霊界物語.ネット
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[250]女の型
[251]日本人目覚めよ
[252]親作子作
[253]無二の真理教
[254]謝恩と犠牲心
[255]現代の日本人
[256]霊止と人間
[257]仏教の女性観
[258]日本人と悲劇
[259]海岸線と山岳
[260]書画をかく秘訣
[261]四日月を三日月と見る二日酔
[262]不毛の地
[263]歴史談片
[264]エルバンド式とモールバンド式
[265]大黒主と八岐大蛇
[266]島根県
[267]誕生の種々
[268]犠牲
[269]三菩薩
[270]懺悔
[271]神の作品
[272]舎身活躍
[273]万機公論に決すべし
[274]知識を世界に求む
[275]克く忠克く孝
[276]無作の詩
[277]魂の大きさ
[278]過去の失敗
[279]捨てる事は正しく掴む事
[280]人間と現世
[281]安全な代物
[282]人の面貌
[283]堪忍
[284]信教の自由
[285]信仰に苔が生えた
[286]意志想念の儘なる天地
[287]謝恩の生活
[288]広大無辺の御神徳
[289]宗教団と其教祖
[290]忘れると云ふ事
[291]日本人の抱擁性
[292]至誠と徹底
[293]慧春尼
[294]社会学の距離説
[295]神と倶にある人
[296]夏
[297]惟神の心
[298]悪魔の世界
[299]人間と云ふ問題
[300]学問も必要
[301]有難き現界
[302]梅で開いて松でをさめる
[303]地租委譲問題
[304]不戦条約
[305]細矛千足の国
[306]短い言語
[307]言霊奏上について
[308]性慾の問題
[309]秘密
[310]学と神力の力競べ
[311]軍備撤廃問題
[312]偽善者
[313]宗教より芸術へ
[314]年を若くする事
[315]精力と精液
[316]最後の真理
[317]上になりたい人
[318]壇訓(扶乩)について
[319]エト読込の歌
[320]動物愛護について
[321]易
[322]軍縮問題
[323]小さい事
[324]善言美詞は対者による
[325]淋しいといふこと
[326]空相と実相
[327]刑法改正問題
[328]二大祖神
[329]三摩地
[330]普通選挙
[331]当相即道
[332]玉
[333]宗教即芸術
[334]大本格言
[335]大画揮毫について
[336]霊的神業
[337]模型を歩む
[338]宗教の母
[339]神功皇后様と現はれる
[340]国栖を集めよ
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[342]天帯
[343]ガンヂー
[344]大乗教と小乗教
[345]支那道院奉唱呪文略解
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[347]無題(俚謡)
[348]角帽の階級打破
[349]何よりも楽しみ
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[351]探湯の釜
[352]輪廻転生
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十和田湖の神秘
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(B)
(N)
序 >>>
十和田湖
(
とわだこ
)
の
神秘
(
しんぴ
)
インフォメーション
鏡:
月鏡
題名:
十和田湖の神秘
よみ:
著者:
出口王仁三郎
神の国掲載号:
1930(昭和5)年11月号
八幡書店版:
480頁
愛善世界社版:
著作集:
第五版:
277頁
第三版:
277頁
全集:
初版:
237頁
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
2024-11-11 12:01:01
OBC :
kg461
001
東洋
(
とうやう
)
の
日本国
(
にほんこく
)
は
到
(
いた
)
る
所
(
ところ
)
山紫水明
(
さんしすゐめい
)
の
点
(
てん
)
に
於
(
おい
)
て
西洋
(
せいやう
)
の
瑞西
(
スイス
)
と
共
(
とも
)
に
世界
(
せかい
)
の
双壁
(
さうへき
)
と
推称
(
すゐしよう
)
されて
居
(
ゐ
)
る。
002
日本
(
にほん
)
は
古来
(
こらい
)
東海
(
とうかい
)
の
蓬莱嶋
(
ほうらいじま
)
と
称
(
とな
)
へられた
丈
(
だけ
)
あつて、
003
国中
(
こくちう
)
到
(
いた
)
る
処
(
ところ
)
に
名山
(
めいざん
)
があり、
004
幽谷
(
いうこく
)
があり、
005
大湖
(
たいこ
)
があり、
006
大飛瀑
(
だいひばく
)
があり、
007
実
(
じつ
)
に
世界
(
せかい
)
の
公園
(
こうゑん
)
の
名
(
な
)
に
背
(
そむ
)
かない
風光
(
ふうくわう
)
がある。
008
中
(
なか
)
に
湖水
(
こすゐ
)
として
最
(
もつと
)
も
広大
(
くわうだい
)
に
最
(
もつと
)
も
名高
(
なだか
)
きものは
近江
(
あふみ
)
の
琵琶湖
(
びはこ
)
、
009
言霊学上
(
げんれいがくじやう
)
、
010
「
天
(
あめ
)
の
真奈井
(
まなゐ
)
」があり
近江
(
あふみ
)
八景
(
はつけい
)
といつて
支那
(
しな
)
瀟湘
(
せうしやう
)
八景
(
はつけい
)
[
※
「瀟湘八景」(しょうしょうはっけい)…中国湖南省の洞庭湖(どうていこ)付近にある八ケ所の景勝地。
]
にならつた
名勝
(
めいしよう
)
がある。
011
芦
(
あし
)
の
湖
(
こ
)
、
012
中禅寺湖
(
ちうぜんじこ
)
、
013
猪苗代湖
(
いなはしろこ
)
、
014
支笏湖
(
ししやくこ
)
、
015
洞爺湖
(
どうやこ
)
、
016
阿寒湖
(
あかんこ
)
、
017
十和田湖
(
とわだこ
)
などがある、
018
何
(
いづ
)
れも
文人
(
ぶんじん
)
墨客
(
ぼくかく
)
に
喜
(
よろこ
)
ばれて
居
(
ゐ
)
るものである。
019
中
(
なか
)
にも
風景
(
ふうけい
)
絶佳
(
ぜつか
)
にして
深
(
ふか
)
き
神秘
(
しんぴ
)
と
伝説
(
でんせつ
)
を
有
(
いう
)
するものは
十和田湖
(
とわだこ
)
の
右
(
みぎ
)
に
出
(
い
)
づるものは
無
(
な
)
いであらう。
020
自分
(
じぶん
)
は
今度
(
こんど
)
東北
(
とうほく
)
地方
(
ちはう
)
宣伝
(
せんでん
)
の
旅
(
たび
)
を
続
(
つづ
)
け、
021
其
(
その
)
途中
(
とちう
)
青森
(
あをもり
)
県下
(
けんか
)
其他
(
そのた
)
近県
(
きんけん
)
の
宣信徒
(
せんしんと
)
に
案内
(
あんない
)
されて、
022
日本
(
にほん
)
唯一
(
ゆゐいつ
)
の
紫明境
(
しめいきやう
)
なる
十和田
(
とわだ
)
の
勝景
(
しようけい
)
に
接
(
せつ
)
する
事
(
こと
)
を
得
(
う
)
ると
共
(
とも
)
に、
023
神界
(
しんかい
)
の
御経綸
(
ごけいりん
)
の
深遠
(
しんゑん
)
微妙
(
びめう
)
にして
人心
(
じんしん
)
凡智
(
ぼんち
)
の
窺知
(
きち
)
し
得
(
え
)
ざる
神秘
(
しんぴ
)
を
覚
(
さと
)
る
事
(
こと
)
を
得
(
え
)
たのである。
024
扨
(
さ
)
て
十和田湖
(
とわだこ
)
の
位置
(
ゐち
)
は、
025
裏日本
(
うらにほん
)
と
表日本
(
おもてにほん
)
とを
縦断
(
じうだん
)
する
馬背
(
ばはい
)
の
如
(
ごと
)
き
中央
(
ちうおう
)
山脈
(
さんみやく
)
の
間
(
あひだ
)
に
介在
(
かいざい
)
して、
026
北方
(
ほくぱう
)
には
八甲田山
(
はつかふださん
)
、
027
磐木山
(
いはぎやま
)
など
巍々乎
(
ぎぎこ
)
として
聳
(
そび
)
え
立
(
た
)
ち、
028
南方
(
なんぱう
)
遙
(
はるか
)
の
雲表
(
うんぺう
)
より
鳥海山
(
てうかいざん
)
、
029
岩手山
(
いはてざん
)
の
二
(
に
)
高嶺
(
かうれい
)
が
下瞰
(
かかん
)
してゐるのである。
030
十和田湖
(
とわだこ
)
の
水面
(
すいめん
)
の
高
(
たか
)
さは
海抜
(
かいばつ
)
一千二百
(
いつせんにひやく
)
尺
(
しやく
)
にして、
031
その
周囲
(
しうゐ
)
の
山々
(
やまやま
)
は
之
(
これ
)
より
約
(
やく
)
二千
(
にせん
)
尺
(
しやく
)
以上
(
いじやう
)
の
高山
(
かうざん
)
を
以
(
もつ
)
て
環繞
(
くわんげう
)
せられ、
032
湖面
(
こめん
)
は
殆
(
ほと
)
んど
円形
(
ゑんけい
)
にして
牛角形
(
ぎうかくけい
)
と
馬蹄形
(
ばていけい
)
とを
為
(
な
)
せる
二大
(
にだい
)
半嶋
(
はんたう
)
が
湖心
(
こしん
)
に
向
(
むか
)
つて
約
(
やく
)
一里
(
いちり
)
斗
(
ばか
)
り
突出
(
とつしゆつ
)
し、
033
御倉山
(
みくらやま
)
御中山
(
みまかやま
)
など
神代
(
かみよ
)
の
神座
(
しんざ
)
や
神名
(
しんめい
)
に
因
(
ちな
)
んだ
奇勝
(
きしよう
)
絶景
(
ぜつけい
)
を
以
(
もつ
)
て
形
(
かたち
)
造
(
づく
)
られて
居
(
を
)
る。
034
湖中
(
こちう
)
の
岩壁
(
がんぺき
)
や、
035
岩岬
(
がんこう
)
や、
036
嶋嶼
(
たうしよ
)
などの
風致
(
ふうち
)
は
実
(
じつ
)
に
日本
(
にほん
)
八景
(
はつけい
)
の
随一
(
ずゐいつ
)
の
名
(
な
)
に
背
(
そむ
)
かない
事
(
こと
)
を
諾
(
うなづ
)
かれるのである。
037
湖中
(
こちう
)
の
風景
(
ふうけい
)
の
絶妙
(
ぜつめう
)
なる
事
(
こと
)
は、
038
一々
(
いちいち
)
爰
(
ここ
)
に
記
(
しる
)
すまでもなく
東北
(
とうほく
)
日記
(
につき
)
に
名所
(
めいしよ
)
名所
(
めいしよ
)
を
詠
(
よ
)
んでおいたから、
039
爰
(
ここ
)
には
之
(
これ
)
を
省略
(
しやうりやく
)
して
十和田湖
(
とわだこ
)
の
神秘
(
しんぴ
)
に
移
(
うつ
)
ることに
仕
(
し
)
ようと
思
(
おも
)
ふ。
040
十和田湖
(
とわだこ
)
の
伝説
(
でんせつ
)
は
各
(
かく
)
方面
(
はうめん
)
に
点在
(
てんざい
)
して
頗
(
すこぶ
)
る
範囲
(
はんゐ
)
は
広
(
ひろ
)
いが、
041
自分
(
じぶん
)
は
凡
(
すべ
)
ての
伝説
(
でんせつ
)
に
拘
(
かか
)
はらないで、
042
神界
(
しんかい
)
の
秘庫
(
ひこ
)
を
開
(
ひら
)
いて
爰
(
ここ
)
に
忌憚
(
きたん
)
なく
発表
(
はつぺう
)
する
事
(
こと
)
とする。
043
扨
(
さて
)
十和田
(
とわだ
)
の
地名
(
ちめい
)
に
就
(
つい
)
ては
十湾田
(
とわだ
)
、
044
十曲田
(
とわだ
)
などの
文字
(
もじ
)
を
宛
(
あて
)
はめて
居
(
ゐ
)
るが、
045
アイヌ
語
(
ご
)
のトーワタラ(
岩間
(
いはま
)
の
湖
(
みづうみ
)
)ハツタラ(
淵
(
ふち
)
の
義
(
ぎ
)
)が
神秘的
(
しんぴてき
)
伝説中
(
でんせつちう
)
の
主要
(
しゆえう
)
人物
(
じんぶつ
)
、
046
十和田湖
(
とわだこ
)
を
造
(
つく
)
つたといふ
八郎
(
はちらう
)
(
別名
(
べつめい
)
、
047
八太郎
(
はちたらう
)
、
048
八郎太郎
(
はちらうたらう
)
、
049
八
(
はち
)
の
太郎
(
たらう
)
)が
伝説
(
でんせつ
)
の
中心
(
ちうしん
)
となつて
居
(
を
)
る。
050
次
(
つぎ
)
に
開創
(
かいさう
)
鎮座
(
ちんざ
)
せし
藤原
(
ふじはら
)
男装坊
(
なんさうばう
)
も
南祖
(
なんそ
)
、
051
南宗
(
なんそう
)
、
052
南僧
(
なんそう
)
、
053
南曽
(
なんそう
)
、
054
南蔵
(
なんざう
)
等
(
とう
)
種々
(
しゆじゆ
)
あるが、
055
今日
(
こんにち
)
普通
(
ふつう
)
に
用
(
もち
)
ゐられて
居
(
を
)
る
文字
(
もじ
)
は
南祖
(
なんそ
)
である。
056
然
(
しか
)
し
王仁
(
おに
)
は
伝説
(
でんせつ
)
の
真相
(
しんさう
)
から
考察
(
かうさつ
)
して
男装坊
(
なんさうばう
)
を
採用
(
さいよう
)
し、
057
此
(
この
)
神秘
(
しんぴ
)
を
書
(
か
)
く
事
(
こと
)
にする。
058
昔
(
むかし
)
秋田県
(
あきたけん
)
の
赤吉
(
とつこ
)
と
云
(
い
)
ふ
所
(
ところ
)
に
大日
(
だいにち
)
別当
(
べつたう
)
了観
(
れうくわん
)
と
云
(
い
)
ふ
有徳
(
うとく
)
の
士
(
し
)
が
住
(
す
)
んで
居
(
ゐ
)
たが、
059
たまたま
心中
(
しんちう
)
に
邪念
(
じやねん
)
の
萌
(
きざ
)
した
時
(
とき
)
は
北沼
(
きたぬま
)
と
云
(
い
)
ふ
沼
(
ぬま
)
に
年
(
とし
)
古
(
ふる
)
くから
棲
(
す
)
んで
居
(
ゐ
)
る
大蛇
(
をろち
)
の
主
(
ぬし
)
が
了観
(
れうくわん
)
の
姿
(
すがた
)
となつて
妻
(
つま
)
の
許
(
もと
)
へそつと
通
(
かよ
)
つた。
060
斯
(
こ
)
の
大蛇
(
をろち
)
の
主
(
ぬし
)
といふのは
神代
(
かみよ
)
の
昔
(
むかし
)
神素盞嗚尊
(
かんすさのをのみこと
)
が
伯耆大山
(
はうきだいせん
)
即
(
すなは
)
ち
日
(
ひ
)
の
川上山
(
かはかみやま
)
に
於
(
おい
)
て
八岐
(
やまた
)
の
大蛇
(
をろち
)
を
退治
(
たいぢ
)
され、
061
大黒主
(
おほくろぬし
)
の
鬼雲別
(
おにくもわけ
)
以下
(
いか
)
を
平定
(
へいてい
)
されたその
時
(
とき
)
の
八岐
(
やまた
)
の
大蛇
(
をろち
)
の
霊魂
(
れいこん
)
が
凝
(
こ
)
つて
再
(
ふたた
)
び
大蛇
(
をろち
)
となり、
062
北沼
(
きたぬま
)
に
永
(
なが
)
く
潜
(
ひそ
)
んでゐたものであつた。
063
間
(
ま
)
もなく
了観
(
れうくわん
)
の
妻
(
つま
)
は
妊娠
(
にんしん
)
し、
064
やがて
玉
(
たま
)
の
如
(
ごと
)
き
男子
(
だんし
)
を
生
(
う
)
み
落
(
おと
)
したが、
065
恰
(
あたか
)
も
出産
(
しゆつさん
)
の
当日
(
たうじつ
)
は
朝来
(
てうらい
)
天地
(
てんち
)
晦冥
(
くわいめい
)
大暴風雨
(
だいばうふうう
)
起
(
おこ
)
り
来
(
きた
)
りて
大日堂
(
だいにちだう
)
も
破
(
やぶ
)
れん
斗
(
ばか
)
りなりしといふ。
066
了観
(
れうくわん
)
はその
恐
(
おそ
)
ろしさに
妻子
(
さいし
)
を
連
(
つ
)
れて
鹿角
(
かつぬ
)
へ
逃
(
に
)
げその
男子
(
だんし
)
を
久内
(
きうない
)
と
名付
(
なづ
)
けて
慈
(
いつく
)
しみ
育
(
そだ
)
てた。
067
その
後
(
ご
)
三代目
(
さんだいめ
)
の
久内
(
きうない
)
は
小豆沢
(
あづきざは
)
に
大日堂
(
だいにちだう
)
を
建立
(
こんりふ
)
したるも
身魂
(
しんこん
)
蛇性
(
じやせい
)
のため
天日
(
てんじつ
)
を
仰
(
あふ
)
ぎ
見
(
み
)
ること
能
(
あた
)
はず、
068
別当
(
べつたう
)
になれない
所
(
ところ
)
から
草木村
(
くさきむら
)
といふ
所
(
ところ
)
の
民家
(
みんか
)
に
代々
(
だいだい
)
久内
(
きうない
)
と
名告
(
なの
)
つて
子孫
(
しそん
)
が
暮
(
くら
)
して
居
(
ゐ
)
た、
069
扨
(
さ
)
てその
九代目
(
きうだいめ
)
に
当
(
あた
)
る
久内
(
きうない
)
の
子
(
こ
)
八郎
(
はちらう
)
が
神秘
(
しんぴ
)
伝説
(
でんせつ
)
の
主人公
(
しゆじんこう
)
である。
070
日本一
(
にほんいち
)
勝地
(
しようち
)
何処
(
いづこ
)
と
人
(
ひと
)
問
(
と
)
はば
071
十和田
(
とわだ
)
の
湖
(
うみ
)
と
吾
(
わ
)
れは
答
(
こた
)
へむ。
072
神国
(
しんこく
)
の
八景
(
はつけい
)
の
一
(
いち
)
と
推
(
お
)
されたる
073
十和田湖岸
(
とわだこがん
)
の
絶妙
(
ぜつめう
)
なるかな。
074
水面
(
すいめん
)
は
海抜
(
かいばつ
)
一千二百
(
いつせんにひやく
)
尺
(
しやく
)
075
十和田
(
とわだ
)
の
湖
(
みづうみ
)
の
風致
(
ふうち
)
妙
(
たへ
)
なり。
076
磐木山
(
いはぎやま
)
八甲田山
(
はつかふださん
)
繞
(
めぐ
)
らして
077
神秘
(
しんぴ
)
も
深
(
ふか
)
き
十和田
(
とわだ
)
の
湖
(
うみ
)
かな。
078
我国
(
わがくに
)
に
勝地
(
しようち
)
は
数多
(
あまた
)
ありながら
079
十和田
(
とわだ
)
の
景色
(
けしき
)
にまさるものなし。
080
御倉山
(
みくらやま
)
御中山
(
みまかやま
)
など
神秘的
(
しんぴてき
)
081
半嶋
(
はんたう
)
浮
(
うか
)
ぶ
十和田
(
とわだ
)
の
湖
(
うみ
)
かな。
082
水
(
みづ
)
青
(
あを
)
く
山
(
やま
)
又
(
また
)
青
(
あを
)
く
湖
(
うみ
)
広
(
ひろ
)
く
083
水底
(
みなそこ
)
深
(
ふか
)
き
十和田
(
とわだ
)
の
勝
(
しよう
)
かな。
084
男装坊
(
なんさうばう
)
創開
(
さうかい
)
したる
十和田湖
(
とわだこ
)
の
085
百景
(
ひやくけい
)
何
(
いづ
)
れも
神秘的
(
しんぴてき
)
なる。
086
八郎
(
はちらう
)
が
大蛇
(
をろち
)
と
変
(
へん
)
じ
造
(
つく
)
りしと
087
云
(
い
)
ふ
十和田湖
(
とわだこ
)
の
百
(
もも
)
の
伝説
(
でんせつ
)
。
088
素盞嗚
(
すさのを
)
の
神
(
かみ
)
の
言向
(
ことむ
)
け
和
(
やは
)
したる
089
大蛇
(
をろち
)
の
霊
(
たま
)
は
十和田
(
とわだ
)
に
潜
(
ひそ
)
みぬ。
090
風雅
(
ふうが
)
なる
人
(
ひと
)
の
春秋
(
しゆんじう
)
訪
(
たづ
)
ね
来
(
き
)
て
091
風光
(
ふうくわう
)
めづる
十和田湖
(
とわだこ
)
美
(
うる
)
はし。
092
了観
(
れうくわん
)
の
妻
(
つま
)
の
生
(
う
)
みてし
男
(
を
)
の
子
(
こ
)
こそ
093
北沼
(
きたぬま
)
大蛇
(
をろち
)
の
胤
(
たね
)
なりしなり。
094
天
(
てん
)
も
地
(
ち
)
も
晦瞑
(
くわいめい
)
風雨
(
ふうう
)
荒
(
あ
)
れ
狂
(
くる
)
ふ
095
中
(
なか
)
に
生
(
うま
)
れし
久内
(
きうない
)
は
蛇
(
じや
)
の
子
(
こ
)
。
096
九代目
(
きうだいめ
)
の
久内
(
きうない
)
が
生
(
う
)
みし
男
(
を
)
の
子
(
こ
)
こそ
097
十和田
(
とわだ
)
を
造
(
つく
)
りし
八郎
(
はちらう
)
なりけり。
098
藤原
(
