霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
目 次設 定
設定
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
話者名の追加表示 [?]セリフの前に話者名が記していない場合、誰がしゃべっているセリフなのか分からなくなってしまう場合があります。底本にはありませんが、話者名を追加して表示します。[×閉じる]
表示できる章
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
フォント

ルビの表示



アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注 [?][※]や[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。まだ少ししか付いていませんが、目障りな場合は「表示しない」設定に変えて下さい。ただし[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]


文字の色
背景の色
ルビの色
傍点の色 [?]底本で傍点(圏点)が付いている文字は、『霊界物語ネット』では太字で表示されますが、その色を変えます。[×閉じる]
外字1の色 [?]この設定は現在使われておりません。[×閉じる]
外字2の色 [?]文字がフォントに存在せず、画像を使っている場合がありますが、その画像の周囲の色を変えます。[×閉じる]

  

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。


【新着情報】10月30~31日に旧サイトから新サイトへの移行作業を行う予定です。実験用サイトサブスク
マーキングパネル
設定パネルで「全てのアンカーを表示」させてアンカーをクリックして下さい。

【引数の設定例】 &mky=a010-a021a034  アンカー010から021と、034を、イエローでマーキング。

          

第一八章 蒙古(もうこ)気質(きしつ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第3篇 洮南より索倫へ よみ(新仮名遣い):とうなんよりそーろんへ
章:第18章 蒙古気質 よみ(新仮名遣い):もうこきしつ 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
蒙古の宗教はラマ教である。ラマ寺はチベット式に建てられており、一つのラマ廟には、少なくて三百人、多くて七、八万人のラマ僧が大市街を構えている。
大庫倫には、先年清朝にそむいて蒙古皇帝を名乗った活仏があったが、現在は活仏の権威は有名無実なものとなり、ロシアの赤軍が割拠しているのだという。大庫倫には百七、八十万人の人口があり、日本人も数名住んでいるとのことである。
日出雄は蒙古の奥へ来てから、大神様のおかげにより、人民に尊敬され、心の限りの待遇を受けていた。一時的に老印君ほか二三の役人にやや冷遇を受けはしたが、一般の蒙古人からは少しもそのような扱いを受けなかったのである。
蒙古人の天真爛漫、子供のような性情に接して、まだ世の中に活きた生命のあることが楽しく思われた。
四月十四日に盧占魁は二百人の手兵を引率して、公爺府に到着した。盧は大勢の部下の前で日出雄に抱きついてうれし泣きに泣いた。日出雄も感慨の念に打たれたのである。互いに旅情を慰めあった後は、真澄別が事務を盧と協議した。
日出雄一行の日本人らは、蒙古人の歓待を受けた後、自分の子供をもらってくれとあちらこちらで請われて、迷惑をしていた。聞いてみると、日本人であれば、しかるべき世話をしてもらえるだろうから、という親心から来ているのだという。
ある日、ラマ僧が病人を祈祷をしているところへ出くわした。日出雄は家の主人に、病人を治してやろうと言い、病人の額に手を乗せて「悪魔よ、去れッ」と一喝した。たちまちに病人は全快し、ラマ僧たちは驚いて日出雄をますます尊敬するようになった。
