だ……
盧
(
ろ
)
の
命令
(
めいれい
)
は
少
(
すこ
)
しも
権威
(
けんい
)
がありませぬ。
060
これ
位
(
くらゐ
)
な
部隊
(
ぶたい
)
の
統一
(
とういつ
)
が
出来
(
でき
)
ない
様
(
やう
)
では
不安
(
ふあん
)
で
堪
(
たま
)
りませぬ。
061
ヤハリ
最初
(
さいしよ
)
岡崎
(
をかざき
)
さんの
計画
(
けいくわく
)
で
奉天
(
ほうてん
)
へ
日出雄
(
ひでを
)
先生
(
せんせい
)
のお
住居
(
すまゐ
)
まで
用意
(
ようい
)
して
居
(
を
)
つたと
云
(
い
)
ふ
趙
(
てう
)
倜
(
てき
)
や
趙
(
てう
)
傑
(
けつ
)
をお
利用
(
つかひ
)
になつた
方
(
はう
)
が
良
(
よ
)
かつたらうと
思
(
おも
)
ひますが、
062
何
(
ど
)
うでせう。
063
岡崎
(
をかざき
)
さんも
切
(
しき
)
りにさう
言
(
い
)
つて
居
(
を
)
られましたよ』
064
真澄別
(
ますみわけ
)
『
神
(
かみ
)
様
(
さま
)
の
思
(
おも
)
ひと
人間
(
にんげん
)
の
想
(
おも
)
ひとは
大変
(
たいへん
)
な
相違
(
さうゐ
)
のある
者
(
もの
)
で、
065
実際
(
じつさい
)
人間
(
にんげん
)
には
善悪
(
ぜんあく
)
正邪
(
せいじや
)
を
批判
(
ひはん
)
する
資格
(
しかく
)
もないのだから、
066
要
(
えう
)
するに
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
は
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
としての
使命
(
しめい
)
があり、
067
劉
(
りう
)
陞山
(
しようさん
)
[
※
第9章・他では「劉陞三」になっている。
]
には
劉
(
りう
)
陞山
(
しようさん
)
としての
使命
(
しめい
)
があつて
従軍
(
じゆうぐん
)
してゐるのだから、
068
最後
(
さいご
)
迄
(
まで
)
行
(
ゆ
)
かなきや
其
(
その
)
真相
(
しんさう
)
は
分
(
わか
)
るものでないよ。
069
マア
行
(
ゆ
)
く
所
(
ところ
)
まで
行
(
ゆ
)
くのさ』
070
猪野
(
ゐの
)
『
全
(
まつた
)
く
劉
(
りう
)
が
却
(
かへ
)
つて
盧
(
ろ
)
に
命令
(
めいれい
)
する
様
(
やう
)
な
傾向
(
けいかう
)
ですよ。
071
劉
(
りう
)
の
隊
(
たい
)
は
人数
(
にんずう
)
も
一番
(
いちばん
)
多
(
おほ
)
いし
武器
(
ぶき
)
も
揃
(
そろ
)
ふてますからなア。
072
私
(
わたし
)
は
何
(
なん
)
だか
危険味
(
きけんみ
)
を
感
(
かん
)
ずるので、
073
一度
(
いちど
)
洮南
(
たうなん
)
へ
帰
(
かへ
)
つてみたい
様
(
やう
)
な
気
(
き
)
が
致
(
いた
)
しますが
如何
(
いかが
)
でせう』
074
真澄別
(
ますみわけ
)
『それは
大先生
(
だいせんせい
)
に
伺
(
うかが
)
つてお
定
(
き
)
めなさい。
075
私
(
わたし
)
としては
何
(
いづ
)
れとも
御
(
お
)
勧
(
すす
)
めする
訳
(
わけ
)
には
行
(
ゆ
)
かない。
076