ふじはら
)
の
男装坊
(
なんさうばう
)
が
八郎
(
はちらう
)
と
099
争
(
あらそ
)
ひ
得
(
え
)
たる
十和田
(
とわだ
)
の
湖
(
うみ
)
かな。
100
瑞御魂
(
みづみたま
)
神
(
かみ
)
の
任
(
よ
)
さしの
神業
(
かむわざ
)
に
101
仕
(
つか
)
へ
奉
(
まつ
)
りし
男装坊
(
なんさうばう
)
かな。
102
八郎
(
はちらう
)
を
迫
(
お
)
ひ
出
(
だ
)
したる
男装坊
(
なんさうばう
)
は
103
永
(
なが
)
く
十和田
(
とわだ
)
の
主
(
ぬし
)
となりける。
104
何時
(
いつ
)
の
世
(
よ
)
にか、
105
青山緑峰
(
せいざんろくほう
)
に
四方
(
よも
)
を
繞
(
かこ
)
まれたる
清澄
(
せいちよう
)
なる
一筋
(
ひとすぢ
)
の
清流
(
せいりう
)
を
抱
(
いだ
)
いて
眠
(
ねむ
)
る
農村
(
のうそん
)
の
昔
(
むかし
)
秋田県
(
あきたけん
)
鹿角郡
(
かつぬぐん
)
の
東
(
ひがし
)
と
南
(
みなみ
)
の
山峡
(
さんけふ
)
に
草木
(
くさき
)
といふ
夢
(
ゆめ
)
のやうな
静寂
(
せいじやく
)
な
農村
(
のうそん
)
があつた。
106
此
(
この
)
村
(
むら
)
に
父祖
(
ふそ
)
伝来
(
でんらい
)
住
(
す
)
んで
居
(
ゐ
)
る
久内
(
きうない
)
夫婦
(
ふうふ
)
の
仲
(
なか
)
に
儲
(
まう
)
けた
男
(
をとこ
)
の
子
(
こ
)
を
八郎
(
はちらう
)
と
名
(
な
)
づけ、
107
両親
(
りやうしん
)
は
蝶
(
てふ
)
よ
花
(
はな
)
よと
慈
(
いつく
)
しみ
育
(
はぐ
)
くむ
間
(
うち
)
に
八郎
(
はちらう
)
は
早
(
はや
)
くも
十八歳
(
じふはつさい
)
の
春
(
はる
)
を
迎
(
むか
)
ふる
事
(
こと
)
となつた。
108
八郎
(
はちらう
)
は
天性
(
てんせい
)
の
偉丈夫
(
ゐぢやうぶ
)
で、
109
母
(
はは
)
の
腹
(
はら
)
から
出生
(
しゆつせい
)
した
時
(
とき
)
既
(
すで
)
に
已
(
すで
)
に
大人
(
おとな
)
の
面貌
(
めんばう
)
を
具
(
そな
)
へ
一人
(
ひとり
)
で
立
(
た
)
ち
歩
(
ある
)
きなどをしたのである。
110
八郎
(
はちらう
)
が
十八歳
(
じふはつさい
)
の
春
(
はる
)
には
身長
(
しんちやう
)
六尺
(
ろくしやく
)
に
余
(
あま
)
つて
大力
(
たいりき
)
無双
(
むさう
)
鬼神
(
きじん
)
を
凌
(
しの
)
ぐ
如
(
ごと
)
き
雄々
(
をを
)
しき
若者
(
わかもの
)
であつたが
又
(
また
)
一面
(
いちめん
)
には
至
(
いた
)
つて
孝心
(
かうしん
)
深
(
ふか
)
く
村人
(
むらびと
)
より
褒
(
ほ
)
め
称
(
とな
)
へられて
居
(
ゐ
)
た。
111
八郎
(
はちらう
)
は
持
(
も
)
ち
前
(
まへ
)
の
強力
(
がうりき
)
を
資本
(
しほん
)
に
毎日
(
まいにち
)
深山
(
しんざん
)
を
駆
(
か
)
[
*
「駆」…底本では「馳」。
]
け
廻
(
まは
)
つて
樺
(
かば
)
の
皮
(
かは
)
を
剥
(
む
)
いたり、
112
鳥獣
(
てうじう
)
を
捕
(
とら
)
へては
市
(
いち
)
に
売捌
(
うりさば
)
き
得
(
え
)
たる
金
(
かね
)
にて
貧
(
まづ
)
しい
老親
(
らうしん
)
を
慰
(
なぐさ
)
めつつ
細
(
ほそ
)
き
一家
(
いつか
)
の
生計
(
せいけい
)
を
支
(
ささ
)
へて
居
(
ゐ
)
たのである。
113
或
(
あ
)
る
時
(
とき
)
八郎
(
はちらう
)
は
隣村
(
りんそん
)
なる
三治
(
さんじ
)
、
114
喜藤
(
きとう
)
といふ
若者
(
わかもの
)
と
三人
(
さんにん
)
連
(
づ
)
れにて
遠
(
とほ
)
く
樺
(
かば
)
の
皮剥
(
かはむ
)
きに
出掛
(
でか
)
けた。
115
三人
(
さんにん
)
は
来満峠
(
きたみつたうげ
)
から
小国山
(
をぐにやま
)
を
越
(
こ
)
へ
遥々
(
はるばる
)
と
津久子森
(
つくねもり
)
、
116
赤倉
(
あかくら
)
、
117
尾国
(
をぐに
)
と
三
(
みつ
)
つの
大嶽
(
たいがく
)
に
囲
(
かこ
)
まれてゐる
奥入瀬
(
おくいりせ
)
の
十和田
(
とわだ
)
へやつてきた、
118
往時
(
わうじ
)
の
十和田
(
とわだ
)
は
三
(
みつ
)
つの
大嶽
(
たいがく
)
に
狭
(
せば
)
められた
渓谷
(
けいこく
)
で
昼
(
ひる
)
尚
(
な
)
ほ
暗
(
くら
)
き
緑樹
(
りよくじゆ
)
は
千古
(
せんこ
)
の
色
(
いろ
)
をただへ
其
(
そ
)
の
中
(
なか
)
を
玲瓏
(
れいろう
)
たる
一管
(
いつくわん
)
の
清流
(
せいりう
)
が
長
(
なが
)
く
南
(
みなみ
)
より
北
(
きた
)
へと
延
(
の
)
びてゐた。
119
三人
(
さんにん
)
は
漸々
(
やうやう
)
此処
(
ここ
)
へ
辿
(
たど
)
りついたので
流
(
なが
)
れの
辺
(
あた
)
りに
小屋
(
こや
)
をかけ
交
(
かは
)
り
番
(
ばん
)
に
炊事
(
すゐじ
)
を
引受
(
ひきう
)
けて
昼夜
(
ちうや
)
樺
(
かば
)
の
皮
(
かは
)
を
剥
(
は
)
いて
働
(
はたら
)
き
続
(
つづ
)
けて
居
(
ゐ
)
た。
120
草木村
(
くさきむら
)
久内
(
きうない
)
夫婦
(
めをと
)
のその
中
(
なか
)
に
121
大蛇
(
をろち
)
の
霊魂
(
みたま
)
八郎
(
はちらう
)
生
(
うま
)
れし。
122
奥入瀬
(
おくいりせ
)
清流
(
せいりう
)
渡
(
わた
)
り
八郎
(
はちらう
)
は
123
渓間
(
たにま
)
の
湖沼
(
こせう
)
に
友
(
とも
)
と
着
(
つ
)
きたり。
124
孝行
(
かうかう
)
の
誉
(
ほま
)
れ
四隣
(
しりん
)
に
聞
(
きこ
)
へたる
125
八郎
(
はちらう
)
は
樺
(
かば
)
の
皮
(
かは
)
脱
(
は
)
ぎて
生
(
い
)
く。
126
三治
(
さんじ
)
、
127
喜藤
(
きとう
)
二人
(
ふたり
)
の
友
(
とも
)
と
渓流
(
けいりう
)
を
128
渡
(
わた
)
りて
十和田
(
とわだ
)
の
近
(
ちか
)
くに
仮寝
(
かりね
)
す。
129
奥入瀬
(
おくいりせ
)
川
(
かは
)
の
辺
(
ほと
)
りに
小屋
(
こや
)
造
(
つく
)
り
130
鳥獣
(
てうじう
)
を
狩
(
か
)
り
樺
(
かば
)
の
皮
(
かは
)
剥
(
は
)
ぐ。
131
数日後
(
すうじつご
)
のこと、
132
其日
(
そのひ
)
は
八郎
(
はちらう
)
が
炊事番
(
すゐじばん
)
に
当
(
あた
)
り、
133
二人
(
ふたり
)
の
出掛
(
でか
)
けたる
跡
(
あと
)
にて
水
(
みづ
)
なりと
汲
(
く
)
みおかんとて
岸辺
(
きしべ
)
に
徐々
(
じよじよ
)
下
(
くだ
)
り
行
(
ゆ
)
くに、
134
清
(
きよ
)
き
流
(
なが
)
れの
中
(
なか
)
に、
135
岩魚
(
いはな
)
が
三尾
(
さんびき
)
心地
(
ここち
)
よげに
遊泳
(
いうえい
)
して
居
(
ゐ
)
るのを
見
(
み
)
た。
136
八郎
(
はちらう
)
は
物珍
(
ものめづ
)
らしげに
岩魚
(
いはな
)
を
捕
(
と
)
つて
番小屋
(
ばんごや
)
に
帰
(
かへ
)
[
*
「帰」…底本では「皈」。
]
つて
来
(
き
)
た、
137
そして
三人
(
さんにん
)
が
一尾
(
いつぴき
)
づつ
食
(
く
)
はんと
焼
(
や
)
いて
友
(
とも
)
二人
(
ふたり
)
の
帰
(
かへ
)
りを
待
(
ま
)
つて
居
(
ゐ
)
たが、
138
その
匂
(
にほ
)
ひの
溢
(
あふ
)
れる
斗
(
ばか
)
りに
芳
(
かんば
)
しいのでとても
堪
(
たま
)
らず
一寸
(
ちよつと
)
つまんで
少々
(
せうせう
)
斗
(
ばか
)
り
口
(
くち
)
に
入
(
い
)
れた
時
(
とき
)
の
美味
(
うま
)
さ、
139
八郎
(
はちらう
)
は
遂
(
つい
)
に
自分
(
じぶん
)
の
分
(
ぶん
)
として
一尾
(
いつぴき
)
だけ
食
(
く
)
つて
了
(
しま
)
つた。
140
清流
(
せいりう
)
に
遊
(
あそ
)
ぶ
岩魚
(
いはな
)
を
三尾
(
さんぴ
)
捕
(
と
)
り
141
焼
(
や
)
き
付
(
つ
)
け
見
(
み
)
れば
芳味
(
はうみ
)
溢
(
あふ
)
るる。
142
芳
(
かん
)
ばしき
匂
(
にほ
)
ひに
八郎
(
はちらう
)
たまり
兼
(
か
)
ね
143
自分
(
じぶん
)
の
分
(
ぶん
)
とし
一尾
(
いつぴ
)
喰
(
く
)
らへり。
144
俺
(
おれ
)
は
未
(
ま
)
だ
斯
(
こ
)
んな
美味
(
うま
)
いものは
口
(
くち
)
にした
事
(
こと
)
は
一度
(
いちど
)
も
無
(
な
)
いと
彼
(
かれ
)
はかすかに
残
(
のこ
)
る
口辺
(
くちべ
)
の
美味
(
うまさ
)
に
酔
(
よ
)
ふた。
145
後
(
あと
)
に
残
(
のこ
)
れる
二尾
(
にひき
)
の
岩魚
(
いはな
)
は
二人
(
ふたり
)
の
友
(
とも
)
の
分
(
ぶん
)
としてあつた。
146
けれども
八郎
(
はちらう
)
は
辛抱
(
しんぼう
)
が
仕切
(
しき
)
れなくなつて
何時
(
いつ
)
の
間
(
ま
)
にかとうとう
残
(
のこ
)
りの
分
(
ぶん
)
二尾
(
にひき
)
とも
平
(
たひら
)
げて
了
(
しま
)
つた。
147
アツ
了
(
しま
)
つたと
思
(
おも
)
つたが
後
(
あと
)
の
祭
(
まつ
)
りで
如何
(
いかん
)
とも
詮術
(
せんすべ
)
がなくなつた。
148
八郎
(
はちらう
)
は
二人
(
ふたり
)
の
友
(
とも
)
に
対
(
たい
)
して
何
(
なん
)
となく
済
(
す
)
まないやうな
気持
(
きもち
)
を
抱
(
いだ
)
くのであつた。
149
間
(
ま
)
もなく
八郎
(
はちらう
)
は
咽喉
(
のど
)
が
焼
(
や
)
きつく
如
(
や
)
うに
渇
(
かは
)
いて
来
(
き
)
た、
150
口
(
くち
)
から
烈火
(
れつくわ
)
の
焔
(
ほのほ
)
が
燃
(
も
)
へ
立
(
た
)
つてとても
依然
(
いぜん
)
として
居
(
を
)
られなく
成
(
な
)
つたので、
151
傍
(
かたはら
)
に
汲
(
く
)
んで
来
(
き
)
て
置
(
お
)
いた
桶
(
をけ
)
の
清水
(
せいすゐ
)
をゴクリゴクリと
呑
(
の
)
み
干
(
ほ
)
したが、
152
又
(
また
)
直
(
す
)
ぐに
咽喉
(
のど
)
が
渇
(
かは
)
いて
来
(
く
)
るので
一杯
(
いつぱい
)
二杯
(
にはい
)
三杯
(
さんぱい
)
四杯
(
しはい
)
と
飲
(
の
)
み
続
(
つづ
)
けたが
未
(
ま
)
だ
咽喉
(
のど
)
の
渇
(
かは
)
きは
止
(
や
)
まづ
反
(
かへつ
)
て
激
(
はげ
)
しくなる
斗
(
ばか
)
りである。
153
アア
堪
(
たま
)
らない、
154
死
(
し
)
んで
了
(
しま
)
ひさうだ、
155
是
(
これ
)
は
又
(
また
)
何
(
なん
)
とした
事
(
こと
)
だらうと
呻
(
うめ
)
き
乍
(
なが
)
ら
沢辺
(
さはべ
)
に
駈
(
か
)
け
下
(
おり
)
るや
否
(
いな
)
や、
156
いきなり
奔流
(
ほんりう
)
に
口
(
くち
)
をつけた。
157
そして
其儘
(
そのまま
)
沢
(
さは
)
の
水
(
みづ
)
も
盡
(
つ
)
きん
斗
(
ばか
)
りに
飲
(
の
)
んで
飲
(
の
)
んで
飲
(
の
)
み
続
(
つづ
)
け、
158
恰度
(
ちやうど
)
正午
(
しやうご
)
頃
(
ごろ
)
から、
159
日没
(
にちぼつ
)
の
頃
(
ころ
)
ほひまで、
160
瞬間
(
すこし
)
も
休
(
やす
)
まづ
息
(
いき
)
もつがず
飲
(
の
)
みつづけて
顔
(
かほ
)
を
上
(
あ
)
げた
時
(
とき
)
、
161
清流
(
せいりう
)
に
映
(
えい
)
じた
自分
(
じぶん
)
の
顔
(
かほ
)
を
眺
(
なが
)
めて
思
(
おも
)
はずアツと
倒
(
たふ
)
るる
斗
(
ばか
)
り
驚
(
おどろ
)
きの
声
(
こゑ
)
を
揚
(
あ
)
げた。
162
嗚呼
(
ああ
)
無惨
(
むざん
)
なるかな、
163
手
(
て
)
も
足
(
あし
)
も
樽
(
たる
)
の
如
(
ごと
)
く
肥
(
ふと
)
り、
164
眼
(
まなこ
)
の
色
(
いろ
)
ざし
等
(
など
)
既
(
すで
)
に
此
(
こ
)
の
世
(
よ
)
のものでは
無
(
な
)
かつた。
165
折
(
をり
)
から
山
(
やま
)
へ
働
(
はたら
)
きに
行
(
い
)
つて
居
(
ゐ
)
た
二人
(
ふたり
)
は
帰
(
かへ
)
つて
来
(
き
)
て、
166
此
(
この
)
始末
(
しまつ
)
に
胆
(
きも
)
を
潰
(
つぶ
)
す
斗
(
ばか
)
り
驚愕
(
きやうがく
)
して
了
(
しま
)
つた。
167
オオイ
八郎
(
はちらう
)
八郎
(
はちらう
)
と
二人
(
ふたり
)
が
声
(
こゑ
)
を
合
(
あは
)
せて
呼
(
よ
)
べば、
168
その
声
(
こゑ
)
にハツと
気付
(
きづ
)
いた
八郎
(
はちらう
)
は
漸
(
やうや
)
くにして
顔
(
かほ
)
をあげ、
169
恐
(
おそ
)
ろしい
形相
(
ぎやうさう
)
で
二人
(
ふたり
)
の
友
(
とも
)
をじつと
眺
(
なが
)
めてからやがて
口
(
くち
)
を
開
(
ひら
)
いた。
170
八郎
(
はちらう
)
は
岩魚
(
いはな
)
の
美味
(
びみ
)
に
堪
(
た
)
へ
切
(
き
)
れず
171
二人
(
ふたり
)
の
友
(
とも
)
の
分
(
ぶん
)
まで
喰
(
く
)
らへり。
172
魚
(
うを
)
喰
(
く
)
ひし
跡
(
あと
)
より
咽喉
(
のど
)
が
渇
(
かは
)
き
出
(
だ
)
し
173
矢庭
(
やには
)
に
桶
(
をけ
)
の
汲置
(
くみおき
)
水
(
みづ
)
呑
(
の
)
む。
174
桶
(
をけ
)
の
水
(
みづ
)
幾許
(
いくら
)
飲
(
の
)
みても
飲
(
の
)
み
足
(
た
)
らず
175
清
(
きよ
)
き
渓流
(
ながれ
)
に
口
(
くち
)
を
入
(
い
)
れたり。
176
正午
(
しやうご
)
より
夕刻
(
ゆふこく
)
までも
沢
(
さは
)
の
水
(
みづ
)
177
飲
(
の
)
み
続
(
つづ
)
けたり
渇
(
かは
)
ける
八郎
(
はちらう
)
。
178
渓流
(
けいりう
)
に
写
(
うつ
)
れる
己
(
おの
)
れの
姿
(
すがた
)
見
(
み
)
て
179
八郎
(
はちらう
)
倒
(
たふ
)
れん
斗
(
ばか
)
りに
驚
(
おどろ
)
く。
180
八郎
(
はちらう
)
の
姿
(
すがた
)
は
最早
(
もはや
)
現
(
うつ
)
し
世
(
よ
)
の
181
物
(
もの
)
とも
見
(
み
)
えぬ
形相
(
ぎやうさう
)
凄
(
すさ
)
まじ。
182
手
(
て
)
も
足
(
あし
)
も
樽
(
たる
)
の
如
(
ごと
)
くにはれ
上
(
あが
)
り
183
二
(
ふ
)
タ
目
(
め
)
と
見
(
み
)
られぬあはれ
八郎
(
はちらう
)
。
184
夕方
(
ゆふがた
)
に
二人
(
ふたり
)
は
小屋
(
こや
)
に
立帰
(
たちかへ
)
り
185
八郎
(
はちらう
)
の
姿
(
すがた
)
に
魂
(
たま
)
を
消
(
け
)
したり。
186
八郎
(
はちらう
)
は
夕刻
(
ゆふこく
)
二人
(
ふたり
)
の
友
(
とも
)
の
帰
(
かへ
)
つたのを
見
(
み
)
て
少時
(
しばし
)
無言
(
むごん
)
の
後
(
のち
)
やつと
口
(
くち
)
を
開
(
ひら
)
き、
187
お
前
(
まへ
)
達
(
たち
)
は
帰
(
かへ
)
つて
来
(
き
)
たのかと
云
(
い
)
へば
二人
(
ふたり
)
はオイ
八郎
(
はちらう
)
一体
(
いつたい
)
お
前
(
まへ
)
の
姿
(
すがた
)
は
何
(
なん
)
だ。
188
如何
(
どう
)
して
斯
(
こ
)
うなつた。
189
浅間敷
(
あさまし
)
い
事
(
こと
)
になつたの。
190
さあ
住所
(
すみか
)
へ
帰
(
かへ
)
らうよ、
191
と
震
(
ふる
)
へ
声
(
ごゑ
)
を
押
(
お
)
し
沈
(
しづ
)
めて
言
(
い
)
つた
時
(
とき
)
八郎
(
はちらう
)
は
腫
(
は
)
れあがつた
目
(
め
)
に
一杯
(
いつぱい
)
涙
(
なみだ
)
を
浮
(
うか
)
べて、
192
もう
俺
(
おれ
)
はどこへも
行
(
ゆ
)
く
事
(
こと
)
は
出来
(
でき
)
ない
身体
(
からだ
)
になつて
了
(
しま
)
つたのだ。
193
何
(
なん
)
と
云
(
い
)
ふ
因果
(
いんぐわ
)
か
知
(
し
)
らぬが
魔性
(
ましやう
)
になつた
俺
(
おれ
)
は
寸時
(
すんじ
)
も
水
(
みづ
)
から
離
(
はな
)
れられないのだ。
194
これから
俺
(
おれ
)
は
此処
(
ここ
)
に
潟
(
がた
)
を
造
(
つく
)
つて
主
(
ぬし
)
になるからお
前
(
まへ
)
達
(
たち
)
は
小屋
(
こや
)
から
俺
(
おれ
)
の
笠
(
かさ
)
を
持
(
も
)
つて
家
(
いへ
)
に
残
(
のこ
)
つて
居
(
を
)
られる
親
(
おや
)
達
(
たち
)
へ
此
(
この
)
事
(
こと
)
を
話
(
はな
)
して
呉
(
く
)
れろ。
195
アア
親
(
おや
)
達
(
たち
)
はどんなに
歎
(
なげ
)
かれるだらうと
両眼
(
りやうがん
)
に
夕立
(
ゆふだち
)
の
雨
(
あめ
)
を
流
(
なが
)
して
嘆
(
たん
)
ずる
声
(
こゑ
)
は
四囲
(
よも
)
の
山々
(
やまやま
)
に
反響
(
はんきやう
)
して
又
(
また
)
どうと
谺
(
こだま
)
するのであつた。
196
かくては
果
(
はて
)
じと
二人
(
ふたり
)
は、
197
八郎
(
はちらう
)
よ
俺
(
おれ
)
たち
二人
(
ふたり
)
は
爰
(
ここ
)
で
永
(
なが
)
の
別
(
わか
)
れをする。
198
八郎
(
はちらう
)
よさらばと
名残
(
なごり
)
惜
(
を
)
し
気
(
げ
)
に
十和田
(
とわだ
)
を
去
(
さ
)
つた。
199
二人
(
ふたり
)
の
立去
(
たちさ
)
る
姿
(
すがた
)
を
見
(
み
)
すましてから
八郎
(
はちらう
)
は
尚
(
なほ
)
も
水
(
みづ
)
を
飲
(
の
)
み
続
(
つづ
)
ける
事
(
こと
)
三十四
(
さんじふよん
)
昼夜
(
ちうや
)
であつたが、
200
八郎
(
はちらう
)
の
姿
(
すがた
)
は
早
(
はや
)
くも
蛇身
(
じやしん
)
に
変化
(
へんくわ
)
し、
201
やがて
十口
(
とくち
)
より
流
(
なが
)
れ
入
(
い