白凌閣は日出雄、真澄別以外の日本人の言うことを聞かないので、あるとき猪野は怒って白凌閣の横顔を木片で殴りつけた。白は顔面が腫れ上がり、地がにじみ出たが、このことを自分の父に告げようともしなかった。
日出雄は見かねて白の手当てをし、鎮魂を施した。三十分もすると、腫れは引いてしまった。日出雄は白に、日本人にひどい目に合わされても、自分の親に告げに行かなかったのは感心だ、と言った。すると白は、『大先生の家来になったのだから、もはや父母を頼ることはできない。また、先生の代理である真澄別さんの言うことは聞きますが、その他の日本人に服従する義務はありません。道ならぬことをすれば、蒙古男子の恥になります。』と言った。
日出雄は感心して白を誉めたが、日本の慣習を言って聞かせて、今後は他の日本人の言うことも聞き、世話もしてもらいたい、と諭した。その後は白は他の日本人の言うことも聞くようになった。
またある日、白の父が訪ねてきて、一人息子だからあまり遠いところにはやりたくない、と日出雄に依頼して来た。日出雄は気の毒に思い、親孝行のために、父の言に従うよう白に諭した。
すると白は、蒙古男子がいったん誓った言葉は金鉄ですから、といって聞かない。これを見た父は観念したと見えて、『息子をよろしくお願いします』と言ったきり、公爺府出発の日にも訪ねては来なかった。
これらをみても、蒙古人の男性的気性が窺い知れるのである。後に白はパインタラでも難を逃れて、公爺府に無事に帰りつくことができた。これもこういう心がけであったから、神の保護を受けたものであろう。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考:2024/1/18出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-18 01:36:30 OBC :rmnm18
愛善世界社版:161頁 八幡書店版:第14輯 607頁 修補版: 校定版:161頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 蒙古(もうこ)宗教(しうけう)(みな)喇嘛教(ラマけう)戸毎(こごと)仏壇(ぶつだん)鄭重(ていちよう)(まつ)つてゐる。002そして喇嘛寺(ラマでら)(すべ)西蔵(チベツト)(しき)()てられ、003矮小(わいせう)貧弱(ひんじやく)蒙古人(もうこじん)()ず、004巍然(きぜん)として(くも)(そび)へ、005遠方(ゑんぱう)より凝視(ぎようし)すれば(あだか)立派(りつぱ)洋館(やうくわん)立並(たちなら)んだやうに()える。006さうして(ひと)つの喇嘛廟(ラマメウ)には、007(もつと)(すくな)いのが三百(さんびやく)(にん)008(おほ)いのになると七八(しちはち)(まん)(にん)喇嘛(ラマ)(メウ)中心(ちうしん)として、009普通(ふつう)民家(みんか)とは(かは)つた立派(りつぱ)居宅(きよたく)(かま)へて大市街(だいしがい)をなしてゐる。010先年(せんねん)支那(しな)政府(せいふ)(そむ)いて独立(どくりつ)宣言(せんげん)し、011蒙古(もうこ)皇帝(くわうてい)となつた大庫倫(だいクーロン)活仏(くわつぶつ)()んで()喇嘛廟(ラマメウ)(ごと)きは、012三十(さんじふ)(まん)喇嘛僧(ラマそう)沢山(たくさん)住宅(ぢうたく)(なら)べて()んでゐる。013現今(げんこん)では皇帝(くわうてい)(くらゐ)大活仏(だいくわつぶつ)権威(けんい)全然(ぜんぜん)有名(いうめい)無実(むじつ)になつて(しま)ひ、014露西亜(ロシア)赤軍(せきぐん)自由(じいう)自在(じざい)我儘(わがまま)振舞(ふるま)つてゐる。015さうして大庫倫(だいクーロン)には一百(いつぴやく)七八十(しちはちじふ)(まん)人口(じんこう)があつて、016日本人(につぽんじん)数名(すうめい)(すま)つてゐると()(こと)である。