第四八章 神示の宇宙 その三〔一九八〕
インフォメーション
著者:出口王仁三郎
巻:霊界物語 第4巻 霊主体従 卯の巻
篇:第9篇 宇宙真相
よみ(新仮名遣い):うちゅうしんそう
章:第48章 神示の宇宙その三
よみ(新仮名遣い):しんじのうちゅう その三
通し章番号:198
口述日:1921(大正10)年12月27日(旧11月29日)
口述場所:
筆録者:加藤明子
校正日:
校正場所:
初版発行日:1922(大正11)年3月30日
概要:
舞台:
あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:水は白色にして、光の元素である。水の中心にはゝ(ぼち)があり、水を流動させる。これが無くなると水は固形して氷となる。
火もまた、その中心に水がなければ燃え光ることはできない。水気を含まない物体は燃えることができない。
太陽もまた、その中心に水球から水が注入されて、燃えて光を放射する。
太陰、太陽、大空の諸星は互いに霊線で結ばれて維持されている。八大神力によってその位置を互いに保持している。
大地は諸汐球と霊線で連絡している。これにより水火の調節により呼吸作用をなし、安定を保持している。地球を「大地の北極」というのは、キタは「水火垂る」という意味であり、太陽の水火、大地の中心の水火、大地四方の氷山の水火、太陰の水火が垂下した中心、という意味である。
人間が地球の陸地に出生して活動することを、水火定(いきる)という。地球は生物の安住所にして、活動経綸の場所なのである。霊体分離して死亡することを身枯留・水枯留(まかる)という。水火の調節が破れたのである。
しかしながら霊魂上から見ると、生も死も老幼もなく、永遠に生き通しである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]:
備考:
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データ凡例:
データ最終更新日:2024-06-01 14:47:23
OBC :rm0448
愛善世界社版:297頁
八幡書店版:第1輯 476頁
修補版:
校定版:300頁
普及版:136頁
初版:
ページ備考:
001 王仁は前席に於て、002太陽は暗体であつて、003其の実質は少しも光輝を有せぬと言ひ、004また地球は光体であると言つた事に就き、005早速疑問が続出しましたから、006念のために茲に改めて火と水との関係を解説しておきます。007されど元来の無学者で、008草深き山奥の生活を続け、009且つ神界よりの厳命で、010明治以後の新学問を研究する事を禁じられ、011恰も里の仙人の境遇に二十四年間を費したものでありますから、012今日の学界の研究が何の点まで進ンで居るかと云ふ事は、013私には全然見当が付かない。014日進月歩の世の中に於て、015二十四年間読書界と絶縁して居たものの口から吐き出すのですから、016時世に遅れるのは誰が考へても至当の事であります。017昔話にある、018浦島子が龍宮から帰つて来た時の様に世の中の学界の進歩は急速であつて、019私が今日新なる天文、020地文、021その他の学問を見ましたならば、022嘸驚異の念にからるるで在らうと思ひます。023併し私としては今日の科学の圏外に立ち、024神示のままの実験的物語をする迄です。
025 『神ながら虚空の外に身をおきて日に夜に月ぬものがたりする』現代文明の空気に触れた学者の耳には到底這入らないのみならず、026一種の誇大妄想狂と見らるるかも知れませぬ、027然れど『神は賢きもの、028強きものにあらはさずして、029愚なるもの、030弱きものに誠をあらはし玉ふ』と言へる聖キリストの言を信じ、031愚弱なる私に真の神は、032宇宙の真理を開示されたのでは無からうかとも思はれるのであります。
033 凡て水は白いものであつて、034光の元素である。035水の中心には、036一つのゝがあつて、037水を自由に流動させる。038若しこのゝが水の中心から脱出した時は固く凝つて氷となり、039少しも流動せない。040故に水からゝの脱出したのを、041氷と云ひ、042又は、043氷と云ふ。044火もまたその中心に水なき時は、045火は燃え、046且つ光る事は出来ぬ。047要するに水を動かすものは火であり、048火を動かすものは水である。049故に、050一片の水気も含まぬ物体は、051どうしても燃えない。
052 太陽もその中心に、053水球より水を適度に注入して、054天空に燃えて光を放射し、055大地はまた、056氷山や水の自然の光を地中の火球より調節して、057その自体の光を適度に発射して居る。
058 次に諸星の運行に、059大変な遅速のある様に地上から見えるのは、060地上より見て星の位置に、061遠近、062高低の差あるより、063一方には急速に運行する如く見え、064一方には遅く運行する様に見えるのである。065が、066概して大地に近く、067低き星は速く見え、068遠く高き星はその運行が遅い様に見える。
069 例へば、070汽車の進行中、071車窓を開いて遠近の山を眺めると、072近い処にある山は、073急速度に汽車と反対の方向に走る如く見え、074遠方にある山は、075依然として動かない様に見え又その反対の方向に走つても、076極めて遅く見ゆると同一の理である。
077 前述の如く、078太陰(月)は、079太陽と大地の中間に、080一定の軌道を採つて公行し、081三角星、082三ツ星、083スバル星、084北斗星の牽引力に由つて、085中空にその位置を保つて公行して居る。086月と是等の星の間には、087月を中心として、088恰も交感神経系統の如うに、089一種の微妙なる霊線を以て、090維持されてある。
091 太陽と、092大空の諸星との関係も亦同様に太陽を中心として、093交感神経系統の如うに一種微妙の霊線を以て保維され、094動、095静、096解、097凝、098引、099弛、100合、101分の八大神力の、102適度の調節に由つて、103同位置に安定しながら、104小自動傾斜と、105大自動傾斜を永遠に続けて、106太陽自体の呼吸作用を営ンで居る。
107 大地も亦その中心の地球をして、108諸汐球との連絡を保ち、109火水の調節によつて呼吸作用を営み居る事は、110太陽と同様である。111地球を中心として、112地中の諸汐球は、113交感神経系統の如く微妙なる霊線を通じて、114地球の安定を保維して居る。
115 また地球面を大地の北極と云ふ意味は、116キタとは、117前述の如く、118火水垂ると云ふことであつて、119第六図の如く、120(挿図参照)太陽の水火と、121大地の中心の水火と、122大地上の四方の氷山の水火と、123太陰の水火の垂下したる中心の意味である。
[#図 第六図 地球の平面図]
124 人間が地球の陸地に出生して活動するのを、125水火定と云ふ。126故に地球は生物の安住所であり、127活動経綸場である。128また水火即ち霊体分離して所謂死亡するのを、129身枯留、130水枯定と云ふのは、131火水の調節の破れた時の意であります。132されど霊魂上より見る時は生なく、133死なく、134老幼の区別なく、135万劫末代生通しであつて、136霊魂即ち吾人の本守護神から見れば、137単にその容器を代へるまでであります。
138(大正一〇・一二・二七 旧一一・二九 加藤明子録)