国祖・国治立命は、逆神・常世彦(初代常世彦の息子)の反逆に対しても、天地の律法を遵守した。
邪神に憑かれた常世彦は、国祖が強い態度に出ないことにつけこんだ。国祖の部下の神々が変幻自在の奇策で邪神の企みを破ったことを、律法違反として告発したのである。
国祖は仁慈の心を持って、部下諸神人の罪悪を一身に受けて千座の置戸を負い、根底の国にご隠退されたのであった。
最初はしかるべき神司を得て善神の世であったが、数百年を経て年とともに神々は悪化してしまった。国祖の大目的は破滅してしまったのである。
しかしついに時節を待って国祖大神が再臨されたように、たとえ何度失敗を重ねようとも、最善の努力を尽くすことである。
わが身の失敗の原因は、得てして自己の責任でもある。地上天国の実現のためには、各人がまず、自己の魂を磨いて水晶の魂に建て替える、ということがなければ、とうてい実現できないのである。
しかしこれも、暗黒の中で前途の光明を見出すべし、という大神の御仁慈なのかもしれない。いかなる困窮も勇んで神の鞭として甘受するときは、もはやとらわれていない。むしろ執着心が苦痛の原因となるのである。
果たして今日の末法の世に、オレゴン星座から現れたキリストはどこに再誕再臨し、いつ衆生に安息を与えるのであろうか。
さて、八王大神を襲名した常世彦は、天津神の命によって塩長彦を奉じて地上神界の実権を握った。しかし聖地エルサレムには自己の神政に都合が悪いため、アーメニヤに神都を遷した。
一方、常世城の大鷹別は、大自在天大国彦を奉じてアーメニヤの塩長彦・常世彦に反抗を始めた。地上神界はまたしても混乱に混乱を重ね、ついには諾冊二神が降臨して、修理固成を行うに至るのである。
第一巻で金や銀の棒が変化して天地万物となった、というくだりに難癖をつける学者があるそうだが、宇宙間の森羅万象、金銀銅鉄などの鉱物を含まない存在はない。人間をはじめ動植物も、剛体すなわち玉留魂(たまつめむすび)の守護を受けているのである。
人間の小智をもって広大無辺の神界の経綸を計るべきではない。