)
る
沢
(
さは
)
を
堰
(
せき
)
止
(
と
)
めて
満々
(
まんまん
)
とした
一大
(
いちだい
)
碧湖
(
へきこ
)
を
造
(
つく
)
り
二十余
(
にじふよ
)
丈
(
ぢやう
)
の
大蛇
(
をろち
)
となつてざんぶと
斗
(
ばか
)
り
水中
(
すゐちう
)
に
深
(
ふか
)
く
沈
(
しづ
)
んで
了
(
しま
)
つた。
202
かくして
十和田湖
(
とわだこ
)
は
八郎
(
はちらう
)
を
主
(
ぬし
)
として、
203
年
(
とし
)
移
(
うつ
)
り
星
(
ほし
)
変
(
かは
)
り
数千年
(
すうせんねん
)
の
星霜
(
せいさう
)
は
過
(
す
)
ぎた。
204
永遠
(
ゑいゑん
)
の
静寂
(
せいじやく
)
を
以
(
もつ
)
て
眠
(
ねむ
)
つて
居
(
ゐ
)
た
一大
(
いちだい
)
碧湖
(
へきこ
)
の
沈黙
(
ちんもく
)
は
遂
(
つい
)
に
貞観
(
ていくわん
)
の
頃
(
ころ
)
となつて
破
(
やぶ
)
らるるに
至
(
いた
)
つたのである。
205
八郎
(
はちらう
)
は
二人
(
ふたり
)
の
友
(
とも
)
に
涙
(
なみだ
)
もて
206
永
(
なが
)
き
別
(
わか
)
れを
告
(
つ
)
げて
悲
(
かな
)
しむ。
207
両親
(
りやうしん
)
の
記念
(
きねん
)
と
笠
(
かさ
)
を
友
(
とも
)
に
渡
(
わた
)
し
208
十和田
(
とわだ
)
の
湖
(
うみ
)
の
主
(
ぬし
)
となりけり。
209
八郎
(
はちらう
)
は
三十四夜
(
さんじふよや
)
の
水
(
みづ
)
を
呑
(
の
)
み
続
(
つづ
)
けて
210
遂
(
つい
)
に
蛇体
(
じやたい
)
と
変化
(
へんくわ
)
す。
211
二十余
(
にじふよ
)
丈
(
ぢやう
)
大蛇
(
をろち
)
となりて
八郎
(
はちらう
)
は
212
十和田湖
(
とわだこ
)
深
(
ふか
)
く
身
(
み
)
を
沈
(
しづ
)
めたり。
213
十口
(
じふこう
)
の
流
(
なが
)
れをせきて
永久
(
とこしへ
)
の
214
住所
(
すみか
)
十和田
(
とわだ
)
の
湖
(
うみ
)
を
作
(
つく
)
れり。
215
数千年
(
すうせんねん
)
沈黙
(
ちんもく
)
の
幕
(
まく
)
破
(
やぶ
)
れけり
216
貞観
(
ていくわん
)
年中
(
ねんちう
)
男装坊
(
なんさうばう
)
にて。
217
貞観
(
ていくわん
)
十三年
(
じふさんねん
)
[
※
「貞観十三年」…西暦871年。清和天皇十九年。
]
春
(
はる
)
四月
(
しぐわつ
)
、
218
京都
(
きやうと
)
綾小路
(
あやこうぢ
)
関白
(
くわんぱく
)
として
名高
(
なだか
)
い、
219
藤原
(
ふじはら
)
是実
(
これさね
)
公
(
こう
)
は
讒者
(
ざんしや
)
の
毒舌
(
どくぜつ
)
に
触
(
ふ
)
れ
最愛
(
さいあい
)
の
妻子
(
さいし
)
を
伴
(
ともな
)
ひ、
220
桜花
(
あうくわ
)
乱
(
みだ
)
れ
散
(
ち
)
る
京都
(
きやうと
)
の
春
(
はる
)
を
後
(
あと
)
に
人
(
ひと
)
づても
無
(
な
)
き
陸奥地方
(
みちのく
)
をさして
放浪
(
はうらう
)
の
旅行
(
りよかう
)
を
続
(
つづ
)
けらるる
事
(
こと
)
となつた。
221
一行
(
いつかう
)
総勢
(
そうぜい
)
三十八人
(
さんじふはちにん
)
は
奥州路
(
おうしうぢ
)
を
踏破
(
たうは
)
し、
222
やがて
気仙
(
きせん
)
の
岡
(
をか
)
に
辿
(
たど
)
りついて
爰
(
ここ
)
に
仮
(
かり
)
の
舎殿
(
しやでん
)
を
造営
(
ざうえい
)
し、
223
暫時
(
ざんじ
)
の
疲
(
つか
)
れを
休
(
やす
)
められた。
224
間
(
ま
)
もなく
是実
(
これさね
)
公
(
こう
)
他界
(
たかい
)
せられ、
225
その
嫡子
(
ちやくし
)
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
の
代
(
だい
)
となるや、
226
元来
(
ぐわんらい
)
公家
(
くげ
)
の
慣習
(
くわんしふ
)
として、
227
何
(
な
)
んの
営業
(
えいげふ
)
も
無
(
な
)
く、
228
貧苦
(
ひんく
)
漸
(
やうや
)
く
迫
(
せま
)
り
来
(
きた
)
りたる
為
(
ため
)
、
229
今
(
いま
)
は
供人
(
ともびと
)
共
(
ども
)
も
各自
(
めいめい
)
に
業
(
げふ
)
を
求
(
もと
)
めて
各地
(
かくち
)
に
離散
(
りさん
)
してしまひ、
230
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
は
止
(
やむ
)
を
得
(
え
)
ず、
231
奥方
(
おくがた
)
のかよわき
脚
(
あし
)
を
急
(
いそ
)
がせつつ、
232
仮
(
かり
)
の
舎殿
(
しやでん
)
を
立出
(
たちい
)
で、
233
北方
(
ほくぱう
)
の
空
(
そら
)
を
指
(
さ
)
して、
234
落
(
お
)
ち
行
(
ゆ
)
き
給
(
たま
)
ひし
状
(
さま
)
は、
235
実
(
じつ
)
にあはれなる
次第
(
しだい
)
であつた。
236
斯
(
か
)
くて
日
(
ひ
)
を
重
(
かさ
)
ね、
237
月
(
つき
)
を
閲
(
けみ
)
して
三
(
さん
)
ノ
戸
(
へ
)
郡
(
ぐん
)
の
糖部
(
あまべ
)
へ
着
(
つ
)
かれ、
238
何所
(
どこ
)
か
適当
(
てきたう
)
なる
住処
(
ぢゆうしよ
)
を
求
(
もと
)
めんと、
239
彼方此方
(
あちらこちら
)
尋
(
たづ
)
ね
歩行
(
ある
)
かれたが、
240
一望
(
いちばう
)
荒寥
(
くわうれう
)
とした
北地
(
ほくち
)
の
事
(
こと
)
とて、
241
人家
(
じんか
)
稀薄
(
きはく
)
依
(
よ
)
るべきものなく、
242
村
(
むら
)
らしき
村
(
むら
)
も
見
(
み
)
えず、
243
困苦
(
こんく
)
をなめ
乍
(
なが
)
ら、
244
やがて
馬淵川
(
うまぶちがは
)
の
辺
(
あた
)
りまでやつて
来
(
こ
)
られたが
渡
(
わた
)
るべき
橋
(
はし
)
さへもなく、
245
又
(
また
)
船
(
ふね
)
も
無
(
な
)
いので、
246
途方
(
とはう
)
に
暮
(
く
)
れ
乍
(
なが
)
ら
夫婦
(
ふうふ
)
は
暫時
(
ざんじ
)
河面
(
かめん
)
を
眺
(
なが
)
めて
茫然
(
ばうぜん
)
たる
斗
(
ばかり
)
であつた。
247
かくてはならじと
二人
(
ふたり
)
は
勇気
(
ゆうき
)
を
起
(
おこ
)
し
川添
(
かはぞ
)
ひに
雑草
(
ざつさう
)
を
踏
(
ふ
)
み
分
(
わ
)
け
三里
(
さんり
)
斗
(
ばか
)
り
上
(
のぼ
)
りしと
思
(
おも
)
ほしき
頃
(
ころ
)
、
248
目前
(
もくぜん
)
に
二三十軒
(
にさんじつけん
)
の
人家
(
じんか
)
が
見
(
み
)
えた。
249
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
は
雀躍
(
こをどり
)
して、
250
奥
(
おく
)
よ
喜
(
よろこ
)
べ、
251
人家
(
じんか
)
が
見
(
み
)
へると
慰
(
なぐさ
)
めつつやがて
霊験
(
れいけん
)
観音
(
くわんのん
)
の
御堂
(
みだう
)
へと
着
(
つ
)
かれた、
252
そして
其
(
その
)
夜
(
よ
)
は
御堂内
(
みだうない
)
に
入
(
い
)
りて
足
(
あし
)
を
休
(
やす
)
め
又
(
また
)
明日
(
あす
)
の
旅路
(
たびぢ
)
をつくづく
思
(
おも
)
ひ
悩
(
なや
)
みつつ、
253
まんじりとも
出来
(
でき
)
なかつたのである。
254
その
翌日
(
よくじつ
)
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
の
室
(
しつ
)
へ
這入
(
はい
)
つて
来
(
き
)
た
別当
(
べつたう
)
は
威儀
(
ゐぎ
)
を
正
(
ただ
)
して「
何処
(
どこ
)
となく
床
(
ゆか
)
しき
御方
(
おんかた
)
に
見
(
み
)
え
候
(
さふらふ
)
も、
255
何
(
いづ
)
れより
御越
(
おこ
)
しなるや、
256
お
構
(
かま
)
ひなくば
大略
(
たいりやく
)
の
御模様
(
おんもやう
)
お
話
(
はな
)
し
下
(
くだ
)
され
度
(
た
)
し」と
言葉
(
ことば
)
もしとやかに
述
(
の
)
ぶる
状
(
さま
)
は、
257
普通
(
ふつう
)
の
別当
(
べつたう
)
とは
見
(
み
)
えず、
258
必
(
かなら
)
ずや
由緒
(
ゆいしよ
)
ある
人
(
ひと
)
の
裔
(
すえ
)
ならんと
思
(
おも
)
はれた。
259
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
は、
260
「
吾等
(
われら
)
は
名
(
な
)
もなき
落人
(
おちうど
)
なるが、
261
昨夜来
(
さくやらい
)
より
手厚
(
てあつ
)
き
御世話
(
おせわ
)
に
預
(
あづか
)
り、
262
御礼
(
おれい
)
の
言葉
(
ことば
)
も
無
(
な
)
し。
263
願
(
ねが
)
はくは
後々
(
のちのち
)
までも
忘
(
わす
)
れぬため、
264
苦
(
くる
)
しからずば
此
(
こ
)
の
霊験
(
れいけん
)
観音堂
(
くわんのんだう
)
の
由来
(
ゆらい
)
をきかせ
玉
(
たま
)
へ」と
言葉
(
ことば
)
を
低
(
ひく
)
うして
訊
(
たづ
)
ぬるに、
265
彼
(
か
)
の
別当
(
べつたう
)
は
襟
(
えり
)
を
正
(
ただ
)
し
乍
(
なが
)
ら、
266
「さればに
候
(
さふらふ
)
、
267
拙者
(
せつしや
)
は
藤原
(
ふじはら
)
の
式部
(
しきぶ
)
と
申
(
まを
)
す
者
(
もの
)
にて、
268
抑々
(
そもそも
)
吾
(
わが
)
祖先
(
そせん
)
は
藤原
(
ふじはら
)
佐富
(
すけとみ
)
治部卿
(
ぢぶきやう
)
と
申
(
まを
)
す
公家
(
くげ
)
の
由
(
よし
)
にて
讒者
(
ざんしや
)
のため
都
(
みやこ
)
より
遥々
(
はるばる
)
此処
(
ここ
)
に
落
(
お
)
ち、
269
柴
(
しば
)
の
庵
(
いほり
)
を
結
(
むす
)
びこの
土地
(
とち
)
を
拓
(
ひら
)
きて
住
(
す
)
めるなり、
270
現在
(
げんざい
)
にては
百姓
(
ひやくしやう
)
も
追々
(
おひおひ
)
相
(
あい
)
集
(
あつま
)
り
斯
(
かく
)
の
如
(
ごと
)
く、
271
一
(
ひと
)
つの
村
(
むら
)
を
造
(
つく
)
りしものにて、
272
此
(
この
)
観音堂
(
くわんのんだう
)
は
村人
(
むらびと
)
が
我
(
わが
)
祖先
(
そせん
)
を
観音
(
くわんのん
)
に
祀
(
まつ
)
りたるものにして、
273
近郷
(
きんかう
)
の
産土神
(
うぶすながみ
)
にて
候
(
さふらふ
)
、
274
扨
(
さ
)
て
又
(
また
)
御身
(
おんみ
)
は
都
(
みやこ
)
よりの
落人
(
おちうど
)
の
由
(
よし
)
、
275
何故
(
なぜ
)
斯様
(
かやう
)
なる
土地
(
とち
)
へとお
越
(
こ
)
し
遊
(
あそ
)
ばされしや」と
重
(
かさ
)
ね
重
(
がさ
)
ねの
問
(
と
)
ひに
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
は
懐
(
なつか
)
しげに、
276
式部
(
しきぶ
)
の
顔
(
かほ
)
を
打
(
う
)
ち
眺
(
なが
)
め「あ、
277
扨
(
さ
)
ては
貴公
(
きこう
)
は
吾
(
わが
)
一族
(
いちぞく
)
なりしか、
278
吾
(
わが
)
祖先
(
そせん
)
も
藤原
(
ふじはら
)
の
姓
(
せい
)
、
279
父上
(
ちちうへ
)
までは
関白職
(
くわんぱくしよく
)
なりしも、
280
無実
(
むじつ
)
の
罪
(
つみ
)
に
沈
(
しづ
)
み、
281
斯
(
か
)
く
流人
(
るにん
)
となりたり。
282
只今
(
ただいま
)
承
(
うけたま
)
はれば
貴公
(
きこう
)
も
藤原
(
ふじはら
)
と
聞
(
き
)
く、
283
系図
(
けいづ
)
なきや」と
問
(
と
)
はれて
式部
(
しきぶ
)
は
早速
(
さつそく
)
大切
(
たいせつ
)
に
蔵
(
をさ
)
めてあつた
家
(
いへ
)
の
系図
(
けいづ
)
を
取
(
と
)
り
出
(
だ
)
し、
284
披
(
ひら
)
き
見
(
み
)
るに
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
は
本家
(
ほんけ
)
にて、
285
式部
(
しきぶ
)
は
末家筋
(
まつけすぢ
)
なれば、
286
式部
(
しきぶ
)
思
(
おも
)
はず
後
(
あと
)
に
飛
(
と
)
び
去
(
さ
)
つて
言
(
い
)
ふには、
287
「
扨
(
さ
)
ても
扨
(
さ
)
ても
不思議
(
ふしぎ
)
の
御縁
(
ごえん
)
かな。
288
是
(
これ
)
と
申
(
まを
)
すも
御先祖
(
ごせんぞ
)
の
御引合
(
おひきあは
)
せならむ。
289
此
(
この
)
上
(
うへ
)
は
此処
(
ここ
)
に
御住居
(
おすまゐ
)
あらば、
290
我等
(
われら
)
は
家来
(
けらい
)
同様
(
どうやう
)
にして、
291
御世詁
(
おせわ
)
申
(
まを
)
す
可
(
べ
)
し」と
是
(
これ
)
より
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
と
式部
(
しきぶ
)
は
兄弟
(
きやうだい
)
の
契
(
ちぎり
)
を
結
(
むす
)
び、
292
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
は
兄
(
あに
)
となつて、
293
名
(
な
)
を
宗善
(
そうぜん
)
に
改
(
あらた
)
め
給
(
たま
)
うたのである。
294
貞観
(
ていくわん
)
の
昔
(
むかし
)
関白
(
くわんぱく
)
是実
(
これさね
)
公
(
こう
)
は
295
讒者
(
ざんしや
)
の
為
(
ため
)
に
都
(
みやこ
)
を
落
(
お
)
ちます。
296
綾小路
(
あやこうぢ
)
関白
(
くわんぱく
)
として
名高
(
なだか
)
かりし
297
是実
(
これさね
)
公
(
こう
)
の
末路
(
まつろ
)
偲
(
しの
)
ばゆ。
298
妻
(
つま
)
や
子
(
こ
)
や
伴人
(
ともびと
)
三十八名
(
さんじふはちめい
)
と
299
みちのく
指
(
さ
)
して
落
(
お
)
ち
行
(
ゆ
)
く
関白
(
くわんぱく
)
。
300
桜花
(
さくらばな
)
春
(
はる
)
の
名残
(
なごり
)
と
乱
(
みだ
)
れ
散
(
ち
)
る
301
都
(
みやこ
)
を
後
(
あと
)
に
落
(
お
)
ち
行
(
ゆ
)
くあはれさ。
302
みちのくの
気仙
(
けせん
)
の
岡
(
をか
)
に
辿
(
たど
)
りつき
303
仮
(
かり
)
の
舎殿
(
しやでん
)
を
営
(
いとな
)
み
住
(
す
)
ませり。
304
是実
(
これさね
)
公
(
こう
)
間
(
ま
)
も
無
(
な
)
く
世
(
よ
)
をば
去
(
さ
)
り
玉
(
たま
)
ひ
305
嫡子
(
ちやくし
)
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
の
代
(
よ
)
となる。
306
営
(
いとな
)
みを
知
(
し
)
らぬは
公家
(
くげ
)
の
常
(
つね
)
として
307
貧苦
(
ひんく
)
日
(
ひ
)
に
日
(
ひ
)
に
迫
(
せま
)
り
来
(
き
)
にける。
308
伴人
(
ともびと
)
も
貧苦
(
ひんく
)
のために
彼方此方
(
あちこち
)
と
309
業
(
わざ
)
を
求
(
もと
)
めて
乱
(
みだ
)
れ
散
(
ち
)
りける。
310
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
奥方
(
おくがた
)
伴
(
とも
)
ない
家
(
いへ
)
を
出
(
で
)
て
311
北
(
きた
)
の
方
(
かた
)
さして
進
(
すす
)
みたまへる。
312
三
(
さん
)
ノ
戸
(
へ
)
の
郡
(
こほり
)
糖部
(
あまべ
)
につきたまひ
313
一望
(
いちばう
)
百里
(
ひやくり
)
の
荒野
(
くわうや
)
に
迷
(
まよ
)
へり。
314
馬淵川
(
うまぶちがは
)
橋
(
はし
)
なきままに
渡
(
わた
)
り
得
(
え
)
ず
315
草村
(
くさむら
)
わけつつ
三里
(
さんり
)
余
(
よ
)
上
(
のぼ
)
れり。
316
二三十戸
(
にさんじつこ
)
人家
(
じんか
)
の
棟
(
むね
)
の
見
(
み
)
え
初
(
そ
)
めて
317
夫婦
(
ふうふ
)
は
蘇生
(
そせい
)
の
喜
(
よろこ
)
びに
泣
(
な
)
く。
318
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
観音堂
(
くわんのんだう
)
が
目
(
め
)
にとまり
319
爰
(
ここ
)
に
二人
(
ふたり
)
は
一夜
(
いちや
)
明
(
あ
)
かせり。
320
観音堂
(
くわんのんだう
)
別当
(
べつたう
)
室
(
しつ
)
に
入
(
い
)
り
来
(
きた
)
り
321
不思議
(
ふしぎ
)
の
邂逅
(
かいこう
)
に
歓
(
よろこ
)
び
合
(
あ
)
へり。
322
別当
(
べつたう
)
は
藤原
(
ふじはら
)
式部
(
しきぶ
)
その
昔
(
むかし
)
323
祖先
(
そせん
)
は
関白職
(
くわんぱくしよく
)
なりしなり。
324
是行
(
これゆき
)
と
式部
(
しきぶ
)
は
爰
(
ここ
)
に
兄弟
(
きやうだい
)
の
325
約
(
やく
)
を
結
(
むす
)
びて
永
(
なが
)
く
住
(
す
)
みけり。
326
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
名
(
な
)
を
宗善
(
そうぜん
)
と
改
(
あらた
)
めて
327
この
山奥
(
やまおく
)
に
半生
(
はんせい
)
を
送
(
おく
)
る。
328
爰
(
ここ
)
に
藤原
(
ふじはら
)
是行
(
これゆき
)
公
(
こう
)
の
改名
(
かいめい
)
宗善
(
そうぜん
)
は
式部
(
しきぶ
)
の
計
(
はか
)
らいに
由
(
よ
)
つて、
329
三
(
さん
)
ノ
戸
(
へ
)
郡
(
ぐん
)
仁賀村
(
にがむら
)
を
安住
(
あんぢゆう
)
の
地
(
ち
)
と
定
(
さだ
)
めて
何
(
なに
)
不自由
(
ふじいう
)
なく
暮
(
くら
)
してゐたが、
330
只々
(
ただただ
)
心
(
こころ
)
に
掛
(
かか
)
るは
世継
(
よつぎ
)
の
子
(
こ
)
の
無
(
な
)
い
事
(
こと
)
であつた。
331
アア
子
(
こ
)
が
欲
(
ほ
)
しい
欲
(
ほ
)
しいと
嘆息
(
たんそく
)
の
言葉
(
ことば
)
を
聞
(
き
)
く
度
(
たび