017それから(えい)018(べい)019(ふつ)020()人間(にんげん)二万(にまん)(ばか)住居(ぢうきよ)し、021ヤソ(けう)教会堂(けうくわいだう)()つて()るが、022蒙古人(もうこじん)信者(しんじや)一人(ひとり)もないと()(こと)である。023喇嘛教(ラマけう)()ふのは俗称(ぞくしよう)であつて、024喇嘛(ラマ)蒙古語(もうこご)僧侶(そうりよ)といふ意味(いみ)で、025その(じつ)仏陀教(ぶつだけう)()ふのが正当(せいたう)である。026蒙古(もうこ)では各地(かくち)(わう)(さま)よりも活仏(くわつぶつ)(はう)上位(じやうゐ)()り、027国民(こくみん)信用(しんよう)尊敬(そんけい)(わう)(さま)()して非常(ひじやう)(たか)い。028蒙古(もうこ)喇嘛(ラマ)(くに)()はれる(ほど)あつて、029総人口(そうじんこう)四分(よんぶん)(いち)以上(いじやう)喇嘛(ラマ)である。030(いづ)れも暗愚(あんぐ)無学(むがく)売主(まいす)坊主(ばうず)(ばか)りであつて、031蒙古人(もうこじん)尊敬(そんけい)(まと)となつてゐる活仏(くわつぶつ)でさへも、032自分(じぶん)地位(ちゐ)利用(りよう)し、033沢山(たくさん)(をんな)(かん)し、034梅毒(ばいどく)(なや)んで、035病毒(びやうどく)伝播(でんぱ)()つて()るのが(おほ)い。
036 一般(いつぱん)蒙古人(もうこじん)貞操(ていさう)(ねん)(つよ)く、037有夫姦(いうふかん)(など)(いま)はしい醜行(しうかう)微塵(みぢん)()い。038さうして一夫(いつぷ)多妻(たさい)であり(なが)ら、039(せま)(ひと)つの(いへ)沢山(たくさん)女房(にようばう)一所(いつしよ)(くら)して()て、040(すこ)しも悋気(りんき)喧嘩(けんくわ)(おこ)らないのである。041気候(きこう)(ゆゑ)淡白(たんぱく)食物(しよくもつ)影響(えいきやう)であらうが、042蒙古人(もうこじん)(あま)色情(しきじやう)(とう)には趣味(しゆみ)()たぬ人間(にんげん)らしい。
043 それに引替(ひきか)衆生(しゆじやう)済度(さいど)地位(ちゐ)にある高僧(かうそう)(れん)(さか)んに醜行(しうかう)をなし、044風俗(ふうぞく)壊乱(くわいらん)首魁者(しゆくわいしや)となつてゐる。045(しか)(なが)蒙古人(もうこじん)活仏(くわつぶつ)醜行(しうかう)(たい)しては(すこ)しも(とが)めない。046活仏(くわつぶつ)のお()(かか)つた(むすめ)仏縁(ぶつえん)()つて立派(りつぱ)(をつと)()しづく(こと)出来(でき)ると()つて(むし)歓迎(くわんげい)してゐる(ふう)である。
047 日出雄(ひでを)数千(すうせん)()(へだ)てた蒙古(もうこ)(おく)()て、048(その)人民(じんみん)からは(かみ)(ごと)くに尊敬(そんけい)され、049心限(こころかぎ)りの待遇(たいぐう)()けて、050(まつた)大神(おほかみ)(さま)のおかげだと(よろこ)んで()た。051日出雄(ひでを)神徳(しんとく)赫々(かくかく)として旭日(きよくじつ)昇天(しようてん)(ごと)く、052遠近(ゑんきん)蒙古人(もうこじん)取囲(とりかこ)まれて面白(おもしろ)月日(つきひ)(おく)つてゐた。053一時(いちじ)(らう)印君(いんくん)(とう)支那(しな)政府(せいふ)(はばか)つて(やや)冷遇(れいぐう)をされた(かたむ)きがあつたが、054(これ)(らう)印君(いんくん)(その)(ほか)公爺府(コンエフ)(つか)へて()二三(にさん)役員(やくゐん)のみに(かぎ)つたので、055一般人(いつぱんじん)からは(すこ)しも冷遇(れいぐう)()けなかつた。056(また)内地人(ないちじん)支那人(しなじん)狡猾(かうくわつ)なるに(くら)べて蒙古人(もうこじん)(しん)天真(てんしん)爛漫(らんまん)057その性情(せいじやう)子供(こども)(ごと)く、058神代(かみよ)(ひと)(ごと)くである。059現代(げんだい)(ごと)悪化(あくくわ)した()(なか)に、060こんな天国(てんごく)があるかと(おも)へば、061まだ()(なか)()きた生命(せいめい)のある(こと)(たの)しく(おも)はれるのである。
