いつの間に盧占魁が宣伝したものか、蒙古人たちは、日出雄は蒙古興安嶺中の部落の出身で、日出雄の母は流転の後に日本人と結婚し、異父弟の真澄別が生まれた。のちに日出雄は日本で一派の宗教を樹立し、蒙古を救済するべく帰来した、と信じていた。
蒙古の元老たちは、日出雄をジンギスカンの末裔と信じていた。日出雄は、万一自分が蒙古の外へ出ることがあっても、弟の真澄別を置いていくから心配するな、と彼らを慰めていた。
索倫に引き移ってからは、真澄別が来客の応接に当たり、日出雄は生き神としてみだりにこれを煩わさないような体制になっていた。
上木局子は現地の部落民も獰猛の気がみなぎっていたが、日出雄は親しく交わって病人を治したりと、徳化教育を怠らなかった。
そのうちにも、上木局子出発の日まで、トール河畔で霊的修行を行っていた。修業開始五日目に、日出雄は神がかりとなって身体より霊光を放射し、神言が口を破って出た。
神素盞嗚尊、武速素盞嗚尊と現れて、滅びようとしている神の国の立て替え立て直しを行おうとしている。
小人どもががやがやと立ち騒いでいるが、すべて神の仕組んだ神業であるので、いかなる事変が起ころうとも、神に任せて心を煩わせないように。
武速素盞嗚尊を先頭に、落ち着く場所は大庫倫である。されど途中は紆余曲折が多い。
真澄別には木花姫命ならびに二体の竜神を持って守護させている。守高は天の手力男ならびに二体の竜神を持って守護させている。坂本広一には持国天、名田彦には白狐を持って守護させているが、いまだに修行が足りないので、表には表れていない。
この修行中、真澄別の霊眼霊耳に前途に関するさまざまな問題が映じ、聞こえたという。
日出雄は一度日本内地に帰還して、陣容を立て直さなければならない。
六、七回、倉庫とも感じられる鉄窓の建物が映じ、最後には鉄窓内から女神ののぞく図が見えた。
パインタラの留置場、鄭家屯の留置場、日本領事館留置場、奉天日本領事館監獄、広島県大竹警察留置場、兵庫県上郡警察留置場、そして大阪刑務所生活を経て、身体の自由を得るにいたったことの予告であったのであろう。
名田彦は修行の際、冷水に身を浸したことにより、持病を再発して途中帰国の途についていた。