)
に
奥方
(
おくがた
)
は
秘
(
ひそ
)
かに
思
(
おも
)
ふやう、
332
もう
此
(
こ
)
の
上
(
うへ
)
は
神仏
(
しんぶつ
)
に
祈願
(
きぐわん
)
を
篭
(
こ
)
めて
一子
(
いつし
)
を
授
(
さづ
)
からんものと
霊験堂
(
れいけんだう
)
の
観音
(
くわんのん
)
に
三七二十一日
(
さんしちにじふいちにち
)
の
参篭
(
さんろう
)
を
為
(
な
)
し、
333
願
(
ねが
)
はくは
妾
(
わらは
)
等
(
ら
)
此
(
こ
)
の
儘
(
まま
)
にして
此
(
この
)
土地
(
とち
)
に
朽
(
く
)
ち
果
(
は
)
つるとも、
334
子
(
こ
)
の
成人
(
せいじん
)
したる
暁
(
あかつき
)
は
再
(
ふたた
)
び
都
(
みやこ
)
へ
帰参
(
きさん
)
して、
335
関白職
(
くわんぱくしよく
)
を
得
(
う
)
るやうな
器量
(
きりやう
)
ある
男子
(
だんし
)
を
授
(
さづ
)
け
給
(
たま
)
へと
一心不乱
(
いつしんふらん
)
に
祈
(
いの
)
つて
居
(
ゐ
)
る
中
(
うち
)
、
336
恰度
(
ちやうど
)
二十一日
(
にじふいちにち
)
の
満願
(
まんぐわん
)
の
夜
(
よる
)
のこと、
337
日夜
(
にちや
)
の
疲労
(
ひらう
)
に
耐
(
た
)
へ
兼
(
か
)
ね
思
(
おも
)
はず
神前
(
しんぜん
)
にうとうととまどろめば、
338
何処
(
いづこ
)
ともなく
偉大
(
ゐだい
)
なる
神人
(
しんじん
)
の
姿
(
すがた
)
現
(
あら
)
はれて
宣
(
の
)
たまふやう、
339
汝の
願
(
ねがひ
)
に
任
(
まか
)
せ、
340
一子
(
いつし
)
を
授
(
さづ
)
けむ。
341
されどもその
子
(
こ
)
は
必
(
かなら
)
ず
弥勒
(
みろく
)
の
出世
(
しゆつせい
)
を
願
(
ねが
)
ふ
可
(
べ
)
し、
342
夢々
(
ゆめゆめ
)
疑
(
うたが
)
ふ
勿
(
なか
)
れ、
343
我
(
われ
)
は
瑞
(
みづ
)
の
御霊
(
みたま
)
神素盞嗚尊
(
かんすさのをのみこと
)
なりとて
御手
(
みて
)
に
持
(
も
)
たせ
給
(
たま
)
へる
金扇
(
きんせん
)
を
奥方
(
おくがた
)
玉子
(
たまこ
)
の
君
(
きみ
)
に
授
(
さづ
)
けて
忽
(
たちま
)
ちその
御姿
(
みすがた
)
は
消
(
き
)
へさせられた。
344
夢
(
ゆめ
)
よりさめたる
奥方
(
おくがた
)
玉子
(
たまこ
)
の
君
(
きみ
)
は、
345
夫
(
をつと
)
の
宗善
(
そうぜん
)
に
夢
(
ゆめ
)
の
次第
(
しだい
)
を
審
(
つぶ
)
さに
告
(
つ
)
げられしが、
346
間
(
ま
)
もなく
懐胎
(
くわいたい
)
の
身
(
み
)
となり
月
(
つき
)
満
(
み
)
ちて
生
(
うま
)
れ
落
(
お
)
ちたは
玉
(
たま
)
のやうな
男
(
をとこ
)
と
思
(
おも
)
ひの
外
(
ほか
)
女
(
をんな
)
の
子
(
こ
)
であつた。
347
夫婦
(
ふうふ
)
は
且
(
か
)
つ
喜
(
よろこ
)
び
且
(
か
)
つ
女子
(
ぢよし
)
なりしを
惜
(
をし
)
みつつ
蝶
(
てふ
)
よ
花
(
はな
)
よと
育
(
はぐく
)
みつつ
七歳
(
ななさい
)
となつた。
348
夫婦
(
ふうふ
)
は
男子
(
だんし
)
なれば
都
(
みやこ
)
に
還
(
かへ
)
りて
再
(
ふたた
)
び
藤原家
(
ふじはらけ
)
を
起
(
おこ
)
し、
349
関白職
(
くわんぱくしよく
)
を
継
(
つ
)
がせんとした
望
(
のぞ
)
みは
俄然
(
がぜん
)
外
(
は
)
づれたれども、
350
今
(
いま
)
の
間
(
あひだ
)
に
男装
(
だんさう
)
をさせ、
351
飽
(
あ
)
くまでも
男子
(
だんし
)
として
祖先
(
そせん
)
の
家名
(
かめい
)
を
再興
(
さいこう
)
させんものと、
352
名
(
な
)
を
南祖丸
(
なんそまる
)
と
付
(
つ
)
けたのであるが、
353
誰
(
だれ
)
いふとなく
女子
(
ぢよし
)
が
男装
(
だんさう
)
して
居
(
ゐ
)
るのだ、
354
それで
男装坊
(
なんさうばう
)
だと
称
(
とな
)
ふるやうになつたのは
是非
(
ぜひ
)
なき
仕儀
(
しぎ
)
と
言
(
い
)
はねばならぬ。
355
然
(
しか
)
るに
生者必滅
(
せいしやひつめつ
)
会者定離
(
ゑしやじやうり
)
のたとへにもれず、
356
痛
(
いた
)
ましや
南祖丸
(
なんそまる
)
が
七歳
(
ななさい
)
になつた
秋
(
とき
)
、
357
母親
(
ははおや
)
の
玉子
(
たまこ
)
の
君
(
きみ
)
は
不図
(
ふと
)
した
原因
(
げんいん
)
で
病床
(
びやうしやう
)
に
伏
(
ふ
)
したる
限
(
かぎ
)
り
日夜
(
にちや
)
病勢
(
びやうせい
)
重
(
おも
)
る
斗
(
ばか
)
りで、
358
最早
(
もはや
)
生命
(
せいめい
)
は
旦夕
(
たんせき
)
に
迫
(
せま
)
つて
来
(
き
)
たので
南祖丸
(
なんそまる
)
を
枕辺
(
まくらべ
)
近
(
ちか
)
く
呼
(
よ
)
びよせて
言
(
い
)
ふ。
359
「お
前
(
まへ
)
は
神
(
かみ
)
の
申
(
まを
)
し
子
(
ご
)
で
母
(
はは
)
が
一子
(
いつし
)
を
授
(
さづ
)
からんと
霊験堂
(
れいけんだう
)
へ
三七日間
(
さんしちにちかん
)
参籠
(
さんろう
)
せし
時
(
とき
)
、
360
瑞
(
みづ
)
の
御霊
(
みたま
)
神素盞嗚神
(
かむすさのをのかみ
)
より、
361
生
(
うま
)
れたる
子
(
こ
)
は
弥勒
(
みろく
)
の
出生
(
しゆつせい
)
を
願
(
ねが
)
ふべしとの
夢
(
ゆめ
)
の
御告
(
おつ
)
げありたり。
362
汝
(
なんぢ
)
は
此
(
この
)
母
(
はは
)
の
亡
(
な
)
き
後
(
のち
)
までも
此
(
こ
)
の
事
(
こと
)
斗
(
ばか
)
りは
忘
(
わす
)
るなよ」
363
と
苦
(
くる
)
しき
息
(
いき
)
の
下
(
した
)
から
物語
(
ものがた
)
りして
遂
(
つい
)
に
帰
(
かへ
)
らぬ
旅
(
たび
)
に
赴
(
おもむ
)
いて
了
(
しま
)
つたのである。
364
仁賀村
(
にがむら
)
に
宗善
(
そうぜん
)
夫婦
(
ふうふ
)
は
不自由
(
ふじいう
)
なく
365
安住
(
あんぢゆう
)
したり
式部
(
しきぶ
)
の
好意
(
かうい
)
に。
366
世継
(
よつ
)
ぎの
子
(
こ
)
無
(
な
)
きを
悲
(
かな
)
しみ
宗善
(
そうぜん
)
の
367
妻
(
つま
)
は
観音堂
(
くわんのんだう
)
に
篭
(
こも
)
れり。
368
立派
(
りつぱ
)
なる
男子
(
だんし
)
を
生
(
う
)
みて
関白家
(
くわんぱくけ
)
369
再興
(
さいこう
)
せんと
日夜
(
にちや
)
に
祈
(
いの
)
れり。
370
素盞嗚
(
すさのを
)
の
神
(
かみ
)
が
夢
(
ゆめ
)
に
夜
(
よ
)
現
(
あらは
)
れて
371
子
(
こ
)
を
授
(
さづ
)
けんと
宣
(
の
)
らせ
給
(
たま
)
へり。
372
瑞御霊
(
みづみたま
)
授
(
さづ
)
け
給
(
たま
)
ひし
貴
(
うず
)
の
子
(
こ
)
は
373
弥勒
(
みろく
)
出生
(
しゆつせい
)
を
願
(
ねが
)
ふ
女子
(
ぢよし
)
なる。
374
月
(
つき
)
満
(
み
)
ちて
生
(
うま
)
れたる
子
(
こ
)
は
男装
(
だんさう
)
させ
375
名
(
な
)
も
南祖丸
(
なんそまる
)
とつけて
育
(
はぐ
)
くむ。
376
南祖丸
(
なんそまる
)
七歳
(
ななさい
)
の
時
(
とき
)
母親
(
ははおや
)
は
377
神示
(
しんじ
)
を
南祖
(
なんそ
)
に
告
(
つ
)
げて
世
(
よ
)
を
去
(
さ
)
る。
378
弥勒
(
みろく
)
の
世
(
よ
)
来
(
きた
)
さんとして
素
(
す
)
の
神
(
かみ
)
は
379
神子
(
みこ
)
をば
女
(
をんな
)
と
生
(
う
)
ませ
玉
(
たま
)
へる。
380
南祖丸
(
なんそまる
)
はじめ
父
(
ちち
)
の
宗善
(
そうぜん
)
、
381
式部
(
しきぶ
)
夫婦
(
ふうふ
)
等
(
ら
)
が
涙
(
なみだ
)
の
裡
(
うち
)
に
野辺
(
のべ
)
の
送
(
おく
)
りをやつと
済
(
す
)
ませた
後
(
のち
)
、
382
父
(
ちち
)
宗善
(
そうぜん
)
は
熟々
(
つらつら
)
南祖丸
(
なんそまる
)
を
見
(
み
)
るに
年
(
とし
)
は
幼
(
をさな
)
けれども
手習
(
てなら
)
ひ
学問
(
がくもん
)
に
精
(
せい
)
を
出
(
だ
)
し
恰
(
あたか
)
も
一
(
いち
)
を
聞
(
き
)
いて
十
(
じふ
)
を
悟
(
さと
)
るの
賢
(
かしこ
)
さ、
383
是
(
これ
)
が
真正
(
しんせい
)
の
男子
(
だんし
)
ならば
成人
(
せいじん
)
の
後
(
のち
)
京都
(
きやうと
)
に
還
(
かへ
)
り
祖先
(
そせん
)
の
名
(
な
)
を
顕
(
あら
)
はして
吾家
(
わがや
)
を
関白家
(
くわんぱくけ
)
に
捻
(
ね
)
ぢ
直
(
なほ
)
す
器量
(
きりやう
)
は
十分
(
じふぶん
)
であらう。
384
併
(
しか
)
し
乍
(
なが
)
ら
生来
(
しやうらい
)
の
女子
(
をみなご
)
如何
(
いか
)
に
骨格
(
こつかく
)
容貌
(
ようばう
)
の
男子
(
だんし
)
に
似
(
に
)
たりとて
妻
(
つま
)
を
娶
(
めと
)
り
子孫
(
しそん
)
を
生
(
う
)
む
事
(
こと
)
不可能
(
ふかのう
)
なり。
385
乳児
(
にうじ
)
の
頃
(
ころ
)
より
男子
(
だんし
)
として
養育
(
やういく
)
したれば
世人
(
せじん
)
は
之
(
これ
)
を
女子
(
ぢよし
)
と
知
(
し
)
る
者
(
もの
)
なかる
可
(
べ
)
し。
386
如
(
し
)
かず
変生
(
へんしやう
)
男子
(
なんし
)
の
願
(
ねが
)
ひを
立
(
た
)
て
此
(
こ
)
の
儘
(
まま
)
男子
(
だんし
)
として
世
(
よ
)
に
処
(
しよ
)
せしめ、
387
神仏
(
しんぶつ
)
に
仕
(
つか
)
へしめん。
388
誠
(
まこと
)
や
一子
(
いつし
)
出家
(
しゆつけ
)
すれば
九族
(
きうぞく
)
天
(
てん
)
に
生
(
しやう
)
ずとかや。
389
亡
(
な
)
き
妻
(
つま
)
の
願望
(
ぐわんまう
)
に
由
(
よ
)
りて
神
(
かみ
)
より
与
(
あた
)
へられたる
子
(
こ
)
なれば
家名
(
かめい
)
再興
(
さいこう
)
の
野心
(
やしん
)
は、
390
流水
(
りうすゐ
)
の
如
(
ごと
)
く
捨
(
すて
)
去
(
さ
)
り、
391
僧
(
そう
)
となつて
吾
(
わが
)
妻
(
つま
)
の
菩提
(
ぼだい
)
を
弔
(
とむら
)
はしめんと
決心
(
けつしん
)
の
臍
(
ほぞ
)
を
固
(
かた
)
め、
392
奥方
(
おくがた
)
の
死
(
し
)
より
三日後
(
みつかご
)
、
393
同郡
(
どうぐん
)
五戸
(
ごへ
)
在
(
ざい
)
七崎
(
ななさき
)
の
観音
(
くわんのん
)
別当
(
べつたう
)
永福寺
(
えいふくじ
)
の
住僧
(
ぢゆうそう
)
なる
徳望
(
とくばう
)
高
(
たか
)
き
月志法印
(
げつしほふいん
)
に
頼
(
たの
)
みて
弟子
(
でし
)
となし、
394
その
名
(
な
)
も
南僧坊
(
なんそうばう
)
と
呼
(
よ
)
び
修行
(
しうぎやう
)
させる
事
(
こと
)
とはなつた。
395
宗善
(
そうぜん
)
は
公家
(
くげ
)
再興
(
さいこう
)
の
念
(
ねん
)
を
捨
(
す
)
て
396
南祖丸
(
なんそまる
)
をば
出家
(
しゆつけ
)
となしたり。
397
七崎
(
ななさき
)
の
観音
(
くわんのん
)
別当
(
べつたう
)
月志法印
(
げつしほふいん
)
398
南祖丸
(
なんそまる
)
をば
弟子
(
でし
)
とし
教
(
をし
)
へし。
399
爰
(
ここ
)
に
力
(
ちから
)
と
頼
(
たの
)
みし
妻
(
つま
)
を
失
(
うしな
)
ひ
愛児
(
あいじ
)
南祖丸
(
なんそまる
)
を
月志法印
(
げつしほふいん
)
に
托
(
たく
)
した
宗善
(
そうぜん
)
は
今
(
いま
)
は
何
(
なに
)
をか
楽
(
たの
)
しまんとて
馬
(
うま
)
を
数多
(
あまた
)
牧
(
ぼく
)
し
老後
(
らうご
)
を
慰
(
なぐさ
)
め
暮
(
くら
)
して
居
(
ゐ
)
た。
400
然
(
しか
)
るに
不可思議
(
ふかしぎ
)
なる
事
(
こと
)
は
如何
(
いか
)
なる
悍馬
(
かんま
)
も
宗善
(
そうぜん
)
の
厩
(
うまや
)
に
入
(
い
)
れば
直
(
ただち
)
に
悪癖
(
あくへき
)
が
直
(
なほ
)
り
名馬
(
めいば
)
と
化
(
な
)
るのを
見
(
み
)
て、
401
里人
(
さとびと
)
は
何
(
いづ
)
れも
之
(
これ
)
を
奇
(
き
)
とし
宗善
(
そうぜん
)
の
没後
(
ぼつご
)
には
宗善
(
そうぜん
)
の
霊
(
れい
)
を
祀
(
まつ
)
りて
一宇
(
いちう
)
を
建立
(
こんりふ
)
し
馬頭
(
ばとう
)
観音
(
くわんのん
)
と
称
(
とな
)
へ
其
(
その
)
徳
(
とく
)
を
偲
(
しの
)
んで
居
(
ゐ
)
るが、
402
奥州
(
おうしう
)
南部
(
なんぶ
)
地方
(
ちはう
)
の
習慣
(
しふくわん
)
として
馬頭
(
ばとう
)
観音
(
くわんのん
)
を
蒼前
(
さうぜん
)
(
宗善
(
そうぜん
)
)と
言
(
い
)
ひ、
403
又
(
また
)
宗善
(
そうぜん
)
は
絵馬
(
ゑま
)
を
描
(
か
)
く
事
(
こと
)
を
楽
(
たの
)
しみとしてゐたので
後世
(
こうせい
)
に
至
(
いた
)
るまで
絵馬
(
ゑま
)
を
御堂
(
みだう
)
へ
奉納
(
ほうなふ
)
する
風習
(
ふうしふ
)
が
残
(
のこ
)
つたのである。
404
そして
永福寺
(
えいふくじ
)
へ
弟子
(
でし
)
入
(
いり
)
をした
南僧坊
(
なんそうばう
)
は
日夜
(
にちや
)
学問
(
がくもん
)
を
励
(
はげ
)
みその
明智
(
めいち
)
、
405
非凡絶倫
(
ひぼんぜつりん
)
には
月志法印
(
げつしほふいん
)
も
舌
(
した
)
を
捲
(
ま
)
いて
感嘆
(
かんたん
)
するのであつた。
406
かくて
其
(
その
)
後
(
ご
)
数年
(
すうねん
)
を
過
(
す
)
ぎ
南僧坊
(
なんそうばう
)
は
茲
(
ここ
)
に
十三歳
(
じふさんさい
)
の
春
(
はる
)
を
迎
(
むか
)
ふるに
到
(
いた
)
つた。
407
円明鏡
(
ゑんみやうかがみ
)
の
如
(
ごと
)
き
清
(
きよ
)
らかな
念仏
(
ねんぶつ
)
修行
(
しうぎやう
)
、
408
はらはらと
散
(
ち
)
る
桜花
(
さくらばな
)
の
下
(
もと
)
に
南僧坊
(
なんそうばう
)
は
瞑想
(
めいさう
)
に
耽
(
ふけ
)
つて
居
(
ゐ
)
た。
409
幽寂
(
いうじやく
)
の
鐘
(
かね
)
の
音
(
ね
)
は
止
(
や
)
んで
夕暮
(
ゆふぐれ
)
近
(
ちか
)
き
頃
(
ころ
)
、
410
瞑想
(
めいさう
)
よりフト
我
(
われ
)
に
帰
(
かへ
)
つて
彼方
(
かなた
)
の
大空
(
おほぞら
)
を
眺
(
なが
)
め、
411
亡
(
な
)
き
母
(
はは
)
が
臨終
(
りんじう
)
の
遺言
(
ゆゐごん
)
をぢつと
考
(
かんが
)
へ
込
(
こ
)
んだ。
412
アア
我
(
わが
)
母上
(
ははうへ
)
は
枕頭
(
ちんとう
)
に
吾
(
われ
)
を
招
(
まね
)
き
苦
(
くる
)
しき
息
(
いき
)
の
下
(
した
)
から「
弥勒
(
みろく
)
の
出世
(
しゆつせ
)
の
大願
(
たいぐわん
)
を
忘
(
わす
)
るる
勿
(
なか
)
れ」と
言
(
い
)
はれた。
413
アア
弥勒
(
みろく
)
-
弥勒
(
みろく
)
出世
(
しゆつせ
)
の
大願
(
たいぐわん
)
、
414
併
(
しか
)
し
乍
(
なが
)
ら
自力
(
じりき
)
にてはとても
叶
(
かな
)
ふべくも
無
(
な
)
い。
415
是
(
これ
)
より
吾
(
われ
)
は
紀伊国
(
きいのくに
)
熊野
(
くまの
)
へ
参詣
(
さんけい
)
して
神力
(
しんりき
)
を
祈
(
いの
)
りながら
大願
(
たいぐわん
)
成就
(
じやうじゆ
)
せんものと
決心
(
けつしん
)
を
固
(
かた
)
め
師
(
し
)
の
坊
(
ばう
)
月志法印
(
げつしほふいん
)
へ
熊野
(
くまの
)
参詣
(
さんけい
)
の
志望
(
しばう
)
を
申
(
まを
)
し
出
(
い
)
でたが、
416
まだ
幼者
(
えうしや
)
だからとて
許
(
ゆる
)
されなかつた。
417
南僧坊
(
なんそうばう
)
は
今
(
いま
)
は
是非
(
ぜひ
)
なく
或
(
ある
)
夜
(
よ
)
密
(
ひそ
)
かに
寺門
(
じもん
)
を
抜
(
ぬ
)
け
出
(
だ
)
し
七崎
(
ななさき
)
の
村
(
むら
)
を
後
(
あと
)
に
遥々
(
はるばる
)
紀伊路
(
きいぢ
)
を
指
(
さ
)
して
出発
(
しゆつぱつ
)
してしまつた。
418
宗善
(
そうぜん
)
は
妻
(
つま
)
に
別
(
わか
)
れて
楽
(
たの
)
しまず
419
遂
(
つい
)
に
馬飼人
(
うまかひにん
)
となりけり。
420
荒馬
(
あらうま
)
も
宗善
(
そうぜん
)
飼
(
か
)
へば
忽
(
たちま
)
ちに
421
良馬
(
りやうば
)
となるぞ
不思議
(
ふしぎ
)
なりけり。
422
宗善
(
そうぜん
)
の
死後
(
しご
)
は
里人
(
さとびと
)
宗善
(
そうぜん
)
を
423
観音堂
(
くわんのんだう
)
建
(
た
)
て
祀
(
まつ
)
り
篭
(
こ
)
めたり。
424
宗善
(
そうぜん
)
を
蒼前
(
さうぜん
)
馬頭
(
ばとう
)
観音
(
くわんのん
)
と
425
斎
(
いつ
)
き
祀
(
まつ
)
れば
良馬
(
りやうば
)
生
(
うま
)
るる。
426
宗善
(
そうぜん
)
は
絵馬
(
ゑま
)
を
好
(
この
)
みて
描
(
か
)
きたれば
427
後人
(
こうじん
)
絵馬堂
(
ゑまだう
)
建
(
た
)
てて
祈
(
いの
)
れり。
428
女身
(
によしん
)
とは
言
(
い
)
へど
骨格
(
こつかく
)
逞
(
たくま
)
しく
429
男子
(
だんし
)
に
劣
(
おと
)
らぬ
風格
(
ふうかく
)
ありけり。
430
南僧坊
(
なんそうばう
)
母
(
はは
)
の
遺言
(
ゆゐごん
)
思
(
おも
)
ひ
出
(
だ
)
し
431
弥勒
(
みろく
)
出生
(
しゆつせい
)
の
大願
(
たいぐわん
)
を
立
(
た
)
つ。
432
桜花
(
あうくわ
)
散
(
ち
)
る
木蔭
(
こかげ
)
に
座
(
ざ
)
して
瞑想
(
めいさう
)
に
433
耽
(
ふけ
)
る
南祖