062 さて()(ぐわつ)十四日(じふよつか)063西北(せいほく)自治軍(じちぐん)総司令(そうしれい)上将(じやうしやう)として()占魁(せんくわい)二百(にひやく)(にん)手兵(しゆへい)引率(いんそつ)し、064轎車(けうしや)()つて無事(ぶじ)公爺府(コンエフ)到着(たうちやく)した。065()()(さま)(かり)司令部(しれいぶ)()り、066(その)(あし)日出雄(ひでを)宿舎(しゆくしや)(たづ)ねて()た。067日出雄(ひでを)()()たと()ふので門口(かどぐち)出迎(でむか)へると、068()占魁(せんくわい)大勢(おほぜい)兵士(へいし)(まへ)日出雄(ひでを)()きついて(うれ)()きに()いた。069日出雄(ひでを)()にも感慨(かんがい)無量(むりやう)(なみだ)(うか)んでゐた。070それから()占魁(せんくわい)鎮国公(ちんこくこう)から(おく)られた純白(じゆんぱく)乗馬(じやうば)日出雄(ひでを)(おく)り、071()沢山(たくさん)菓子(くわし)果物(くだもの)をすすめて旅情(りよじやう)(なぐさ)めた。
072 (その)()真澄別(ますみわけ)(かは)つて(すべ)ての事務(じむ)()協議(けふぎ)する(こと)となつた、073日出雄(ひでを)(うた)()んだり、074()(つく)つたり、075日記(につき)()いたり、076喇嘛(ラマ)村人(むらびと)覚束(おぼつか)ない蒙古語(もうこご)(かみ)(をしへ)()(さと)してゐた。
077 公爺府(コンエフ)(かたはら)(ささ)やかな(いへ)があつて、078そこの主人(しゆじん)丑他阿里太(ウツタアリタ)()二人(ふたり)妻君(さいくん)()つてゐる。079さうして一男(いちなん)二女(にぢよ)があり、080長女(ちやうぢよ)丑他倶喇(ウツタグラ)()ひ、081日出雄(ひでを)門前(もんぜん)(とほ)ると主人(しゆじん)が、
082丑他阿里太『モンドユー、083イホエミト、084ポロハナ、085イルジー イルジー』
086(しき)りに(まね)くので白凌閣(パイリンク)(とも)(ちひ)さい蒙古包(もうこはう)(なか)這入(はい)ると、
087丑他阿里太今日(けふ)喇嘛僧(ラマそう)二十(にじふ)(にん)(ばか)()んで、088()馳走(ちそう)をするのですから、089ナラヌオロスのポロハナに(さき)()つて(いただ)()い』
090()つて、091メリケン()団子(だんご)(ひつじ)(にく)(あん)とし、092(ホープン)(うへ)牛糞(ぎうふん)()()でた団子(だんご)()へとすすめる。093日出雄(ひでを)(めう)(にほひ)のする団子(だんご)(すす)められ迷惑(めいわく)したが、094蒙古人(もうこじん)好意(かうい)(いな)(わけ)にも()かず、095感謝(かんしや)して(ふた)(みつ)頬張(ほほば)つた。096()(いへ)(つま)(しき)りに(ちや)()んだり、097団子(だんご)()つて()(すす)める。098日出雄(ひでを)は、
099日出雄()(うへ)団子(だんご)(はら)(おほ)きくて()へない』
100()つて(てい)よく(ことは)り、101(ちや)煙草(たばこ)(しき)りに乾燥(かんさう)した(くち)(なか)(はう)()んでゐた。102此処(ここ)(むすめ)丑他倶喇(ウツタグラ)当年(たうねん)十四(じふよん)(さい)(めづ)らしい美人(びじん)であり、103(とし)似合(にあ)はぬ大柄(おほがら)であつた。