私
(
わたし
)
は
大先生
(
だいせんせい
)
自身
(
じしん
)
を
神
(
かみ
)
と
信
(
しん
)
じて
居
(
ゐ
)
るので、
077
仮令
(
たとへ
)
自分
(
じぶん
)
の
考
(
かんが
)
へと
違
(
ちが
)
つた
言行
(
げんかう
)
が
大先生
(
だいせんせい
)
にあつても、
078
何事
(
なにごと
)
も
其
(
その
)
舞台
(
ぶたい
)
々々
(
ぶたい
)
の
筋書
(
すぢがき
)
は
神
(
かみ
)
様
(
さま
)
でなくては
判
(
わか
)
らぬから、
079
大先生
(
だいせんせい
)
に
対
(
たい
)
し
維
(
こ
)
れ
命
(
めい
)
維
(
こ
)
れ
従
(
したが
)
つて
行
(
ゆ
)
くのだ。
080
何
(
なん
)
だか
最前
(
さいぜん
)
の
岩窟
(
がんくつ
)
から
前進
(
ぜんしん
)
するのは
厭
(
いや
)
で
仕方
(
しかた
)
がないけれども、
081
大先生
(
だいせんせい
)
がああして
盧
(
ろ
)
と
一緒
(
いつしよ
)
に
進
(
すす
)
まれるのだから
神
(
かみ
)
に
任
(
まか
)
せて
行
(
ゆ
)
くのですよ』
082
猪野
(
ゐの
)
『そんなものですかなア』
083
と
腑
(
ふ
)
に
落
(
お
)
ちぬ
顔色
(
かほいろ
)
で
従
(
したが
)
ひ
行
(
ゆ
)
く。
084
此
(
この
)
時
(
とき
)
の
司令部
(
しれいぶ
)
の
駐屯所
(
ちうとんじよ
)
は
熱河
(
ねつか
)
の
最北部
(
さいほくぶ
)
に
在
(
あ
)
る
民家
(
みんか
)
で、
085
輓近
(
ばんきん
)
大英子児
(
タアインヅル
)
が
活動
(
くわつどう
)
の
根拠
(
こんきよ
)
は、
086
右
(
みぎ
)
の
岩窟
(
がんくつ
)
の
附近
(
ふきん
)
だといふのも
何
(
なん
)
等
(
ら
)
かの
因縁事
(
いんねんごと
)
であらう。
087
さて
日出雄
(
ひでを
)
一行
(
いつかう
)
の
到着
(
たうちやく
)
した
司令部
(
しれいぶ
)
は
兵員
(
へいゐん
)
整理
(
せいり
)
の
為
(
ため
)
如何
(
いか
)
にも
混雑中
(
こんざつちう
)
で、
088
岡崎
(
をかざき
)
は
包金山
(
はうきんざん
)
と
共
(
とも
)
に
応援軍
(
おうゑんぐん
)
組織
(
そしき
)
の
為
(
ため
)
奉天
(
ほうてん
)
に
向
(
むか
)
つた
後
(
あと
)
であつた。
089
茲
(
ここ
)
で
陣容
(
ぢんよう
)
は
一新
(
いつしん
)
され、
090
乗馬
(
じやうば
)
や
銃器
(
じゆうき
)
の
調
(
とと
)
のはざるものは、
091
それぞれ
旅費
(
りよひ
)
手当
(
てあて
)
を
給与
(
きふよ
)
して
帰還
(
きくわん
)
の
途
(
と
)
に
就
(
つ
)
かしめる
事
(
こと
)
となつた。
092
盧
(
ろ
)
の
実弟
(
じつてい
)
盧
(
ろ
)
秉徳
(
へいとく
)
、
093
名田彦
(
なだひこ
)
、
094
山田
(
やまだ
)
、
095
小林
(
こばやし
)
善吉
(
ぜんきち
)
其
(
その
)
他
(
た
)
支那人
(
しなじん
)
二
(
に
)
名
(
めい
)
は、
096
洮南
(
たうなん
)
より
来
(
きた
)
れる
二台
(
にだい
)
の
轎車
(
けうしや
)
に
分乗
(
ぶんじやう