(
なんそ
)
は
弥勒
(
みろく
)
の
世
(
よ
)
を
待
(
ま
)
つ。
434
紀
(
き
)
の
国
(
くに
)
の
熊野
(
くまの
)
に
詣
(
まう
)
で
神力
(
しんりき
)
を
435
得
(
え
)
んため
師
(
し
)
の
坊
(
ばう
)
に
許
(
ゆる
)
しを
乞
(
こ
)
ひたり。
436
歳
(
とし
)
はまだ
十三
(
じふさん
)
の
坊
(
ばう
)
幼若
(
えうじやく
)
の
437
故
(
ゆゑ
)
もて
師
(
し
)
の
坊
(
ばう
)
旅行
(
りよかう
)
許
(
ゆる
)
さず。
438
南僧坊
(
なんそうばう
)
決心
(
けつしん
)
固
(
かた
)
く
夜
(
よる
)
の
間
(
ま
)
に
439
寺門
(
じもん
)
を
抜
(
ぬ
)
けて
紀州
(
きしう
)
に
向
(
むか
)
へり。
440
扨
(
さ
)
て
紀伊国
(
きいのくに
)
熊野山
(
くものやま
)
は
本地
(
ほんち
)
弥陀
(
みだ
)
の
薬師
(
やくし
)
観音
(
くわんのん
)
にして
熊野
(
くまの
)
三社
(
さんしや
)
と
言
(
い
)
はれ
其
(
その
)
霊験
(
れいけん
)
いやちこなりと
伝
(
つた
)
へらるる
霊場地
(
れいぢやうち
)
であつて、
441
三社
(
さんしや
)
の
御本体
(
ごほんたい
)
は、
442
瑞
(
みづ
)
の
霊
(
みたま
)
(
三
(
み
)
ツの
魂
(
みたま
)
)の
神
(
かみ
)
の
変名
(
へんめい
)
である。
443
南僧坊
(
なんそうばう
)
は
一
(
いち
)
ケ
所
(
しよ
)
の
御堂
(
みだう
)
に
廿一
(
にじふ
)
ケ
日
(
にち
)
宛
(
づつ
)
三
(
さん
)
ケ
所
(
しよ
)
に
篭
(
こ
)
もつて
断食
(
だんじき
)
をなし、
444
日夜
(
にちや
)
三度
(
さんど
)
づつ、
445
水垢離
(
みづごり
)
を
取
(
と
)
つて
精進
(
しやうじん
)
潔斎
(
けつさい
)
し
一心不乱
(
いつしんふらん
)
になつて
弥勒
(
みろく
)
の
御出世
(
ごしゆつせ
)
を
祈
(
いの
)
るのであつた。
446
恰度
(
ちやうど
)
満願
(
まんぐわん
)
の
夜半
(
やはん
)
になつて、
447
南僧坊
(
なんそうばう
)
は
不思議
(
ふしぎ
)
の
霊夢
(
れいむ
)
を
蒙
(
かうむ
)
つたので、
448
それより
諸国
(
しよこく
)
を
行脚
(
あんぎや
)
して
凡
(
すべ
)
ての
神仏
(
しんぶつ
)
に
祈
(
いの
)
らんと
熊野
(
くまの
)
神社
(
じんじや
)
を
後
(
あと
)
に
第一回
(
だいいちくわい
)
の
諸国
(
しよこく
)
巡礼
(
じゆんれい
)
を
思
(
おも
)
ひ
立
(
た
)
つ
事
(
こと
)
となつた。
449
南僧坊
(
なんそうばう
)
熊野
(
くまの
)
三社
(
さんしや
)
に
参詣
(
さんけい
)
し
450
三週
(
さんしう
)
三
(
さん
)
ケ
所
(
しよ
)
水垢離
(
みづごり
)
を
取
(
と
)
る。
451
瑞御魂
(
みづみたま
)
神
(
かみ
)
の
夢告
(
むこく
)
を
蒙
(
かうむ
)
りて
452
諸国
(
しよこく
)
巡礼
(
じゆんれい
)
の
旅
(
たび
)
する
南僧坊
(
なんそうばう
)
。
453
熊野
(
くまの
)
三社
(
さんしや
)
弥陀
(
みだ
)
と
薬師
(
やくし
)
と
観音
(
くわんのん
)
は
454
三
(
み
)
つの
御魂
(
みたま
)
の
権現
(
ごんげん
)
なりけり。
455
数十年
(
すうじふねん
)
修行
(
しうぎやう
)
を
為
(
な
)
せと
皇神
(
すめかみ
)
は
456
男装坊
(
なんさうばう
)
(
南僧坊
(
なんそうばう
)
)に
宣
(
の
)
らせ
玉
(
たま
)
へり。
457
神勅
(
しんちよく
)
に
由
(
よ
)
つて
熊野
(
くまの
)
三社
(
さんしや
)
を
立出
(
たちい
)
でた
男装坊
(
なんさうばう
)
は
先
(
ま
)
づ
高野山
(
かうやさん
)
に
登
(
のぼ
)
り
大願
(
たいぐわん
)
成就
(
じやうじゆ
)
を
一心不乱
(
いつしんふらん
)
に
祈願
(
きぐわん
)
し
終
(
をは
)
つて
山麓
(
さんろく
)
に
来
(
き
)
かかると、
458
道傍
(
みちばた
)
の
岩石
(
がんせき
)
に
腰
(
こし
)
を
下
(
お
)
ろし
休
(
やす
)
んで
居
(
ゐ
)
た
一人
(
ひとり
)
の
山伏
(
やまぶし
)
がつかつかと
男装坊
(
なんさうばう
)
の
前
(
まへ
)
に
進
(
すす
)
んで
来
(
き
)
た。
459
見
(
み
)
れば
身長
(
しんちやう
)
六尺
(
ろくしやく
)
余
(
よ
)
、
460
柿色
(
かきいろ
)
の
法衣
(
ほふい
)
に
太刀
(
たち
)
を
帯
(
お
)
び
金剛杖
(
こんがうづゑ
)
をついて
威勢
(
ゐせい
)
よく
言葉
(
ことば
)
も
高
(
たか
)
らかに、
461
「
如何
(
いか
)
に
御坊
(
ごばう
)
修行
(
しうぎやう
)
は
法師
(
ほふし
)
の
業
(
げふ
)
と
見受
(
みう
)
けたり。
462
汝
(
なんぢ
)
男子
(
だんし
)
に
扮
(
ふん
)
すれども
吾
(
わが
)
法力
(
ほふりき
)
を
以
(
もつ
)
て
観
(
くわん
)
ずるに
全
(
まつた
)
く
女人
(
によにん
)
なり。
463
女人
(
によにん
)
禁制
(
きんせい
)
の
霊山
(
れいざん
)
を
犯
(
をか
)
しながら
修行
(
しうぎやう
)
などとは
以
(
もつ
)
ての
外
(
ほか
)
の
不埒
(
ふらち
)
ならずや。
464
必
(
かなら
)
ずや
仏
(
ほとけ
)
の
咎
(
とがめ
)
に
由
(
よ
)
つて
修行
(
しうぎやう
)
の
功
(
こう
)
空
(
むな
)
しからん。
465
万々一
(
まんまんいち
)
修行
(
しうぎやう
)
の
功
(
こう
)
ありとせば
吾
(
わが
)
前
(
まへ
)
にて
其
(
その
)
法力
(
ほふりき
)
を
現
(
あらは
)
すべし」と
言葉
(
ことば
)
を
掛
(
か
)
けられて
男装坊
(
なんさうばう
)
は
暫時
(
ざんじ
)
ぎよつとしたるが、
466
直
(
ただち
)
に
心
(
こころ
)
を
取
(
と
)
り
直
(
なほ
)
し
満面
(
まんめん
)
笑
(
ゑ
)
みを
湛
(
たた
)
へながら、
467
「
汝
(
なんぢ
)
吾
(
われ
)
に
向
(
むか
)
つて
女人
(
によにん
)
なれば
不埒
(
ふらち
)
とは
何事
(
なにごと
)
ぞ、
468
衆生
(
しうじやう
)
済度
(
さいど
)
の
誓願
(
せいぐわん
)
に
男女
(
だんぢよ
)
の
区別
(
くべつ
)
あるべきや。
469
吾
(
われ
)
に
修行
(
しうぎやう
)
の
功
(
こう
)
如何
(
いかん
)
とは
愚
(
ぐ
)
なり。
470
三界
(
さんかい
)
の
大導師
(
だいだうし
)
釈迦牟尼
(
しやかむに
)
如来
(
によらい
)
でさへも
阿羅々
(
あらら
)
仙人
(
せんにん
)
に
仕
(
つか
)
へて
其
(
そ
)
の
本懐
(
ほんくわい
)
を
遂
(
と
)
げ
玉
(
たま
)
ひしと
聞
(
き
)
く。
471
况
(
いは
)
んや
凡俗
(
ぼんぞく
)
の
拙僧
(
せつそう
)
未
(
いま
)
だ
修行中
(
しうぎやうちう
)
にて
大悟
(
たいご
)
徹底
(
てつてい
)
の
域
(
ゐき
)
に
達
(
たつ
)
せず。
472
御身
(
おんみ
)
に
於
(
おい
)
ては
又
(
また
)
修行
(
しうぎやう
)
の
功
(
こう
)
ありや」と
謙遜
(
けんそん
)
しつつも
反問
(
はんもん
)
した
時
(
とき
)
、
473
彼
(
か
)
の
山伏
(
やまぶし
)
は
鼻高々
(
はなたかだか
)
と
答
(
こた
)
ふやう、
474
「
拙者
(
せつしや
)
はそもそも
大峰
(
おほみね
)
葛城
(
かつらぎ
)
の
小角
(
せうかく
)
、
475
吉野
(
よしの
)
にては
金剛
(
こんがう
)
蔵王
(
ざうわう
)
、
476
熊野
(
くまの
)
権現
(
ごんげん
)
は
三所
(
さんしよ
)
その
他
(
た
)
山々
(
やまやま
)
渓々
(
たにだに
)
にて
極
(
きは
)
めし
法力
(
ほふりき
)
によつて
空
(
そら
)
飛
(
と
)
ぶ
鳥
(
とり
)
も
祈
(
いの
)
り
落
(
おと
)
し、
477
死
(
し
)
したる
者
(
もの
)
も
生
(
い
)
かす
事
(
こと
)
自由
(
じいう
)
なり。
478
いざ
汝
(
なんぢ
)
と
法力
(
ほふりき
)
を
行
(
おこな
)
ひ
較
(
くら
)
べん」
479
と
詰
(
つ
)
めよるにぞ、
480
男装坊
(
なんさうばう
)
は
静
(
しづ
)
かに
答
(
こた
)
へ、
481
482
「さらば
貴殿
(
きでん
)
の
法力
(
ほふりき
)
を
見
(
み
)
せ
給
(
たま
)
へ」「
然
(
しか
)
らば
御目
(
おめ
)
に
掛
(
か
)
けん、
483
驚
(
おどろ
)
くな」と
山伏
(
やまぶし
)
は
腰
(
こし
)
に
下
(
さ
)
げたる
法螺
(
ほら
)
の
貝
(
かひ
)
を
取
(
と
)
つて
何
(
なに
)
やら
呪文
(
じゆもん
)
を
唱
(
とな
)
ふると
見
(
み
)
えしが、
484
忽
(
たちま
)
ち
炎々
(
えんえん
)
たる
火焔
(
くわえん
)
を
貝
(
かひ
)
の
尻
(
しり
)
から
吹
(
ふ
)
き
出
(
だ
)
してその
火光
(
くわくわう
)
の
四方
(
しはう
)
に
輝
(
かがや
)
く
様
(
さま
)
は
実
(
じつ
)
に
見事
(
みごと
)
であつた。
485
男装坊
(
なんさうばう
)
は
泰然自若
(
たいぜんじじやく
)
として
暫時
(
ざんじ
)
打
(
う
)
ち
眺
(
なが
)
め
居
(
ゐ
)
たるが、
486
やがてニツコと
微笑
(
ほほゑ
)
みながら
静
(
しづ
)
かに
九字
(
くじ
)
を
切
(
き
)
つて
合掌
(
がつしやう
)
するや
忽
(
たちま
)
ち
猛烈
(
まうれつ
)
なりし
火焔
(
くわえん
)
は
跡
(
あと
)
なく
消
(
き
)
え
失
(
う
)
せて
了
(
しま
)
つた。
487
山伏
(
やまぶし
)
は
最初
(
さいしよ
)
の
術
(
じゆつ
)
の
破
(
やぶ
)
れたるを
悔
(
く
)
やしがり、
488
何
(
なに
)
を
小癪
(
こしやく
)
な
今度
(
こんど
)
こそは
思
(
おも
)
ひ
知
(
し
)
らせんと
許
(
ばか
)
り
傍
(
かたはら
)
の
小高
(
こだか
)
き
所
(
ところ
)
へ
駈
(
か
)
け
上
(
あが
)
りざま、
489
珠数
(
じゆず
)
も
砕
(
くだ
)
けよと
押
(
お
)
しもんで
一心不乱
(
いつしんふらん
)
に
祈
(
いの
)
れば
見
(
み
)
る
見
(
み
)
る
一天
(
いつてん
)
俄
(
にはか
)
に
掻
(
か
)
き
曇
(
くも
)
りピユーピユーと
凄
(
すご
)
い
風
(
かぜ
)
は
彼方
(
かなた
)
の
山頂
(
さんちやう
)
より
吹
(
ふ
)
き
下
(
お
)
りて
一団
(
いちだん
)
の
黒雲
(
こくうん
)
瞬
(
またた
)
く
間
(
ま
)
に
拡
(
ひろ
)
がり
雪
(
ゆき
)
さへ
交
(
まじ
)
へて
物
(
もの
)
さみしい
冬
(
ふゆ
)
の
景色
(
けしき
)
と
変
(
かは
)
つて
了
(
しま
)
つた。
490
其
(
そ
)
の
時
(
とき
)
に
異様
(
いやう
)
の
怪物
(
くわいぶつ
)
遠近
(
ゑんきん
)
より
現
(
あら
)
はれ
出
(
い
)
で
笑
(
わら
)
ふもの
叫
(
さけ
)
ぶものの
声
(
こゑ
)
天地
(
てんち
)
に
鳴
(
な
)
り
轟
(
とどろ
)
きさも
恐
(
おそ
)
ろしき
光景
(
くわうけい
)
を
現出
(
げんしゆつ
)
した。
491
然
(
しか
)
れども
男装坊
(
なんさうばう
)
は
少
(
すこ
)
しも
騒
(
さわ
)
ぐ
色
(
いろ
)
なく、
492
「
扨
(
さ
)
ても
扨
(
さ
)
ても
見事
(
みごと
)
なる
御手
(
おて
)
の
内
(
うち
)
」と
賞
(
ほ
)
めそやしながら
真言
(
しんごん
)
即
(
そく
)
言霊
(
げんれい
)
の
神器
(
しんき
)
を
用
(
もち
)
ゆれば、
493
今
(
いま
)
までの
物凄
(
ものすご
)
き
光景
(
くわうけい
)
は
忽
(
たちま
)
ち
消滅
(
せうめつ
)
して
再
(
ふたた
)
び
元
(
もと
)
の
晴天
(
せいてん
)
にかへつた。
494
山伏
(
やまぶし
)
は
之
(
これ
)
を
見
(
み
)
て、
495
「
恐
(
おそ
)
れ
入
(
い
)
つたる
御手
(
おて
)
の
内
(
うち
)
、
496
愚僧
(
ぐそう
)
等
(
ら
)
の
及
(
およ
)
ぶ
所
(
ところ
)
に
非
(
あら
)
ず。
497
御縁
(
ごえん
)
も
在
(
あ
)
らば
又
(
また
)
お
目
(
め
)
に
懸
(
かか
)
らん」と
男装坊
(
なんさうばう
)
の
法力
(
ほふりき
)
に
征服
(
せいふく
)
された
山伏
(
やまぶし
)
は
叮嚀
(
ていねい
)
に
会釈
(
ゑしやく
)
を
交
(
かは
)
して
何処
(
いづこ
)
ともなく
立去
(
たちさ
)
つて
了
(
しま
)
つた。
498
斯
(
か
)
くて
男装坊
(
なんさうばう
)
は
高野
(
かうや
)
の
山
(
やま
)
を
下
(
くだ
)
り
紀州
(
きしう
)
尾由村
(
をよしむら
)
といふ
所
(
ところ
)
に
差
(
さ
)
し
掛
(
かか
)
り
嘉茂
(
かも
)
と
云
(
い
)
へる
有徳
(
うとく
)
の
人
(
ひと
)
の
許
(
もと
)
に
一夜
(
いちや
)
の
宿
(
やど
)
を
求
(
もと
)
めた。
499
所
(
ところ
)
が
其
(
そ
)
の
夜
(
よ
)
主人
(
しゆじん
)
が
男装坊
(
なんさうばう
)
の
居室
(
きよしつ
)
を
訪
(
たづ
)
ねて
言
(
い
)
ふよう、
500
「
実
(
じつ
)
は
私
(
わたし
)
の
妻
(
つま
)
が
四年
(
よねん
)
斗
(
ばか
)
り
前
(
まへ
)
から
不思議
(
ふしぎ
)
の
病気
(
びやうき
)
に
犯
(
をか
)
され、
501
遠近
(
ゑんきん
)
の
行者
(
ぎやうじや
)
を
頼
(
たの
)
みて
祈祷
(
きたう
)
するも
一向
(
いつこう
)
少
(
すこ
)
しの
効目
(
ききめ
)
も
無
(
な
)
く
誠
(
まこと
)
に
困
(
こま
)
り
果
(
は
)
ててゐる
次第
(
しだい
)
なれば
何卒
(
なにとぞ
)
御坊
(
ごばう
)
の
御法力
(
ごほふりき
)
を
以
(
もつ
)
て
御祈念
(
ごきねん
)
給
(
たま
)
はり
度
(
た
)
し」と
言葉
(
ことば
)
を
盡
(
つく
)
して
頼
(
たの
)
み
込
(
こ
)
む
様子
(
やうす
)
に
男装坊
(
なんさうばう
)
は「してその
御病気
(
ごびやうき
)
とは」と
問
(
と
)
へば「ハイ
実
(
じつ
)
は
夜
(
よ
)
な
夜
(
よ
)
な
髪
(
かみ
)
の
中
(
なか
)
から
鳥
(
とり
)
の
頭
(
あたま
)
が
無数
(
むすう
)
に
出
(
いで
)
ては
啼
(
な
)
き
叫
(
さけ
)
び、
502
その
鳥
(
とり
)
の
口
(
くち
)
へ
飯
(
めし
)
を
押
(
お
)
し
込
(
こ
)
めば
忽
(
たちま
)
ち
頭髪
(
とうはつ
)
の
中
(
なか
)
へ
隠
(
かく
)
れるといふ
奇病
(
きびやう
)
です。
503
何
(
なん
)
と
云
(
い
)
つても
毎夜
(
まいよ
)
毎夜
(
まいよ
)
のことで
妻
(
つま
)
は
非常
(
ひじやう
)
に
窶
(
やつ
)
れ
果
(
は
)
て
明日
(
あす
)
をも
知
(
し
)
れない
有様
(
ありさま
)
、
504
何卒
(
なにとぞ
)
御見届
(
おみとど
)
けの
上
(
うへ
)
御救
(
おすく
)
ひ
下
(
くだ
)
され
度
(
た
)
し」と
涙
(
なみだ
)
をはらはらと
流
(
なが
)
して
頼
(
たの
)
むのであつた。
505
男装坊
(
なんさうばう
)
は
暫時
(
ざんじ
)
小首
(
こくび
)
を
傾
(
かたむ
)
け
考
(
かんが
)
へて
居
(
ゐ
)
たが、
506
「はて
奇態
(
きたい
)
なる
事
(
こと
)
を
承
(
うけたま
)
はるものかな。
507
何
(
なに
)
はともあれ
拙僧
(
せつそう
)
及
(
およ
)
ばず
乍
(
なが
)
ら
其
(
そ
)
の
正体
(
しやうたい
)
を
見届
(
みとど
)
けし
上
(
うへ
)
祈念
(
きねん
)
を
為
(
な
)
さん」と
快
(
こころ
)
よく
承諾
(
しようだく
)
した
言葉
(
ことば
)
に
主人
(
しゆじん
)
は
欣喜雀躍
(
きんきじやくやく
)
するのであつた。
508
扨
(
さ
)
てその
夜
(
よ
)
丑満
(
うしみつ
)
と
思
(
おぼ
)
しき
頃
(
ころ
)
になると
案
(
あん
)
の
如
(
ごと
)
く
病人
(
びやうにん
)
の
頭
(
あたま
)
から
数十羽
(
すうじふは
)
の
鳥
(
とり
)
の
頭
(
あたま
)
が
出
(
で
)
て
啼
(
な
)
き
叫
(
さけ
)
ぶ
様
(
さま
)
は
実
(
じつ
)
に
気味
(
きみ
)
の
悪
(
わる
)
い
程
(
ほど
)
である。
509
男装坊
(
なんさうばう
)
は
病人
(
びやうにん
)
の
苦
(
くる
)
しむ
様子
(
やうす
)
を
熟視
(
じゆくし
)
した
上
(
うへ
)
、
510
「
扨
(
さ
)
ても
扨
(
さ
)
ても
不憫
(
ふびん
)
の
者
(
もの
)
なるかな」と
座敷
(
ざしき
)
の
中央
(
ちうおう
)
に
壇
(
だん
)
を
飾
(
かざ
)
つて
病人
(
びやうにん
)
を
北向
(
きたむ
)
きに
直
(
なほ
)
し、
511
高盛
(
たかもり
)
の
食
(
しよく
)
十三
(
じふさん
)
盛
(
もり
)
、
512
五色
(
ごしき
)
の
幣
(
ぬさ
)
三十三
(
さんじふさん
)
本
(
ぼん
)
を
切
(
き
)
り
立
(
た
)
て
清水
(
せいすゐ
)
を
盥
(
たらひ
)
に
汲
(
く
)
んで、
513
「
足
(
あし
)
」といふ
文字
(
もじ
)
を
書
(
か
)
いた
一寸
(
いつすん
)
四方
(
しはう
)
の
紙片
(
しへん
)
を
水
(
みづ
)
に
浮
(
うか
)
べ、
514
さて
衣
(
ころも
)
の
袖
(
そで
)
を
結
(
むす
)
んで
肩
(
かた
)
に
打
(
う
)
ちかけ
珠数
(
じゆず
)
をさらさらと
押
(
お
)
しもんで
暫
(
しばら
)
く
祈
(
いの
)
ると
見
(
み
)
えしが
不思議
(
ふしぎ
)
なるかな
今
(
いま
)
まで
七転八倒
(
しちてんばつたふ
)
の
苦
(
くる
)
しみに
呻吟
(
しんぎん
)
して
居
(
ゐ
)
た
病人
(
びやうにん
)
は
忽
(
たちま
)
ち
元気
(
げんき
)
付
(
づ
)
き
頭
(
あたま
)
の
鳥
(
とり
)
は
一羽
(
いちは
)
も
残
(
のこ
)
らず
消
(
き
)
え
失
(
う
)
せて
了
(
しま
)
つた。
515
「
最早
(
もはや
)
大丈夫
(
だいぢやうぶ
)
明晩
(
みやうばん
)
からは
何事
(
なにごと
)
も
無
(
な
)
かるべし」と
言
(
い
)
へば
主人
(
しゆじん
)
を
始
(
はじ
)
め
並
(
なみ
)
居
(
ゐ
)
る
一統
(