104 ウツタグラと()名義(めいぎ)東洋一(とうやういち)美人(びじん)()意味(いみ)である。105どこともなく威厳(ゐげん)(そな)はり、106(いろ)(しろ)くて目元(めもと)(すず)しく、107丁度(ちやうど)観世音(くわんぜおん)菩薩(ぼさつ)(やう)姿(すがた)である。108日出雄(ひでを)(この)少女(せうぢよ)(むか)つて、
109日出雄『チンニセーナホンモン((なんぢ)110美人(びじん))』
111称揚(しようやう)すると、112その父親(ちちおや)()ぐに日出雄(ひでを)(むか)つて、
113丑他阿里太『ピーシヤ、114ムツトルテ、115チンニン、116ウツタグラ、117シヤルトゲヤ』
118()つた。119(この)意味(いみ)は、
120貴下(きか)立派(りつぱ)(ひと)である。121(わたし)(むすめ)ウツタグラを貴下(きか)にあげませう』
122()ふのである。123そこで日出雄(ひでを)(なん)とも(こた)へず(わら)つて(かへ)つて()た。124さうすると(その)翌日(よくじつ)から少女(せうぢよ)がボロボロの着物(きもの)立派(りつぱ)衣服(いふく)着換(きか)へて、125日出雄(ひでを)(そば)へやつて()て、126(ちや)()んだり、127ハンケチを()(しぼ)つたりして、128()(わす)れて世話(せわ)をした。129よくよく()いて()ると『日本(につぽん)活仏(くわつぶつ)だから(けつ)して妻子(さいし)()いであらう。130(この)(むすめ)()げたならば、131屹度(きつと)自分(じぶん)()として相当(さうたう)(ところ)(かしづ)けてくれるだらう』と親心(おやごころ)から(おも)つたのだと()ふ。132蒙古人(もうこじん)日本人(につぽんじん)()ると『自分(じぶん)()をやらうやらう』と()(くせ)がある。133一行(いつかう)日本人(につぽんじん)も、134あちらや、135こちらで『()をやらうか』と()はれて有難(ありがた)迷惑(めいわく)(かん)じてゐた。
136
137 或日(あるひ)ウツタナストの隣家(りんか)三十(さんじふ)(にん)(ばか)りの喇嘛(ラマ)(あつま)つて(あさ)(ろく)()(ごろ)から夕方(ゆふがた)まで陀々(ダダ)仏陀(ブダ)々々(ダダ)々々(ブダ)とのべつ(まく)なしに経文(きやうもん)()げてゐるので日出雄(ひでを)(あや)しんで()(いへ)這入(はい)(のぞ)いて()ると、138一人(ひとり)大病人(だいびやうにん)真中(まんなか)()いて喇嘛(ラマ)一生(いつしやう)懸命(けんめい)祈願(きぐわん)をやつて()た。139病人(びやうにん)はダンダンと(くる)しむ(ばか)りで(すこ)しも快方(くわいはう)(むか)はない。140喇嘛(ラマ)()ふのには、
141喇嘛一日(いちにち)(はや)国替(くにがへ)さして天国(てんごく)(すく)ひ、142病気(びやうき)()(すく)(ため)臨終(りんじう)(はや)くなる(やう)祈願(きぐわん)してゐるのだ』
143()つてゐる。144そこで日出雄(ひでを)(いへ)主人(しゆじん)(むか)ひ、
145日出雄即座(そくざ)(この)病気(びやうき)をなほしてやらうか』
146()つたら147主人(しゆじん)低頭(ていとう)平身(へいしん)して祈祷(きたう)(たの)むだ。148日出雄(ひでを)(ただち)数多(あまた)喇嘛(ラマ)会釈(ゑしやく)し、149病人(びやうにん)(ひたひ)(かる)()をのせ『悪魔(あくま)よ、150()れツ』と一喝(いつかつ)した。151(たちま)大熱(だいねつ)()め、152(その)()病人(びやうにん)がムクムクと起上(おきあが)り、153(うれ)しさうにゲラゲラ(わら)()した。