)
し、
097
強行軍
(
きやうかうぐん
)
に
邪魔
(
じやま
)
になる
様
(
やう
)
な
携帯品
(
けいたいひん
)
をも
積
(
つ
)
み
込
(
こ
)
み、
098
四百余
(
しひやくよ
)
支里
(
しり
)
の
距離
(
きより
)
と
称
(
しよう
)
せらるる
洮南
(
たうなん
)
に
向
(
むか
)
つて
帰奉
(
きほう
)
の
途
(
と
)
に
就
(
つ
)
いた。
099
此
(
この
)
一行
(
いつかう
)
は
後
(
のち
)
に
至
(
いた
)
り
突泉
(
とつせん
)
にて
支那
(
しな
)
官憲
(
くわんけん
)
の
手
(
て
)
に
捕
(
つかま
)
へられ
100
盧
(
ろ
)
秉徳
(
へいとく
)
は
洮南
(
たうなん
)
に
於
(
おい
)
て
銃殺
(
じゆうさつ
)
せられ、
101
日本側
(
につぽんがは
)
三
(
さん
)
名
(
めい
)
は
領事館
(
りやうじくわん
)
渡
(
わた
)
しとなつたのである。
102
或
(
あ
)
る
民家
(
みんか
)
の
一室
(
いつしつ
)
には、
103
真澄別
(
ますみわけ
)
が
日出雄
(
ひでを
)
の
意
(
い
)
を
受
(
う
)
けて
劉
(
りう
)
陞山
(
しようさん
)
と
筆談
(
ひつだん
)
を
交換
(
かうくわん
)
してゐる。
104
其
(
その
)
意味
(
いみ
)
は
左
(
さ
)
の
通
(
とほ
)
りである。
105
真澄別
(
ますみわけ
)
『
一体
(
いつたい
)
此
(
この
)
部隊
(
ぶたい
)
は
之
(
これ
)
から
何方
(
どちら
)
へ
行
(
ゆ
)
く
事
(
こと
)
になつてゐますか』
106
劉
(
りう
)
『
物資
(
ぶつし
)
の
豊
(
ゆた
)
かな
綏遠
(
すゐえん
)
で
冬籠
(
ふゆごも
)
りをするのだと
云
(
い
)
つてゐますから、
107
先
(
ま
)
づ
察哈爾
(
チヤハル
)
へ
向
(
むか
)
ふのでせう。
108
それに
就
(
つい
)
てはこれから
三百
(
さんびやく
)
支里
(
しり
)
程
(
ほど
)
行
(
い
)
つた
所
(
ところ
)
で、
109
開魯
(
かいろ
)
の
兵
(
へい
)
と
一戦
(
ひといくさ
)
せねばなりませぬから、
110
此処
(
ここ
)
で
可成
(
かな
)
り
手足纏
(
てあしまとひ
)
を
少
(
すく
)
なくする
様
(
やう
)
に
計
(
はか
)
つたのです』
111
真澄別
(
ますみわけ
)
『あなたは
何処
(
どこ
)
迄
(
まで
)
も
盧
(
ろ
)
司令
(
しれい
)
と
行動
(
かうどう
)
を
共
(
とも
)
にするお
考
(
かんが
)
へですか』
112
劉
(
りう
)
『
大体
(
だいたい
)
私
(
わたし
)
は
何
(
なに
)
も
知
(
し
)
らずに
参加
(
さんか
)
したのです。
113
奉天
(
ほうてん
)
第一
(
だいいち
)
師長
(
しちやう
)
の
李
(
り
)
景林
(
けいりん
)
から、
114
鄭家屯
(
ていかとん
)
の
闞
(
かん
)
旅長
(
りよちやう
)
に
手紙
(
てがみ
)
をやつた
結果
(
けつくわ
)
、
115
闞
(
かん
)
中将
(
ちうじやう
)
も
君
(
きみ
)
等
(
ら
)
を
保護
(
ほご
)
すると
云
(
い
)
つてるから
116
早
(
はや
)
く
索倫
(
ソーロン
)
へ
行
(
い
)