いつとう
)
の
人々
(
ひとびと
)
は
非常
(
ひじやう
)
に
喜
(
よろこ
)
んで
礼
(
れい
)
を
述
(
の
)
べ
勧
(
すす
)
めらるるままに
一両日
(
いちりやうじつ
)
足
(
あし
)
を
停
(
とど
)
むることとはなつた。
516
果
(
はた
)
してその
翌晩
(
よくばん
)
からは
何事
(
なにごと
)
もなくなつたので
男装坊
(
なんさうばう
)
は
止
(
とど
)
むる
家人
(
かじん
)
に、
517
「
急
(
いそ
)
ぎの
旅
(
たび
)
なれば」と
別
(
わか
)
れを
告
(
つ
)
ぐるや
主人
(
しゆじん
)
は「
名残
(
なごり
)
惜
(
をし
)
き
事
(
こと
)
ながら
最早
(
もはや
)
是非
(
ぜひ
)
もなし、
518
些少
(
させう
)
ながら」とて
数々
(
かずかず
)
の
進物
(
しんもの
)
を
贈
(
おく
)
らうとしたが、
519
「
拙僧
(
せつそう
)
は
身
(
み
)
に
深
(
ふか
)
き
願望
(
ぐわんまう
)
あつて、
520
諸国
(
しよこく
)
を
廻
(
まは
)
るもの
一切
(
いつさい
)
施
(
ほどこ
)
し
物
(
もの
)
は
受
(
う
)
け
難
(
がた
)
し。
521
去
(
さ
)
り
乍
(
なが
)
ら
折角
(
せつかく
)
の
御厚志
(
ごこうし
)
を
無
(
む
)
にするも
何
(
な
)
んとやら、
522
又
(
また
)
一
(
ひと
)
つには
病人
(
びやうにん
)
より
離
(
はな
)
れた
鳥
(
とり
)
どもは
此
(
こ
)
のままにして
置
(
お
)
いてはさぞや
迷
(
まよ
)
ひ
居
(
を
)
るならんも
心許
(
こころもと
)
なし、
523
今
(
いま
)
一
(
ひと
)
つの
願
(
ねが
)
ひあり、
524
是
(
これ
)
より
東
(
ひがし
)
に
当
(
あた
)
つて
一里
(
いちり
)
斗
(
ばか
)
りの
所
(
ところ
)
にある
竹林
(
ちくりん
)
の
中
(
なか
)
へ
一
(
ひと
)
つの
御堂
(
みだう
)
を
建立
(
こんりふ
)
し、
525
額
(
がく
)
に
鳥林寺
(
てうりんじ
)
と
銘
(
めい
)
を
打
(
う
)
ち
給
(
たま
)
はらば
幸
(
さいはひ
)
なり」と
言
(
い
)
ひ
残
(
のこ
)
してから
家人
(
かじん
)
に
再
(
ふたた
)
び
別
(
わか
)
れを
告
(
つ
)
げて
道
(
みち
)
を
急
(
いそ
)
いだ。
526
それより
男装坊
(
なんさうばう
)
は
二名
(
ふたな
)
の
嶋
(
しま
)
へ
渡
(
わた
)
り
数々
(
かずかず
)
の
奇瑞
(
きずゐ
)
を
現
(
あら
)
はし
九州
(
きうしう
)
に
渡
(
わた
)
つて
筑紫
(
つくし
)
の
国
(
くに
)
を
普
(
あまね
)
く
廻
(
まは
)
り
所々
(
ところどころ
)
にて
病人
(
びやうにん
)
を
救
(
すく
)
ひ
或
(
あるひ
)
は
御堂
(
みだう
)
を
建立
(
こんりふ
)
する
事
(
こと
)
数
(
かず
)
知
(
し
)
れず
再
(
ふたた
)
び
本土
(
ほんど
)
に
帰
(
かへ
)
り
熊野
(
くまの
)
に
詣
(
まう
)
で
三七日間
(
さんしちにちかん
)
の
祈願
(
きぐわん
)
を
篭
(
こ
)
め
第二回目
(
だいにくわいめ
)
の
諸国
(
しよこく
)
行脚
(
あんぎや
)
に
出
(
で
)
た。
527
男装坊
(
なんさうばう
)
熊野
(
くまの
)
を
後
(
あと
)
に
紀伊
(
きい
)
の
国
(
くに
)
528
高野
(
かうや
)
の
山
(
やま
)
に
詣
(
まう
)
でてぞ
行
(
ゆ
)
く。
529
高野山
(
かうやさん
)
下
(
くだ
)
れば
麓
(
ふもと
)
の
道
(
みち
)
の
傍
(
べ
)
に
530
山伏
(
やまぶし
)
ありていどみ
懸
(
かか
)
れり。
531
男装坊
(
なんさうばう
)
山伏僧
(
やまぶしそう
)
の
妖術
(
えうじゆつ
)
を
532
残
(
のこ
)
らず
破
(
やぶ
)
れば
山伏
(
やまぶし
)
謝罪
(
しやざい
)
す。
533
高野山
(
かうやさん
)
あとに
尾由
(
をよし
)
の
村
(
むら
)
に
入
(
い
)
り
534
嘉茂
(
かも
)
のやかたに
露
(
つゆ
)
の
宿
(
やど
)
りす。
535
嘉茂
(
かも
)
の
妻
(
つま
)
奇病
(
きびやう
)
を
救
(
すく
)
ひ
寺
(
てら
)
を
建
(
た
)
て
536
急
(
いそ
)
ぎ
二名
(
ふたな
)
の
嶋
(
しま
)
に
渡
(
わた
)
れり。
537
二名嶋
(
ふたなしま
)
筑紫
(
つくし
)
の
嶋
(
しま
)
を
経巡
(
へめぐ
)
りて
538
奇蹟
(
きせき
)
現
(
あら
)
はし
衆生
(
しうじやう
)
を
救
(
すく
)
へり。
539
男装坊
(
なんさうばう
)
再
(
ふたた
)
び
熊野
(
くまの
)
に
引
(
ひ
)
き
返
(
かへ
)
し
540
三七日
(
さんしちにち
)
の
荒行
(
あらぎやう
)
を
為
(
な
)
す。
541
男装坊
(
なんさうばう
)
爰
(
ここ
)
より
二度目
(
にどめ
)
の
国々
(
くにぐに
)
の
542
行脚
(
あんぎや
)
の
旅
(
たび
)
に
立
(
た
)
ち
出
(
い
)
でにけり。
543
男装坊
(
なんさうばう
)
は
弥勒
(
みろく
)
出世
(
しゆつせ
)
大願
(
たいぐわん
)
の
為
(
ため
)
に
国々
(
くにぐに
)
里々
(
さとざと
)
津々
(
つづ
)
浦々
(
うらうら
)
遣
(
のこ
)
る
隈
(
くま
)
なく
修行
(
しうぎやう
)
しつつ
十三才
(
じふさんさい
)
の
頃
(
ころ
)
より
七十六歳
(
しちじふろくさい
)
に
至
(
いた
)
るまで
前後
(
ぜんご
)
を
通
(
つう
)
じて
殆
(
ほと
)
んど
六十四年間
(
ろくじふよねんかん
)
休
(
やす
)
みなく
歩
(
ある
)
き
続
(
つづ
)
けたがこの
間
(
かん
)
熊野
(
くまの
)
三社
(
さんしや
)
に
額
(
ぬかづ
)
きし
事
(
こと
)
三十二回
(
さんじふにくわい
)
に
及
(
およ
)
んだ。
544
そして
恰度
(
ちやうど
)
三十三回目
(
さんじふさんくわいめ
)
の
熊野
(
くまの
)
詣
(
まう
)
での
時
(
とき
)
三七日
(
さんしちにち
)
社前
(
しやぜん
)
に
通夜
(
つうや
)
した
満願
(
まんぐわん
)
の
夜
(
よる
)
思
(
おも
)
はずとろとろと
社前
(
しやぜん
)
に
微睡
(
びすゐ
)
した。
545
と
思
(
おも
)
ふと
夢
(
ゆめ
)
とも
現
(
うつ
)
つとも
判
(
わか
)
らず
神素盞嗚神
(
かむすさのをのかみ
)
威容
(
ゐよう
)
厳然
(
げんぜん
)
たる
三柱
(
みはしら
)
の
神
(
かみ
)
を
従
(
したが
)
へ
現
(
あら
)
はれ
給
(
たま
)
ひ
神々
(
かうがう
)
しいその
中
(
なか
)
の
一柱神
(
ひとはしらがみ
)
が「
如何
(
いか
)
に
男装坊
(
なんさうばう
)
、
546
汝
(
なんぢ
)
母
(
はは
)
に
孝信
(
かうしん
)
として
弥勒
(
みろく
)
の
出世
(
しゆつせ
)
を
願
(
ねが
)
ふ
事
(
こと
)
不便
(
ふびん
)
なり。
547
汝
(
なんぢ
)
は
此
(
こ
)
の
草鞋
(
わらぢ
)
を
穿
(
は
)
き
此
(
こ
)
の
杖
(
つゑ
)
の
向
(
む
)
くままに
山々
(
やまやま
)
峰々
(
みねみね
)
を
凡
(
すべ
)
て
巡
(
めぐ
)
るべし。
548
此
(
こ
)
の
草鞋
(
わらぢ
)
の
断
(
き
)
れたる
所
(
ところ
)
を
汝
(
なんぢ
)
の
住家
(
すみか
)
と
思
(
おも
)
ひそこにて
弥勒
(
みろく
)
三会
(
さんゑ
)
の
神人
(
しんじん
)
が
出世
(
しゆつせい
)
を
待
(
ま
)
つべし」と
言
(
い
)
ひ
残
(
のこ
)
し
神姿
(
しんし
)
は
忽
(
たちま
)
ち
掻
(
か
)
き
消
(
け
)
す
如
(
ごと
)
くに
隠
(
かく
)
れ
給
(
たま
)
ふた。
549
男装坊
(
なんさうばう
)
は
夢
(
ゆめ
)
より
醒
(
さ
)
めて
自分
(
じぶん
)
の
枕頭
(
ちんとう
)
を
見
(
み
)
れば
鉄
(
てつ
)
で
造
(
つく
)
れる
草鞋
(
わらぢ
)
と
荊
(
いばら
)
の
杖
(
つゑ
)
が
一本
(
いつぽん
)
置
(
お
)
かれてあつた。
550
男装坊
(
なんさうばう
)
は
蘇生
(
そせい
)
歓喜
(
くわんき
)
の
涙
(
なみだ
)
にむせび
乍
(
なが
)
ら、
551
「アア
有難
(
ありがた
)
し
有難
(
ありがた
)
し
我
(
わ
)
が
大願
(
たいぐわん
)
も
成就
(
じやうじゆ
)
せり」と
百度
(
ひやくど
)
千度
(
せんど
)
社前
(
しやぜん
)
に
額
(
ぬかづ
)
きて
感謝
(
かんしや
)
を
為
(
な
)
し、
552
「さらば
熊野
(
くまの
)
大神
(
おほかみ
)
の
神命
(
しんめい
)
に
従
(
したが
)
ひ
国々
(
くにぐに
)
の
山々
(
やまやま
)
峰々
(
みねみね
)
を
跋渉
(
ばつせふ
)
せん」と
熊野
(
くまの
)
三社
(
さんしや
)
を
始
(
はじ
)
め
日本
(
にほん
)
全国
(
ぜんこく
)
の
高山
(
かうざん
)
秀嶽
(
しうがく
)
殆
(
ほと
)
んど
足跡
(
そくせき
)
を
印
(
いん
)
せざる
所
(
ところ
)
無
(
な
)
きまでに
到
(
いた
)
つたのである。
553
男装坊
(
なんさうばう
)
前後
(
ぜんご
)
六十四年間
(
ろくじふよねんかん
)
554
休
(
やす
)
まず
日本
(
にほん
)
全土
(
ぜんど
)
を
巡
(
めぐ
)
りぬ。
555
熊野社
(
くまのしや
)
に
三十三回
(
さんじふさんくわい
)
参詣
(
さんけい
)
し
556
鉄
(
てつ
)
の
草鞋
(
わらぢ
)
と
杖
(
つゑ
)
を
貰
(
もら
)
へり。
557
男装坊
(
なんさうばう
)
弥勒
(
みろく
)
出世
(
しゆつせい
)
の
大願
(
たいぐわん
)
の
558
成就
(
じやうじゆ
)
したりと
嬉
(
うれ
)
し
涙
(
なみだ
)
す。
559
瑞御霊
(
みづみたま
)
三柱神
(
みはしらがみ
)
と
現
(
あら
)
はれて
560
男装坊
(
なんさうばう
)
の
先途
(
せんと
)
を
示
(
しめ
)
さる。
561
それより
男装坊
(
なんさうばう
)
は
日本
(
にほん
)
全洲
(
ぜんしう
)
の
霊山
(
れいざん
)
霊地
(
れいち
)
と
名
(
な
)
のつく
箇所
(
かしよ
)
は
残
(
のこ
)
らず
巡錫
(
じゆんしやく
)
し
名山
(
めいざん
)
巨刹
(
きよさつ
)
に
足
(
あし
)
を
止
(
とど
)
めて
道法礼節
(
だうはふれいせつ
)
を
説
(
と
)
き、
562
各地
(
かくち
)
の
雲児水弟
(
うんじすゐてい
)
の
草庵
(
さうあん
)
を
訪
(
と
)
ひて
法
(
はふ
)
を
教
(
をし
)
へ
且
(
か
)
つ
研究
(
けんきう
)
し、
563
時々
(
ときどき
)
は
病
(
やまひ
)
に
悩
(
なや
)
めるを
救
(
すく
)
ひ
不善者
(
ふぜんしや
)
に
改過遷善
(
かいくわせんぜん
)
の
道
(
みち
)
を
授
(
さづ
)
けて
功徳
(
くどく
)
を
積
(
つ
)
み
累
(
かさ
)
ね
乍
(
なが
)
ら
北方
(
ほくぱう
)
の
天
(
てん
)
を
望
(
のぞ
)
んで
行脚
(
あんぎや
)
の
旅
(
たび
)
を
十幾年間
(
じふいくねんかん
)
続
(
つづ
)
けたる
為
(
ため
)
、
564
鬚髯
(
しゆぜん
)
に
霜
(
しも
)
を
交
(
まじ
)
ゆる
年配
(
ねんぱい
)
となり、
565
幾十年
(
いくじふねん
)
振
(
ぶ
)
りにて
故郷
(
こきやう
)
の
永福寺
(
えいふくじ
)
に
帰
(
かへ
)
つてみれば、
566
悲
(
かな
)
しきかも
恩師
(
おんし
)
も
両親
(
りやうしん
)
も
既
(
すで
)
に
已
(
すで
)
に
他界
(
たかい
)
せし
後
(
あと
)
にて、
567
只
(
ただ
)
徒
(
いたづ
)
らに
墓石
(
はかいし
)
に
秋風
(
あきかぜ
)
が
咽
(
むせ
)
んでゐるのみであつた。
568
男装坊
(
なんさうばう
)
は
今更
(
いまさら
)
の
如
(
ごと
)
くに
諸行無常
(
しよぎやうむじやう
)
を
感
(
かん
)
じ
己
(
おの
)
が
不孝
(
ふかう
)
を
鳴謝
(
めいしや
)
し、
569
懇
(
ねんごろ
)
に
菩提
(
ぼだい
)
を
弔
(
とむら
)
ひ
又
(
また
)
もや
熊野
(
くまの
)
大神
(
おほかみ
)
の
御誓言
(
ごせいごん
)
もあるところより
何時
(
いつ
)
迄
(
まで
)
も
故郷
(
こきやう
)
に
脚
(
あし
)
を
停
(
とど
)
むる
訳
(
わけ
)
にもゆかなかつた。
570
日
(
ひ
)
の
本
(
もと
)
のあらゆる
霊山
(
れいざん
)
霊場
(
れいぢやう
)
に
571
巡錫
(
じゆんしやく
)
なして
道
(
みち
)
を
説
(
と
)
きつつ。
572
雲水
(
うんすゐ
)
の
徒
(
ともがら
)
等
(
など
)
に
法
(
のり
)
の
道
(
みち
)
573
伝
(
つた
)
へ
伝
(
つた
)
へて
諸国
(
しよこく
)
に
行脚
(
あんぎや
)
す。
574
いたづきに
悩
(
なや
)
める
数多
(
あまた
)
の
人々
(
ひとびと
)
を
575
救
(
すく
)
ひつ
巡
(
めぐ
)
りし
男装坊
(
なんさうばう
)
かな。
576
数十年
(
すうじふねん
)
行脚
(
あんぎや
)
終
(
をは
)
りてふる
里
(
さと
)
に
577
帰
(
かへ
)
れば
恩師
(
おんし
)
も
父母
(
ふぼ
)
も
坐
(
ゐ
)
まさず。
578
師
(
し
)
の
坊
(
ばう
)
やたらちねの
墓
(
はか
)
にしくしくと
579
詣
(
まうで
)
て
見
(
み
)
れば
咽
(
むせ
)
ぶ
秋風
(
あきかぜ
)
。
580
世
(
よ
)
の
中
(
なか
)
の
諸行無常
(
しよぎやうむじやう
)
を
今更
(
いまさら
)
に
581
感
(
かん
)
じて
師父
(
しふ
)
の
菩提
(
ぼだい
)
弔
(
とむら
)
ふ。
582
三熊野
(
みくまの
)
の
神
(
かみ
)
の
誓
(
ちか
)
ひを
果
(
はた
)
さむと
583
男装坊
(
なんさうばう
)
は
故郷
(
ふるさと
)
を
立
(
た
)
つ。
584
陸奥
(
むつ
)
の
国人
(
くにびと
)
たちより
大蛇
(
をろち
)
が
棲
(
す
)
めりと
怖
(
おそ
)
れられ
人
(
ひと
)
の
子
(
こ
)
一人
(
ひとり
)
近寄
(
ちかよ
)
りしことの
無
(
な
)
き
赤倉山
(
あかくらやま
)
、
585
言分山
(
ことわけやま
)
、
586
八甲田山
(
はつかふださん
)
などへ
登
(
のぼ
)
つて
悪魔
(
あくま
)
を
言向和
(
ことむけやは
)
さむと、
587
又
(
また
)
もやその
年
(
とし
)
の
晩秋
(
ばんしう
)
風
(
かぜ
)
吹
(
ふ
)
き
荒
(
すさ
)
ぶ
山野
(
さんや
)
を
行脚
(
あんぎや
)
の
旅
(
たび
)
に
立
(
た
)
ち
出
(
で
)
づることとした。
588
降
(
ふ
)
りに
降
(
ふ
)
りしく
紅葉
(
もみぢ
)
の
雨
(
あめ
)
を
菅
(
すげ
)
の
小笠
(
をがさ
)
に
受
(
う
)
け、
589
積
(
つも
)
る
山路
(
やまぢ
)
の
落葉
(
おちば
)
を
鉄
(
かね
)
の
草鞋
(
わらぢ
)
に
掻
(
か
)
き
分
(
わ
)
け
悲
(
かな
)
しげに
鳴
(
な
)
く
鹿
(
しか
)
の
声
(
こゑ
)
を
遠近
(
をちこち
)
の
山
(
やま
)
の
尾
(
を
)
の
上
(
へ
)
や
渓間
(
たにま
)
に
聴
(
き
)
きつつ
西
(
にし
)
へ
西
(
にし
)
へと
道
(
みち
)
もなき
嶮山
(
けんざん
)
を
岩根
(
いはね
)
木根
(
きね
)
踏
(
ふ
)
みさくみつつ
深山
(
みやま
)
に
別
(
わ
)
け
入
(
い
)
り、
590
或
(
あ
)
る
夜
(
よ
)
のこと
岩窟内
(
がんくつない
)
に
一夜
(
いちや
)
の
露
(
つゆ
)
の
宿
(
やど
)
りせんものと
岩間
(
いはま
)
を
漏
(
も
)
れくる
燈火
(
ともしび
)
を
便
(
たよ
)
りに
荊棘
(
いばら
)
をはつはつ
分
(
わ
)
けて
辿
(
たど
)
りつき
見
(
み
)
ればコハそも
如何
(
いか
)
に
怪
(
あや
)
しとも
怪
(
あや
)
し
花
(
はな
)
に
嘘
(
うそ
)
[
*
「嘘」…底本では「啌」。
]
つく
妙齢
(
めうれい
)
の
美人
(
びじん
)
が
現
(
あらは
)
れて、
591
男装坊
(
なんさうばう
)
の
訪
(
と
)
ひくることを
予期
(
よき
)
してゐたかの
様
(
やう
)
に
満面
(
まんめん
)
に
笑
(
ゑ
)
みを
湛
(
たた
)
えて
座
(
ざ
)
に
請
(
しやう
)
じ
入
(
い
)
れた。
592
「あな
嬉
(
うれ
)
しや
懐
(
なつか
)
しや、
593
御坊
(
ごばう
)
はその
名
(
な
)
を
男装坊
(
なんさうばう
)
とは
申
(
まを
)
さざるや。
594
妾
(
わらは
)
は
過
(
す
)
ぐる
年
(
とし
)
観相術
(
くわんさうじゆつ
)
に
妙
(
めう
)
を
得
(
え
)
たる
行者
(
ぎやうじや
)
の
言
(
げん
)
によりて、
595
妾
(
わらは
)
が
前生
(
ぜんせい
)
にて
愛
(
いつ
)
くしみ
愛
(
いつく
)
しまれたる
背
(
せ
)
の
君
(
きみ
)
たりし
人
(
ひと
)
は
現代
(
げんだい
)
にも
再生
(
さいせい
)
し
男装坊
(
なんさうばう
)
と
名
(
な
)
のり、
596
諸国
(
しよこく
)
行脚
(
あんぎや
)
の
末
(
すゑ
)
今年
(
ことし
)
の
今宵
(
こよひ
)
この
山中
(
さんちう
)
に
来
(
き
)
たらるべきを
聴
(
き
)
き
知
(
し
)
り、
597
幾歳
(
いくとせ
)
の
前
(
まへ
)
より
此
(
こ
)
の
附近
(
ふきん
)
の
山中
(
さんちう
)
に
入
(
い
)
りて
貴坊
(
きばう
)
に
再会
(
さいくわい
)
すべき
今日
(
けふ
)
の
佳
(
よ
)
き
日
(
ひ
)
を
指折
(
ゆびを
)
り
数
(
かぞ
)
へひたすらに
待
(
ま
)
ち
申
(
まを
)
す
者
(
もの
)
なり。
598
願
(
ねが
)
はくは
妾
(
わらは
)
の
願
(
ねが
)
ひを
容
(
い
)
れて
今生
(
こんじやう
)
にて
妹背
(
いもせ
)
の
契
(
ちぎ
)
りを
結
(
むす
)
び、
599
我身
(
わがみ
)
の
背
(
せ
)
の
君
(
きみ
)
と
成
(
な
)
らせ
給
(
たま
)
へ」と
言
(
い
)
ふにぞ、
600
男装坊
(
なんさうばう
)
は
大
(
おほい
)
に
驚
(
おどろ
)
き、
601
「
我身
(
わがみ
)
は
三熊野
(
みくまの
)
の
大神
(
おほかみ
)
の
御霊示
(
ごれいじ
)
に
由
(
よ
)
つて
末
(
すゑ
)
に
主
(
ぬし
)
となるべき
霊地
(
れいち
)
を
探査
(
たんさ
)
して
難行
(
なんぎやう
)
苦業
(
くげう
)
の
旅
(
たび
)
を
続
(
つづ
)
くるもの
故
(
ゆゑ
)
、
602
如何
(
いか
)
に
御身
(
おんみ
)
の
願
(
ねが
)
ひなればとて、