154 (あま)りの奇瑞(きずゐ)喇嘛僧(ラマそう)(おどろ)いて155益々(ますます)日出雄(ひでを)大活仏(だいくわつぶつ)として尊敬(そんけい)するやうになつた。156守高(もりたか)名田彦(なだひこ)とが柔術(じうじゆつ)自慢(じまん)(あさ)から(ばん)まで()つきりなしにやるので、157岡崎(をかざき)(わう)元祺(げんき)立腹(りつぷく)してゐる(ところ)へ、158名田彦(なだひこ)岡崎(をかざき)()(にぎ)つて自慢(じまん)げに『柔術(じうじゆつ)はこんなものだ』と()つた(ところ)159岡崎(をかざき)はカツと(いか)つて小便(せうべん)のしてあつた金盥(かなだらひ)名田彦(なだひこ)(かほ)にぶつつけた。160名田彦(なだひこ)非常(ひじやう)口惜(くやし)がつたが、161岡崎(をかざき)権幕(けんまく)(おそ)れ、162()日出雄(ひでを)になだめられて歯切(はぎ)しりし(なが)らヤツと(むね)ををさめた。163それから日本人(につぽんじん)(がは)白凌閣(パイリンク)日出雄(ひでを)真澄別(ますみわけ)(たい)してはいろいろの(よう)()くが、164(ほか)(もの)()(こと)()かないと()ふので大変(たいへん)白凌閣(パイリンク)(にく)み、165猪野(ゐの)敏夫(としを)()木片(もくへん)()つて白凌閣(パイリンク)(よこ)(つら)(きび)しく(なぐ)りつけた。166(たちま)顔面(がんめん)()(あが)り、167()(にじ)()た。168白凌閣(パイリンク)(かほ)(かか)へて169(うづく)まり、170(なみだ)(なが)して気張(きば)つてゐた。171白凌閣(パイリンク)(ちち)(おな)公爺府(コンエフ)(ちか)(ところ)にゐるけれども、172(パイ)(この)乱暴(らんばう)日本人(につぽんじん)仕打(しうち)(ちち)()(やう)ともせず一歩(いつぽ)(うご)かずに()いてゐた。173日出雄(ひでを)見兼(みか)ねて(パイ)(かほ)焼酎(せうちう)()きかけてやり、174(かつ)鎮魂(ちんこん)(ほどこ)した(ところ)175三十(さんじつ)分間(ぷんかん)(ほど)(あひだ)(はれ)(なほ)り、176(かほ)(もと)(ふく)して(しま)つた。177日出雄(ひでを)(パイ)裏山(うらやま)散歩(さんぽ)()として()れて()き、178覚束(おぼつか)ない蒙古語(もうこご)で、
179日出雄『お(まへ)猪野(ゐの)(くん)にあんなひどい()()はされても、180自分(じぶん)(おや)()らしに()かなかつたのは感心(かんしん)だ』
181()つて()めた(ところ)182(パイ)(よろこ)んで()ふやう、
183白凌閣(わたし)大先生(だいせんせい)家来(けらい)になつたのですから、184最早(もは)(ちち)(たよ)(こと)出来(でき)ませぬ。185さうして(わたし)先生(せんせい)のお弟子(でし)となり喇嘛(ラマ)になる(つも)りですから、186先生(せんせい)代理(だいり)たる真澄別(ますみわけ)さまの命令(めいれい)()きますが、187(その)()日本人(につぽんじん)命令(めいれい)服従(ふくじう)する義務(ぎむ)はありませぬ。188仮令(たとへ)日本人(につぽんじん)(いか)つて(ころ)すとも(みち)ならぬ(ひと)命令(めいれい)()きませぬ。189そんな(こと)をしますと蒙古(もうこ)男子(だんし)(はぢ)になります』
190()つた。191日出雄(ひでを)感心(かんしん)して(パイ)()めてやり、192さうして日本(につぽん)風俗(ふうぞく)習慣(しふくわん)(かた)()かせ、
193日出雄『お(まへ)()ふのも蒙古人(もうこじん)としては(もつと)もだらうが、194日本人(につぽんじん)にはそんな理窟(りくつ)(とほ)らないから、195()のある(とき)()日本人(につぽんじん)()(こと)()き、196世話(せわ)もして(もら)ひたい』
197()つた(ところ)198(パイ)()いて(その)()誰彼(たれかれ)区別(くべつ)なく()(こと)()(やう)になつた。199(パイ)(ちち)白厘九(パイリチウ)がやつて()て、
200白厘九()(せがれ)一人(ひとり)息子(むすこ)ですから、201あまり(とほ)(ところ)へはやり()くありませぬ。202そして白凌閣(パイリンク)には隣村(りんそん)から(よめ)(もら)(こと)()まつて()りますから、203(なん)とかして(からだ)をあけて(もら)(こと)出来(でき)ますまいか』