つて
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
の
軍
(
ぐん
)
に
参加
(
さんか
)
せよとの
事
(
こと
)
でしたから、
117
実
(
じつ
)
は
盧
(
ろ
)
軍
(
ぐん
)
の
目的
(
もくてき
)
も
何
(
なに
)
も
聞
(
き
)
かず、
118
好
(
す
)
きな
道
(
みち
)
だから、
119
早速
(
さつそく
)
手兵
(
しゆへい
)
を
率
(
つ
)
れて
参加
(
さんか
)
した
次第
(
しだい
)
ですが、
120
私
(
わたし
)
は
兎
(
と
)
に
角
(
かく
)
大先生
(
だいせんせい
)
を
中心
(
ちうしん
)
にして
何処
(
どこ
)
迄
(
まで
)
も
押立
(
おした
)
てる
考
(
かんが
)
へで
居
(
を
)
ります。
121
おお
司令
(
しれい
)
も
其処
(
そこ
)
へ
見
(
み
)
えました』
122
盧
(
ろ
)
は
此
(
この
)
時
(
とき
)
微笑
(
びせう
)
し
乍
(
なが
)
ら
入
(
い
)
り
来
(
きた
)
り、
123
盧
(
ろ
)
『これで
武器
(
ぶき
)
を
携帯
(
けいたい
)
した
騎兵
(
きへい
)
のみ
五百
(
ごひやく
)
騎
(
き
)
となりました。
124
こんな
所
(
ところ
)
に
駐屯
(
ちうとん
)
して
居
(
ゐ
)
ても
仕方
(
しかた
)
がありませぬから、
125
今少
(
いますこ
)
し
兵糧
(
ひやうらう
)
の
得
(
え
)
られる
所
(
ところ
)
まで
参
(
まゐ
)
りませう。
126
大先生
(
だいせんせい
)
は
今日
(
けふ
)
から
轎車
(
けうしや
)
に
乗
(
の
)
つて
戴
(
いただ
)
く
事
(
こと
)
に
致
(
いた
)
します』
127
とて
直
(
ただ
)
ちに
出動
(
しゆつどう
)
の
用意
(
ようい
)
を
整
(
ととの
)
へた。
128
劉
(
りう
)
陞山
(
しようさん
)
の
部隊
(
ぶたい
)
は
先鋒
(
せんぽう
)
に
立
(
た
)
ち、
129
日出雄
(
ひでを
)
は
自分
(
じぶん
)
の
手廻
(
てまは
)
り
品
(
ひん
)
と
盧
(
ろ
)
の
貴重品
(
きちようひん
)
を
積
(
つ
)
み
合
(
あ
)
はした
轎車
(
けうしや
)
に
乗
(
の
)
り、
130
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
自
(
みづか
)
ら
馬
(
うま
)
を
馭
(
ぎよ
)
し、
131
守高
(
もりたか
)
並
(
ならび
)
に
二三
(
にさん
)
の
支那
(
しな
)
将校
(
しやうかう
)
は
日出雄
(
ひでを
)
の
轎車
(
けうしや
)
に
附添
(
つきそ
)
ひ
護
(
まも
)
り、
132
真澄別
(
ますみわけ
)
は
或
(
あるひ
)
は
先頭
(
せんとう
)
に
或
(
あるひ
)
は
後方
(
こうはう
)
に
出没
(
しゆつぼつ
)
して
全軍
(
ぜんぐん
)
を
見守
(
みまも
)
り、
133
萩原
(
はぎはら
)
は
写真機
(
しやしんき
)
を
肩
(
かた
)
にして
自由
(
じいう
)
に
飛
(
と
)
び
廻
(
まは
)
り、
134
茲
(
ここ
)
に
西南
(
せいなん
)
に
向
(
むか
)
ふて
強行軍
(
きやうかうぐん
)
が
開始
(
かいし