603
一身
(
いつしん
)
の
安逸
(
あんいつ
)
を
貪
(
むさぼ
)
る
為
(
ため
)
に
大神
(
おほかみ
)
への
誓
(
ちか
)
ひを
破
(
やぶ
)
る
訳
(
わけ
)
にはゆかぬ。
604
自分
(
じぶん
)
は
実際
(
じつさい
)
女身
(
によしん
)
の
男装者
(
だんさうしや
)
である」と、
605
懇々
(
こんこん
)
説示
(
せつじ
)
して
心底
(
しんてい
)
より
諦
(
あきら
)
めさせようと
努力
(
どりよく
)
はしたが、
606
恋
(
こひ
)
の
闇路
(
やみぢ
)
に
迷
(
まよ
)
つた
女性
(
ぢよせい
)
は
到底
(
たうてい
)
素直
(
すなほ
)
に
聴
(
き
)
き
入
(
い
)
るべき
気配
(
けはい
)
もなく、
607
首
(
くび
)
を
左右
(
さいう
)
に
振
(
ふ
)
り
涙
(
なみだ
)
をはらはらと
流
(
なが
)
し
乍
(
なが
)
ら「
御坊
(
ごばう
)
よ
譬
(
たと
)
へ
女身
(
によしん
)
なりとて
出家
(
しゆつけ
)
なりとて
同
(
おな
)
じく
人間
(
にんげん
)
と
生
(
うま
)
れ
給
(
たま
)
ひし
上
(
うへ
)
は
血潮
(
ちしほ
)
の
体内
(
たいない
)
に
流
(
なが
)
れざる
理由
(
いはれ
)
なし。
608
よしやよし
三熊野
(
みくまの
)
の
大神
(
おほかみ
)
への
誓
(
ちか
)
ひはあるとは
言
(
い
)
へ
左様
(
さやう
)
なる
味気
(
あぢけ
)
なき『枯木倚寒巌三冬無暖気』
[
※
「枯木倚寒巌三冬無暖気」…「枯木(こぼく)寒巌(かんがん)に倚(よ)って三冬(さんとう)暖気(だんき)無し」と読む。「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という禅の公案に出てくる一文。冷淡で近づきにくい態度を指す「枯木寒巌(こぼくかんがん)」という熟語で知られる。
]
的
(
てき
)
な
生涯
(
しやうがい
)
を
送
(
おく
)
られては
人間
(
にんげん
)
として
現世
(
げんせい
)
に
生
(
うま
)
れたる
楽
(
たの
)
しみは
何
(
いづ
)
れに
有
(
あ
)
りや。
609
妾
(
わらは
)
が
庵
(
いほり
)
は
斯
(
かく
)
の
如
(
ごと
)
き
見
(
み
)
るもいぶせき
岩屋
(
いはや
)
なれど、
610
前生
(
ぜんせい
)
にありし
妹背
(
いもせ
)
の
深
(
ふか
)
き
契
(
ちぎ
)
りを
今生
(
こんじやう
)
に
蘇
(
よみが
)
へらせて
最
(
いと
)
も
愛
(
いと
)
しき
君
(
きみ
)
と
生活
(
なりはひ
)
を
為
(
な
)
すならば、
611
たとへ
木枯
(
こがらし
)
すさぶ
晩秋
(
ばんしう
)
の
空
(
そら
)
も
雪
(
ゆき
)
降
(
ふ
)
り
積
(
つ
)
もる
深山
(
みやま
)
の
奥
(
おく
)
の
隠
(
かく
)
れ
家
(
が
)
も
我家
(
わがや
)
のみは
春風駘蕩
(
しゆんぷうたいたう
)
として
吹
(
ふ
)
き
来
(
き
)
たり、
612
暖気
(
だんき
)
室内
(
しつない
)
に
充
(
み
)
ち
満
(
み
)
ちて
憂
(
う
)
き
世
(
よ
)
の
移
(
うつ
)
り
変
(
かは
)
りも
他所
(
よそ
)
に
我
(
わ
)
が
家
(
や
)
のみは
永久
(
とこしへ
)
に
春
(
はる
)
なるべきに。
613
この
憐
(
あはれ
)
むべき
女性
(
ぢよせい
)
の
至誠
(
しせい
)
が
木石
(
ぼくせき
)
ならぬ
肉身
(
にくしん
)
を
持
(
も
)
つ
御坊
(
ごばう
)
の
胸
(
むね
)
には
透徹
(
とうてつ
)
せざるか。
614
愛
(
いと
)
しの
御坊
(
ごばう
)
よ、
615
その
神
(
かみ
)
への
誓
(
ちか
)
ひとやらを
放擲
(
はうてき
)
して
妾
(
わらは
)
の
主人
(
あるじ
)
となり
此
(
こ
)
の
岩屋
(
いはや
)
に
永久
(
えいきう
)
に
留
(
とど
)
まり
給
(
たま
)
へ」と
衣
(
ころも
)
の
袖
(
そで
)
にまつはり
付
(
つ
)
く
様
(
さま
)
は
殆
(
ほと
)
んど
仏弟子
(
ぶつでし
)
阿難
(
あなん
)
尊者
(
そんじや
)
に
恋
(
こひ
)
せし
旃陀羅女
(
せんだらめ
)
の
思
(
おも
)
ひも
斯
(
かく
)
やとばかり
嬌態
(
けうたい
)
を
造
(
つく
)
り
春怨
(
しゆんゑん
)
綿々
(
めんめん
)
として
泣
(
な
)
き
口説
(
くど
)
くのである。
616
男装坊
(
なんさうばう
)
には
夢
(
ゆめ
)
にも
知
(
し
)
らぬ
今
(
いま
)
の
意外
(
いぐわい
)
の
出来事
(
できごと
)
に
当惑
(
たうわく
)
し、
617
最初
(
さいしよ
)
の
間
(
あひだ
)
は
手
(
て
)
を
拱
(
こまね
)
いて
黙然
(
もくぜん
)
たりしが、
618
我
(
わ
)
が
膝
(
ひざ
)
に
泣
(
な
)
き
崩
(
くづ
)
れ
荒波
(
あらなみ
)
立
(
た
)
たせて
悲
(
かな
)
しみなげく
女性
(
ぢよせい
)
のしほらしき
艶容
(
えんよう
)
を
見
(
み
)
ては、
619
人性
(
にんしやう
)
を
持
(
も
)
ちて
生
(
うま
)
れ
出
(
い
)
でたる
男装坊
(
なんさうばう
)
、
620
たとへ
自分
(
じぶん
)
は
女体
(
によたい
)
とは
謂
(
い
)
へ
黙殺
(
もくさつ
)
することは
出来
(
でき
)
ない。
621
殊
(
こと
)
に
愛
(
あい
)
の
神
(
かみ
)
仁
(
じん
)
の
仏
(
ほとけ
)
の
化身
(
けしん
)
なる
男装坊
(
なんさうばう
)
は
人
(
ひと
)
を
憐
(
あはれ
)
む
情
(
じやう
)
の
人
(
ひと
)
一倍
(
いちばい
)
深
(
ふか
)
い
身
(
み
)
にとつては
如何
(
いかん
)
とも
之
(
これ
)
をすることが
出来
(
でき
)
ない。
622
過去
(
くわこ
)
数十年間
(
すうじふねんかん
)
の
己
(
おの
)
が
修行
(
しうぎやう
)
を
破
(
やぶ
)
る
悪魔
(
あくま
)
として
気強
(
きづよ
)
く
五臓
(
ござう
)
の
奥
(
おく
)
の
間
(
あひだ
)
に
押込
(
おしこ
)
めて
置
(
お
)
いた
愛
(
あい
)
の
戒律
(
かいりつ
)
の
一念
(
いちねん
)
が
朝日
(
あさひ
)
にあたる
露
(
つゆ
)
の
如
(
ごと
)
くに
解
(
と
)
け
初
(
そ
)
めて、
623
遂
(
つい
)
には
女性
(
ぢよせい
)
の
情
(
なさけ
)
にほだされ
大神
(
おほかみ
)
への
誓
(
ちか
)
ひを
破
(
やぶ
)
らんとした
一利那
(
いつせつな
)
、
624
忽
(
たちま
)
ち
脳裏
(
なうり
)
に
電光
(
でんくわう
)
の
如
(
ごと
)
くに
閃
(
ひら
)
めき
渡
(
わた
)
つたのは
今日
(
けふ
)
迄
(
まで
)
片時
(
かたとき
)
も
忘
(
わす
)
れられなかつた
三熊野
(
みくまの
)
大神
(
おほかみ
)
が
御霊示
(
ごれいじ
)
の
時
(
とき
)
の
光景
(
くわうけい
)
の
荘厳
(
さうごん
)
さであつた。
625
そこで
男装坊
(
なんさうばう
)
は
此処
(
ここ
)
にこの
儘
(
まま
)
夜
(
よ
)
の
明
(
あ
)
くるを
待
(
ま
)
たば
森羅万象
(
しんらばんしやう
)
を
焼
(
や
)
き
盡
(
つく
)
さねば
止
(
や
)
まぬ
底
(
てい
)
の
女性
(
ぢよせい
)
の
熱情
(
ねつじやう
)
にほだされ
永年
(
ながねん
)
の
望
(
のぞ
)
み、
626
固
(
かた
)
くなりし
信念
(
しんねん
)
も
溶
(
と
)
かされて
遂
(
つい
)
には
大神
(
おほかみ
)
への
誓
(
ちか
)
ひを
破
(
やぶ
)
り
大罪
(
だいざい
)
を
重
(
かさ
)
ぬることになつて
了
(
しま
)
ふ。
627
女性
(
ぢよせい
)
には
気
(
き
)
の
毒
(
どく
)
ではあるが
一
(
ひと
)
つ
心
(
こころ
)
を
鬼
(
おに
)
とし
蛇
(
じや
)
と
為
(
な
)
して
逃
(
に
)
げ
出
(
だ
)
すより
他
(
ほか
)
に
途
(
みち
)
も
方法
(
はうはふ
)
もなしと
固
(
かた
)
く
握
(
にぎ
)
り
占
(
し
)
めてゐる
美女
(
びぢよ
)
の
手
(
て
)
から
法衣
(
ほふえ
)
の
袖
(
そで
)
を
振
(
ふ
)
り
離
(
はな
)
し、
628
泣
(
な
)
き
叫
(
さけ
)
びつつ
跡
(
あと
)
追
(
お
)
つかけ
来
(
き
)
たる
可憐
(
かれん
)
な
女性
(
ぢよせい
)
の
声
(
こゑ
)
を
後
(
あと
)
に
一目散
(
いちもくさん
)
に
深
(
ふか
)
き
闇
(
やみ
)
の
山中
(
さんちう
)
へ
生命
(
いのち
)
からがら
逃
(
に
)
げ
込
(
こ
)
んで
了
(
しま
)
ひやつと
一息
(
ひといき
)
をつくのであつた。
629
それより
又
(
また
)
もや
幾日
(
いくにち
)
幾夜
(
いくよ
)
を
重
(
かさ
)
ねて
上
(
うへ
)
へ
上
(
うへ
)
へと
登
(
のぼ
)
り
詰
(
つ
)
め、
630
ある
山
(
やま
)
の
頂
(
いただき
)
に
登
(
のぼ
)
りて
見
(
み
)
れば
意外
(
いぐわい
)
にもかかる
深山
(
しんざん
)
の
中
(
なか
)
にあるべしとも
思
(
おも
)
はれぬ
宏大
(
くわいだい
)
なる
湖水
(
こすゐ
)
が
目
(
め
)
の
前
(
まへ
)
に
展開
(
てんかい
)
してゐた。
631
男装坊
(
なんさうばう
)
は
驚
(
おどろ
)
き
且
(
か
)
つ
喜
(
よろこ
)
び
湖面
(
こめん
)
や
四囲
(
しゐ
)
の
山並
(
やまなみ
)
の
美
(
うつく
)
しい
風光
(
ふうくわう
)
に
見惚
(
みと
)
れてゐると、
632
不思議
(
ふしぎ
)
なるかな
足
(
あし
)
に
穿
(
うが
)
ちたる
鉄
(
かね
)
の
草鞋
(
わらぢ
)
の
緒
(
を
)
がふつつりと
切
(
き
)
れた。
633
次
(
つぎ
)
に
手
(
て
)
に
持
(
も
)
つた
錫杖
(
しやくじやう
)
が
忽
(
たちま
)
ち
三段
(
さんだん
)
に
折
(
を
)
れて
見
(
み
)
る
見
(
み
)
る
木
(
こ
)
の
葉
(
は
)
の
如
(
ごと
)
く
天
(
てん
)
に
飛
(
と
)
び
上
(
あ
)
がり
大湖
(
たいこ
)
の
水面
(
すいめん
)
に
落
(
お
)
ちて
了
(
しま
)
つた。
634
男装坊
(
なんさうばう
)
は
思
(
おも
)
ふやう、
635
扨
(
さ
)
ては
幾十年
(
いくじふねん
)
の
間
(
あひだ
)
夢寐
(
むび
)
にも
忘
(
わす
)
れざりし
吾
(
わ
)
が
成仏
(
じやうぶつ
)
の
地
(
ち
)
、
636
永住
(
えいぢゆう
)
の
棲家
(
すみか
)
とは
此処
(
ここ
)
のことであつたか。
637
かかる
風光
(
ふうくわう
)
明媚
(
みやうび
)
なる
大湖
(
たいこ
)
が
吾
(
わ
)
が
棲家
(
すみか
)
とは
実
(
げ
)
に
有難
(
ありがた
)
や
辱
(
かたじ
)
けなやと
天
(
てん
)
を
拝
(
はい
)
し
地
(
ち
)
を
拝
(
はい
)
し
八百万
(
やほよろづ
)
の
神々
(
かみがみ
)
を
拝脆
(
はいき
)
し、
638
それよりすぐさま
湖畔
(
こはん
)
に
降
(
くだ
)
りて
之
(
これ
)
を
一周
(
いつしう
)
し
吾
(
わ
)
が
意
(
い
)
に
満
(
み
)
てる
休屋
(
やすみや
)
附近
(
ふきん
)
の
浜辺
(
はまべ
)
に
地
(
ち
)
を
相
(
さう
)
し、
639
笈
(
おひ
)
をおろして
旅装
(
りよさう
)
を
解
(
と
)
き
幾十年
(
いくじふねん
)
未
(
いま
)
だ
嘗
(
かつ
)
て
味
(
あぢ
)
ははなかつたところの
暢々
(
のびのび
)
した
気分
(
きぶん
)
となり
安堵
(
あんど
)
の
胸
(
むね
)
を
撫
(
な
)
でおろすのであつた。
640
大蛇
(
をろち
)
すむ
八甲田山
(
はつかふださん
)
その
外
(
ほか
)
の
641
深山
(
しんざん
)
高峰
(
かうほう
)
探
(
さぐ
)
る
男装坊
(
なんさうばう
)
かな。
642
雨
(
あめ
)
にそぼち
寒風
(
かんぷう
)
に
吹
(
ふ
)
かれて
男装坊
(
なんさうばう
)
は
643
修行
(
しうぎやう
)
のために
又
(
また
)
行脚
(
あんぎや
)
なす。
644
くろかねの
草鞋
(
わらぢ
)
うがちて
山川
(
やまかは
)
を
645
跋渉
(
ばつせふ
)
修行
(
しうぎやう
)
の
男装坊
(
なんさうばう
)
かな。
646
深山
(
しんざん
)
の
岩間
(
いはま
)
の
蔭
(
かげ
)
の
灯影
(
ほかげ
)
見
(
み
)
て
647
訪
(
と
)
へば
不思議
(
ふしぎ
)
や
美女
(
びぢよ
)
一人
(
ひとり
)
棲
(
す
)
める。
648
男装坊
(
なんさうばう
)
山
(
やま
)
の
美人
(
びじん
)
に
恋
(
こひ
)
されて
649
神慮
(
しんりよ
)
を
恐
(
おそ
)
れ
夜暗
(
よやみ
)
に
逃
(
に
)
げ
出
(
だ
)
す。
650
熱烈
(
ねつれつ
)
な
美人
(
びじん
)
の
恋
(
こひ
)
を
跳
(
は
)
ねつけて
651
又
(
また
)
山
(
やま
)
に
逃
(
に
)
げたり
男装坊師
(
なんさうばうし
)
は。
652
高山
(
かうざん
)
の
尾
(
を
)
の
上
(
へ
)
に
立
(
た
)
ちて
十和田湖
(
とわだこ
)
の
653
水鏡
(
みづかがみ
)
見
(
み
)
て
驚
(
おどろ
)
きし
男装坊
(
なんさうばう
)
。
654
十和田湖
(
とわだこ
)
の
畔
(
ほとり
)
に
鉄
(
かね
)
の
草鞋
(
わらぢ
)
はぷつときれ
655
錫杖
(
しやくじやう
)
三段
(
さんだん
)
に
折
(
を
)
れて
散
(
ち
)
りゆく。
656
三段
(
さんだん
)
に
折
(
を
)
れし
錫杖
(
しやくじやう
)
十和田湖
(
とわだこ
)
の
657
水面
(
すいめん
)
さして
落
(
お
)
ち
沈
(
しづ
)
みたり。
658
十和田湖
(
とわだこ
)
は
永久
(
とは
)
の
棲家
(
すみか
)
と
男装坊
(
なんさうばう
)
659
思
(
おも
)
ひて
心
(
こころ
)
安
(
やす
)
らかになりぬ。
660
それより
男装坊
(
なんさうばう
)
は
湖畔
(
こはん
)
に
立
(
た
)
てる
巨巌
(
きよがん
)
今篭森
(
いまごもりもり
)
の
上
(
うへ
)
に
登
(
のぼ
)
りて
七日
(
なぬか
)
七夜
(
ななよ
)
の
間
(
あひだ
)
不眠
(
ふみん
)
不食
(
ふじき
)
して
座禅
(
ざぜん
)
の
行
(
ぎやう
)
を
修
(
しう
)
し
一心不乱
(
いつしんふらん
)
に
天地
(
てんち
)
神明
(
しんめい
)
に
祈願
(
きぐわん
)
を
凝
(
こ
)
らし
終
(
をは
)
るや
湖水
(
こすゐ
)
に
入定
(
にふじやう
)
して
十和田湖
(
とわだこ
)
の
主
(
ぬし
)
となるべく
決心
(
けつしん
)
し
御占場
(
おうらなひば
)
の
湖辺
(
こへん
)
に
至
(
いた
)
り
岸辺
(
きしべ
)
の
巌上
(
がんじやう
)
に
佇立
(
ちよりつ
)
して
又
(
また
)
もや
神明
(
しんめい
)
に
祈願
(
きぐわん
)
した。
661
時
(
とき
)
恰
(
あたか
)
も
十五夜
(
じふごや
)
の
望月
(
もちづき
)
団々
(
だんだん
)
皎々
(
こうこう
)
たる
明月
(
めいげつ
)
は
東天
(
とうてん
)
に
昇
(
のぼ
)
りて
湖上
(
こじやう
)
に
月影
(
つきかげ
)
を
浮
(
うか
)
べ
大空
(
たいくう
)
一片
(
いつぺん
)
の
雲
(
くも
)
もなく
微風
(
びふう
)
さへ
起
(
おこ
)
らず
水面
(
すいめん
)
は
凍
(
こほ
)
りつきたる
如
(
ごと
)
く
静寂
(
せいじやく
)
であつた。
662
男装坊
(
なんさうばう
)
は
仰
(
あふ
)
いでは
天空
(
てんくう
)
に
冴
(
さ
)
ゆる
月
(
つき
)
を
眺
(
なが
)
め、
663
俯
(
ふ
)
しては
湖上
(
こじやう
)
の
月
(
つき
)
を
眺
(
なが
)
め
天地
(
てんち
)
自然
(
しぜん
)
の
美
(
び
)
に
見惚
(
みと
)
れ
居
(
を
)
ること
稍
(
やや
)
暫
(
しば
)
し、
664
やがて
入定
(
にふじやう
)
の
時刻
(
じこく
)
も
近
(
ちか
)
づいて
来
(
き
)
た。
665
瞑目
(
めいもく
)
合掌
(
がつしやう
)
して
最後
(
さいご
)
の
祈願
(
きぐわん
)
を
捧
(
ささ
)
げ
今
(
いま
)
や
湖水
(
こすゐ
)
に
入定
(
にふじやう
)
せんとする
時
(
とき
)
、
666
今迄
(
いままで
)
静寂
(
せいじやく
)
にして
鏡
(
かがみ
)
の
如
(
ごと
)
く
澄
(
す
)
み
切
(
き
)
りし
湖面
(
こめん
)
俄
(
にはか
)
に
荒浪
(
あらなみ
)
立
(
た
)
ち
起
(
おこ
)
り
円満
(
ゑんまん
)
具足
(
ぐそく
)
の
月輪
(
げつりん
)
の
影
(
かげ
)
千々
(
ちぢ
)
に
砕
(
くだ
)
けて
四辺
(
しへん
)
に
銀蛇
(
ぎんだ
)
金蛇
(
きんだ
)
の
乱
(
みだ
)
れ
泳
(
およ
)
ぐかと
思
(
おも
)
はるる
折
(
をり
)
もあれ
不思議
(
ふしぎ
)
なるかもその
波紋
(
はもん
)
は
次第
(
しだい
)
次第
(
しだい
)
に
大
(
おほ
)
きくなり
遂
(
つい
)
には
中
(
なか
)
の
湖
(
みづうみ
)
の
辺
(
あたり
)
より
鼎
(
かなへ
)
の
涌
(
わ
)
く
如
(
ごと
)
くに
洶涌
(
きようよう
)
し
其
(
そ
)
の
中
(
なか
)
より
猛然
(
もうぜん
)
奮然
(
ふんぜん
)
として
躍
(
をど
)
り
出
(
い
)
でたるはこの
湖
(
みづうみ
)
の
主
(
ぬし
)
として
久
(
ひさ
)
しき
以前
(
いぜん
)
より
湖中
(
こちう
)
に
棲
(
す
)
んで
居
(
ゐ
)
た
八郎
(
はちらう
)
の
化身
(
けしん
)
の
竜神
(
りうじん
)
である。
667
頭上
(
づじやう
)
には
巨大
(
きよだい
)
なる
二本
(
にほん
)
の
角
(
つの
)
を
生
(
しやう
)
じ
口
(
くち
)
は
耳
(
みみ
)
まで
裂
(
さ
)
け、
668
白刃
(
はくじん
)
の
牙
(
きば
)
をむき
出
(
だ
)
し
眼
(
まなこ
)
は
鏡
(
かがみ
)
の
如
(
ごと
)
く
爛々
(
らんらん
)
と
輝
(
かがや
)
き
幾十丈
(
いくじふぢやう
)
とも
計
(
はか
)
り
知
(
し
)
られぬ
長躯
(
ちやうく
)
の
中央
(
ちうおう
)
をば
大
(
だい
)
なる
竜巻
(
たつまき
)
の
天
(
てん
)
に
冲
(
ちう
)
したる
如
(
ごと
)
く
湖上
(
こじやう
)
に
起
(
おこ
)
し、
669
男装坊
(
なんさうばう
)
をハツタと
睨
(
にら
)
み
付
(
つ
)
け「ヤヨ
男装坊
(
なんさうばう
)
克
(
よ
)
く
聞
(
き
)
け、
670
この
湖
(
みづうみ
)
には
八郎
(
はちらう
)
と
云
(
い
)
ふ
先住
(
せんぢゆう
)
の
主
(
ぬし
)
守
(
まも
)
りあるを
知
(
し
)
らぬか、
671
我身