204丁寧(ていねい)依頼(いらい)して()た。205日出雄(ひでを)(ちち)(げん)()いて()(どく)(おも)ひ、206白凌閣(パイリンク)に、
207日出雄『お(まへ)一人(ひとり)息子(むすこ)でもあり、208(まへ)(ちち)老年(らうねん)でもあるから大庫倫(だいクーロン)(まで)従軍(じうぐん)することは(おや)不孝(ふかう)になるかも()れぬ。209そして(おや)妻君(さいくん)(のこ)して遠征(ゑんせい)(のぼ)つても、210(まへ)()()であるまいから、211(ちち)言葉(ことば)(したが)へ』
212()つた(ところ)213(パイ)(くび)左右(さいう)()つて、
214白凌閣『イエイエ一旦(いつたん)蒙古(もうこ)男子(だんし)(ちか)つた言葉(ことば)金鉄(きんてつ)です。215(ちち)(つま)(かみ)(さま)(まか)せておけば(よろ)しい。216(わたし)大先生(だいせんせい)()かるる(ところ)何処(どこ)(まで)もお(とも)(いた)します』
217()つて()かないので、218(ちち)観念(かんねん)したと()え、
219白厘九『アハヽヽヽヽ』と(おほ)きく(わら)つて、
220白厘九『どうか(せがれ)(よろ)しく(たの)みます』
221挨拶(あいさつ)して(かへ)つたきり、222日出雄(ひでを)公爺府(コンエフ)出立(しゆつたつ)する(あさ)(まで)223その(ちち)(たづ)ねて()なかつた。224(これ)()ても蒙古人(もうこじん)男性(だんせい)(てき)気性(きしやう)()れるのである。
225 (かれ)(パイ)はかう()心掛(こころがけ)()つて()たから(かみ)保護(ほご)()けたものか、226(ろく)(ぐわつ)二十一(にじふいち)(にち)白音太拉(パインタラ)遭難(さうなん)(とき)支那兵(しなへい)(とら)へられ、227銃殺(じうさつ)()()たされた一刹那(いつせつな)228参謀長(さんぼうちやう)()()て、
229参謀長『こんな子供(こども)(ころ)した(ところ)仕方(しかた)()い』
230()つて(パイ)()がしてやつた。231それより(パイ)色々(いろいろ)艱難(かんなん)辛苦(しんく)して232無一物(むいちぶつ)公爺府(コンエフ)無事(ぶじ)(かへ)(こと)()たのである。
233大正一四、八、筆録)
絶賛発売中『超訳霊界物語2/出口王仁三郎の「身魂磨き」実践書/一人旅するスサノオの宣伝使たち』
オニド関連サイト最新更新情報
10/22【霊界物語ネット】王仁文庫 第六篇 たまの礎(裏の神諭)』をテキスト化しました。
5/8【霊界物語ネット】霊界物語ネットに出口王仁三郎の第六歌集『霧の海』を掲載しました。
このページに誤字・脱字や表示乱れなどを見つけたら教えて下さい。
返信が必要な場合はメールでお送り下さい。【メールアドレス
合言葉「みろく」を入力して下さい→  
霊界物語ネットは飯塚弘明が運営しています。【メールアドレス】 / 動作に不具合や誤字脱字等を発見されましたら是非お知らせ下さるようお願い申し上げます。 / 本サイトに掲載されている霊界物語等の著作物の電子データは飯塚弘明ほか、多数の方々の協力によって作られました。(スペシャルサンクス) / 本サイトの著作権(デザイン、プログラム、凡例等)は飯塚弘明にあります。出口王仁三郎の著作物(霊界物語等)の著作権は保護期間が過ぎていますのでご自由にお使いいただいて構いません。ただし一部分を引用するのではなく、本サイト掲載の大部分を利用して電子書籍等に転用する場合には、必ず出典と連絡先を記して下さい。→「本サイト掲載文献の利用について」 / 出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別的と見なされる言葉や表現もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。 / プライバシーポリシー
(C) 2007-2024 Iizuka Hiroaki