)
せられることとなつた。
135
但
(
ただ
)
し
宿営
(
しゆくえい
)
の
場合
(
ばあひ
)
には、
136
日本人
(
につぽんじん
)
一同
(
いちどう
)
日出雄
(
ひでを
)
の
側
(
そば
)
に
集
(
あつま
)
り
一団
(
いちだん
)
となる
事
(
こと
)
は
忘
(
わす
)
れなかつた。
137
六
(
ろく
)
月
(
ぐわつ
)
十一
(
じふいち
)
日
(
にち
)
(
陰暦
(
いんれき
)
五
(
ご
)
月
(
ぐわつ
)
十日
(
とをか
)
)の
朝
(
あさ
)
、
138
熱河
(
ねつか
)
区内
(
くない
)
の
喇嘛廟
(
ラマベウ
)
へ
到着
(
たうちやく
)
する
迄
(
まで
)
は
139
時
(
とき
)
に
数戸
(
すうこ
)
の
民家
(
みんか
)
を
中心
(
ちうしん
)
として
休息
(
きうそく
)
する
外
(
ほか
)
殆
(
ほとん
)
ど
昼夜
(
ちうや
)
兼行
(
けんかう
)
の
強行軍
(
きやうかうぐん
)
で、
140
索倫
(
ソーロン
)
より
携帯
(
けいたい
)
せし
食料
(
しよくれう
)
は
已
(
すで
)
に
尽
(
つ
)
き、
141
巻煙草
(
まきたばこ
)
一本
(
いつぽん
)
の
喫
(
の
)
み
廻
(
まは
)
しも
元
(
もと
)
が
切
(
き
)
れて
了
(
しま
)
ふ。
142
盧
(
ろ
)
其
(
その
)
他
(
た
)
阿片
(
アヘン
)
の
嗜好者
(
しかうしや
)
は
顔色
(
がんしよく
)
憔悴
(
せうすゐ
)
して
勇気
(
ゆうき
)
頓
(
とみ
)
に
衰
(
おとろ
)
へ、
143
馬
(
うま
)
の
斃
(
たふ
)
るる
者
(
もの
)
或
(
あるひ
)
は
落伍
(
らくご
)
する
者
(
もの
)
漸次
(
ぜんじ
)
増加
(
ぞうか
)
の
窮境
(
きうきやう
)
に
陥
(
おちい
)
つた。
144
漸
(
やうや
)
くにして
喇嘛廟
(
ラマベウ
)
において
炒米
(
チヨウミイ
)
の
供給
(
きようきふ
)
を
得
(
え
)
、
145
附近
(
ふきん
)
民家
(
みんか
)
より
羊
(
ひつじ
)
を
購
(
もと
)
めて
全員
(
ぜんゐん
)
腹
(
はら
)
を
充
(
み
)
たす
事
(
こと
)
が
出来
(
でき
)
たのである。
146
蒙古
(
もうこ
)
内地
(
ないち
)
の
喇嘛廟
(
ラマベウ
)
は
概
(
がい
)
して
小高
(
こだか
)
き
丘上
(
きうじやう
)
又
(
また
)
は
山腹
(
さんぷく
)
に
建立
(
こんりふ
)
せられ、
147
本堂
(
ほんだう
)
を
最上
(
さいじやう
)
中心
(
ちうしん
)
として
数多
(
あまた
)
の
僧坊
(
そうばう
)
が、
148
それぞれ
西蔵
(
チベツト
)
本山
(
ほんざん
)
を
模
(
も
)
して
羅列
(
られつ
)
し、
149
之
(
これ
)
を
遠望
(
ゑんばう
)
すれば
宛
(
さなが
)
ら
一大
(
いちだい
)
城廓
(
じやうくわく
)
の
観
(
くわん
)
がある。
150
地方
(
ちはう
)
に
依
(
よ
)
りて
美観
(
びくわん
)
壮観
(
さうくわん
)
に
程度
(
ていど
)
はあるが、
151
一般
(
いつぱん
)
民家
(
みんか
)
の
茅屋
(
あばらや
)
若
(
も
)
しくは
羊皮
(
やうひ
)
天幕
(
てんと
)
住居
(
すまゐ
)
に