(
わがみ
)
の
位置
(
ゐち
)
を
奪
(
うば
)
はんと
狙
(
ねら
)
ふ
不届者
(
ふとどきもの
)
汝
(
なんぢ
)
身命
(
しんめい
)
の
安全
(
あんぜん
)
を
願
(
ねが
)
はば
一刻
(
いつこく
)
も
早
(
はや
)
く
此
(
こ
)
の
場
(
ば
)
を
退却
(
たいきやく
)
せよ」と
天地
(
てんち
)
も
震動
(
しんどう
)
する
大音声
(
だいおんぜう
)
をあげて
叱咤
(
しつた
)
[
*
「叱咤」…底本では「叱咜」。
]
し
牙
(
きば
)
をかみ
鳴
(
な
)
らし
爪
(
つめ
)
をむき
出
(
だ
)
し、
672
只
(
ただ
)
一呑
(
ひとの
)
みと
斗
(
ばか
)
り
押
(
お
)
し
寄
(
よ
)
せ
来
(
きた
)
る。
673
男装坊
(
なんさうばう
)
は
吾
(
われ
)
は
戦
(
たたか
)
ひを
好
(
この
)
むものにあらず、
674
三熊野
(
みくまの
)
大神
(
おほかみ
)
の
御啓示
(
ごけいじ
)
に
由
(
よ
)
つて
今日
(
けふ
)
より
吾
(
われ
)
は
此
(
こ
)
の
湖
(
みづうみ
)
の
主
(
ぬし
)
となるべし。
675
神意
(
しんい
)
に
逆
(
さから
)
はず
穏
(
おだや
)
かに
吾
(
われ
)
に
譲
(
ゆづり
)
渡
(
わた
)
し
勇
(
いさ
)
ぎよく
此
(
こ
)
の
地
(
ち
)
を
去
(
さ
)
れ、
676
と
説
(
と
)
き
勧
(
すす
)
むれど
怒
(
いか
)
りに
燃
(
も
)
えたる
八郎
(
はちらう
)
の
竜神
(
りうじん
)
如何
(
いか
)
で
耳
(
みみ
)
を
藉
(
か
)
[
*
「藉」…底本では「籍」。
]
すべき、
677
十和田湖
(
とわだこ
)
の
主
(
ぬし
)
八郎
(
はちらう
)
の
猛勇
(
もうゆう
)
無比
(
むひ
)
、
678
精悍
(
せいかん
)
無双
(
むさう
)
なるを
知
(
し
)
らざるか、
679
この
痩
(
や
)
せ
坊主
(
ばうず
)
奴
(
め
)
気
(
き
)
の
毒
(
どく
)
なれども
我
(
わ
)
が
牙
(
きば
)
を
以
(
もつ
)
て
汝
(
なんぢ
)
が
頭
(
あたま
)
を
噛
(
か
)
み
砕
(
くだ
)
き、
680
此
(
こ
)
の
鋭
(
するど
)
き
爪
(
つめ
)
にて
汝
(
なんぢ
)
の
五体
(
ごたい
)
を
引
(
ひ
)
き
裂
(
さ
)
かん。
681
覚悟
(
かくご
)
せよと
怒鳴
(
どな
)
りながら
飛
(
と
)
びかかる。
682
男装坊
(
なんさうばう
)
も
今
(
いま
)
は
是非
(
ぜひ
)
なく
法術
(
ほふじゆつ
)
を
以
(
もつ
)
て
之
(
これ
)
に
対
(
たい
)
し、
683
互
(
たがひ
)
に
秘術
(
ひじゆつ
)
の
限
(
かぎ
)
りを
盡
(
つく
)
し
戦
(
たたか
)
へども
相互
(
さうご
)
の
力
(
ちから
)
譲
(
ゆづ
)
らず
不眠
(
ふみん
)
不休
(
ふきう
)
にて
相
(
あい
)
戦
(
たたか
)
ふこと
七日
(
なぬか
)
七夜
(
ななよ
)
に
及
(
およ
)
び
何時
(
いつ
)
勝負
(
しようぶ
)
の
果
(
は
)
つべくも
思
(
おも
)
はれぬ
状況
(
じやうきやう
)
であつた。
684
男装坊
(
なんさうばう
)
月
(
つき
)
の
清
(
きよ
)
さに
憧憬
(
あこがれ
)
て
685
湖面
(
こめん
)
にしばし
佇
(
たたず
)
み
合掌
(
がつしやう
)
す。
686
大神
(
おほかみ
)
の
霊示
(
れいじ
)
の
棲所
(
すみか
)
は
此
(
こ
)
の
湖
(
うみ
)
と
687
入定
(
にふじやう
)
せんため
湖
(
うみ
)
に
入
(
い
)
らんとす。
688
此
(
こ
)
の
湖
(
うみ
)
の
主
(
ぬし
)
なる
八之太郎蛇
(
はちのたらうじや
)
は
689
浪
(
なみ
)
荒立
(
あらた
)
てて
怒
(
おこ
)
り
出
(
だ
)
したる。
690
男装坊
(
なんさうばう
)
は
吾
(
われ
)
が
永住
(
えいぢゆう
)
の
棲家
(
すみか
)
なり
691
早
(
はや
)
く
去
(
さ
)
れよと
八蛇
(
はちだ
)
に
迫
(
せま
)
る。
692
八之太郎
(
はちのたらう
)
竜神
(
りうじん
)
怒
(
いか
)
り
角
(
つの
)
立
(
た
)
てて
693
男装坊
(
なんさうばう
)
に
噛
(
か
)
み
付
(
つ
)
き
迫
(
せま
)
る。
694
男装坊
(
なんさうばう
)
ひるまずあらゆる
法術
(
ほふじゆつ
)
を
695
盡
(
つく
)
して
大蛇
(
をろち
)
と
挑
(
いど
)
み
戦
(
たたか
)
ふ。
696
天
(
てん
)
震
(
ふる
)
ひ
地
(
ち
)
は
動
(
ゆら
)
ぎつつ
七日
(
なぬか
)
七夜
(
ななよ
)
697
竜虎
(
りうこ
)
の
争
(
あらそ
)
ひ
果
(
は
)
つる
時
(
とき
)
なし。
698
爰
(
ここ
)
に
於
(
おい
)
て
男装坊
(
なんさうばう
)
は
止
(
や
)
むを
得
(
え
)
ず
天上
(
てんじやう
)
に
坐
(
ま
)
す
天
(
あま
)
の
川原
(
かはら
)
の
棚機姫
(
たなばたひめ
)
の
霊力
(
れいりよく
)
を
乞
(
こ
)
ひ
幾百千発
(
いくひやくせんぱつ
)
の
流星弾
(
りうせいだん
)
を
貰
(
もら
)
ひ
受
(
う
)
け
之
(
これ
)
を
爆弾
(
ばくだん
)
となして
敵
(
てき
)
に
投
(
な
)
げ
付
(
つ
)
け、
699
或
(
あるひ
)
は
雷神
(
らいじん
)
を
味方
(
みかた
)
に
引
(
ひ
)
き
入
(
い
)
れ
天地
(
てんち
)
も
破
(
やぶ
)
るる
斗
(
ばか
)
りの
雷鳴
(
らいめい
)
を
起
(
おこ
)
さしめ
大風
(
おほかぜ
)
を
吹
(
ふ
)
かせ
豪雨
(
がうう
)
を
降
(
ふ
)
らせ、
700
幾千万本
(
いくせんまんぼん
)
の
稲妻
(
いなづま
)
を
槍
(
やり
)
となしたる
獅子奮迅
(
ししふんじん
)
の
勢
(
いきほひ
)
にて
挑
(
いど
)
み
戦
(
たたか
)
へば、
701
八郎
(
はちらう
)
もとても
叶
(
かな
)
はじとや
思
(
おも
)
ひけむ、
702
暫
(
しば
)
しの
間
(
あひだ
)
手
(
て
)
に
印
(
いん
)
を
結
(
むす
)
び
呪文
(
じゆもん
)
を
唱
(
とな
)
へ
居
(
ゐ
)
たりしが、
703
忽
(
たちま
)
ち
湖中
(
こちう
)
に
沈
(
しづ
)
み
再
(
ふたた
)
び
湖底
(
こてい
)
から
浮
(
うか
)
び
出
(
で
)
たるその
姿
(
すがた
)
は
恐
(
おそ
)
ろしくも
一躯
(
いつく
)
にして
八頭
(
はつとう
)
十六腕
(
じふろくわん
)
の
蛇体
(
じやたい
)
と
変
(
かは
)
り、
704
八頭
(
はつとう
)
の
口
(
くち
)
を
八方
(
はつぱう
)
に
開
(
ひら
)
き
水晶
(
すゐしやう
)
の
如
(
ごと
)
く
光
(
ひか
)
る
牙
(
きば
)
を
噛
(
か
)
み
鳴
(
な
)
らし
白刃
(
はくじん
)
の
如
(
ごと
)
く
研
(
と
)
ぎ
磨
(
みが
)
いた
十六本
(
じふろつぽん
)
の
腕
(
かいな
)
の
爪
(
つめ
)
をば
十六方
(
じふろつぱう
)
に
伸
(
の
)
ばし
風車
(
かざぐるま
)
の
如
(
ごと
)
く
振
(
ふ
)
り
廻
(
まは
)
しつつ
敵対
(
てきたい
)
奮戦
(
ふんせん
)
するために
又
(
また
)
も
其
(
そ
)
の
力
(
ちから
)
相
(
あい
)
伯仲
(
はくちう
)
して
譲
(
ゆづ
)
らず、
705
再
(
ふたた
)
び
七日
(
なぬか
)
七夜
(
ななよ
)
不眠
(
ふみん
)
不休
(
ふきう
)
の
活躍
(
かつやく
)
、
706
何時
(
いつ
)
勝負
(
しようぶ
)
の
決
(
けつ
)
すべしとも
予算
(
よさん
)
がつかぬ
状況
(
じやうきやう
)
である。
707
男装坊
(
なんさうばう
)
思
(
おも
)
ふに
我
(
わ
)
が
為
(
た
)
めに
斯
(
か
)
くの
如
(
ごと
)
く
永
(
なが
)
く
天地
(
てんち
)
を
騒
(
さわ
)
がし
奉
(
まつ
)
るは
天地
(
てんち
)
神明
(
しんめい
)
に
対
(
たい
)
して
誠
(
まこと
)
に
恐懼
(
きようく
)
に
堪
(
た
)
へぬ。
708
今
(
いま
)
となつては
止
(
や
)
むを
得
(
え
)
ず
神仏
(
しんぶつ
)
の
力
(
ちから
)
に
縋
(
すが
)
るより
他
(
ほか
)
に
方法
(
はうはふ
)
なしと
笈
(
おひ
)
の
中
(
なか
)
より
神書
(
しんしよ
)
一巻
(
いつくわん
)
、
709
神文
(
しんもん
)
一巻
(
いつくわん
)
を
取
(
と
)
り
出
(
だ
)
し
之
(
これ
)
を
恭
(
うやうや
)
しく
頭上
(
づじやう
)
に
高
(
たか
)
く
掲
(
かか
)
げて
神旗
(
しんき
)
となし
朝風
(
あさかぜ
)
に
靡
(
なび
)
かせ
八郎
(
はちらう
)
の
大蛇
(
だいじや
)
に
打
(
う
)
ち
向
(
むか
)
へば、
710
嗚呼
(
ああ
)
不可思議
(
ふかしぎ
)
なるかな
神書
(
しんしよ
)
神文
(
しんもん
)
の
一字
(
いちじ
)
一字
(
いちじ
)
は
残
(
のこ
)
らず
弓箭
(
ゆみや
)
となりて
抜
(
ぬ
)
け
出
(
だ
)
し、
711
激風
(
げきふう
)
に
飛
(
と
)
ぶ
雨
(
あめ
)
や
霰
(
あられ
)
の
如
(
ごと
)
く
八郎
(
はちらう
)
に
向
(
むか
)
つて
飛
(
と
)
びゆき
眼
(
め
)
口
(
くち
)
鼻
(
はな
)
耳
(
みみ
)
と
云
(
い
)
はず
全身
(
ぜんしん
)
五体
(
ごたい
)
寸隙
(
すんげき
)
の
残
(
のこ
)
るところなく
刺
(
ささ
)
つて
深傷
(
ふかで
)
を
負
(
お
)
はせた。
712
八郎
(
はちらう
)
は
勇気
(
ゆうき
)
と
胆力
(
たんりよく
)
とにかけては
天下
(
てんか
)
無双
(
むさう
)
の
剛者
(
ごうしや
)
なれども
惜
(
を
)
しいことには
無学
(
むがく
)
なりしため
神書
(
しんしよ
)
神文
(
しんもん
)
の
前
(
まへ
)
に
立
(
た
)
つては
男装坊
(
なんさうばう
)
に
対抗
(
たいかう
)
して
弁疏
(
べんそ
)
すべき
方法
(
はうはふ
)
を
知
(
し
)
らず、
713
信仰力
(
しんかうりよく
)
を
欠
(
か
)
いでゐたのでさすがに
剛勇
(
ごうゆう
)
を
以
(
もつ
)
て
永年間
(
ながねんかん
)
この
附近
(
ふきん
)
の
神々
(
かみがみ
)
や
鬼仙
(
きせん
)
等
(
とう
)
を
畏服
(
ゐふく
)
せしめ
居
(
ゐ
)
たりし
八郎
(
はちらう
)
の
竜神
(
りうじん
)
も、
714
此
(
こ
)
の
重傷
(
おもで
)
に
弱
(
よわ
)
り
果
(
は
)
て
今
(
いま
)
は
再
(
ふたた
)
び
男装坊
(
なんさうばう
)
に
向
(
むか
)
つて
抵抗
(
ていかう
)
する
気力
(
きりよく
)
もなく、
715
腹
(
はら
)
を
空
(
そら
)
に
現
(
あら
)
はして
湖上
(
こじやう
)
に
長躯
(
ちやうく
)
を
横
(
よこ
)
たへ
苦
(
くる
)
しげに
呻吟
(
しんぎん
)
する
斗
(
ばか
)
りとなつた。
716
その
時
(
とき
)
全身
(
ぜんしん
)
幾万
(
いくまん
)
の
瘡口
(
きずぐち
)
より
鮮血
(
せんけつ
)
雨
(
あめ
)
の
如
(
ごと
)
くに
流
(
なが
)
れて
湖水
(
こすゐ
)
に
注
(
そそ
)
ぎ
忽
(
たちま
)
ちのうちに
血
(
ち
)
の
海
(
うみ
)
たらしめたのであつた。
717
爰
(
ここ
)
に
八郎
(
はちらう
)
は
男装坊
(
なんさうばう
)
に
破
(
やぶ
)
れ
千秋
(
せんしう
)
の
怨
(
うら
)
みをのんで
十和田湖
(
とわだこ
)
を
逃
(
に
)
げ
出
(
だ
)
し
小国
(
をぐに
)
ケ
岳
(
だけ
)
、
718
来満山
(
きたみつやま
)
を
経
(
へ
)
て
更
(
さら
)
に
川下
(
かはしも
)
へ
落
(
お
)
ちのび、
719
三戸郡下
(
さんのへぐんか
)
に
入
(
はい
)
つてこの
辺
(
へん
)
一帯
(
いつたい
)
の
盆地
(
ぼんち
)
を
沼
(
ぬま
)
となし
十和田湖
(
とわだこ
)
に
劣
(
おと
)
らぬ
己
(
おの
)
が
棲家
(
すみか
)
を
造
(
つく
)
らむとせしが、
720
この
地方
(
ちはう
)
は
男装坊
(
なんさうばう
)
の
生
(
おひ
)
立
(
た
)
ちし
為
(
た
)
め
男装坊
(
なんさうばう
)
にとつて
縁故
(
えんこ
)
の
深
(
ふか
)
き
土地
(
とち
)
なるがため、
721
此
(
こ
)
の
附近
(
ふきん
)
の
神々
(
かみがみ
)
は
一同
(
いちどう
)
協定
(
けふてい
)
結合
(
けつがふ
)
して
八郎
(
はちらう
)
を
極力
(
きよくりよく
)
排斥
(
はいせき
)
することとなり、
722
四方
(
しはう
)
より
巨石
(
きよせき
)
を
投
(
とう
)
じて
攻撃
(
こうげき
)
されたるため、
723
八郎
(
はちらう
)
は
居
(
ゐ
)
たたまらずして
又
(
また
)
もやここを
逃
(
に
)
げ
去
(
さ
)
り、
724
山々
(
やまやま
)
を
越
(
こ
)
えて
鹿角郡
(
かつぬぐん
)
に
入
(
い
)
り
郡下
(
ぐんか
)
一円
(
いちゑん
)
を
大湖
(
たいこ
)
と
化
(
くわ
)
し、
725
十和田湖
(
とわだこ
)
よりも
大
(
おほ
)
きなる
湖水
(
こすゐ
)
を
造
(
つく
)
り
徐
(
おもむ
)
ろに
男装坊
(
なんさうばう
)
に
対
(
たい
)
し
復讐
(
ふくしう
)
の
時機
(
じき
)
を
待
(
ま
)
たむと
企
(
くはだ
)
てしも、
726
附近
(
ふきん
)
の
神々
(
かみがみ
)
や
鬼仙
(
きせん
)
等
(
など
)
は
十和田湖
(
とわだこ
)
に
於
(
お
)
ける
男装坊
(
なんさうばう
)
と
八郎
(
はちらう
)
の
戦
(
たたか
)
ひを
観望
(
くわんばう
)
して
男装坊
(
なんさうばう
)
の
神
(
かみ
)
の
法力
(
ほふりき
)
、
727
遙
(
はるか
)
に
八郎
(
はちらう
)
の
怪力
(
くわいりき
)
を
凌
(
しの
)
ぐに
余
(
あま
)
ることを
知
(
し
)
つてゐるため、
728
今
(
いま
)
は
八郎
(
はちらう
)
の
威令
(
ゐれい
)
も
前
(
まへ
)
の
如
(
ごと
)
くには
行
(
おこな
)
はれず
此
(
こ
)
の
附近
(
ふきん
)
の
守護神
(
しゆごじん
)
なる
毛馬内
(
けばうち
)
の
月山
(
ぐわつさん
)
神社
(
じんじや
)
、
729
荒沢
(
あらざは
)
八幡宮
(
はちまんぐう
)
、
730
万屋
(
よろづや
)
地蔵
(
ぢざう
)
その
他
(
た
)
数千
(
すうせん
)
の
神社
(
じんじや
)
の
神々
(
かみがみ
)
は
大湯
(
おほゆ
)
に
集
(
あつ
)
まりこれに
古川
(
ふるかは
)
錦木
(
にしきぎ
)
の
機織姫
(
はたおりひめ
)
まで
参加
(
さんか
)
の
結果
(
けつくわ
)
、
731
大会議
(
だいくわいぎ
)
を
開
(
ひら
)
き
男装坊
(
なんさうばう
)
の
味方
(
みかた
)
となり、
732
八郎
(
はちらう
)
を
排撃
(
はいげき
)
することと
決
(
けつ
)
し、
733
月山
(
ぐわつさん
)
の
頂上
(
ちやうじやう
)
に
登
(
のぼ
)
りて
大石
(
たいせき
)
を
瓦礫
(
がれき
)
として
投
(
な
)
げ
付
(
つ
)
けたるため、
734
八郎
(
はちらう
)
は
居
(
ゐ
)
たたまらず
十二所
(
じふにしよ
)
扇田
(
あふぎだ
)
の
流
(
なが
)
れを
下
(
くだ
)
りて
寒風山
(
かんぷうざん
)
の
蔭
(
かげ
)
に
一湖
(
いつこ
)
を
造
(
つく
)
り、
735
此処
(
ここ
)
に
永住
(
えいぢゆう
)
の
地
(
ち
)
を
見出
(
みいだ
)
したが
八郎
(
はちらう
)
の
名
(
な
)
に
因
(
ちな
)
んで
後世
(
こうせい
)
の
人
(
ひと
)
之
(
これ
)
を
呼
(
よ
)
んで
八郎潟
(
はちらうがた
)
と
称
(
とな
)
ふるに
至
(
いた
)
れり。
736
かくて
男装坊
(
なんさうばう
)
は
三熊野
(
みくまの
)
三神
(
さんしん
)
別
(
わ
)
けて
神素盞嗚尊
(
かんすさのをのみこと
)
の
神示
(
しんじ
)
によりて
弥勒
(
みろく
)
の
出現
(
しゆつげん
)
を
待
(
ま
)
ちつつありしが、
737
天運
(
てんうん
)
茲
(
ここ
)
に
循環
(
じゆんくわん
)
して
昭和
(
せうわ
)
三年
(
さんねん
)
の
秋
(
あき
)
、
738
四山
(
しざん
)
の
紅葉
(
もみぢ
)
今
(
いま
)
や
錦
(
にしき
)
を
織
(
お
)
らむとする
頃
(
ころ
)
神素盞嗚尊
(
かんすさのをのみこと
)
の
神示
(
しんじ
)
によりて
爰
(
ここ
)
に
瑞
(
みづ
)
の
魂
(
みたま
)
十和田湖畔
(
とわだこはん
)
に
来
(
きた
)
り、
739
弥勒
(
みろく
)
出現
(
しゆつげん
)
の
神示
(
しんじ
)
を
宣
(
の
)
りしより
男装坊
(
なんさうばう
)
は
欣喜雀躍
(
きんきじやくやく
)
、
740
風雨
(
ふうう
)
雷鳴
(
らいめい
)
地震
(
ぢしん
)
を
一度
(
いちど
)
に
起
(
おこ
)
して
徴証
(
ちようしよう
)
[
*
「徴証」…底本では「微証」。
]
を
示
(
しめ
)
しつつその
英霊
(
えいれい
)
は
天
(
てん
)
に
昇
(
のぼ
)
りたり。
741
それより
再
(
ふたた
)
び
現界人
(
げんかいじん
)
の
腹
(
はら
)
を
籍
(
か
)
[
*
「藉」…底本では「籍」。
]
りて
生
(
うま
)
れ
男性
(
だんせい
)
となりて
弥勒
(
みろく
)
神政
(
しんせい
)
の
神業
(
しんげふ
)
に
奉仕
(
ほうし
)
することとはなりぬ。
742
吁
(
ああ
)
神界
(
しんかい
)
の
経綸
(
けいりん
)
の
深遠
(
しんゑん
)
にして
宏大
(
くわいだい
)
なる
到底
(
たうてい
)
人心
(
じんしん
)
小智
(
せうち
)
の
窺知
(
きち
)
し
得
(
う
)
る
限
(
かぎ
)
りにあらず。
743
畏
(
かしこ
)
しとも
畏
(
かしこ
)
き
次第
(
しだい
)
にこそ。
744
惟神
(
かむながら
)
霊幸倍坐世
(
たまちはへませ
)
。
745
附言
(
ふげん
)
、
746
男装坊
(
なんさうばう
)
現世
(
げんせ
)
に
再生
(
さいせい
)
し、
747
弥勒
(
みろく
)
の
神業
(
しんげふ
)
を
継承
(
けいしよう
)
して
常磐
(
ときは
)
に
堅磐
(
かきは
)
に
神代
(
かみよ
)
を
樹立
(
じゆりつ
)
するの
経綸
(
けいりん
)
や
出生
(
しゆつしやう
)
の
経緯
(
けいゐ
)
に
就
(
つ
)
いてはこと
神秘
(
しんぴ
)
に
属
(
ぞく
)
し、
748
未
(
ま
)
だ
発表
(
はつぺう
)
を
許
(
ゆる
)
されざるものあるを
遺憾
(
ゐかん
)
とするものであります。
749
(完)
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