対照
(
たいせう
)
して、
152
調和
(
てうわ
)
の
取
(
と
)
れない
事
(
こと
)
夥
(
おびただ
)
しい。
153
尤
(
もつと
)
も
之
(
こ
)
れは
蒙古
(
もうこ
)
民族
(
みんぞく
)
信仰
(
しんかう
)
の
結晶
(
けつしやう
)
として
現
(
あら
)
はれてるのだから
批判
(
ひはん
)
の
限
(
かぎ
)
りではあるまい。
154
又
(
また
)
炒米
(
チヨウミイ
)
は
日本
(
につぽん
)
の
粟
(
あは
)
を
煎
(
い
)
つた
様
(
やう
)
なもので、
155
其
(
その
)
儘
(
まま
)
食
(
た
)
べても
香
(
かん
)
ばしい
味
(
あぢ
)
がある。
156
お
茶
(
ちや
)
若
(
も
)
しくは
牛乳
(
ぎうにう
)
を
ブツ
かければ
猶更
(
なほさら
)
喰
(
た
)
べ
易
(
やす
)
い
蒙古
(
もうこ
)
唯一
(
ゆゐいつ
)
の
穀物
(
こくもつ
)
である。
157
此
(
この
)
日
(
ひ
)
より
更
(
さら
)
に
方向
(
はうかう
)
は
一転
(
いつてん
)
されて
東南
(
とうなん
)
指
(
さ
)
して
進
(
すす
)
む
事
(
こと
)
となつた。
158
局面
(
きよくめん
)
は
展開
(
てんかい
)
して、
159
或
(
あるひ
)
は
小砂漠
(
せうさばく
)
、
160
或
(
あるひ
)
は
砂山
(
すなやま
)
の
僅
(
わづ
)
かに
草木
(
さうもく
)
の
生
(
お
)
ひ
茂
(
しげ
)
れる
所
(
ところ
)
を
横断
(
わうだん
)
せねばならなかつた。
161
六
(
ろく
)
月
(
ぐわつ
)
十三
(
じふさん
)
日
(
にち
)
(
陰暦
(
いんれき
)
五
(
ご
)
月
(
ぐわつ
)
十二
(
じふに
)
日
(
にち
)
)
又
(
また
)
もや
喇嘛廟
(
ラマベウ
)
に
宿泊
(
しゆくはく
)
する
事
(
こと
)
を
得
(
え
)
たが、
162
方向
(
はうかう
)
は
依然
(
いぜん
)
東南
(
とうなん
)
に
向
(
むか
)
ひ
奉天省
(
ほうてんしやう
)
の
勢力
(
せいりよく
)
範囲
(
はんゐ
)
に
近
(
ちか
)
づく
様子
(
やうす
)
なので、
163
真澄別
(
ますみわけ
)
が
盧
(
ろ
)
に
糺
(
ただ
)
すと、
164
盧占魁
『
民家
(
みんか
)
の
多
(
おほ
)
い
所
(
ところ
)
へ
行
(
ゆ
)
かねば、
165
兵糧
(
ひやうらう
)
と
馬糧
(
ばりやう
)
が
不足
(
ふそく
)
して、
166
何
(
ど
)
うする
事
(
こと
)
も
出来
(
でき
)
ませぬ』
167
と
力
(
ちから
)
なげに
答
(
こた
)
ふる
許
(
ばか
)
りであつた。
168
漸
(
やうや
)
くにして
十四日
(
じふよつか
)
の
夕暮
(
ゆうぐれ
)
に
近
(
ちか
)
き
頃
(
ころ
)
、
169
達頼汗
(
タアライハン
)
王府
(
わうふ
)
の
一族
(
いちぞく
)
と
称
(
しよう
)
する
管内
(
くわんない
)
に
入
(
い
)
ると、
170
輪奐
(
りんくわん
)
の
美
(
び
)
を
極
(
きは
)
めた
朱欄
(
しゆらん
)
碧瓦
(
へきぐわ
)
の
形容詞
(
けいようし
)
が
相当
(
さうたう
)
しさうな
喇嘛廟
(
ラマベウ
)
と
王府
(
わうふ
)
が、
171
約
(
やく
)
十丁
(
じつちやう
)
許
(
ばか
)
り
離
(
はな
)
れて
対立
(
たいりつ
)
し、
172
外
(
ほか
)
に
支那風
(
しなふう
)
建築
(
けんちく
)
の
民家
(
みんか
)
が
十数戸
(
じふすうこ
)
建
(
た
)
ち
並
(
なら
)
んで
居
(
ゐ
)
る。
173
盧
(
ろ
)
司令
(
しれい
)
は
王府
(
わうふ
)
へ
使
(
つかひ
)
を
遣
(
つか
)
はし
面会
(
めんくわい
)
を
申込
(
まをしこ
)
むと、
174
王
(
わう
)
は
不在
(
ふざい
)
なりとて
数人
(
すうにん
)
の
留守居
(
るすゐ
)
が
誠
(
まこと
)
に
無愛想
(
ぶあいさう
)
な
挨拶
(
あいさつ
)
なのに、
175
盧
(
ろ
)
も
不審
(
ふしん
)
の
思
(
おも
)
ひをし
乍
(
なが
)
ら、
176
西南方
(
せいなんぱう
)
の
谷間
(
たにま
)
に
民家
(
みんか
)
を
捜
(
さが
)
し
当
(
あ
)
て、
177
一同
(
いちどう
)
の
宿泊所
(
しゆくはくじよ
)
と
定
(
き
)
めた。
178
此処
(
ここ
)
の
喇嘛廟
(
ラマベウ
)
は
全部
(
ぜんぶ
)
戸
(
と
)
を
鎖
(
とざ
)
し、
179
猫
(
ねこ
)
の
子
(
こ
)
一匹
(
いつぴき
)
ゐない
静寂
(
せいじやく
)
さであつたのは、
180
頗
(
すこぶ
)
る
一同
(
いちどう
)
の
眉
(
まゆ
)
をひそめしめた。
181
此
(
この
)
夜
(
よ
)
薄暗
(
うすぐら
)
き
宿営
(
しゆくえい
)
の
一遇
(
いちぐう
)
に、
182
日出雄
(
ひでを
)
は
何事
(
なにごと
)
かヒソヒソと
真澄別
(
ますみわけ
)
に
向
(
むか
)
ひ
囁
(
ささや
)
いてゐたが、
183
唯
(
ただ
)
最後
(
さいご
)
に
真澄別
(
ますみわけ
)
の
声
(
こゑ
)
として、
184
真澄別
『
洮南
(
たうなん
)
の
御
(
ご
)
神勅
(
しんちよく
)
に、
185
今度
(
こんど
)
の
挙
(
きよ
)
に
必要
(
ひつえう
)
な
金
(
かね
)
は
十万
(
じふまん
)
円
(
ゑん
)
だと
承
(
うけたまは
)
つて
居
(
ゐ
)
ましたから、
186
其
(
そ
)
れ
以上
(
いじやう
)
の
金額
(
きんがく
)
は
早
(
はや
)
く
言
(
い
)
へば
死金
(
しにがね
)
だと
私
(
わたし
)
は
信
(
しん
)
じてゐます。
187
そして
最後
(
さいご
)
に
上
(
かみ
)
木局子
(
もくきよくし
)
で
大石
(
おほいし
)
氏
(
し
)
に
迫
(
せま
)
られて、
188
先生
(
せんせい
)
が
矢野
(
やの
)
さんへ
送金
(
そうきん
)
する
様
(
やう
)
依頼状
(
いらいじやう
)
をお
書
(
か
)
きに
成
(
な
)
つたなどは、
189
全
(
まつた
)
く
一種
(
いつしゆ
)
の
脅迫
(
けふはく
)
でしたね』
190
と
聞
(
きこ
)
えたのみで、
191
あとは
犬
(
いぬ
)
のけたたましき
鳴
(
な
)
き
声
(
ごゑ
)
に
夜
(
よ
)
は
森閑
(
しんかん
)
と
更
(
ふ
)
け
行
(
ゆ
)
くのであつた。
192
(
大正一四、八
、筆録)
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